第3話「図書室の詩人と、静かな叫び」
1
──雨の日の放課後は、図書室が静かだ。
教室の喧騒が苦手な俺は、ふらりと逃げるように本棚の間に身を潜めていた。
すると──ページをめくる、やけに丁寧な音が耳に入ってきた。
その音の主は、窓際の一番奥。
灰色のロングヘア、肩にかかる細い輪郭。
制服の袖から見える、青白い手。
──花宮 澪。
同じクラスなのに、ほとんど声を聞いたことがない。
彼女は一心にノートに何かを書き込んでいた。
詩、だった。手書きの、息を呑むほど繊細な言葉の連なり。
「わたしは ことばに住んでいる
ほんとうの声を 忘れてしまったから」
……痛いほど、静かだった。
2
「……読んだの?」
次の日、廊下で彼女に声をかけられた。
俺は驚いた。
まさか、彼女のほうから話しかけてくるとは。
「ごめん、勝手に。でも、すごく……」
「やめて。勝手に“わかるふり”しないで」
彼女は静かに言った。けれど、その声には棘があった。
「誰にも読まれたくなかった。
なのに、先生に提出した詩が“良い作品”って言われて、壁に貼り出されて……それから、知らない人が読んで、“感動しました”とか……」
「……」
「私の痛みを、勝手に“共感”されるの、苦しいの」
彼女の背後に、黒い影が揺れていた。
言葉は、彼女を守る“殻”であり、同時に“檻”でもあった。
3
放課後。再び図書室。
「俺、詩って苦手だったんだ。でも、澪の詩を読んだとき……心がきゅっとなった」
「やめてって言ってるのに」
「……それでも言いたい」
「……バカじゃないの」
澪が顔を背ける。
でもその手は、まだ震えていた。
「ねえ、澪。あの詩、“誰かに好きになってほしい”って願いが込められてるだろ?」
澪の肩がピクリと動く。
「わたしの言葉を読んで、好きになってくれるなら……それで、いいって思ったの」
「それって……“悪魔”に願ったんじゃない?」
「……見えるの?」
俺は頷いた。
彼女の背に、うごめく影がはっきりと見えていた。
「大丈夫。俺が、いる」
「あなたが私のことをわかるなんて、ありえない」
「わかんないよ。……でも、わかろうとすることは、できる」
沈黙が落ちた。
雨の音だけが、遠くで響いている。
「……なら、私の詩、読んで。今の私を、ちゃんと」
彼女が差し出したノートには──
「すきっていえたら
かるくなるって しってる
でも ことばにしたら
ぜんぶ おわっちゃうきがしたの」
読んでる最中に、涙が出た。
だから俺は、ノートを閉じてこう言った。
「この詩、もういらない」
そして、それを破った。
「!? なにして──!」
「お前の気持ちは、言葉じゃなくて、ちゃんとここにある。……だから、もう“呪い”みたいに詩に閉じ込めなくていい」
「…………バカ」
彼女の声は震えていた。
そして、初めて泣いた。
それは、誰にも見せたことのない、本当の“叫び”だった。
4
その帰り道。
「……救ったね、また一人」
真白がぽつりと呟く。
「俺は、救ったんじゃない。ただ、そばにいただけ」
「そう。それが一番、危ないのよ」
「……どういう意味?」
真白は俺を見上げる。
その目は、まるで自分自身に言い聞かせるようだった。
「心のスキマに、寄り添いすぎると、いつかあなた自身が“裂ける”わよ」
その声に、どこか寂しさが滲んでいた。
俺はふと思う。
──この子は、どれだけの“スキマ”を抱えて生きてきたんだろう。
5
その夜、スマホに1件の通知が来た。
差出人は「Hanamiya_M」。
短いメッセージだった。
「……ありがとう。生きてていいって、思えた」
俺は小さく笑って、返信を打った。
「うん。生きてていいよ、って思わせてくれてありがとう」
画面が滲んだのは、きっと雨のせいじゃなかった。
──第3話・了──