第10章 血縁
面会日。
週に一度、家族が集まる日だけ、桜ヶ丘苑の一階は、少しだけ騒がしくなる。
売店の前に人が立ち、面会室の椅子がすべて埋まる。
笑い声。
作り物の優しさ。
そして――無遠慮な視線。
憲治は、車椅子に乗せられ、いつもの窓際に置かれた。
娘と、婿と、孫。
三人そろって来るのは、久しぶりだった。
「ほら、おじいちゃん来たよ」
「……まだ生きてたんだ」
婿の声は、冗談めかしていたが、そこに、温度はなかった。
娘は、職員の前では、いつものように、頭を下げる。
「いつもすみません……本当に、手がかかる人で……」
それは、
“良い家族”を演じるときの、決まり文句だった。
職員が、慣れた笑顔で応じる。
「いえいえ、大丈夫ですよ。北尾さん、重度ですから」
――重度。
その一言で、空気が、完全に決まる。
憲治は、目を細め、口を半開きにして、意味のない音を出した。
「……あ……あ……」
孫が、顔をしかめる。
「くさ……」
娘は、慌てて、ハンカチで口元を拭いた。
「もう……汚い……」
*
会話は、いつも通りだった。
施設の愚痴。
介護費用の話。
遺産の分け方。
すべて、本人の目の前で。
「正直さ……こんな状態で生きてても、意味ないよね」
婿が、コーヒーをすすりながら言う。
「延命とか、いらないでしょ」
娘は、周囲を気にしてから、小さくうなずいた。
「先生にも言われたし……その方が本人も楽だって……」
建前ではなく、
本音だった。
憲治の耳は、すべて、正確に拾っていた。
(……殺してほしい、か)
孫が、興味本位で、顔を近づけた。
「ねえ、じいちゃん、わかる?」
指で、額をつつく。
強めに。
職員は、止めなかった。
誰も、注意しなかった。
憲治は、目を閉じ、舌をだらりと垂らした。
「……あ……」
孫は、笑った。
「やっぱ、バカだ」
*
その夜。
面会室の片隅にあった、記録用タブレットが、棚に戻されていなかった。
憲治は、夜勤の巡回の隙に、ゆっくりと、手を伸ばした。
指先は、まだ、十分に動く。
画面をつける。
暗証番号。
何度か、指を止めたあと、
――娘の誕生日。
試しに打ち込むと、
あっさり、鍵が外れた。
(……変わっていない)
家族連絡欄。
緊急連絡先。
住所。
勤務先。
すべて、そこにあった。
彼は、時間をかけて、ひとつひとつ、記憶した。
書き写さない。
証拠を残さない。
頭の中に、正確に刻み込む。
*
翌日。
施設に、一本の電話が入った。
「……北尾さんの、ご家族のことで……」
職員が、受話器を持ったまま、顔色を変える。
施設長が、呼ばれ、別室に入る。
しばらくして、低い声が漏れてきた。
「……自宅で、転倒……意識不明……?」
娘だった。
階段から、落ちたらしい。
大きな怪我ではないが、しばらく入院。
面会は、当分、来られない。
職員たちは、口々に言った。
「大変ですね……」
「心配ですね……」
憲治は、車椅子の上で、静かに、うなずいた。
心配など、していない。
階段の手すりに、ほんの少しだけ、
“緩み”を作っただけだ。
誰にも、気づかれず。
偶然の事故。
だが――
それは、始まりにすぎなかった。
血縁は、
一番、深く、長く、
人を縛る。
そして、
一番、壊れやすい。
天井を見つめながら、憲治は、次の名を、心の中で呼んだ。
――婿。
次は、
「逃げられない形」で、
失わせる。
――続く。




