第7話「真白、笑わない日」
1.微笑みの真似事
昼下がりの教室。
綾瀬智久は、昼休みに弁当をつつきながら、何度目かになる奇妙な視線に気づいていた。
「……また、見てる」
窓際の席。銀髪の少女、真白。
今日も無表情。じっと、こちらを見ていた。
それだけならいつも通り──だが。
「……なんか、今日の真白、目つき怖くない?」
「てかアレ、ガチで綾瀬のこと見てない?こっわ」
教室に微妙な空気が流れる中、智久はそっと立ち上がった。
窓際の彼女に歩み寄り、小さな声で問う。
「……真白? 何かあった?」
「…………ない」
「いや、絶対なんかあるだろ。昨日から俺の顔ばっか──」
「ない。私はただ、“観察”しているだけ」
そう言いながらも、真白の指先は少し震えていた。
彼女の目が、一瞬だけ、智久の机の上を見た。
その机には、小さな詩のコピーが置かれていた。
──澪が、昨日書いた詩。
2.図書室の光と影
放課後。
智久は、図書室に立ち寄った。
そこで澪と、少しの言葉を交わす。
「ありがとう、綾瀬くん。昨日、詩のこと……全部ちゃんと伝えてくれて」
「いや、俺は別に。ただ読んで、感じたまま言っただけだよ」
「それが嬉しかったの。……また、詩、読んでくれる?」
智久が笑って頷いた瞬間。
扉の向こうから、静かな足音。
振り返ると──そこには、真白がいた。
「……お邪魔だった?」
「いや、そんな……」
「……私は帰る」
くるりと踵を返して去っていく背中に、智久は一瞬、寂しそうな何かを感じた。
3.“観察者”の孤独
夜。公園。
真白は一人、ブランコを揺らしていた。
その横に、悪魔が現れる。
「嫉妬、したのかい?」
「……くだらない」
「綾瀬智久が、他の女の子に向ける“優しさ”を、見ていられなかったんだろ?」
「私は“感情”を持たない。……悪魔の娘だから」
「でも君の心臓は、たしかに早鐘を打っていた。
“彼が誰かの詩を読んで微笑む顔”が、
“自分に向けられるものじゃない”ことが──痛かったんだろう?」
沈黙。
やがて、真白はぽつりと呟く。
「……私も、“笑ってみた”かった」
「……?」
「綾瀬が、他の誰かと笑い合うように。
誰かと、自然に、心を重ねられるように……なりたかった」
それは、どこか“祈り”に似ていた。
悪魔は、静かに目を細めた。
「その願いが、もっと深くなるなら──君も、契約する時かもしれないね」
「…………」
夜風が、ブランコを揺らした。
4.真白の“笑わない理由”
翌朝。
智久は、学校の前で真白を見つけた。
銀髪を風に揺らしながら、彼女は立ち止まっていた。
「……真白、おはよう」
「……綾瀬。あなたは、どうして“人を救える”の?」
「え?」
「昨日、花宮澪に優しくしてた。……春野凛のときも。
あなたは、誰かの“スキマ”を埋めるのが、上手だ」
「いや、俺はそんな……。ただ、ほっとけないだけで……」
「……そう。私は、“うまく笑えない”。
優しくする方法も、慰める方法もわからない。
……あなたみたいには、なれないの」
それは、初めて彼女が見せた弱さだった。
智久は、ゆっくりと答えた。
「……じゃあ、さ。無理に“笑おう”としなくていい」
「……?」
「俺は、真白のそのままの顔──無表情でも、言葉がなくても、
“俺の隣にいてくれる”だけで、嬉しいよ」
真白の瞳が、ほんの少し揺れた。
「……それ、反則」
「え?」
「……そう言われると、“笑ってみたくなる”じゃない」
そのとき、ほんの一瞬。
彼女の口元が、少しだけ、緩んだ──気がした。