49. グラント公爵家にて
イヤーカフを発見した後、捜査局に戻ったララはグラント公爵家に手紙を出した。面会の約束を取り付けるためだ。
返事はすぐに来た。とんとん拍子で予定が決まり――、
八月十一日。テオドールが神の元に帰る日まで、一週間を切った。
馬車の窓から空を見ると、立体感のある雲が、いつもより早く流れている。
ララはミルクティーベージュの髪を耳にかけ、白衣のポケットから懐中時計を取り出した。午後二時五十分。グラント公爵夫人との約束の時間まで、あと十分だ。
「本当に一人で家に行くのか?」
正面に腰掛けるテオドールが、見るからに不満そうな眼差しを向けてくる。
「しょうがないではありませんか。ジャスパーはなぜかまだカルマン卿のことを調べているようですし、他のみなさんもそれぞれ任務があるのですから」
カフェから持ち帰ったイヤーカフをテオドールの家族に届けられるのは、ララだけなのだ。
「不満なのはそこじゃない」
「ではどこですか」
「俺が屋敷に入れないことだ」
「安眠の間を展開した件に関しましては、心の底から申し訳なく」
「だからそうじゃない」
難しい人だ。安眠の間以上に不満なこととは?
「分からないのか?」
伸びてきたテオドールの手がララの髪をすくい上げる。軽く弄った後、彼は優雅な動作で毛先に唇を落とした。
挑発的な上目遣いにどきりとする。
「君との時間を減らされるのが不満なんだ」
難しい人ではなく、タチの悪い男だった。
「……早めに帰ってきます」
「そうしてくれ。うちの人間は霊の存在を信じてるから、君に無礼な真似はしないはずだ」
「信じていらっしゃるのですか? 私が言うのもなんですが、珍しいですね」
「医療を生業にしてると、それなりに色々あるんだ」
テオドールによると、グラント公爵家に隣接している医療棟では昔から不可解なことが起こるらしい。誰もいないはずの廊下から足音が聞こえたり、何者かの気配を感じたり。ゆえに、グラント公爵家の人間は霊の存在を信じている。
「それを聞いて安心しました。霊の話をするつもりはありませんが、体質が理由であなたのご家族に嫌われるのは避けたいので」
懐中時計をしまい、右側に置いていたトランクを持つ。時間だ。
「母のこと、よろしく頼む」
「はい。いってきます」
ララは馬車から降り、グラント公爵家の正門へと向かった。
テオドールの母――マリッサ・グラントの許可を得て屋敷に入ったララは、通された部屋で紅茶に口をつけた。花のような香りと爽やかな渋み。歓迎されているようだ、と緊張がやわらぐ。
「まさかあの時の開発局員さんがオルティス伯爵令嬢だったなんて」
「以前は名前を出すことに抵抗があり、ご挨拶できず申し訳ございませんでした」
「気になさらないで。あなたが苦労されてきたことは分かっていますから。私には見えないけど、霊の話も信じているのよ?」
マリッサがテオドールと同じ色の目を穏やかに細めた。前回会った時よりも砕けた話し方で、朗らかな印象を受ける。泣いた様子はないが、頬がこけたように感じた。
トランクから布に包んだイヤーカフを出し、マリッサに差し出す。もう片方もこの屋敷内にあるため、色が銀色に戻っていた。
「片方だけなくなっていた、グラント卿のイヤーカフです。ルーウェンにあるカフェで保管されていました」
テオドールについての捜査はしない決まりだが、カフェの店主に少しだけ話を聞いた。
テオドールは亡くなる前日にルーウェンを訪れていたらしい。カフェに立ち寄ったのは閉店前の午後七時頃だったそうだ。
マリッサがイヤーカフを手に取り、そっと撫でる。指先が震えていた。
「あの。よろしければ、こちらも……」
ララは小瓶を机に置く。
グラント公爵家に手紙を書いている時、マリッサの泣き腫らした顔が脳裏に浮かんだ。テオドールを失い、辛い日々を過ごしているはず。
気休め程度にしかならないだろうが、少しでも役に立てれば、とアロマオイルを用意してきたのだ。
「これ……」
「リラックス効果が高く、生命力の活性化が期待できるアロマオイルです。香りが苦手でなければ、ぜひお使いください」
「テオが使っているのを、見たことがあるような」
小瓶のデザインは違うものにしたのだが、中身のオイルに見覚えがあったようだ。
