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『記録されなかった罪 ――桜ヶ丘苑連続事故事件』  作者: キロヒカ.オツマ―


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第21章 来訪者

翌日の午後三時。


雨は降っていなかったが、空は低く、重かった。


桜ヶ丘苑の裏口に、一台の古いセダンが止まった。


運転席から降りてきた男は、何度も周囲を見回し、帽子を深くかぶり直した。


北尾達也。


正面玄関は使わない。

受付にも顔を出さない。


電話で指示された通り、裏の職員通用口から入った。


インターホンを押す。


「……はい」


「……面会……北尾憲治……」


一瞬、間。


「……少々……お待ちください……」


ロックが、解除される。


達也の背中を、嫌な汗が伝った。



三階、奥の廊下。


昼の時間帯だというのに、人影は少ない。


事件のあと、職員が一斉に休職し、応援の人間だけで回している。


空気が、薄い。


「……こちらです……」


案内の若い介護士が、憲治の部屋の前で止まった。


「……お一人で……大丈夫ですか……?」


達也は、無理に笑った。


「……ええ……すぐ……終わります……」


ドアが、閉まる。


カチャリ、と、鍵の音。


静寂。



部屋の中。


カーテンは、半分閉められ、薄暗い。


ベッドの上に、憲治が、横たわっている。


いつものように、口を半開きにし、天井を見つめたまま。


「……お父……さん……」


声が、震えた。


近づく。


(……本当に……ボケた顔だ……)


「……電話……もらって……」


憲治は、ゆっくり、顔を向けた。


焦点の合わない目。


「……あ……あぁ……」


達也は、ほっと、息をついた。


(……やっぱり……)


だが。


次の瞬間。


その目が、鋭く、達也を捉えた。


「……遅かったな……達也……」


低い、はっきりした声。


別人の声。


達也は、後ずさった。


「……な……なに……」


「……鍵……閉めたか……」


「……え……?」


「……閉めろ……」


命令口調。


達也は、無意識に、ドアに手を伸ばし、内側から、鍵をかけた。


カチリ。


その音が、異様に、大きく響いた。



憲治は、ゆっくり、上体を起こした。


背筋は、まっすぐ。


手の震えも、ない。


「……いつから……だと……思う……?」


「……な……何が……」


「……お前が……俺の前で……金の話を……したのは……」


達也の喉が、鳴った。


「……お前が……娘の前で……俺を……“もう人じゃない”……と言った夜……」


一つ一つ、正確な記憶。


達也の顔から、血の気が引いた。


「……録音……してある……」


憲治は、枕の下から、小さなICレコーダーを出した。


「……職員の……暴力も……投薬も……拘束も……」


「……家族の……言葉も……全部……」


達也は、声を失った。


「……警察に……渡せば……」


「……お前は……終わりだ……」


「……妻も……巻き込まれる……」


「……娘も……父親が……何を言っていたか……知る……」


達也は、膝から、崩れ落ちた。


「……な……何が……欲しい……」


その言葉を、待っていた。


憲治の目が、細く、笑った。


「……簡単だ……」


「……証言しろ……」


「……施設の……不正を……全部……」


「……だが……」


一拍。


「……“俺が……認知症だった”……という……証言は……するな……」


「……最後まで……俺は……何も……分からなかった……」


「……そう……言え……」


達也は、必死に、うなずいた。


「……わ……分かった……何でも……」



その頃。


警察署。


藤堂理沙は、通信記録の一覧を、見つめていた。


事件前後、北尾憲治の病室の内線。


外線発信、二件。


一件は、施設長。


もう一件は――


北尾達也。


しかも。


通話時間、三分二十秒。


「……認知症患者が……外線……?」


藤堂は、静かに、席を立った。


(……おかしい……)


(……この老人……何か……隠している……)



部屋に戻ると。


達也は、泣きながら、床に額をつけていた。


「……約束……します……全部……話します……」


憲治は、再び、ベッドに横になり、

ゆっくり、あの“虚ろな顔”に、戻っていく。


「……いい……帰れ……」


「……もう……俺は……何も……分からん……」


数秒後。


完全な、認知症の老人。


達也は、這うように、部屋を出た。



夜。


憲治は、天井の染みを、数えていた。


三十九。


(……一人……確保……)


次は、刑事。


次は、真実。


だが――


(……お前……気づき始めたな……藤堂……)


遠くで、ナースコールが、鳴った。


物語は、静かに、臨界点へ、近づいていた。


――続く。

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