平々凡々な平民の私に、超絶イケメンが可愛いを連呼するのですが
異世界恋愛作家部の、愛が重いヒーロー企画に参加させていただく作品です。
王国一の大商会。それが、カーランド商会。
平民といえども、資産は国内随一。商会名である『カーランド』を姓として名乗ることを国王陛下に許され、準貴族のような立場も手に入れた。
私はそのカーランド家の末の娘。リゼット・カーランド。今年、十四になる。二年後には王立学園に入学し、経理などを学ぶ予定。結婚願望がないので、卒業したらカーランド商会で経理などをやって生活しようと思っている。実家から通えるかしら。家賃を払えば居座っても怒られないわよね?
遅く生まれた末っ子の私。家族全員から、それはもう、蝶よ花よと可愛がられ、十歳くらいまでは自分がとても可愛い女の子だと思いこまされていた。それが覆ったのは、とある男爵家のお茶会に呼ばれたときのこと。
その男爵家には、私と同い年の御子息がいた。お茶会には、私の他に呼ばれていた子供はいなかったので、今考えると、あれは婚約者候補かなにかの顔合わせだったのではないかと思う。そこで顔を合わせた御子息が私を指差して言ったのだ。
『うわ。平凡顔。それに髪ももじゃもじゃ』
平凡? 可愛いではなく? 私の頭には、ハテナしか浮かばなかった。御子息の隣に座っていた男爵夫人の目が丸くなった。私の隣に座っていたお母様の顔は、強張った。笑顔を作ったまま表情が固まってしまっていた。なんだろう、冷気? ちょっと怖かった。
『平凡……もじゃもじゃ……』
『平凡だろ? まあ、仕方ないか、平民だもんな』
『平民……』
『平凡顔の平民が、まさか僕と仲良くできるなんて思ってないよな? 僕は男爵家の次期当主なんだから、その僕と仲良くなるには相当努力をしないと……』
『仲良くなる必要はありませんわ。リゼット、帰りましょう』
御子息の言葉を遮って、お母様は腰をあげた。見上げる私に笑顔を見せた後、無表情になって対面に座るお二人にお辞儀をする。
『あッ、あの、お待ちになって奥様! 今の息子の言葉は……』
『ええ、ええ、わかっておりますわ。御子息のお言葉は、いくら私が平民であっても完全に理解できております。平凡顔の平民二人は、この場に相応しくないということですので、帰らせていただきますわね、男爵夫人』
その後、お母様と男爵夫人は少しだけ言葉のやり取りをしたが、私達はそのまま家に帰ってきた。それ以降、男爵家には、一度も行っていない。
カーランド家に帰って、鏡を見た。平凡顔の平民がいた。そうなのよ、そうでしょう? 本当は、おかしいと思っていたのよ。家族や使用人は皆私を可愛いと絶賛するけれど、私だって誰にも会わない箱入り娘ってわけではない。街に買い物に行っては、なんちゃら小町なんてチヤホヤされている女の子達を眺めてきたわ。
モテはやされている子は、皆、さらさらのブロンドの髪、空色だったり新緑の色だったりの美しい瞳。私とはまったく違う。
私の髪は、キャラメルみたいな色で、あの子の言ったとおり、もじゃもじゃしてる。サラサラつやつやな髪質からは程遠い。瞳は焦茶だ。もう、可愛い子達とは、纏う色からして違うのだ。
『自分が平々凡々な娘だと気付けただけでも、今日は実りのあるお茶会だった……』
鏡に向かって独り言ちた。
あの日から、私はきちんと自分の容姿を把握していたし、だいそれたことを考えるのはやめたのだ。いや、男爵子息には一ミリも興味はなかったので、だいそれたことなど考えてもいなかったけれども。
そんな、四年前のことを思い出していた日、王立学園に通っていた二歳上の兄が、友人をカーランド家に連れてきた。
かつての私だったら、物怖じせず、兄に纏わりつきに行っただろう。けれど、今では身の程を弁えている。自室の窓から兄達が芝生の上でボール蹴りなどをして遊んでいるのを眺めるだけに留めていた。
「……超絶イケメン……」
