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『記録されなかった罪 ――桜ヶ丘苑連続事故事件』  作者: キロヒカ.オツマ―


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第19章 立ち入り

午前九時。


桜ヶ丘苑の正面玄関に、二台の黒いワンボックスが止まった。


スーツ姿の男女。

バッジ。

書類の束。


警察だった。


受付の若い職員が、瞬間、固まる。


「……何か、ご用でしょうか……?」


年配の刑事が、淡々と答えた。


「捜索令状です」

「業務記録、事故報告書、職員の勤務記録一式。提出してください」


一瞬で、空気が凍りついた。


ナースステーションに、ざわめきが走る。


誰かが、施設長室に走った。



施設長は、電話を切った瞬間、椅子から立ち上がれなくなっていた。


手が、震える。


額に、冷や汗。


机の引き出しには、まだ、処分しきれなかったファイル。


夜勤記録。

拘束指示書。

「転倒事故」一覧。


(……間に合わなかった……)


ドアが、ノックもなく、開いた。


女刑事だった。


その後ろに、二人の捜査員。


「……失礼します」


声は、低く、静かだった。


だが、逃げ道は、完全に、塞がれていた。


「令状があります」

「今から、この部屋を含め、施設全体を捜索します」


施設長は、必死に笑顔を作った。


「い、いえ……これは……ちょっとした誤解で……」


女刑事は、机の上の灰皿を、無言で見つめた。


まだ、温かい灰。


焦げた紙片。


「……何を、燃やしていたんですか」


答えられない。


その沈黙だけで、十分だった。



ナースステーションでは、職員たちが、壁際に並ばされていた。


ロッカー。

私物。

記録棚。


次々と、開けられていく。


捜査員が、声を上げた。


「……これ……」


古いファイル。


夜勤記録の束。


ページの端に、同じ修正液の跡。


筆跡が、途中から、変わっている。


「改ざん、ですね」


看護師長の代理で立っていた副師長が、顔面蒼白になる。



医務室。


薬品棚。


鎮静剤の在庫が、帳簿と合わない。


「……多いな」


「……減りすぎてる」


投薬記録と、使用量。


誰が、いつ、どれだけ使ったか。


そこには、石田奈緒の名前が、何度も、出てきた。


だが――


その直後のページには、必ず、別の名前で、上書きされていた。


看護師長。


副施設長。


施設長。


三人の署名。


女刑事は、静かに、息を吐いた。


(……組織的……完全に……)



一方。


憲治の部屋の前で、捜査員が立ち止まった。


名札を見る。


「北尾……憲治……」


女刑事が、ゆっくり、近づく。


ドアを、ノック。


「……失礼します」


入る。


ベッドの上。


いつもの老人。


虚ろな目。


口を、半開きにし、天井を見ている。


「……北尾さん」


声をかける。


反応はない。


「あ……あう……」


意味のない声。


女刑事は、しばらく、その顔を、じっと見つめた。


(……この人が……本当に……?)


だが。


視線が、わずかに、動いた。


一瞬。


ほんの、一瞬。


彼女の名札を、正確に、追った。


女刑事の、背中に、ぞっとする感覚が走る。


(……今……見た……?)


だが、次の瞬間。


憲治は、また、完全な無表情に戻っていた。


「……特に、問題なさそうですね」


捜査員が、言う。


女刑事は、うなずくしかなかった。


証拠は、ない。


今のところ。



午後。


施設長は、別室で、任意同行の説明を受けていた。


「……参考人、という形です」


「……あくまで……」


声が、震える。


だが、誰も、信じていなかった。


ロッカーから、さらに、決定的な物が出てきた。


USBメモリ。


中身は、内部用の「事故管理表」。


公的記録には出ない、裏の一覧。


死亡者名。

原因。

「処理済」。


そこに、はっきりと、書いてあった。


――北尾憲治 拘束強化対象

――家族対応注意

――延命不要候補


女刑事の、拳が、ぎゅっと、握られた。


(……この人は……最初から……)



夕方。


ニュースが、地域に流れ始めた。


「高齢者施設で不正・事故隠蔽の疑い」

「警察が立ち入り捜索」


玄関の前に、報道車。


カメラ。


マイク。


職員たちは、俯いたまま、裏口から帰された。


施設長は、連行こそされなかったが、

そのまま、事情聴取に向かった。


戻らないことは、誰の目にも、明らかだった。



夜。


桜ヶ丘苑は、異様な静けさに包まれていた。


テレビも、消され。


ナースコールも、少ない。


職員は、最低限。


誰も、余計なことを言わない。


憲治は、ベッドに横たわり、

天井の染みを、いつも通り、数えていた。


三十七。


変わらない。


だが――


(……一つ、落ちた)


施設長。


大きな歯車。


予想より、早い。


だが、まだ、終わらない。


女刑事は、疑っている。


組織は、壊れ始めた。


そして――


家族。


娘は、入院中。


婿は、ひとり。


今が、一番、孤立している。


(……次は……お前だ……)


憲治の、心の中で、静かに、名前が、響いた。


婿。


金と、保身と、

一番、弱い人間。


彼は、ゆっくりと、目を閉じた。


もう、事故では、足りない。


次は――


「選択」を、させる。


逃げるか。

守るか。

裏切るか。


その瞬間から、

この物語は、「復讐」ではなくなる。


――続く。

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