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『記録されなかった罪 ――桜ヶ丘苑連続事故事件』  作者: キロヒカ.オツマ―


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第23章 管理者の部屋

施設長・三浦健一は、その夜も、自室のソファで一人、酒を飲んでいた。


六十二歳。


この施設に来て、十五年。


「事故」は、何度も経験してきた。

骨折。誤嚥。転落。急変。


だが今回は、違う。


警察。

鑑識。

告発。


そして――


「北尾憲治」。


あの、ほとんど言葉も話さない老人。


なぜか、頭から離れない。



机の上には、古い書類の山が積まれている。


事故報告書。

家族説明文。

再発防止策。


すべて、同じ文言。


――不可抗力。

――高齢による転倒。

――職員に過失なし。


それで、ここまで来た。


(三十年、守ってきたんだ……)


施設を。

自分の地位を。

そして――


「組織」を。



ノック。


「……誰だ」


「夜勤です。少し、確認を」


副施設長の声。


三浦は、舌打ちしながら立ち上がった。


「今は忙しい」


「警察から、追加の資料請求が……」


その言葉で、空気が変わる。


「……入れ」



副施設長は、顔色が悪かった。


「防犯カメラのバックアップ、県警が持っていきました」


「……どこの分だ」


「リハビリ室前と、階段横……」


三浦の手が、止まる。


(……階段……)


田島の事故の、あの階段。


「……壊れてたはずだろ」


「形式上は……でも、サーバー側に、断片が……」


三浦は、グラスを机に置いた。


「……石田は、何を話した」


「……職員の暴言、身体拘束、記録改ざん……それと……」


副施設長は、言葉を詰まらせた。


「……“特定の利用者に対する、繰り返しの虐待”……」


「誰だ」


「……北尾憲治です……」


一瞬、頭が白くなる。


あの、動かない老人。


あの、何もわからないはずの男。


(三人とも……田島も、誤嚥死も、全部、あいつの病棟だ……)


偶然か?


それとも――



深夜一時。


三浦は、確認のため、病棟を回った。


夜勤の職員は、疲れ切った顔で、淡々と業務をしている。


北尾憲治の病室の前で、足を止める。


ドアは、半開き。


中は、暗い。


ベッドの上で、老人が、静かに横たわっている。


人工呼吸器も、点滴もない。


ただの、寝たきりの老人。


(三ヶ月前から、ここにいる……)


何も、起きていない。


何も、していない。


はずだ。



三浦は、そっと、部屋に入った。


足音を殺し、ベッドの横に立つ。


老人の顔は、しわだらけで、口はわずかに開いている。


呼吸は浅く、不規則。


「……北尾さん……」


小さく、声をかける。


反応はない。


(……やはり、ただの認知症だ……)


安堵が、胸に広がる。


そのとき。


老人の指が、

わずかに、動いた。


毛布の端を、

“正確に”、つまむ。


一瞬。


ほんの、一瞬。


だが――


三浦の目は、それを、はっきり見た。


(……今のは……)


老人の目は、閉じたまま。


だが、口元が――


ほんのわずか、歪んだように、見えた。


錯覚か。

酒のせいか。


三浦は、急に、寒気を覚えた。



翌朝。


施設長室に、一本の電話が入った。


「……県警ですが。三浦施設長、少し、お時間を」


「……はい……」


「“昨夜の巡回”について、確認したいことがあります」


心臓が、強く打つ。


「……巡回……?」


「はい。午前一時二十分頃、あなた、病棟に入ってますね」


――防犯カメラ。


壊れていたはずの。


いや、

“壊れていたことにしていた”だけの。


「……あ、あれは……」


「北尾憲治さんの部屋に、入ってます」


沈黙。


女刑事の声が、続く。


「……何を、しに行ったんですか?」



その頃。


病室。


憲治は、目を閉じたまま、静かに考えていた。


――施設長、夜間侵入。

――防犯記録、復活。

――刑事、接触。


すべて、予定より、少し早い。


だが、問題ない。


むしろ――


(……“触らせた”のは、正解だった)


夜中、

わざと、指を動かした。


わざと、気づかせた。


恐怖は、証言を狂わせる。


焦った管理者ほど、

自分で、墓穴を掘る。


次は――


「事故」ではない。


「事件」に、してやる。


施設長は、

逃げ場のない場所で、

必ず、証拠を残す。


それが――


“管理責任”という名の、処刑だった。

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