イケメンという言葉は、彼の為にあるのかもしれない。とにかくイケているメンなのだ。
陽の光を浴びてキラキラと輝いているのは、艶々サラサラなブロンドの髪。瞳の虹彩はラピスラズリで、その細い輪郭はエメラルドグリーンである。奇跡のような瞳に感動して涙さえ出てくる。何故そんな細かく見えるかというと、私が、双眼鏡を取り出して観察しているからです。涙が出てくるのも、明るい陽の光が眩しいからというのもある。カーテンを閉めて、双眼鏡でイケメンを観察。イケメンの隣でこっちを見ている兄が苦い顔をしているけれど、私に気付いているんだろうな。あとでお説教かしら。兄がイケメンの肩を叩いて何事か話しかけると、彼は私のいる窓に顔を向けてきた。
慌てて隠れようとした私に、イケメンが優しげに微笑んだ。そして、ひらりと手を振ってくれた。
「きゃ~~、好きぃ~」
初恋である。窓を隔てた離れた場所にいるイケメンへ、蚊の鳴くような声での告白である。当然想いは届いていない。呆れたような顔をしてすぐ後ろのテーブルにアフタヌーンティーをセットしてくれている侍女にも聞こえないような声だった。
ちなみに、我が家は平民ではあるが準貴族とも言わる裕福な家なので、侍女もメイドも執事もいる。平民の一般家庭でも、メイドくらいはいるので、大きな邸である我が家なら、その辺りの使用人は常識の範囲内だ。例の男爵家は、そんな平民の我が家よりも使用人は少ないようだが。お得意様の貴族夫人達が、聞いてもいないのに男爵家の噂を囀っていくものだから、すっかり私も男爵家の情報通になってしまった。特に興味もないのに。
その日のディナーで、どこか生温かい目をした兄が教えてくれた。イケメンの友人の名前は、ジルベール・デイビス。デイビス伯爵家の三男だそうだ。
「伯爵家の方……」
住む世界が全く違う。やはり古くから言われている話は本当らしい。初恋は、実らない、と。
「まあでも三男だからな~。兄が家を継いだら自分は平民になるしかないって言ってたぞ」
「伯爵家の御子息なのに?」
「現伯爵は、男爵位も持っているようだけど、それは次男が受け取るらしい。あとは、貴族家に婿養子として入れば、平民にならなくても済むみたいだけど……無理なんじゃないかな?」
「無理……」
「あんまりモテないしな~」
「モテないの? あんなイケメンが?」
「うーん……平民になることが決定しているから、跡継ぎじゃないご令嬢達は奴を狙わない。みんな貴族夫人になりたいみたいでな。まあ、平民にはなりたくないんだろうな。跡継ぎの令嬢に関しては、最初は婿にしようと、あの顔に群がってくるけど……あいつちょっと変わってるからな」
「……変わってる?」
美しすぎて変わってるってことかしら? それとも性格に難あり? でも、手を振ってくれたときは、とても優しい雰囲気の人だった。あのビジュアルに対して、性格は地味なのかしら? それとも寡黙すぎて会話が続かない? なんだろう、なんだろう。真実が知りたいような知りたくないような。
「かといって、平民の女の子達も、貴族家との繋がりを求めろって親に言われているらしく、後継ぎの男しか狙わないしな~。家格を気にしないような生粋の平民の家の女子は、そもそも王立学園には通わず、町立の学校に通うし……」
「王立学園は、授業料高いもんね」
「だから、跡継ぎになれず、婿入りも望まれていないジルベールは、どんなにイケメンでもモテないってわけだ」
「あんなにイケメンなのに……」
「おうおう、一目惚れか?」
兄は、ニヤつきながら私の顔を覗き込んできた。
「ちッ違うし! 何言ってんの? もしそうだとしたって、私みたいな平凡顔の平民が相手にされるわけないんだから!」
「それこそ何言ってんの、だよ。リゼットは可愛いんだからな? 食べたら甘そうな、ふわふわの髪の毛だろ? くるりとした大きな瞳だろ? 長い睫に、お人形さんみたいな唇。ちっちゃな鼻はご愛嬌だな。リゼットが可愛くないなら、この世の誰も可愛くなくなっちゃうぞ?」
