第4話「人間になりたい、真白の願い」
1
「……それで、“ありがとう”って言われたんだ」
放課後の帰り道。
俺は、昨日あった澪とのやり取りを真白に話していた。
真白はいつもの無表情で、俺の話を静かに聞いていた。
「……ふうん」
それだけ言って、真白は俺から目を逸らす。
なんとなく、いつもより無口だった。
「……あのさ、真白」
「なに?」
「お前って、いつも人と距離あるけど……寂しくならないのか?」
「……私は悪魔の娘よ。寂しさを感じる必要なんてない」
「必要はなくても、“感じてる”ように見えるけどな」
その瞬間、真白の歩みが止まった。
しばらくして──
「……バカ」
と、小さく呟いた。
俺は一瞬、聞き間違いかと思った。
2
翌日、教室で──
「綾瀬くーん!また困ってる子の相談乗ってたでしょ?」
クラス委員の凛が、笑顔で話しかけてくる。
「違う違う、俺はただ話を聞いてただけで──」
「うふふ、そうやってまた“惚れられちゃう”んだから。気をつけてね」
「いや、ないから」
俺が慌てて否定する横で、窓際の席から視線を感じた。
真白だ。
無表情のまま、じっとこちらを見つめていた。
だが──
その“視線”は、少しだけ、冷たかった。
3
昼休み。屋上。
風が強く吹いていた。
「真白、なんか怒ってる?」
「怒ってない」
即答だった。
「……拗ねてる?」
「拗ねてない」
「じゃあ、なに?」
真白はしばらく黙っていたが、ぽつりと呟いた。
「……感情、って鬱陶しいわね」
「え?」
「今朝、鏡を見て思ったの。“私、気づかないうちに眉間に皺が寄ってた”って」
「それは怒ってる顔じゃないのか?」
「わからない。でも、あなたが他の誰かと楽しそうにしてるのを見たとき、胸の奥が、じくじくした」
「……嫉妬、じゃないか?」
「“嫉妬”?」
真白はその言葉を初めて口にするように、ゆっくりと繰り返した。
「……それが、人間の“感情”?」
「そうだな、たぶん。でも……悪くないだろ?」
真白は風に銀髪をなびかせながら、小さく首を振った。
「……苦しいの。こんなに苦しいなら、いらない」
「でも、お前は今、その感情を“手放したくない”って思ってる」
「…………!」
俺は真白にそっと近づく。
「真白、お前、人間になりたいのか?」
「私は……」
初めて、真白の声が震えた。
「……“好き”って、どうやったら言えるの?」
その言葉は、風にかき消されるように、消えていった。
4
その日の放課後。
教室でひとり本を読んでいた真白のもとへ、俺はそっと近づいた。
「これ、差し入れ。好きって言ってた紅茶のクッキー」
「……覚えてたの?」
「うん。あと、これ」
俺は小さな封筒を差し出した。
中には、手書きのメモが一枚。
「“好き”は、言葉じゃなくても伝わる。
でも、言葉にしなきゃ伝わらないことも、ある」
“言ってもいいんだよ。怖くないよ”──って、誰かに言ってもらえたら、嬉しくなるだろ?
……じゃあ、俺がそれを言ってやる。
真白、お前はちゃんと“人間”だよ。
真白はそれを読んで──
ほんの少しだけ、口元を緩めた。
「……ちょっと泣きそう」
その声は、かすれていた。
俺は黙って、彼女の隣に腰を下ろす。
教室の夕陽が、真白の横顔を金色に染めていた。
5
その夜、悪魔たちはざわめいていた。
“彼女”──悪魔の娘が、感情に染まりつつある。
それはすなわち、“人間の心”が、悪魔の枠を超え始めているということ。
その異変を、黒衣の“統べる者”は静かに見下ろしていた。
「──ましろ、やっぱりお前は脆い。だが……愛らしい」
赤い瞳が、闇に光った。