48. 告白
――朧げに覚えている。
広くて自由な海の上。澄み渡った空の下。
船のデッキに立ち、潮風を浴びていた。
「ララ」
ゆったりとした足取りでテオドールが向かってくる。銀色のイヤーカフが黒髪に映え、嬉しそうだ。
「無事に夜会を乗り切ったから、何か願いを聞いてやる」
目の前まできた彼が、忘れかけていた口約束を引っ張り出したものだから。
ずっと隣にいてください、と、簡単に心の内を吐き出した。
「ああ。分かったよ」
彼が迷いなく頷いたから――
これが夢だと、気付いてしまった。
◇
夜会の三日後。
ララはテオドールと共に、王都で買い出しをしていた。
視界いっぱいに広がる街並みは、絵画のように美しい。建ち並ぶ住宅はデザインに統一感があり、アーチ形を描いた高い窓が印象的だ。
馬車に乗り込み腰掛けると、茶色いスカートの裾が座席に広がった。購入品が入った紙袋を抱え、中身を確かめる。
「ジャスパーの整髪料と、ヒューゴ様に頼まれたスパイスの本と……よし。あとはアルバート様へのお土産を買えば、おつかい完了です」
最近休みを取れていなかったため、買い出し以外の時間は好きに過ごすようにと言われている。何をするべきだろうか。
「次の夜会の準備はしないのか? シアーズ侯爵夫人に誘われたんだろう?」
「うーん、それは……」
昨日捜査局に現れたシアーズ侯爵から、アンジーについての報告を受けた。家族で話し合い、無事に仲直りできたそうだ。
アンジーには生霊だった時の記憶が残っており、度々ララの話をするらしい。そうですか、と頬を緩めたララに侯爵が手渡したのは、シアーズ侯爵夫人からの手紙だった。
依頼の礼も含め、今度は仕事ではなく友人として夜会に招待したいと書かれていた。友人という言葉に心が躍ったのは言うまでもない。しかし、ララは返事を保留にしている。
「行けば良いじゃないか」
「いや、あの、そのー……」
誘ってもらえたことは嬉しいが、正直夜会に行っている場合ではないのだ。
「もしかして夜会って、八月十六日か?」
鋭い。言葉を詰まらせると、テオドールが「やっぱりな」とつぶやいた。
九日後のその日、――テオドールが神の元に帰る。夜会を楽しむような心境ではない。絶対に。
「踊るか」
突然何を言い出すのだろう。
「最後の日、君と夜会で踊りたい」
「え? でもその日は、安眠の間が解けていますので」
「早朝に解けるんだろう? 家族の顔を見に一回家に帰るが、夜は空いてる」
「一緒に……いてくださるのですか?」
「初めからそのつもりだ」
君と過ごすために俺はこの世に残ってるんだからな、と言われ、赤面する。ずるい。
「君が楽しそうに笑ってるところを、最後に一番近くで見たい」
「……ダンスが下手でも、笑わないでくださいよ」
「要相談だな」
当日に向けてドレスやアクセサリーを買いに行くかと聞かれたが、遠慮しておいた。
「欲しいものとかないのか? シアーズ侯爵の依頼を達成したから、『君の願いを叶える』って約束を果たしたいんだが」
「それは……今は思いつかないので、考えておきます。実は両親が、次のドレスは自分たちが買うと張り切っておりまして」
「楽しみを奪うわけにはいかないか。じゃあ午後からはどうする?」
「せっかくなので、どこかに行きたい気持ちはあるのですが」
ふーん、と相槌を打ったテオドール。
「なら、俺に付き合ってくれ――」
テオドールの提案で訪れたのは、ミトス王国の観光名所のひとつ、ツェルソア植物園だった。
怪訝な顔をする受付係からチケットの半券二枚とパンフレットを受け取る。
広大な敷地がエリア分けされており、ハーブ園、バラ園、樹木園、……水辺の植物が観察できる温室なんかもあるようだ。
正門から見えた黄色い花時計は午後一時をさしていた。時間によって別の花が開花し、色が変わるのだろう。
興味津々で花を観察し、植物名ラベルを読み、パンフレットの順路通りに進む。
大方見終わった頃には午後三時を過ぎていた。
「ボート楽しかったですね」
「相当変な目で見られてたけどな、君」
「もう慣れました」
スイレンが浮かぶ池を手漕ぎボートで一周するエリアは新鮮だった。
