第33章 遺された設計図
新聞は、小さく報じただけだった。
――高齢男性、病院階段から転落死。
――家族関係にトラブルの形跡なし。
――施設内事故との関連は不明。
婿の死も、同じ扱いだった。
自宅階段、深夜、転倒。
首の骨折。
即死。
事件性、なし。
三件の事故。
三人の家族。
三つの「偶然」。
世間は、
“運の悪い一家”として、
それ以上、興味を示さなかった。
*
だが。
藤堂理沙だけは、
終われなかった。
彼女の机の上には、
一冊の、薄いノートが、置かれていた。
桜ヶ丘苑。
憲治の、ベッドの下から、
清掃員が、偶然、見つけたもの。
布に包まれ、
湿気で、少し、歪んでいる。
表紙に、何も書かれていない。
藤堂は、
手袋をして、そっと、開いた。
中身は。
――文字。
歪んだ、震えた、ひらがな。
だが。
異様なほど、整然とした、構成。
日付。
名前。
配置図。
施設の平面図。
家族の家の、間取り。
病院の、非常階段の構造。
(……設計……)
それは、
日記ではなかった。
犯行記録でも、なかった。
――計画書。
*
最初のページ。
妻の名前。
その横。
「ころぶ ばしょ」
階段の図。
手すりのネジ。
床の傾斜。
数年後の日付。
そして。
小さく。
――「れんしゅう」
藤堂の、指が、震えた。
(……最初から……)
事故では、なかった。
すべて。
何年も前から、
順番に、
“練習”されていた。
*
次のページ。
娘。
婿。
孫。
名前の横に、
丸と、×。
赤鉛筆。
――娘 あと
――むこ さいご
そして。
一番、最後のページ。
自分の名前。
「けいじ」
その下に。
病院の階段の、詳細な図。
高さ。
角度。
落下位置。
――「ここで おわり」
藤堂は、
その場で、椅子から、立てなくなった。
(……最初から……)
彼は。
逃げるつもりなど、なかった。
裁かれる気も、なかった。
“最後に死ぬ場所”まで、
自分で、決めていた。
*
さらに、
ノートの、裏表紙。
布の裏に、
縫い込まれた、小さな、メモ。
たった、一行。
――「わすれた ふりが いちばん つよい」
藤堂は、
ゆっくり、息を、吐いた。
認知症。
壊れた老人。
誰も、疑わない存在。
だからこそ。
完璧に、
復讐者になれた。
*
数日後。
病院。
真理子の病室。
彼女は、生きている。
だが。
右半身は、動かず。
声も、出ない。
視線だけが、
かろうじて、動く。
藤堂は、ベッドの横に、立った。
「……あなたの、お父さんは……」
言葉を、探す。
真理子の目から、
涙が、静かに、流れた。
藤堂は、続けた。
「……あなたは……」
「……もう……誰にも……見捨てられません……」
答えは、ない。
だが。
その瞬間。
真理子の、左手の指が、
ほんの、わずかに、動いた。
シーツを、引っかく。
――とん。
――とん。
二回。
藤堂の、喉が、鳴った。
(……まさか……)
彼女は。
父のことを。
――わかっている。
*
その夜。
藤堂は、ひとり、報告書を書いた。
正式な結論。
「北尾憲治による連続殺人および自殺」
だが。
最後の欄。
動機。
そこに、彼女は、こう、記した。
――長期にわたる家族および施設職員からの精神的・身体的虐待への復讐。
だが。
その下に、
誰にも見せない、私的メモ。
――「この事件は、終わっていない」
*
数週間後。
桜ヶ丘苑。
新しい入居者が、入ってきた。
七十八歳。
認知症。
意思疎通、困難。
職員は、また、同じように、扱う。
優しく。
表向きは。
だが。
夜。
消灯後。
その老人が、
天井を、見つめながら、
小さく、笑った。
誰にも、聞こえない声で。
「……ここも……いい……」
ナースコールの、音。
遠くの、足音。
同じ、廊下。
同じ、階段。
同じ、構造。
老人の、指が、
シーツの裏を、なぞる。
――次の、設計図を。
藤堂は、知らない。
復讐は、
一人で、終わるものでは、ないということを。
壊れた場所は、
また、同じ怪物を、生む。
そして。
「疑われない怪物」は、
この国に、
いくらでも、眠っている。




