女神の目覚めは、空腹と共に
「……ん、……ふあぁ」
どれくらい眠っていたのだろう。 まぶたの裏に感じる光が、少しだけ強すぎる気がする。
リヴィアは重たい頭を動かして、ゆっくりと瞳を開けた。
最後に覚えているのは、魔王を倒した後に魔法の使いすぎでひどく疲れて、大きな樹の根元に横たわったこと。
ちょっとだけ、ほんの数時間の仮眠をするつもりだった。
「……ここ、どこ?」
視界に飛び込んできたのは、見慣れた魔物の森ではない。 天井一面に描かれた、あまりに精緻で巨大なフレスコ画。それも、なぜか自分にそっくりな少女が光を放っているという、趣味の悪い宗教画だ。
(……誰かの屋敷に運び込まれた? というか、お腹空いたな……)
それにしても、ここは寝心地が良すぎる。
最高級のシルクと羽毛に包まれていた。
ぐぅ、と鳴りそうな腹部を抑え、リヴィアが上体を起こした、その時
――カラン、と。 硬質な金属が床に触れる音が、静寂な空間に響き渡る。
「…………あ」
リヴィアの目の前には、一人の男が立っていた。
白銀の甲冑に身を包み、腰には宝石が埋め込まれた見事な長剣。彫刻のように整った顔立ちをしたその青年は、手に持っていた水差しを床に落とし、呆然とリリアを見つめている。
彼の背後には、同じような武装をした騎士たちがずらりと並んでいた。
「あ、あの……すみません。ここ、どこでしょうか?」
リリアが恐る恐る尋ねると、男は信じられないものを見たというように、その場に膝をついた。 一人が跪くと、背後の騎士たちも、波が引くように次々と床に額をこすりつける。
「おお……。予言の書、第十二巻、八百五節の通りだ……」
皆の前に立つリーダーのような男が、震える声で呟く。
その瞳には、熱狂に近い光が宿っていた。
「千年の沈黙を破り、慈悲深き我らが始祖……『眠りの女神』リヴィア様が、ついに……ついに御覚醒あそばされたぞッ!!」
「「「女神様、万歳!!!」」」
地響きのような怒号が、神殿を揺らす。
「え、え?!?……め、めがみ?せんねん?」
リヴィアの思考は停止した。ちょっとした仮眠のつもりが、千年の月日が流れていたらしい。
しかも、どういうわけか自分は「女神」と呼ばれている。
「女神様、我ら騎士団に最初のご神託を!」
「いや、あの、神託??……とりあえず、おにぎりとか……パンとか、ないですかね……?」
その瞬間、部屋の空気が凍りついた。 控えていた騎士たちが一斉に顔を見合わせ、リーダーのような男は弾かれたようにリリアの前に跪く。
「……パン、とおっしゃいましたか。今、リリア様は確かに『パン(命の糧)』をお求めに!?」
「え、ええ。普通の、そこらへんにあるパンでいいんですけど……」
「女神様が千年の沈黙を破り、最初に口にされる『供物』!街の露店で売っているような、小麦の皮が混じったような雑なものを差し出せるはずがありません!」
男が立ち上がり、背後の副団長に鋭い視線を送る。
「総員、聞け! 女神リヴィア様が、聖なる『破砕と再生の儀』を執り行われる! ただちに王都……いや、近隣諸国も含めたすべての『至高のパン職人』を召喚せよ! 異議は認めん、これは聖戦である!」
「はっ! 直ちに伝令を飛ばします!!」
騎士たちが怒涛の勢いで部屋を飛び出していく。リリアは呆然とそれを見送るしかなかった。
「……あの、アルヴィス様? 『聖戦』って、ただの朝ごはんの話ですよね?」
「リリア様、ご安心ください。貴女様の御口に合うパンを焼き上げるまで、職人たちには不眠不休で働かせます。それまでは、こちらの『神域の湧き水』でどうかお繋ぎを……」
◇◇◇
混乱するリヴィアの前で、男は吸い込まれるような深い青色の瞳をまっすぐに向ける。
彼は一度立ち上がり、ガシャン、と重厚な音を立てて自らの胸に拳を当てた。
騎士の挨拶のようなものだろうか。
「遅ればせながら、我が名をお聞き届けください」
男が再び膝をつく。その動きはあまりに流麗で、まるで舞台の一場面のようだった。
「私はアルヴィス・ヴァン・クロムウェル。この聖域を守護する『白銀聖騎士団』の団長を務めております」
「アルヴィス、さん……」
リヴィアがその名をなぞるように呟くと、彼の肩が微かに震えた。
「……っ、恐れ多い。女神様に名を呼んでいただけるとは。このアルヴィス、これ以上の誉れはございません。今この瞬間、私の家系が千年間紡いできた時間は、すべて報われました」
「せ、千年間も? そんなに前から…?」
「はい。我が一族は、初代団長が貴女様の眠る姿を見守り始めて以来、その使命を絶やすことなく受け継いでまいりました。私で三十五代目となります」
三十五代。その気の遠くなるような数字に、リヴィアは眩暈を覚えた。
ただの寝坊のつもりが、一族の人生を三十回分以上も拘束していたなんて。
「……ごめんなさい、なんだか。私、そんなに凄い人間じゃなくて、ただちょっと疲れて寝てただけで……」
「お言葉を。貴女様が『ただの人間』であるはずがございません」
アルヴィスはリヴィアの言葉を優しく、しかし断固として遮った。
彼は跪いたまま、リヴィアの細い指先を壊れ物を扱うようにそっと掬い上げる。
「貴女様から溢れ出るその魔力の残滓、そして千年の時を経ても変わらぬその神々しいお姿……。民が、そして私が貴女を女神と呼ぶのは、義務ではなく本能なのです」
彼はリヴィアの手の甲に、触れるか触れないかという極限の距離で唇を寄せた。 熱い吐息が肌に触れ、リヴィアの体温が一気に上昇する。
「このアルヴィス、今日、この時より。貴女様の剣となり、盾となり、そして……貴女様に近づくあらゆる不浄を払う『番犬』となることを誓いましょう」
(番犬……にしては、顔が良すぎて威圧感がすごいんだけど……!?!?)
リヴィアの困惑を余所に、アルヴィスは「女神の指先に不備はないか」と言わんばかりの真剣な表情で、じっと彼女の手を見つめている。
「さあ、リヴィア様。部下が至高のパン職人を探している間に、その……御髪を整えさせていただいても? 千年分の埃を、私がこの手で一粒残らず取り除かせていただきます」
「い、いや! 髪くらい自分で解けるから大丈夫! 本当に!」
「……女神自らのお手を煩わせるなど。さては、私の奉仕に不満が? そうですか、死んでお詫びを――」
「待って待って待って! やって! やってもらうから剣をしまって!」
自己紹介からわずか数分。リヴィアは、この美形騎士団長の「忠誠心」という名の重圧に、早くも二度寝したい気分になるのだった。
初めての作品なので、暖かく見ていただたら嬉しいです。応援よろしくお願いいたします。




