第1話構成案:「スキマに棲む転校生」
第1話「スキマに棲む転校生」
1
世界には、見えない“なにか”がある。
たとえば、人の心の奥にある影のようなもの。
日常のすき間に潜む、不在の気配。
誰かが言わなかったひとこと。
誰にも気づかれなかった涙の跡。
……そして、そこに棲む“存在”。
それを、俺は知っている。
だって、見えるから。
俺には、見えてしまうからだ。
2
「おい、綾瀬。今日、転校生来るらしいぞ」
朝の教室で、後ろの席の山中が声をかけてくる。
俺は教科書をめくりながら、小さくうなずいた。
「ふーん。珍しいな、この時期に」
「な? しかも女子。しかも銀髪。しかも、めっちゃ美人らしい」
「お前、それ全部まだ見てないだろ」
「ロマンだよ、綾瀬。未知への投資だ」
くだらない。
けど──少しだけ、期待してしまっていた。
どこか遠くへ行きたい。
この閉じた日常から、違う景色を見たい。
……そんなことを思うのは、きっと俺の心にも、スキマがあるからだ。
3
チャイムが鳴ると、教室に担任が現れ、その後ろから彼女が現れた。
──彼女は、無言だった。
銀髪。無表情。感情の読めない灰色の瞳。
教室が一瞬、凍りつくような空気に包まれる。
「……紹介する。今日からこのクラスに入る、真白さんだ」
教師が促すと、彼女は一歩前へ出る。
その瞬間、彼女の視線が俺に向いた。
刺さるような鋭さでもなく、熱を帯びた好奇心でもない。
ただ、まっすぐに。
まるで、そこに何かを“見つけた”ような眼差しだった。
「……見えてるのね」
「……え?」
「あなたも、見えるのね、“スキマ”が」
俺の時間が止まった気がした。
4
放課後。俺はひとり、教室に残っていた。
窓の外は赤く染まり、グラウンドでは運動部の掛け声が響いている。
誰にも話してこなかった。話すつもりもなかった。
けれど──。
「……ほんとに、見えるんだ。君にも」
その声に、思わず振り返る。
そこには、真白がいた。
夕日を背にした彼女は、まるで影法師のように静かだった。
「“心のスキマ”。そこから“悪魔”が入り込むの」
彼女はそう言って、俺の机に指を置く。
「あなたの周りにも、いたわよ。“落ちかけてる”人」
「……誰が?」
「春野凛。あなたの幼なじみ。今日の昼、少しおかしかったでしょう?」
思い出す。
昼休み、凛が教室でひとり座っていたときのこと。
彼女の背中が、少し揺れていた。笑っているようにも、泣いているようにも見えた。
「まさか……あいつが、悪魔に?」
「まだ、完全には堕ちていない。でも、もうすぐ」
「……助けないと」
俺は立ち上がった。
「でも、どうやって?」
「あなたの“目”なら、導ける。私は……それを狩る役目」
彼女はスカートの中から、小さなナイフを取り出した。
まるで儀式の道具のような、鈍い銀色の刃だった。
「“悪魔狩り”の時間よ。同志」
そう言って、真白は微笑んだ──初めて、少しだけ。
5
放課後の校舎裏。
物音ひとつしない静けさの中で、俺たちは春野凛を見つけた。
彼女は座り込んでいた。
制服の袖が破れ、手のひらに小さな傷がある。
「……もう、嫌だな。頑張っても、意味ないよ」
その呟きは、小さく、絶望の匂いがした。
彼女の背中には、黒いもやのような“何か”がまとわりついていた。
それは呼吸のように脈動し、彼女を包み込もうとしている。
「凛!」
俺は叫んだ。
凛がこちらを見た。
けれど、その瞳はどこか遠くを見ていた。
「……智久。どうして、来たの?」
「バカ。ほっとけるわけないだろ」
「でも、私、もう……疲れちゃったの。ずっと、期待に応えるのが。ずっと、優等生でいるのが」
黒いもやが彼女を覆っていく。
真白がナイフを構えた。
「契約の寸前。引き戻せるかは……あなた次第」
俺は、一歩前に出る。
「凛。お前がどんなに弱くても、投げ出しても、笑えなくなっても……」
言葉が、喉につまる。
でも、伝えなきゃいけない。
「俺は、ちゃんと見てるよ。……お前のこと、ずっと」
沈黙。
そのとき、凛の目から涙がこぼれた。
黒いもやが、スッと風に溶けるように消えた。
凛が、静かに俺に抱きつく。
「ありがと……智久」
その瞬間、俺の肩越しに真白が言った。
「……でもね、それもまた、“悪魔”の一部かもしれないわ」
そう囁くように。
そして──俺の心にも、少しだけ冷たい影が差した。
6
夜、駅前の公園。
真白と並んでベンチに座る。
「……ありがとう。君がいなければ、凛は……」
「勘違いしないで。私は“狩る”だけ。救ったのは、あなた」
真白は空を見上げて言った。
「“悪魔”は、悲しみから生まれる。愛も、憎しみも。ぜんぶスキマ。だから、完全に消せはしない」
「でも、放ってはおけないんだ。……俺は、誰かが泣いてるの、もう見たくない」
「……優しいね。あなたは」
そう言って、彼女はふと、目を細めた。
「“同志”になってくれる? 一緒に、スキマと向き合ってくれる?」
俺は、うなずいた。
そのとき初めて、真白が少しだけ笑った。
ほんの、わずかに。
けれど、確かに“人間らしい”温度を感じた笑みだった。
──スキマに棲むものたちと、人の心の物語は、まだ始まったばかり。