兄の贔屓目が炸裂して、居た堪れない。聞いていた家族全員、うんうんと頷いているけど、私はあの日の男爵令息の言葉が忘れらないのだ。
私は平々凡々な平民である。卑屈になっているわけではない。だって、本当に平凡な顔立ちだと自分でも思うもの。それに、ふわふわなんて可愛い言葉で言い表せる髪ではない。もじゃもじゃなのだ。
「まったく……リゼットが平々凡々なわけないでしょう! おかしなトラウマを植え付けて! あのボンボン、許すまじ!」
「お母様、顔が怖いわ」
目を吊り上げたお母様が、食べていたステーキを一瞬で細切れにした。例の男爵家とは、あの日以来疎遠になっているらしい。私を馬鹿にした令息を、お母様は許さなかったのだ。
思ったとおり婚約者に据えようと思っていたらしい。私が男爵家に嫁ぐことによって、私は貴族の一員になれるし、商会も益々発展する予定だったんだって。でも、あんなことを初対面の女の子に言うような輩と婚約することにならなくてよかった。絶対幸せになれないものね。
* * *
「やあ、子猫ちゃん」
「…………ん?」
イケメンを遠くから眺めて大喜びした翌日は快晴だった。気持ちの良い風が通るガゼボでお茶を飲んでいると、近くの茂みから、ガサガサという音。振り返ると、超絶イケメンのジルベール様が立っていた。
茂みから出てきたからなのか、美しい髪には葉っぱがついていたし、持っていたオルレアの花束は、結構ボロボロになっていた。雑なかたなのかしら? この辺が、モテない理由? いや、それよりも、子猫ちゃんとは。
「恥ずかしがり屋の子猫ちゃん、昨日はお喋りできなくて残念だったよ。今日は君の声を聞かせてもらいにきたんだ」
「子猫ちゃん……わたし?」
「そうとも! 僕の目の前には、可愛い可愛い君しかいないだろう? ああ、やっぱり可愛らしい声をしているね」
ジルベール様は、そんなことを言ってクスクス笑っている。あれ、なんか軽い? 寡黙で地味なイケメンは、どこ? 顔はいいのよ。そして声も素敵なの。でも、なんだろうこの気障で軽薄な感じは。サラっとした髪をかき上げて、ウインクされたんですけど。
「あれ……なんか……イメージが……」
「うん? イメージがどうかしたかい? それにしても、一人でガゼボでお茶を飲むだなんて、寂しいじゃないか。これからは、僕を呼んでおくれよ?」
「え……なんで……」
「おや、ショコラの香りの紅茶だね。甘い香りがいい」
ジルベール様は私の問いに答えず、勝手に私の隣の椅子に腰掛けると、侍女が気を利かせて用意した紅茶を手にし、満足そうに微笑んだ。
「あのー……」
「ああ、理由だね? 何故なら、僕が君に、恋をしてしまったからさ!」
きらーんという音が聞こえてきそうなキメ顔を見せられた。
「は? いつですか?」
「昨日さ」
「昨日? 双眼鏡で見なければはっきりと顔がわからない距離だったのに?」
「双眼鏡? 君、昨日は双眼鏡を使っていたのかい?」
「あッ」
余計なことを口にしたと、両手で口を覆った。なんてはしたない女だと思われたかしら。顔が熱くなってくる。そんな私を、ジルベール様は面白そうに眺めていた。
「そんなものを使わなくてもわかるさ。なんて可愛い子なんだろうと思ったよ?」
「…………貴方のような美形に可愛いって言われると、なんか馬鹿にされている気持ちになるんですけど……」
「えッ、何故? 美しいと可愛いは、別物だろう?」
「別物?」
「僕はね、美しい顔は、自分の顔で見慣れているんだよ。だから、どんな美女に迫られても、なんとも思わないんだ」
「…………」
ナルシストかと思うほどの自信であるが、本当のことだから仕方ない。鏡を見る度に美しい自分と向き合うのだから、綺麗な顔に見慣れているというのは嘘ではないだろう。イケメンあるある、なのかな?
