45. 夜会と呪われた令嬢(4)
カルマンは従者のハンスと多数の霊を連れてやってきた。見知った霊たちは、なぜかハンスの隣で嬉しそうに浮いている。
不思議に思っていると、シアーズ侯爵が耳打ちをしてきた。
「すまない。ケイトは憔悴していて、君たちの婚約が解消されていると知らなかったんだ」
夫人は善意のつもりでカルマンにも招待状を出したようだ。
カルマンは最近、体調不良を理由に社交の場から離れていた。それゆえにシアーズ侯爵は、カルマンが来ることはないだろうと踏んでいたらしい。
苦笑いを浮かべたララの隣で、カルマンはシアーズ侯爵と簡単に挨拶を交わす。落ち着いた笑顔からは内面の残虐さは想像できなかった。しかし全てを知っているララには、上っ面の良さは無意味である。
こっそり立ち去ろうと思ったのだが、侯爵との話に切りをつけたカルマンが許してくれなかった。
「オルティス伯爵令嬢。少しお話があるのですが、場所を移してもよろしいですか?」
「ここではできないようなお話なのでしょうか」
なぜ彼が会いにきたのか見当もつかない。関わりたくないのはお互い様なはずだ。以前届いた手紙といい、カルマンの行動は謎である。
「君は最近忙しくしていたでしょう? なかなか会えなくなってしまったから、久しぶりに世間話をしたいだけですよ」
世間話など一度もしたことがない癖に、よく言ったものだ。
「お断りします」
「え……」
返事が意外だったのか、カルマンのこめかみがピクリと動いた。すぐに愛想笑いを貼り付けるあたり、さすがである。
「申し訳ありませんが、今日は仕事で来ているのです。好き勝手に動くことはできません。それに私には、カルマン卿とお話しすることはございません」
ララは普段と変わらぬ声色だった。だが言葉は明確にカルマンを拒絶する。
周囲で話を聞いていた貴族たちが顔を寄せ合う。ララとカルマンが円満に婚約を解消したものと思っていたのだろう。円満なんてとんでもない。できることなら今すぐテオドールの脚力で逃走したいくらいだ。
「そう冷たいことを言わないでください。何度手紙を出しても返事をくれないので、こうして会いにきたのです」
(だからそれがおかしいんですって……!)
拒絶しても引こうとしないカルマンのせいで頭が痛くなってきた。
このまま押し問答を続けてシアーズ侯爵に迷惑をかけるわけにはいかない。話くらい聞くべきなのだろうか、と諦め始めたところで、聞き慣れた声が話に加わった。
「――何年も自分に暴力を振るってきた男性と口を聞いているのですから、ララさんは優しすぎるくらいだと思いますが」
「ヒューゴ様」
「だよねぇ。僕だったら我慢できずに砕いちゃってるよぉ」
「……何をですか?」
「ふふふっ、内緒ぉ」
いつから近くにいたのだろう。ヒューゴとアルバートの姿を確認し、肩から力が抜ける。
対照的にカルマンは、二人の登場が気に食わなかったようだ。
「私はオルティス伯爵令嬢に暴力を振るった覚えはありませんが」
「おや。カルマン卿は二十八歳だとうかがっておりますが、記憶力が乏しいのですね。ララさんは何年もの間、一人で貴方からの暴力に耐えてこられました」
「覚えがないと言っているでしょう。……まさかオルティス伯爵令嬢が、嘘をついて男を誑かすような人だったとは」
カルマンは悲しそうに表情を歪める。
「長年呪われた君を受け入れてきましたが、どうやら私は裏切られてしまったようですね。所詮君にとって私は、都合の良い婚約者だったということでしょうか」
彼は大勢の前で嘘を吐くことに慣れすぎている。そしてどんな手を使ってでもこちらを悪者にしたいらしい。訂正するのも面倒だ。
アルバートが小声で「やっぱり砕いとく?」と聞いてきたため、うっかり頷きそうになった。
「カルマン卿。今の私には信じてくださる方がいます。あなたがありもしないことを吹聴して回っても、私が生きる道に影響はありません」
だからこの辺りで引き下がってほしい。関わらない方がお互いのためだ。そう伝えたのだが。
「名誉を傷つけられた私に謝罪もなしですか」
「私へ暴力を振るっていた、というお話ですか?」
「ええ。これだけの人の前で汚名を着せられたのです」
「……あくまでも、事実ではないとおっしゃるのですね」
「もちろんです」
カルマンはヒューゴに、「証明なんてできないのでしょう?」と分かりきったことを聞く。
「過去の出来事ですので、証拠を探すのは難しいですね。ララさんの怪我は完治していますし」
「ほら、やはり」
「ですがつい最近の出来事ならば、記録が残っているかもしれません。例えば、――貴方が自らの罪を面白おかしく語っているところ、とか」
ララの耳は魔道具の起動音を拾った。――ブォン。
『くどいぞ。謝罪などしなくとも、オルティス伯爵令嬢は私に逆らえない』
(え……?)
