第8話「告白の代償、優しさという毒」
1.想いの始まりは、どこからだろう?
放課後の帰り道。
並んで歩く春野凛と綾瀬智久。小さな沈黙が、ふたりの間に落ちていた。
凛は、歩調を落として、智久の横顔を見上げる。
「ねえ、智久……」
「ん?」
「わたしさ、ずっと前から──あなたのこと、好きだった」
風が吹き抜けた。
歩いていた足が、ぴたりと止まる。
「……そっか」
智久はゆっくりと振り返った。
凛の目は、どこか泣きそうだった。
それでも、笑っていた。
「でも、知ってるんだ。わたし、うまく言えないけど……“選ばれない”って、わかってるの」
「そんなこと……」
「いいの。ただ、伝えたかっただけ。
中学の時、家でいろいろあって、誰にも言えなくて、
苦しくて、でもあなただけは……ちゃんと見てくれてたから──」
「……」
「だから、わたし……好きになったの。
あのとき、“救われた”って思ったから」
智久は、何も言えなかった。
優しさが、言葉にならなかった。
2.やさしさの正体
翌日、教室。
智久が凛に話しかけようとした瞬間──彼女は、目を逸らした。
そして、それ以来。
春野凛は、まるで心を閉ざしたようになっていった。
委員会も、クラス活動も、どこかぼんやりしている。
友達の会話にも、笑顔を浮かべてはいるけれど……そこに温度がなかった。
放課後、誰もいない音楽室。
彼女はピアノの鍵盤に指を置いて、静かに独白した。
「“ありがとう”って言ってほしかったわけじゃない。
“好き”って返してほしかったわけでもない。
……ただ、同じ目で、わたしを見てほしかっただけ」
ポロン──
澄んだ音が、ひとつだけ、宙に消えた。
3.悪魔のささやき
その夜。
彼女の部屋に、“影”が現れた。
それは、彼女の心のスキマを撫でるように言った。
「優しさって、時に残酷だよね。
拒まれたわけじゃない。
でも、受け入れてもらえたわけでもない」
「…………やめて」
「“かわいそうな子だな”って思われるのが一番イヤだったのに……
なのに今のあなた、まさにそれじゃないか」
「やめてって、言ってる……!」
「だったら……全部忘れさせてあげようか?
綾瀬智久のことも、あの感情も、“優しさ”さえも──」
「…………」
沈黙。
彼女の目が、静かに揺れる。
それでも、首を振った。
「……いいの。痛いままで、いい。
だって、この気持ちだけは……“わたしだけのもの”だから」
悪魔は、ふっと笑った。
「ふふ……それでこそ、君らしい」
影は消える。
そして残された凛は、静かに涙を拭った。
4.彼女はまだ、笑っている
翌朝、智久はいつものように教室に入った。
そこには、昨日と同じように──明るく笑う凛の姿があった。
「おはよ、綾瀬くん!」
いつもと同じ調子。
でもその笑顔の裏にある“痛み”を、彼は感じ取ってしまう。
──彼女は、傷ついたまま、笑っている。
それがわかってしまうからこそ、智久は何も言えなかった。
言葉ひとつで、また壊してしまいそうで。
ただ、彼はそっと目を伏せた。
そして、心のどこかで自分を責めていた。
“あの時、もっとちゃんと、答えていれば──”