「君は、そりゃあ絶世の美女ではないよ? でもさ、とってもキュートだよね。僕はそのフワフワの髪に顔を埋めたいんだよベイビー」
「私は猫でもなければ、赤ちゃんでもないです」
「そういう意味ではないのさ、ベイビー?」
「……知ってます。わざと言ったんです」
「小悪魔な君も可愛いよ」
蕩けるような笑顔で私を見詰めてくるジルベール様。弁えていない女の子がこれをされたら、イチコロだと思う。けれど、私はちゃんと弁えている。平凡な平民に、イケメン様がわけもなく甘みをくださるわけがない!
「あの」
「ジルベールって呼んでくれないかい? ベイビー」
「では、ジルベール様。私はリゼットと申します」
「リゼット……名前も可愛いんだね」
「ジルベール様、今日ここに来た本当の目的はなんなのですか?」
「うん? 本当の目的、とは? 僕は君と話しに来ただけだよ? 昨日一目惚れした君にね?」
「一目惚れなんて嘘!」
「嘘なんてつかないよ~。どうしてそんなことを言うの?」
「だって! だって、私なんて平凡の平民だから、イケメンでもない相手にだって相当の努力をしないと仲良くしてもらえないんですよ? ジルベール様みたいなすごいイケメンが、私と仲良くなりたいなんて、嘘に決まっています!」
「え~……それは、どういうことだい?」
「昔、言われたことがあるんです……」
私は、男爵家での一件を話した。可愛いと身内から言われまくって調子にのっていた自分が真実を知って納得したこと。男爵令息から言われた失礼なこと。もじゃもじゃ。傷ついたわけではないけれど、結婚願望もなくなったこと。だから王立学園では、経理を学んで卒業後は実家で働こうと思っていること。身内以外を信用できなくなっているかもしれないこと。イケメンは好きなこと。いや、これは余計な話だった。
長く話した。家族以外とこんなに話すのは、初めてのことだった。侍女が新しい紅茶をいれてくれる。今度は桃の香りのする紅茶だった。小さなサンドウィッチや、スコーン、プチフールがテーブルに届けられた。
黙って私の話を聞いていてくれたジルベール様は、桃の紅茶を一口飲むと、ホウ、と小さく息を吐いた。それがまた絵になるのである。イケメン万歳。
「リゼットはさ……」
「まさかの初対面での呼び捨て」
「ふふん、リゼットはね、傷ついてはいないけれど、失望したんだと思うな。男爵令息に言われた言葉にね」
「失望……ですか?」
「その頃には、なんとなく思っていたんだろう? 美人さんと言われる少女達と自分とは、ちょっと違うんじゃないかなって。違うのは当たり前だよ? こまっしゃくれた美人予備軍と可愛らしい少女の君とでは、雰囲気は全然違うもの」
「こまっしゃくれた美人予備軍……」
ジルベール様が毒を吐くとは思わなかったので、驚いた。
「本当に自分は可愛いのかなって、違和感を感じていたかもしれない。そこに、悪意のある言葉を投げつけられた。今まで周りの人は、君に対して可愛いという言葉しか使わなかったのに、そのときは、平凡と言われたのだったね。ちょっと抱いていた違和感もあって、君は失望した筈だ。『やっぱり』ってね」
「…………だって、本当のことだもの。平凡なのよ、私」
「平凡ではないよ。少なくとも、君の身内や、僕の中ではね?」
「え?」
「僕の周りには、どういうわけか自身を美女だと思っている女性が多くてね、確かに美しい顔はしているが、僕から見たら、皆平凡なんだよ。見慣れてるからね。性格は傲慢、強引、陰険だ。なんでそんなに我儘に育つのだろうと思ったが、これは、持って生まれた性格などもあるんだろうね。だって君だって小さな頃から猫っ可愛がりされてたらしいけど、ちっとも傲慢なんかじゃない。お喋りしたのは今日が初めてだけど、それだけでも君が悪い子じゃないってわかるよ? 君の顔も仕草も、可愛い。僕の好みだ。人には好みというものがある。君が僕をイケメンと言ったけど、僕の見かけが好きじゃない人は、イケメンとは言わないだろう。君は平凡なんかじゃない。僕からしたら、特別な子だよ。見かけも性格も、僕の好みど真ん中なんだ」
