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『記録されなかった罪 ――桜ヶ丘苑連続事故事件』  作者: キロヒカ.オツマ―


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第18章 病室の証言

集中治療室の前の廊下は、夜でも白く、冷たかった。


消毒薬の匂い。

無機質な機械音。

命をつなぐ管の、微かな振動。


女刑事は、ガラス越しに、ベッドの上の女を見つめていた。


看護師長。


顔の左半分に、まだ、紫色の腫れが残り、

首には、固定具。


呼吸は、浅く、

意識は、断続的。


医師が、小さくうなずいた。


「短時間なら、話せます。ただ……混乱しています」

「刺激しないでください」


女刑事は、静かに、病室に入った。



「……看護師長さん」


呼びかけると、

女のまぶたが、ゆっくり、動いた。


焦点の合わない目。


しばらくして、

かすれた声が、漏れた。


「……わたし……落ちた……」


「覚えていること、ありますか」


沈黙。


酸素マスクの音だけが、続く。


そして――


突然、女の目が、見開かれた。


「……違う……!」


掠れた声が、強く、揺れた。


「……押された……!」


女刑事の、背筋が、硬くなる。


「誰に、ですか」


しばらく、沈黙。


唇が、震え、

目が、天井を、必死に、探す。


「……わから……ない……」


「……でも……」


呼吸が、荒くなる。


「……後ろ……影……」

「……声……」


女刑事は、身を、少し、近づける。


「……どんな声でしたか」


しばらく、迷い。


そして――

はっきりと、言った。


「……男の声……」

「……低い……静かな……」

「……笑ってた……」


一瞬、

部屋の空気が、凍った。


「……職員ですか」


首が、ゆっくり、横に、振られる。


「……違う……」

「……あの人……職員じゃない……」


女刑事の、脳裏に、

一人の顔が、浮かぶ。


老人。

車椅子。

虚ろな目。


(……まさか……)



女刑事は、声を、さらに、低く、落とした。


「……北尾憲治さん、覚えていますか」


その瞬間。


看護師長の、指が、

シーツを、強く、つかんだ。


呼吸が、乱れる。


目に、はっきりとした、恐怖が、浮かぶ。


「……あの人……」


喉が、鳴る。


「……あの人……見てた……」


「……ずっと……」


女刑事の、心臓が、跳ねた。


「……何を、ですか」


声は、ほとんど、叫びに、近かった。


「……全部……」


「……記録……」

「……事故……」

「……お金……」


涙が、こぼれた。


「……わたし……消した……」

「……石田の……メモ……」

「……施設長に……言われて……」


女刑事は、歯を、強く、噛んだ。


ついに、出た。


隠蔽。

改ざん。

共犯。


「……北尾さんが、何か、言いましたか」


首が、震えながら、縦に、動く。


「……何も……言わない……」

「……ただ……」


目を、ぎゅっと、閉じる。


「……夜……」

「……廊下に……立ってた……」


「……笑ってた……」


その言葉が、

女刑事の、胸に、深く、刺さった。



病室を出たとき、

女刑事の手は、わずかに、震えていた。


(……被害者が……加害者に……)


いや――


(……加害者が……被害者に……なっただけ……)


彼女は、すぐに、携帯を取り出した。


「……本部……緊急で、動いて……」

「……桜ヶ丘苑……組織的隠蔽……」

「……そして……」


一瞬、言葉を、探す。


「……北尾憲治……」

「……重要参考人として……マーク……」


通話が、切れる。


廊下の窓から、夜明け前の、青白い光が、差し込んでいた。



そのころ。


桜ヶ丘苑。


施設長は、事務室で、震える手で、書類を燃やしていた。


事故報告書。

夜勤記録。

拘束指示書。


灰皿が、すぐに、いっぱいになる。


「……クソ……」


汗が、額を、伝う。


電話が、鳴る。


看護師長の、家族から。


出ない。


また、鳴る。


今度は、刑事課。


画面を、伏せて、机に、叩きつけた。


(……終わる……)


(……このままじゃ……全部……)


彼は、ふと、思い出す。


あの老人。


天井ばかり、見ていた、

無反応な、北尾。


(……あいつ……)


背中に、冷たいものが、走る。



一方。


憲治は、個室で、

いつも通り、天井の染みを、見つめていた。


蛍光灯の縁。


薄茶色の輪。


三十七。


増えていない。


(……看護師長……喋ったな……)


だが、問題はない。


むしろ――

予定通り。


彼は、心の中で、ゆっくり、数を、数える。


一つ。


組織。


二つ。


施設長。


三つ。


家族。


そして――


四つ目。


(……刑事……)


口元が、ほんの、わずか、歪んだ。


だが、表情は、いつも通り。


完全な、痴呆老人。


誰にも、疑われない顔。


彼は、そっと、目を閉じた。


次に、崩れるのは――


「施設長」。


その男が、落ちた瞬間、

すべては、止められなくなる。


夜明けは、もう、近かった。


――続く。

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