一人で乗る客は珍しいらしく他の客からじろじろ見られたが、最終的に華麗なオール捌きに拍手を送られた。テオドールは漕ぐのも上手だったのである。おかげでボート上の景色を満喫できた。
最後のエリアに向かうため、テオドールと並んで緩やかな丘を登る。風が香りを運んでくる。弾む心に合わせて、歩くスピードが速くなった。
軽やかな足取りでたどり着いたのは、ツェルソア植物園の目玉エリア、――無限に広がるラベンダー畑だった。
「わぁっ……!」
まさに花園。満開のラベンダーが太陽の光を浴び、美しく輝いている。
植物の紫と緑。空の青。調和のとれた景色が、自然と笑顔にしてくれる。
感動を共有したくてテオドールを見上げると、彼はすでにこちらを見ていた。
「君が婚約破棄された日、次の休みに外出しようって話してただろ」
「ここに誘おうとしてくださっていたのですか?」
あの時は道具屋に連れて行かれるのだとばかり思っていたが、違ったらしい。
「連れてきてくださって、ありがとうございます」
「……ん」
欲を言えば自分だけでなく、彼も楽しんでくれていると嬉しい。
「テオはラベンダー、好きですか?」
「ああ、好きだよ。君が好きな花だから」
話したことがあっただろうか。
「見てれば分かる」
疑問を口に出していないのに心を読まれた。捜査官の彼にはお見通しだったようだ。ちょっとだけ悔しくなる。
「あなた、そんなに私のことばかり見ていたのですか?」
今も、昔も。
わざと冗談めかして言ったのに、テオドールは照れも不貞腐れもしなかった。かわりにふわりと、目元を緩める。
「なんだ、やっと気付いたのか?」
胸が締め付けられるような、呼吸を忘れてしまうような、そんな笑顔だった。
(……ダメだ)
限界がきていると自覚した時には、すでに口を開いていた。
「私、ラベンダーも好きですが、空と海が大好きなんです」
どうしてか分かりますか? と問えば、テオドールは小さく首を傾げた。こればかりは、鈍感な彼には分からない。
広いからでも、綺麗だからでも、自由だからでもない。
「あなたの色だからです」
震える指先を、もう片方の手で握った。声がかすれないように、唾をのみ込む。
「『お願い』、今使わせてください」
笑みを消したテオドールから、目を逸らさなかった。
「私、――あなたに愛していますと、言いたいです」
別れが近いと知っている。笑顔で送り出すと決めている。彼の重荷にはなりたくない。
だが抑えられないのだ。テオドールに迷惑をかけたくないのに、最初で最後の感情を捨てられない。
「あなたは私のことを考えて、言うなとおっしゃったのでしょう? でも、我慢できなくなってしまいました。無理なんです。伝えないと後悔します。私はあなたを――」
続けるはずだった言葉は、テオドールの胸板に吸い込まれていった。頭上から長いため息が聞こえるが、回された腕が力強くて、安心する。
ラベンダーの香りに、愛おしい香りが混ざった。
「どうして君は、辛くなる方を選ぶんだろうな」
「あなたみたいな人、好きにならない方がおかしいんです。……迷惑ですか?」
「……察してくれ」
「わかりません」
「嘘つくな」
「言葉にしてくださらないと、不安になります」
新人捜査官は、観察力がいまいちなのだ。強請るように胸板に顔を寄せると、テオドールが観念した。
「……こんなに嬉しいのは、初めてだ」
「…………えへへ」
胸の奥から、じゅわっと温かいものが溢れ出す。テオドールの体に腕を回し、背中をさすった。
「あなたが神の元に帰っても、気持ちが変わらない自信があります」
「大きく出たな」
「だって空を見ても海を見ても、私はあなたを思い出します」
忘れたりしない。いや、できないのだ。顔を上げ、青い瞳を覗き込む。
「愛しています。これから先、何万回の夜を超えても、私の心はあなたのものです」
「……夢みたいなこと、言ってくれるじゃないか」
証人はいないが、決して夢にはさせない。
「この素敵なラベンダー畑に、あなたへの想いを誓います」
きっとテオドールは花言葉なんて、興味がないと思うけど。