「……ジルベール様を騙しているかもしれないじゃないですか。いい子のふりをして」
「何のために? 僕を騙して、君に何か得になるようなことはあるかい? 伯爵家との繋がりを持とうと考えているという可能性もあるけど、はっきりと君は結婚願望が無いって言っていたじゃないか」
「うぐぐ」
「可愛いリゼット、そのフワフワの髪も素敵だよ」
「もじゃもじゃです……」
「恥ずかしがって隠れた姿も可愛かったし……」
「人見知りしただけです」
「唇を尖らせて拗ねる仕草も可愛いよ」
「拗ねてなんか……ないし……可愛くもない……けど」
「けど?」
「ジルベール様が私を可愛いって思っているのは……信用しても、いい、です」
「リゼット!」
ジルベール様が嬉しそうに破顔した。イケメンの笑顔、いただきました。美しすぎて、目が眩む。
ほんの短い間に、私の心に入り込んだジルベール様。何故モテないのか、不思議である。軽薄で雑な言動が理由ではない気がする。
「あの……ジルベール様って、どうしてモテないんですか?」
「うん?」
「貴族家の跡継ぎのご令嬢から引っ張りだこかと思いきや、あまりモテないと聞いたので。イケメンだし優しいし、モテない筈はないと思うのですが……」
兄から聞いた情報を確認すると、ジルベール様は、『ああ』と言って苦笑いをする。『これを言っては、君は僕を軽蔑するかもしれないけれど』と言いながら、スコーンを手に取り、二つに割った。零れ落ちそうな程のクロテッドクリームを乗せ、その上からマーマレード。大きな口を開けて、一口で食べてしまう。美しく繊細な見かけなのに、豪快である。
「気の強そうなご令嬢達に囲まれる度に、僕は自分の希望を話したんだよ。『婿入りするからには、僕を養ってくれるんだよね? 領地経営は妻に任せるつもりだし、手伝う気は一切ない。社交は少しはするかもしれないけど、そうじゃないときは、日がな一日寝転んで、ただただ一日が過ぎるのを待つだけの生活になると思うよ』ってね。すると、すーっと人が引いていくんだ。そんなことを五回も繰り返せば、僕に婿になれって言ってくるご令嬢はいなくなったよ」
「…………ヒモ……」
「中には、御両親を連れて来て説得しようとする御令嬢もいてね、その親に、『婿養子に入るのだから、少しは謙虚な気持ちになったらどうかね。平民に落ちるのをこっちは救ってやるのだぞ』などと言われたよ。だから僕は言ってやったのさ。『そちらこそ、僕の美しい遺伝子を欲して婿に入ってくれと頼む立場だろう? 僕は、特に興味もない貴方がたの御令嬢と婚姻を結ばなければならないのだ。一生楽に寝て暮らすくらいのオプションを付けてもらっても罰は当たらないじゃないか』とね」
「……クズだ……」
「だから、僕がモテないのは、わざと」
そう言って、ウインクをすると再びスコーンを頬張る。少し温くなった紅茶をグビグビと雑に飲み、その次の瞬間に侍女に手をあげる仕草はとても優雅。口角を少しあげたアルカイックスマイルは、たった今までクズ発言していた青年とは思えないほど、貴族然としていた。
私も、目の前のティースタンドから、小さなマカロンを手に取った。少し齧ると、甘酸っぱいベリーの味がする。ふと視線を感じてジルベール様に目を向けると、にこにこして私を見ていた。私の家族が、小さな頃から私に向ける視線と同じ。愛おしいって目で語ってるの。
「ジルベール様は、私をどうしたいの?」
「うん? そうだなぁ、できれば、妻にしたいと思っているよ?」
恋人ではなくて妻にしたいんだ。まだ十六歳という、子供でも大人でもない年齢の男子が、はっきりと口にしたことに驚いた。
「うちは、準貴族といっても、結局は平民ですよ? しかも代が変われば、私は完全な平民です」
「そんなの関係ないよ。僕だって同じさ」
