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沈黙の檻  作者: キロヒカ.オツマ―


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第15章 夜の見張り

第15章 夜の見張り


午前一時。


桜ヶ丘苑の廊下は、昼とはまったく別の顔をしていた。


非常灯だけが、等間隔に、淡い緑色の光を落とし、

壁の影は、妙に長く伸びている。


遠くで、誰かの咳。


ナースステーションでは、夜勤の看護師が、眠気をこらえながら記録を打っている。


そして――

廊下の突き当たり、倉庫の陰。


女刑事は、折り畳み椅子に腰を下ろし、

暗闇に溶けるように、じっと、北尾憲治の個室の扉を見つめていた。


私服。

名札も、身分証も、外してある。


施設長には、

「念のための見回りです」

そう言って、鍵だけ借りた。


今夜、ここで、何も起きなければ、

自分の勘が、完全に外れたということになる。


だが――


胸の奥の違和感は、

一向に、消えなかった。



午前一時二十分。


廊下に、足音。


夜勤の介護士が、巡回に来て、

北尾の部屋の前で、立ち止まる。


扉を少し開け、懐中電灯を差し込む。


ベッドの上。


憲治は、いつものように、

口を半開きにして、眠っている。


呼吸も、規則正しい。


介護士は、小さくうなずき、扉を閉めて去った。


女刑事は、動かない。


さらに、十分。


二十分。


廊下は、完全に静まり返る。



午前二時、少し前。


そのとき。


――カタン。


ごく、小さな音。


金属が、どこかに触れたような、かすかな響き。


女刑事の指が、反射的に、太ももで止まる。


視線を、ゆっくり、扉へ。


北尾の個室の、内側。


ベッドの影が、

ほんのわずか、揺れた。


次の瞬間。


シーツの端から、

“何か”が、床に、そっと、降りた。


指。


白く、痩せた、人の指。


それが、床を探るように、動く。


女刑事の喉が、無意識に、鳴った。


(……起きてる……?)


さらに、腕。


肩。


ゆっくりと、

「寝たきり」のはずの身体が、

ベッドの縁から、起き上がっていく。


憲治は、音を立てず、座った。


背中は、少し丸いが、

首は、しっかり、立っている。


目。


完全に、開いている。


濁りも、焦点のズレもない。


まっすぐ、

自分の足元を、見ていた。


女刑事は、息を、止めた。


(……歩ける……?)


憲治は、ベッドの脇に置いた、車椅子に、手を伸ばす。


だが、乗らない。


代わりに――

床に、ゆっくり、足を下ろした。


一歩。


二歩。


わずかに、引きずるが、

確実に、立っている。


彼は、壁伝いに、部屋の隅へ行き、

カーテンの裏に、手を入れた。


――コツ。


小さな音。


何かを、外した。


戻ってきて、

それを、枕の下に、隠す。


女刑事は、歯を食いしばった。


(……やっぱり……)


完全な、演技。


しかも、

この施設全体を、

何ヶ月、何年、騙してきたのか。



そのとき。


廊下の向こうで、

ナースステーションのドアが、開く音。


夜勤の看護師が、トイレに向かって、歩いてくる。


憲治の身体が、一瞬で、止まった。


次の瞬間。


まるで、糸を切られた人形のように、

その場に、崩れ落ちる。


這うように、ベッドへ戻り、

シーツを引き上げ、

顔を歪め、

口を開け、

舌を垂らす。


ほんの、十秒。


看護師が、通り過ぎるころには、

完全に、

「いつもの北尾」に戻っていた。


女刑事は、椅子の背に、深く、身体を預けた。


背中が、びっしょり、濡れている。


疑いではない。


確信。



午前三時過ぎ。


廊下が、再び、静まったころ。


憲治は、また、ゆっくり、起き上がった。


今度は、迷いがない。


枕の下から、さきほどの物を取り出す。


小さな、精密ドライバー。


施設の非常灯のカバーを、

昼間、少しずつ、緩めておいたもの。


今夜、外して、

“落下事故”に、仕立てる予定だった。


だが――


ふと、動きを、止める。


視線が、

廊下の暗がりに、向いた。


女刑事のいる、倉庫の影。


直接、見えているはずは、ない。


それでも。


彼は、はっきりと、

「誰かが、そこにいる」と、悟った。


数秒。


動かない。


そして、ゆっくり、口の端が、上がった。


音を立てず、喉だけで、笑う。


(……見ているな……)


いい。


むしろ、好都合だ。


彼は、ドライバーを、そっと、元の場所に戻し、

何事もなかったように、

再び、ベッドに横たわった。



夜明け前。


女刑事は、施設を出た。


顔は、蒼白。


だが、目だけは、異様に、冴えている。


車の中で、携帯を取り出し、

上司に、短く、告げた。


「……動けます……」

「……あの老人……完全に、シロじゃありません……」

「……証拠、必ず、取ります……」



一方。


憲治は、天井を見つめながら、

ゆっくりと、考えていた。


(……刑事……本気だな……)


想定より、早い。


だが――

まだ、問題はない。


疑いだけでは、

人は、捕まえられない。


証拠は、

すべて、外に残す。


自分の手は、

いつも、

「何もしていない」ままだ。


彼は、心の中で、次の名を、呼んだ。


――看護師長。


組織の「首」。


ここを、落とせば、

全部、崩れる。


朝の光が、カーテンの隙間から、差し込む。


新しい一日が、

静かに、始まっていた。


だが、もう――


誰も、元の場所には、戻れない。


――続く。

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