日が沈む直前、港町ルーウェンに到着したララは、駆け込むように一軒のカフェに入った。
カウンター越しに厳めしい中年男性と目が合ってしまい、ぺこりと会釈をする。テオドール曰く、彼は店主らしい。
ガラス仕様のカウンターの中にはケーキが並んでいた。時間が時間ということもあり、ほとんど売れてしまっているようだ。
お目当てのものはないかと視線を動かす。左からケーキ名を一つずつ確認してみたが、見当たらない。
カウンターの上に置かれた三段のケーキスタンドにはクッキーやマドレーヌなどの焼き菓子が盛り付けられている。大変魅力的だが、これでもない。
例のブツを手に入れるには、聞くしかなさそうだ。
「あのぅ」
「どうなさいました」
ララが小声で話しかけると、厳めしい店主は内緒話でもするかのように体を小さくして耳を傾けてきた。意外と可愛らしい人なのかも。
「『季節の果実満喫タルト、シロップ倍がけクリーム増し増し』って、お持ち帰り、できますか?」
「え?」
勘違いだった。可愛らしくはない。
店主の眉間に深いしわが刻まれたため、ララはひいぃ、と身を引いた。が、すぐにテオドールの手によって前に押し戻される。
「大丈夫だって。花畑みたいな色合いの菓子を作ってるおやじだぞ」
怖いわけないだろ、なんて言われても、顔は怖い。エプロンがこんなに似合わない人を初めて見た。
タルトはアルバートへの土産なので、できれば手に入れたいのだが。
「お客様。そのメニュー名、捜査局の方からお聞きになったのですか?」
「は、はい、申し訳ございません」
「……ではお客様は、あの方の『いい人』ということですか」
意味を理解した途端、顔に熱が集まる。緩む口元が制御できない。
テオドールを下から見ると、彼は片手で顔を押さえていた。
(ふふっ。いい人、だって)
想いが通じ合った今、その表現は否定できない。本当のことだ。お互いに、す、好きなのだから。
ララが「……そのようなものです」と正直に答えると、店主は奥の窓際席を指さした。
「用意しましょう。あちらでお待ちください」
他の客がいないため、テオドールが手を引いて席まで連れていってくれた。隣を歩けることが嬉しくて、さらににまにましてしまう。
席に座って大人しく待つ。大きな窓からは、今日の終わりを告げるような海が見えた。
テオドールとアルバートは、たまにこの店を訪れては、のんびり裏メニューを堪能していたそうだ。
彼の思い出に触れられて、愛おしさが増す。
しばらくして窓の外が真っ暗になった頃、店主が裏から出てきた。
カウンターに戻り、清算を済ませる。
「ロックフェラー卿に、また顔を出すように伝えていただけますか。見てもらいたいものありまして」
「はい」
「次回はぜひ、ご一緒にお越しください」
「アルバート様とですか? 予定が合えば誘ってくださるかもしれませんが」
フロイドやマックスと来たいのではないだろうか。アルバートが捜査官たちを担いで走る姿を想像する。
「え? お客様は、ロックフェラー卿の恋人なのでは?」
「……んん?」
言葉の衝撃が強く、店主を二度見する。危うく買ったばかりのタルトを箱ごと潰しそうになった。
素早く思考を巡らせる。失敗した。なぜ気が付かなかったのだろう。テオドールの恋人が意気揚々とタルトを買いに来るわけがないではないか。彼は亡くなったばかりなのだから。
詳しく説明することはできない。しかしアルバートの恋人だと誤解されたままなのは困る。非常に。
「こ、恋人の件は、忘れていただきまして……メニューについては、以前、テ……グラント卿に、教えていただいたのです」
「あの方が……教えた、のですか?」
「はい。私、一応捜査官でして」
店主はこちらをじっと見つめた後、しばし考え込む。再び店の裏に入ったかと思うと、すぐに出てきてカウンター上に何かを置いた。
「こちらに見覚えはありますか? グラント卿が亡くなったと聞く前日から、落とし物で預かっていたのですが」
ララとテオドールは、食い入るようにそれを見た。
植物を模った金色のイヤーカフは、ララが初めて作った通信機。
間違いなく、テオドールがなくしたものだった。