「お金持ちだけど、婿入りできないから楽はできませんし」
「僕は、自分でも知らなかったけれど、好きな子には尽くしたいタイプみたいなんだ。自分が楽をするよりも、リゼットを楽にしてあげたいと思っているよ?」
「どうしてそんなに急に好きになれるの? 昨日初めて顔を見て、今日だってほんの少しだけ喋っただけなのに」
「僕だって理由なんて知らないさ。ただ可愛い君と、これからも一緒にいたいなって思うのと、十六年生きてきて、こんなに人を可愛いな、愛でたいな、って思ったのが初めてっていう……それじゃあ駄目かい?」
うう、そんなにキラキラした目で見ないで。眩しさに目を瞑っていると、いつのまにか侍女が近くに来ていた。新しい紅茶をいれてくれるらしい。そして、『僭越ながら』と口を開いた。彼女が私達の会話に入ってくるのは珍しい。家族と一緒に歩いていても、必要以外の言葉を発しない女性だ。
「私は、お嬢様にはデイビス様がお似合いだと思います。世界一可愛いお嬢様を託すのは、デイビス様しかいらっしゃらないと思いました。お嬢様も昨日、仰っていたではありませんか。『きゃ~~、好きぃ~』と」
「聞かれてた!! そして、最悪のタイミングで暴露された!!」
「そうなのかい? リゼット。嬉しいよ、僕の子猫ちゃん」
「ちょ……そ、そんなこと言ってな……」
「仰ってました。小声で」
「もう! 貴女は黙ってて!」
「焦る君も可愛いよ、リゼット」
侍女は、一仕事終えたような顔をして満足そうに後退していった。再び静かに後方に控えている。嵐を呼ぶ女。今度からそう呼んでやるわ。
嬉しそうな顔をするジルベール様に確認する。
「貴方は、今の私が可愛いと言いましたけど、まだ私は十四歳です。今後、見かけが変わる可能性は高いですよ?」
「それがどうしたんだい?」
「貴方の好きな見かけではなくなるかもしれないってことです。それなのに妻にだなんて、後悔するのはジルベール様、貴方ですよ?」
「…………うーん……たしか、カーランド商会の番犬のドーベルマンは、君が小さな頃に譲ってもらってきたという話だよね?」
「ブラックのことですか? はい、そうです。ドーベルマンの子供が産まれたから見においでと呼ばれた親族の家で、一目惚れしました。よちよち歩く姿がとっても可愛くて」
「その頃から、ブラック君は成長したよね。今では、誰が見ても凛々しい犬だよ。譲ってもらったときの可愛さはなくなってしまったけど、君、後悔しているのかい?」
「何を言うのです! ブラックは、いつまでも可愛い子ですよ!?」
「ほら。そういうことだよ。僕は君に惚れこんだ。きっと君が成長して妖艶な美女に変わってしまったとしても、僕の中で君はいつまでも可愛いリゼットだと思うんだよ」
「妖艶な美女」
「あ、そこはスル―するところだよぉ?」
少しおどけた様子で新しい紅茶を口に含むジルベール様に、もう一つ質問をする。
「もし私が本当は我儘な女の子だったらどうするんですか? ほぼ初対面の人の前で、自分を偽っているかもしれませんよ? 平民なんて嫌、貴族家の跡継ぎじゃないと結婚しないと言い張るかもしれませんし」
「あれ? 結婚願望ないんだよね?」
「もしもの話ですよ」
「本当に我儘な子だったら、そんな質問はしないと思うよ。まあ、可愛い子猫ちゃんがどんな我儘を言っても、僕は叶えたいと思ってしまうかな~。そして、もし君が貴族夫人になりたいというのなら、僕はその願いを叶えるだけだよ、ベイビー」
そう言って、ジルベール様はバチリとウインクを決めた。なんか素敵? だんだんこのキャラがクセになってきた自分が怖い。
「私と結婚してもジルベール様はダラダラした日々を過ごせませんよ?」
「君と結婚できるなら頑張って働くさ」
「平民なので贅沢もできませんし」
「もし君が贅沢をしたいなら、贅沢ができる環境を整えるよ?」
「私、束縛をする女かもしれませんよ?」
