第十五話『ゆきの本心』
登場人物
◎ゆき
15歳 女性
茶色い髪 茶色い瞳
旧会津藩家老佐川官兵衛に仕えていた馬丁の一
人娘
馬と心を通わせることが出来る
◎銀鏡 晴近 (しろみ はるちか)
22歳男性
長身 細身に見えるが筋肉質
黒髪の長髪 黒い瞳 驚く程の美青年
華族 従三位中納言
◎とら
ゆきが世話した牡の仔馬
世にも珍しい、金色に近い尾花栗毛の毛色を持
つ
銀鏡晴近の乗車する馬車の馬車馬になってい
た。
◎たけ
17歳 女性
ゆきが仕えた佐川家の向かいの西川家に下働き
の女中として仕えていた
二歳年下のゆきと仲が良かった
八戸の遊女斡旋屋「多志南美屋」にて遊女とし
て稼働している(源氏名:竹鶴)
◎せつ
29歳 女性
八戸の遊女斡旋屋「多志南美屋」において稼働
している遊女(源氏名:藤松)
かつて江戸(東京)吉原の大見世遊郭「扇松屋」
において「格子」の位にあった元上級遊女
自分が果たせなかった花魁になる夢をゆきに託
し、ゆきを江戸(東京)に向かわせる
◎粂吉 (くめきち)
歿年50歳 男性
会津藩士 佐川官兵衛の馬丁
ゆきの父
会津戦争の折、官軍の銃撃により戦死
◎みつ
女性 ゆきの母
ゆきを出産した後、まもなく死去
元は佐川家の給仕女
◎佐川官兵衛(直清)
39歳 男性
旧会津藩家老
粂吉、ゆき父子の主君
戊辰戦争で活躍 鬼官兵衛の異名を持つ
熱い心を持った人情家
◎中村半次郎
男性 薩摩藩士
会津戦争時、官軍軍監
人斬り半次郎の異名を持つ
後の桐野利秋
「それで、話どは何だべが?銀鏡さま。」
広大な銀鏡邸内の一室において、丸テーブルを挟んで向かい合わせに洋式椅子に座りながら、ゆきと晴近が話し始めている。
菓子は先程ゆきが全部平らげててしまったため、カップに注がれた紅茶だけが微かに香っていた。
「うん、ゆき君は今、何のお仕事をしているんだい?
それと、何処にお住まいなのだ?」
「あ、おら、実は今日東京さ出でぎたばっかりで…」
「そうだったんだ!
何処から来たんだい?言葉の訛りからすると東北からかな?
それと、どんな訳があって東京に出てきたのかな?」
「あ、おら…その……」
「言いづらい事なのかな?
大丈夫、何を言っても他には話さないし、馬鹿にする事もしないから安心して教えておくれ。」
「おらは、と……いや、八戸から来だ。」
「八戸?
ゆき君は武家屋敷に奉公していたと言っていたけれど、八戸藩は戊辰戦争では中立で何の罪も受けていないし、ゆき君のような馬使いの上手い人が辞めさせられる理由もないと思うのだが…」
「あ、いや、その…」
「さっき
「と…」
と言いかけて八戸と言い直したね?
ゆき君は本当に八戸のご出身なのかい?」
「……斗南だ。本当は斗南から来だ。
げんとも、八戸づーのも全くの出鱈目でねえだ。
まず、八戸で働ぐつもりで斗南を出て八戸に行ぎましたがら。」
「斗南藩という事は、旧会津藩の…
ゆき君は会津の人だったのか…」
この時、晴近は何故か考えるような素振りを見せて、少し表情が暗くなった。
「…やはり銀鏡さまも会津さ良い印象を持っておいでではねがったが。」
ゆきは晴近の表情が暗くなった事を敏感に感じとった。
「会津や斗南に居る時には知らねえでしたが、東京さ来るまでに泊まった旅籠どがで聞いで、会津の評判がうんと悪いごど知った…
やれ、天朝さまの敵だとが…
会津の人が戦さでうんと死んだのも、バチが当だったからだの…」
「…うん、東京での評判も大方そのようなものだね。」
「ほだが。でもね銀鏡さま、何さも知んねえだ。
会津のお武家さま方が何したどが、何で戦さになっで大軍に攻めでこられだのが、おらは、おらだげでねぐ、会津の庶民達は皆、何も知んねえんだ。」
「うん…そうだね。ゆき君の言う通り、庶民の人達には何も知らされていない所で戦争になったんだ。
そう、会津の庶民には何の罪も無いよ。」
「お武家さまも…いや、お武家さま方は重い税を課しで庶民には恨まれでだっけ…
げんとも、おらがご奉公してだ佐川の殿さまは違います!
佐川の殿さまは、佐川家の方々はうんと良い人達でした!!」
「…佐川…?そうか、聞いた事があると思ったら、会津藩家老の佐川官兵衛殿か!?
