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『記録されなかった罪 ――桜ヶ丘苑連続事故事件』  作者: キロヒカ.オツマ―


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第28章 偽りの遺書

久保田は、一睡もできなかった。


天井を見つめたまま、夜が明ける。


目を閉じると、

あの声が、蘇る。


「……せ……ん……せ……」


老人の、

掠れた、

責めるような声。


(……幻聴だ……)


何度も、そう、言い聞かせた。


だが、スマートフォンの通話履歴を、何度確認しても、

非通知・五秒。


消えていない。


(……生きている……)


(……しかも……意識が……)



午前十時。


県の医療安全委員会。


小さな会議室に、

久保田は、呼び出されていた。


正面には、三人。


医師会の監査官。

県の担当官。

そして――刑事、佐伯。


「……今回の件ですが」


監査官が、淡々と、切り出す。


「処方量が、通常の二倍を超えています」


「ご高齢で、腎機能も低下していますね」


「……なぜ、この量を?」


久保田は、喉を鳴らした。


「……興奮が、激しくて……夜間せん妄も……」


「それでも、危険域です」


佐伯が、口を挟む。


「……薬の相互作用、理解されていますよね」


久保田は、うなずいた。


だが、声が、出ない。


「……あなた、事故だと思っていますか?」


佐伯の視線が、刺さる。


「それとも――」


「……故意ですか?」


その言葉に、

久保田の指が、痙攣した。


「……そんな……」


「……殺すつもりなんて……」


「……ただ……少し……静かに……」


言った瞬間、

自分の言葉に、凍りついた。


(……今の……言い方……)


佐伯の眉が、わずかに、動いた。



昼。


病院。


憲治のベッドの横に、

新しい封筒が、置かれていた。


誰が置いたのか、分からない。


宛名もない。


中には、

一枚の紙。


震える字。


だが、

はっきり、読める。


――せんせいへ

――くるしくて もう むりです

――あのよで あやまってください


誤字だらけ。


認知症の老人が、

必死に書いたような、文字。


看護師は、すぐ、主治医に渡した。


主治医は、首を傾げた。


「……この人……筆談、できないはずだが……」


だが、

誰も、深くは、追及しない。


その紙は、

回り回って、

夕方には、佐伯の手に渡った。


(……遺書……?)


(……いや……誘導……)


佐伯は、すぐ、久保田に、電話を入れた。



「……遺書のようなものが、出てきました」


電話口。


久保田の呼吸が、荒くなるのが、分かる。


「……な……何て……?」


「……あなた宛てです」


沈黙。


次の瞬間。


「……違う……」


「……私は……」


「……本当に……事故で……」


声が、震え、裏返る。


佐伯は、低く言った。


「……今夜、北尾さん、面会できますよ」


「……直接、話してみますか?」


久保田は、即答できなかった。


だが――


「……行きます……」


言ってしまった。


(……聞かないと……)


(……責められる前に……)



夜。


病室。


カーテンを閉め、

照明を落とす。


看護師は、外に出した。


二人きり。


ベッドの上の憲治は、

相変わらず、虚ろな目で、天井を見ている。


久保田は、椅子に座り、

汗だくのまま、言った。


「……北尾さん……」


「……聞こえますか……」


沈黙。


心電図の音だけ。


「……あの……紙……」


「……私の……せい……ですか……?」


しばらくして。


ゆっくり。


憲治の目が、

久保田の方を、向いた。


それだけで、

久保田の心臓は、跳ね上がった。


唇が、

わずかに、動く。


「……く……る……し……」


かすれた声。


「……くるしい……」


久保田は、立ち上がった。


「……ご……ごめんなさい……」


「……わざとじゃ……」


「……でも……量が……多かったかも……」


言いながら、

自分で、気づいていた。


(……認めている……)


(……録音されたら……終わりだ……)


だが、止まらない。


「……もう……許して……」


そのとき。


憲治の口角が、

ほんの、わずかに、上がった。


一瞬。


幻覚かと思うほど、微細な笑み。


そして、

枕元に置いてあった、

水のコップに、視線を移した。


意味ありげに。


久保田は、息を呑んだ。


「……水……?」


手が、震えながら、

コップを持つ。


(……飲ませろ……?)


(……それで……終わりに……?)


一歩、近づいたとき。


憲治の唇が、動く。


「……じ……ぶ……ん……で……」


その一言で、

久保田の理性が、崩れた。


(……自殺……?)


(……私に……見せたい……?)


(……いや……手伝え……と……?)


頭の中で、

最悪の想像が、連鎖する。



同じ頃。


廊下の奥。


佐伯は、モニター越しに、

二人を、見ていた。


盗聴ではない。


ただの、見守りカメラ。


だが、

空気は、十分、伝わる。


(……やっぱり……誘導している……)


(……だが……証拠が……)


そのとき。


久保田が、

コップを持ったまま、

立ち尽くした。


顔面蒼白。


汗だく。


震え。


佐伯は、

直感的に、悟った。


(……壊れる……)



病室。


久保田は、

コップを、床に、落とした。


ガシャン、と、割れる音。


「……無理だ……」


「……できない……」


その場に、崩れ落ちる。


「……警察に……言う……」


「……全部……」


憲治の目が、

静かに、細まった。


――失敗。


だが、

構わない。


医者は、もう、十分、割れている。


自白は、近い。


それより――


次は、

“自殺未遂”を、

本物に、仕立てる。


医師が、

「止めなかった」ことに、する。


天井を見つめながら、

憲治は、ゆっくり、瞬きをした。


次に、死ぬのは、

自分ではない。


医者の「社会」だ。


――続く。

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