「…………何を言ってるんだい? 束縛なんて大歓迎だよ。寧ろ、僕の重い愛を、君が受け止めてくれるかが問題さ」
「軽薄そうに見えますけど……」
「いやいや、僕の愛は、重いよ? それを証明するために、まずは婚約しようじゃないか」
ジルベール様はそう言って笑い、椅子から立ち上がって私の前に跪いて、両手を大きく広げた。動きは雑なのに、何故か優雅に見えてしまう。そしてついている顔は、極上級。こんなことされたら、もう、もう……
「好きぃいいいい!!」
私は、目の前のイケメンに抱きついた。
* * *
「可愛くなったじゃないか。今のお前なら婚約してやってもいいぞ!」
王立学園に入学してほんの少ししてからのこと。友人達とキャッキャしながら教室に向かう途中、私達の前に立ちはだかった男子生徒が私に向かってそう言った。
「は?」
「リゼット・カーランドだろ? 子供の頃、俺と婚約の話が出ていた平民の」
「…………どなたですか? 子供の頃に婚約なんてした覚えがないんですけど」
「だから! 話だけだよ! 実際はしていない! だって、平凡顔の平民と、男爵家の俺が婚約するなんて考えられないことだったからな!」
平凡顔の平民。なるほどなるほど、この男の正体が判明した。例の男爵家の令息だ。私に変なトラウマを植え付けた、許されざる者。ここに我が母がいなかったことを感謝するがいいわ。
一緒にいた友人が何か言い返そうとしたのを制し、私は男爵令息に声をかけた。
「子供の頃のことなどよく憶えておりませんが、なんですか? 私と婚約してもいいと仰いました?」
「ああ、そうだ。成長して、可愛らしくなったじゃないか。それにあの後親から聞いたんだ。お前の家はすごい金持ちだってな。そんなことなら、俺の婚約者にしてやってもいい」
ものすごい傲慢な男子である。今では男爵家の噂を聞くこともなくなったが、こういう風に育ってしまったのね。どういう躾をされているのかしら。社交界でやっていけるとは思えない。まあ、どこの貴族家も、カーランド商会に見放された男爵家とは深いお付き合いはしていないようだけれど。
「あらあら、もじゃもじゃ頭の平々凡々な平民は、貴方の隣に相応しくないと仰っていたのではなくて?」
「なんだ憶えているんじゃないか。性格が悪いぞお前」
「生憎、性格が悪くても私を可愛いと言ってくれる方もいらっしゃるのですよ。それに、ピンチのときにはすぐに駆けつけてくださるの」
「はぁ?」
「リゼット!!」
誰かが駆けてくる音が聞こえると思ったら、案の定、そこにはジルベール様が立っていた。十八歳になって男ぶりも益々上がり、私は毎日新たに恋をしている。学園では一年間だけ一緒に通えるのよね。先輩後輩で、毎日らぶらぶです。
「ジルベール様」
「僕のリゼットセンサーが、ピピっと来たのさ。何か、君を突け狙う変態とかが近くに現れやしなかったかい?」
「まあ、さすが愛の重いジルベール様だわ。そんなことも感知してしまうのね」
「言っただろう? 僕の愛は、夜空の星々よりも重いんだから」
「……浮いてますけどね、星」
クスクス笑うと、ゆっくりとハグをされて、額に唇が落ちてくる。麗しい先輩の登場に、付近で私達を見守っていた生徒達からは、黄色い声があがった。
「なななななな、なんて破廉恥なんだ! ここは学園だぞ!」
男爵令息が叫ぶが、ジルベール様も私も、気にしない。私の友人達も、何を言っているのかしらと口々に男爵令息を馬鹿にしている。
「夫婦がハグし合うことの、何が破廉恥なのかしら?」
「夫婦!?」
「私が十六歳になったと同時に、結婚しております。これは、学園でも認められておりますのよ」
「そ、そんな……はッ、たしか、入学とほぼ同時に結婚した生徒がいるって誰かが言っていたな。相手は伯爵家の三男で……ああ、じゃあ結局平民なんじゃないか? そんな男と結婚するよりも、俺と結婚した方がお前も貴族夫人として贅沢できるぞ? 離婚しろ」