かの鬼官兵衛がゆき君の主君だったのか。」
「はい。その鬼官兵衛づー通り名も、戦さの時にある人から聞いで知っただけで…
情さお厚い人で、斗南では、ろぐに食べ物の無え中、庶民のおらにも分げ与えで下さり、お陰で餓えずに済んだ。」
「斗南藩の窮状の話は東京にも伝わってきていたよ。
そうか、それで窮迫のあまりゆき君は奉公を辞めたんだね。
…いや、これ以上迷惑を掛けたくないと思ったのかな?」
「あ、何で…わがって……」
晴近はこの時、ゆきが佐川家から暇を取った時の心情を言い当てた。
その事に思いが詰まり、ゆきの両眼にみるみる涙が溢れた。
「馬と心を通わせる事が出来るのだもの、ゆき君はきっと心優しい人と思ったんだ。
自分の分の食い扶持を減らすためだったんだろう?
それで八戸に行って、何の仕事をするつもりだったの?」
「………」
「言いにくいようだね。
…ゆき君のような若い女の子が一人で働きに出るといえば…まさか……」
「…はい、遊女さなろうど思っで斗南から八戸に行ぎました。」
「そうか…それで、八戸では……」
晴近はゆきの言葉に何か答えようとしたが、少し辛そうな表情となって絶句し、次の言葉が出てこないようだった。
しかし、意を決したように
「ゆき君は八戸で遊女として働いていたのかい?」
と、一気に問い掛けた。
「いいえ、遊女になりに、会津で仲が良がったおたけちゃんが働ぐお店さ行ったんだげんとも、そこで江戸で遊女やってだおせつさんつー人がら吉原さ行ぐように言わっちゃんだ。」
「そ、そうか、ではゆき君はまだ遊女にはなっていなかったんだね?」
晴近はゆきの言葉を聞き、辛そうな表情からホッと安心したような表情となった。
「はい。おせつさんは吉原で花魁の手前までいったお人で、自分がなれねがった花魁に、おらになって欲しいど言っで、おらを送り出してくれだ。」
「そうして今日、東京に着いたということか。」
「はい。だから今から吉原の扇松屋さんに行っで、遊女さならねばなんねえ。」
「ちょっと待って呉れたまえ。
ゆき君はその扇松屋とは既に契約しているのかい?」
「けい、やく…?」
「その店と、前もって君が遊女となるという約束事を交わしているのかい?という事だよ。」
「いいえ、約束なんがは何も…
おせつさんが書いでくれだ紹介状を渡すつもりでした。」
「紹介状?それは何処に?」
「この風呂敷包みの中にあります。」
先程、ゆきが着替えた部屋に置いてきた元の黄八丈の着物と柿色の帯、巾着や紙包みの入った小さな風呂敷包み等は、既に女中の一人がこの部屋まで運び入れてくれている。
着物も帯も風呂敷包みも、汚れをとってくれていた。
「その紹介状とやらを私に見せてくれないか?」
「なして銀鏡さまに見せねっかなんねのだが?」
「ゆき君が騙されていないか確かめるためさ。
君を売り渡すような内容が書いてあるかもしれない。」
「おせつさんは、そだ人じゃねえ!
紹介状はおらも見でるげんとも、そだ事は書いでいません!
おらの名前ど歳ど生国さ書いで、宜しく頼むどしか。
あど、おせつさんの扇松屋さ居だ時の名前の署名くれえだ。」
「あ、話の腰を折るようで申し訳ないが、ゆき君は文字が読めるのかい?」
「読めます。お父が仮名も真名も読み書ぎでぎるように教えでくれだ。
八戸から東京までも、おせつさんが書いでくれだ地図ど案内書読んだがら独りで来るごどが出来だんだ。」
「…素晴らしい、その歳で、しかも庶民の出で仮名はおろか、漢字まで読み書き出来るとは…」
晴近は、そう感嘆に堪えないように呟いたが、どうやらゆきの耳には入らなかったらしく
「おせつさんは、うんとのお金を路銀どして呉れだ。
そのお陰で旅籠さ泊まったり、んまぇものお腹いっぱい食べるごどが出来だんだ。」
と、元の話題に話を戻した。
「だから、おせつさんへのお礼の意味も込めで、おらは吉原さ行っで遊女になっぺで思います。」
「…ゆき君、遊女になるというのは、本当に君が望んでいる事かい?」
「あ……」
「窮迫が理由で、生きるために遊女になろうとしたんだろう?
ならば、他に生きる道があるのだとしたら、どうなんだい?」
「げんとも、おせつさんと約束したし…」
「その、せつという女性には理由を言えばいいじゃないか。
だから、君の本心はどうなんだ?ゆき君。」
「おら…おら……
………
おらは遊女になんか、なりだぐねえ!!」
第十五話 (終)
遊女になりたくない!と、銀鏡晴近に向かって本心を吐いた「ゆき」
この事が彼女の将来にどう影響していくのでしょう。
これからよろしくお願いいたします




