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『記録されなかった罪 ――桜ヶ丘苑連続事故事件』  作者: キロヒカ.オツマ―


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エピローグ 灰の上に立つ者

桜ヶ丘苑は、もう、存在しなかった。


正式な理由は、

「度重なる事故と管理体制不備による自主廃止」。


だが、実際には。


内部監査。


県の立ち入り検査。


匿名通報、三件。


記録改ざん。


投薬管理の不正。


夜勤体制の虚偽報告。


そして――


元職員、石田奈緒の、証言。


彼女は、退職後、実家に戻り、

しばらく、心療内科に通っていた。


だが。


ある日。


警察からの、一本の電話。


震える声で、

すべてを、話した。


朝食の薬。


記録の書き換え。


看護師長の指示。


施設長の黙認。


彼女は、泣きながら、何度も、同じ言葉を繰り返した。


「……私、殺してないです……でも……止められなかった……」


それで、終わった。


看護師長は、業務上過失致死と証拠隠滅。


施設長は、監督責任と虚偽報告。


どちらも、実刑にはならなかった。


執行猶予。


罰金。


業界追放。


ニュースは、三日で、消えた。



建物は、半年後、取り壊された。


コンクリートの壁が、崩れるたび、

埃が、空に舞い上がる。


藤堂理沙は、

立入禁止の柵の外から、

その光景を、黙って見ていた。


かつて。


何十人もの老人が、

ここで、声を失い、

尊厳を削られ、

静かに、壊されていった。


その中に。


――怪物が、生まれた。


彼女のポケットには、

あのノートの、コピーが、入っていた。


本物は、証拠品として、

厳重に保管されている。


だが。


彼女は、時々、

どうしても、捨てられずに、

このコピーを、読み返してしまう。


日付。


図面。


名前。


最後のページ。


「ここで おわり」


(……本当に……終わったの……?)



藤堂は、異動願を出した。


理由は、

「長期事件による心身疲労」。


表向き。


だが、実際には。


あの事件のあと。


彼女は、

“高齢者施設関連”の事件を、

意図的に、避けるようになっていた。


被害者。


加害者。


境界が、

あまりにも、曖昧になるから。


誰を、守っているのか、

わからなくなるから。


今は。


地方署の、生活安全課。


DV。


虐待。


老人への暴力。


通報を、淡々と、処理する部署。


だが。


彼女は、

どの通報よりも、

高齢者虐待の案件にだけ、

異様に、時間をかけた。


現場に行く。


必ず、本人と、目を合わせる。


手を、見る。


爪。


痣。


声の出し方。


ナースコールの位置。


階段の、構造。


(……あの人も……)


(……誰かに……なりかけている……)



ある夜。


藤堂は、署の屋上で、

一人、煙草を吸っていた。


風が、強い。


街の灯りが、

遠く、滲んでいる。


スマートフォンに、

一本の、通知。


――内部告発フォーム。


匿名。


内容。


「老人ホームで、また、事故が続いています」


施設名。


県内。


別の町。


築二十年。


階段、急。


夜勤、一人。


藤堂は、

画面を、しばらく、見つめていた。


胸の奥が、

ゆっくり、冷えていく。


(……終わっていない)



数日後。


彼女は、その施設に、向かっていた。


一人で。


応援も、上司も、連れていない。


ただの、私的な、下見。


受付で、

来訪理由を聞かれ、

一瞬、迷ってから、答えた。


「……以前、ここに、親が入っていまして」


嘘。


だが、半分は、本当だった。



廊下。


消毒の匂い。


低い天井。


ナースステーションの、蛍光灯。


――ちかちか。


藤堂の、足が、止まった。


七回。


また、七回。


一瞬、

背筋に、冷たいものが、走る。


(……偶然……)


……だと、思いたい。



面会室の前。


車椅子の老人が、

窓の外を、見ている。


職員が、言った。


「最近、入った方なんです。ほとんど話せなくて」


藤堂は、

なぜか、足が、動かなかった。


理由も、なく。


ただ。


その老人の、指先が。


シーツの裏で。


――何かを、なぞっている。


ゆっくり。


何度も。


線を、引くように。


藤堂の、喉が、鳴った。


近づく。


そっと、覗き込む。


老人の目が、

ゆっくり、こちらを、向いた。


濁った、白目。


だが。


その奥。


はっきりとした、

“意識”。


そして。


かすれた声。


ほとんど、息の音みたいな、囁き。


「……ここ……」


「……いい……」


藤堂の、心臓が、

一瞬、止まった。


老人は、

また、窓の外に、視線を戻す。


何事も、なかったように。


職員は、笑って言った。


「最近、よく、独り言言うんですよ」


藤堂は、

何も、答えられなかった。



帰り道。


車の中で、

彼女は、あのノートの、コピーを、取り出した。


最後の、一行。


――「わすれた ふりが いちばん つよい」


ハンドルを、強く、握る。


(……止めなきゃ……)


誰かが。


また。


“完成”してしまう前に。



その夜。


藤堂は、

新しいノートを、買った。


黒い、無地の表紙。


一ページ目に、

こう、書いた。


――「桜ヶ丘苑事件・再調査記録」


その下に、日付。


そして。


静かに、ペンを、走らせた。


――「第二の怪物、発生の兆候あり」


復讐は、終わった。


だが。


地獄は、

終わり方を、知らない。


守る者が、目を逸らせば。


必ず、また、

誰かが、壊れて、生まれる。


藤堂理沙は、

灰になった施設の、その先で、

ただ一人、立ち続ける。


壊れた世界の、番人として。

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