「…………きもちわる」
吐き気さえする。なんだろう、この身勝手な男は。まず、まったく好みじゃない。その上、醜悪な表情。性格だって最悪だ。気持ち悪いと吐き捨ててやったら、目を見開いて攻撃的な顔を私に向けてくる。
「はあ?」
「ほら、言ったじゃないかリゼット。君は可愛いから、不逞な輩に目を付けられるかもしれないって。平民の男とは離婚しろ? 離婚して自分と結婚しろ? そんなこと、僕が許すはずがないだろう?」
私の頭を撫でながら、困ったような顔でジルベール様が言う。最後の言葉だけは、男爵令息に向けられた。今まで聞いたことのない、低く抑揚のない言葉だった。
十四歳のときに、私達はすぐに婚約をした。それから、ジルベール様は変わった。
自分が平民になってしまうと、いつか力のある貴族が現れて私を連れ去られてしまうかもしれないと言い出したのだ。
しかし、伯爵家の跡取りは決まっている。男爵位も、お兄さんのものだ。ではどうするのか。
何をどうしてどうやったのか、一年後には、ジルベール様は、侯爵位を手に入れていた。いや、ほんと、どうやったの。
『これも、君への愛の力だよぉ』
と、ヘラリと笑ってそう言っていたけれど、どんな愛の力だ、と何度も突っ込まずにいられなかった。子供の頃から常にのらりくらりと周囲を煙に巻いていたらしいジルベール様がしっかりと将来のことを考えるようになった件で、私は義両親達から無茶苦茶感謝されている。
だから、今のジルベール様は、ジルベール・ロートン侯爵。私はロートン侯爵夫人だ。男爵家の令息などが足元にも及ばない存在なのだ。
「男爵家には、ロートン侯爵家並びにデイビス伯爵家、ついでにカーランド商会からも抗議を入れておきますね。ただで済むとは思わないでくださいな」
「ひ……ひぃッ……」
「あ~あ~、そんなに怯えるなら、僕の妻に絡んでこなければよかったのにね。でも、君はもう終わりだよ。そのご家族もね。十歳のときに失敗したのだから、君のことはもっと教育すべきだったんだよ。それをしなかったら、こんな未来が待っていることは、想像できた筈だ」
「ジルベール様、もう行きましょう。今日は早退することにします」
「そうだね。大丈夫かい? 僕の子猫ちゃん。怯えて手が震えているんじゃないのかい?」
「大丈夫よ」
友人に囲まれながら、教室に一旦戻って帰り支度をする。素敵な旦那様がいて羨ましいと皆が頬を染めている。さっきまであの男爵令息への不快感など、不穏な空気が漂っていたのに、イケメンは空気清浄器の役割もするのね。最高だわ。商会で扱えないかしら。いや、生き物だった。そして私の旦那様だった。
馬車を回してもらい、二人で乗り込んだ。侯爵位を手に入れた途端、ジルベール様はモテだしたようだけれど、揺らいでしまう彼ではなかった。いつだって私が最優先。私が女子生徒に絡まれそうになると、どこからか飛んできて助けてくれた。それに今日も。
愛の重さは、本物だったみたい。あんな険しい表情のジルベール様は初めてで、私はまたまた魅了されてしまったのだ。
「大好きです。ジルベール様」
「僕もだよぉ。侯爵になっていてよかった。ちゃんと君を守れたね」
「はい。でも……」
「でも?」
「もし、平民になってしまっていたとしても……私はジルベール様が大好きですよ?」
「文官にさえなれなかったとしても……?」
「……まあ、ジルベール様はなんだかんだ優秀なので、そんなことにはならなかったとは思いますけど、そうですね、はい。それでも結婚していたと思います」
「そうなのかい? ありがとうベイビー。そうか、そうなったら、リゼットが働いて、僕が家で日がな一日寝転んでいる未来もあったのかもしれないね?」
そんなことを言って、ジルベール様がキラキラ笑顔を見せた。
「ヒモ願望まだ持ってたーーーーッ!」
馬車の中に、私の叫び声がこだました。
(完)
愛、重かったでしょうか。
読んでくださってありがとうございました。