こちらを見るマッリサの目に、一滴ほど好奇心が混ざる。
「……オルティス伯爵令嬢は、テオと親しかったのかしら」
突然核心を突かれ、返答に困る。親しかったと言えばそうだ。だが、現在抱いているどうしようもない気持ちとは違う種類の感情だった。
「グラント卿とは、数年前から一緒にお仕事をさせていただいておりました。捜査局の担当が私だったもので」
「そうだったの。お世話になっていたのね」
「い、いえ。むしろ私の方が……。グラント卿は、私の噂を嫌悪することなく接してくださって」
ひとりの人間として真っ直ぐに見てもらえることが、どれだけ嬉しかったか。彼は知らないだろう。
「グラント卿とお話していると、あっという間に時間が過ぎてしまうんです。特に子供の頃のお話が面白くて。昔はやんちゃで、何度もグラント公爵に叱られたとおっしゃっていました」
「テオったら、そんなことまで話していたの?」
「はい。包帯を巻く練習をしようと思い立って、患者さんの手足を縛り上げたとか」
テオドールの奇行に巻き込まれていたのは、主に患者か弟のシリル・グラントだった。
「注射器を扱う練習をしようとして、泣き叫ぶシリル卿を追いかけ回したとか」
マリッサが恥ずかしそうに両手で顔を覆った。当時の息子を思い出しているらしい。
「注射器の件はさすがにやりすぎだったと反省しておられました。注射器の用途についての資料を五時間書き写し続ける罰がこたえたようです。ですが疲れ果てて部屋から出ると、三角座りをしたシリル卿がドアの隣で待っていてくださったらしくて」
「そうなの……。シリルったら自分が泣いてたことも忘れて、主人に『兄上をいじめないでください!』って怒っちゃって」
反逆されたグラント公爵は心の中で涙を流したことだろう。
この話を聞いた時、かわいそうだと思いつつも、実は羨ましかった。テオドールの話に出てくる家族は、ララの憧れだった。
「私のことも、テオは何か話していたかしら?」
「えーっと……」
「話したのね」
「夫人については……涙もろく穏やかで、誰からも好かれる一方、人命救助のためなら暴れる患者さんを無理やり診療台に押さえつけるくらい勇ましい、と」
「もうー、あの子は!」
口では怒りながらも、マリッサの声は明るかった。
「ご家族のお話をしてくださる時、グラント卿はいつも、少年のように笑っていらっしゃいました」
テオドールの心を丸ごと表現することはできないが、確実な言葉で伝えよう。これが自分にできる、彼への恩返しだ。
「グラント卿は、みなさんを愛していらっしゃいます」
ララが顔をほころばせると、マリッサは瞠目する。数秒硬直した後、彼女は瞼を伏せた。
「……このイヤーカフ、あなたが持っていてくださらないかしら」
え? と聞き返したが、彼女は机に置いていたイヤーカフをこちらに差し出す。
「で、ですが、これは……」
テオドールの形見だ。遺族が持っておくべきだろう。首を振って断ろうとしたララの手を、マリッサが包み込む。しっかりとイヤーカフを握らされた。
「あの子も、その方が喜ぶと思うの」
母親の勘ってやつね、と笑った彼女の顔がテオドールと重なって、急に涙が溢れそうになる。
顔を伏せて目をつぶる。ララはイヤーカフを包んだ両手を、祈るように顔の前に持ち上げた。
「……ありがとう、ございます」
自分の元に、彼との繋がりが残る。思い出だけで充分だったはずなのに、一度受け取ってしまったら、もう手放せそうにない。
いつからこんなに、欲深くなってしまったのだろう。
ララはイヤーカフを丁寧に片付けた。その後三十分ほどマリッサと話し、捜査局に帰ることにした。
「本日はありがとうございました。お会いできて嬉しかったです」
「私もよ。テオの話をするのは辛いだけかと思っていたけど、とても楽しかったわ。知らなかったあの子を知れた気がして。……これで私も、神の元に送る覚悟ができそうだわ」
公爵家の門の手前まで来たところで、マリッサが足を止めた。
「また来てくださる? テオの秘蔵話を用意しておくから」
なんと嬉しいお誘いだろう。喜んで、と返し、頭を下げる。彼女とならいくらでも話ができそうだ。
次回はテオドールと出会った時の話をしよう。悲しい記憶ではなく、幸せな思い出として。そんなことを考えながらマリッサに背を向ける。
門に向かって歩き出したララだったが、五秒も経たぬ内に呼び止められた。
どうしたのだろうかと振り向くと、何かを言いたげな表情のマリッサと目が合った。
「……医療棟を安眠の間で覆うまでは、全てをお話しするわけにはいかないのだけれど」
そこで彼女は言葉を区切った。苦しそうに眉を寄せる。何度か深呼吸を繰り返し、やがて決意を固めたように口を開いた。
「あの日、テオはね――」
続けられた言葉を聞いて、ララはテオドールの元に急いだ。
「へえ。俺は腹部を刺されていて、おまけに塩水で全身びしょ濡れだったと」
帰りの馬車に揺られながら、テオドールが確認してきた。ララは激しく頷く。そうなのだ、新事実だ。
「よく聞き出せたな」
「と、問い詰めたりしていませんからね?」
「そんな心配はしてない。君を気に入って話したくなったんだろ。刺殺となると、ある程度犯人像を絞れそうだが……塩水ってことは海に落とされたのか、飛び込んだのか。……なんだ、浮かない顔だな」
この状況でにっこりできる人間がいるのなら会ってたいものだ。ジットリとした目でテオドールを見る。
「好きな人が刺されたと知って、泣かなかった私を褒めていただきたいのですが」
「ん? 耳の調子が悪いみたいだ。もう一回好きな人って言ってくれ」
「ふざけてる場合ですか」
「大事なことだろ?」
「言ったら、どうなるのですか」
「俺の気分が良くなる」
「くっ、……す……」
「す?」
「……好き、です」
「俺は愛している」
「……もうぅ」
緊張感のない会話に力が抜け、背もたれに倒れ込んだ。無邪気に肩を揺らすテオドールに腹が立つ。熱くなってしまう自分の顔にも、腹が立つ。ときめいている場合ではないのに。
「……頭の中で、何かが引っかかっているんです」
「死因についてか?」
「いえ。あなたが亡くなるくらいですから、それなりの理由だと覚悟はしていました。この事実が公になれば、国民は大騒ぎでしょうけど」
「そうか?」
「だって捜査官以外は、あなたが亡くなったという情報しか聞かされていないのですよ? 普通誰かの訃報を聞いて、真っ先に『あー、あの人、殺されたんだなぁ』とは考えません」
大々的に捜査を行っているのであれば、事件だと勘付く者もいるだろう。だが、今回はグラント公爵家によって捜査を止められている。
テオドールは亡くなったが、捜査はしていない。つまり国民は、事件性のない事故や病気を疑うはずだ。
「ですから、他殺だと聞いて驚かない人がいれば、それは……あれ?」
そうだ。捜査官とテオドールの家族以外にテオドールの死因を知っている者がいれば、この事件の重要参考人だ。
理解した途端、ある人物の言葉が妙に鮮明に思い出された。背もたれからガバッと起き上がり、袖口についているカフスボタンを操作する。
「どうした」
「ちょっと、見ていただきたいものが……」
宙に映し出されたのは、初めての巡回で立ち寄ったルーウェンの景色だった。空を記録するマックス。輝く海面。港を出発する船。違う、もっと後だ。
ピ、ピ、ピ、ピ。
映像を早送りしていく。
ザザッと映像が乱れた後、倉庫街の記録に変わった。カルマンとの遭遇を回避しようとするララの声。あの時はカルマンに気を取られていて、彼の不自然な言葉に気が付かなかった。
『イーサン卿は、グラント卿と面識が?』
『いえ。直接お会いしたことはありませんが、ご活躍は風の噂で。それゆえに残念です。この国は大きなものを失った』
ここです、と、ララはテオドールに目くばせをする。
映像の中のイーサンが、視線を落としている。ララと二人で倉庫の外を歩いていた時の記録だ。
『――あの方は死さえも覚悟されていたでしょう。功績を残す方というのは、それだけ多くの想いを背負うものですから。期待だけでなく、恨みや妬みなんかも』
イーサンに『あの方』と呼ばれたテオドールの眉が、ぴくりと動いた。同じ部分に引っかかったらしい。
ララは記録を一時停止させる。勘違いかもしれない。考えすぎかもしれない。だが――、
「この言い方、……あなたの死因が他殺だと、知っているように聞こえませんか」