宙にカルマンの姿が映し出され、広間内の全員が注目する。映像の中の彼は、服装が今と同じだ。少なくとも数時間以内に記録されたものだろう。
ララは驚きのあまり、声を出せなかった。
自分が作った記録用魔道具のカフスボタン。それを起動させた人物が、ヒューゴでもアルバートでもなく、――カルマンの後ろに控える、従者のハンスだったから。
(なぜ、あなたが……)
疑問を抱いたのはカルマンも同じだったようだ。
「お前、どういうつもりだ」
聞かれても、ハンスは無言で映像を流し続ける。
『あの女、この十年間で私に何度打たれても、誰にも言わなかったんだからな』
『お前も見ていただろう? 周りから怯えられる姿が実に滑稽だった。臆病で愚かな令嬢が失神してくれたおかげで、あの女はさらに孤立した』
『私をこんな目にあわせたんだ。捜査官なんて続けられないくらいに痛めつけてやるさ』
ひどい内容だ。周囲の者たちが青ざめ、信じられないとでも言うようにララとカルマンを見る。
カフスボタンの記録は改ざんが不可能。間違いなく、カルマンの発言だということだ。
ララは映像の中のカルマンが言った『こんな目にあわせた』の部分が引っかかった。身に覚えがない。だがカルマンが自分を連れ出し、昔のように痛めつけるつもりだったのは明白。
(カルマン卿は、何に怒っていらっしゃるの?)
あっけなく化けの皮が剝がれたカルマンは、わなわなと震える。皆が様子をうかがう中で、彼に声をかけたのはハンスだった。
「あんた、これでもララに暴力振るってないって言えるわけ?」
違う。容姿と声は老齢のハンスだが、口調が彼ではない。
ララはハンスの襟元に、ひっそりとつけられたタイピンを見つけた。あれは世界に一つしかない。ララが彼のために、一発芸用に作ったものだ。
「…………ジャスパー?」
鳥の囁きよりも小さな声だったが、彼は振り向いた。
カフスボタンの機能を停止し、右手で自分の顎辺りの皮を掴む。……そう、掴んだのだ。周囲から短い悲鳴声が上がる中、彼は顔の皮を剥がした。
皮だと思われたものは、よくできた被り物だった。白髪頭の下から現れたのは、後ろに撫でつけられた目を引く赤髪。
全てが華やかなその男は、まぎれもなくララの親友、ジャスパー・フォードだった。
「遊びに来ちゃった」
これはどういう状況なのだろう。
ハンスがカルマンの発言を記録していて、なぜかと思えばハンスはジャスパーで、遊びに来たと言っている。でもジャスパーには全ての事情を話せていなくて。そもそもジャスパーが変装できるなんて聞いたことが……、本物のハンスはどこだろうか。
ララは思考を放棄し、ハンス探しを始めた。
「彼なら安全な場所でかくまってるわ」
「そうなのですか」
「カルマンゴミクズ野郎に弱みを握られてたみたいだけど、それも仕組まれたものだったから。……ララに伝えてくれってさ。『貴方様をお救いする勇気がなく、申し訳ございません』だって」
「彼が謝る必要なんてないのに」
「ララなら絶対そう言うと思って、先に伝えておいたわ」
「仕事が早いですね」
呑気にくすくすと笑うララの声を遮ったのは、冷静さを取り戻したカルマンだった。
「開発局のジャスパー・フォード……。貴方がハンスを連れ去ったのですか」
「記憶力だけじゃなくて耳も悪いのね。かくまってるって言ったでしょ。ダメじゃない。自分の従者が入れ替わったことくらい、すぐに気付かなくちゃ」
「……念のためにお聞きしますが、あの記録は貴方がとったのですか」
「そうよ」
「では証拠にはなりませんね。記録用魔道具の使用は捜査官の特権のはずです。開発局員の貴方が使い方を知っているのは当然ですが、公に使うことは禁止されています」
カルマンはジャスパーを責め立てる。よほどあの映像を認めたくないのだろう。
言っていることは正しい。捜査官以外が記録用魔道具を使うことは処罰の対象である。だがそんな常識を、ジャスパーが知らないはずがないのだ。
だからララは、気付いてしまった。
「いつから、ですか?」
震える声で聞くと、ジャスパーは困ったように笑った。
「最初からよ」
ララはジャスパーの言葉を、頭の中で反芻する。最初から。
初めて出会った時からずっと、――彼は開発局員ではなかったのだ。
ジャスパーはカルマンを無視し、真面目な表情でララの目の前に跪いた。こんな彼の姿は、初めて見る。
「親愛なるララ・オルティス伯爵令嬢。あたしは王立犯罪捜査局、副局長兼、諜報部隊隊長、ジャスパー・フォードよ」
思わぬ大物の登場が、広間の人々を混乱に落としれた。
目を閉じたララの頭の中で、今日までの出来事が繋がっていく。
テオドールの親友でもあるジャスパー。配達員として、入館証もなしに王城の様々な場所に出入りできるジャスパー。人から好かれ、どこにいても話しかけられるジャスパー。……情報収集。これが彼の役割だったのか。
理解したララはカッと目を開け、立ち上がったジャスパーの肩を揺さぶった。
「あ、あなた! こんな場所でそんな重要なことを話しても大丈夫なのですか⁉︎」
諜報部隊ということは、王城の膿み出しに貢献したに違いない。大勢の前で「ボクが全ての情報を握っています」と告白して、襲われたりしないのだろうか。
ジャスパーを背に庇い、慌てて刺客がいないか確認する。危険な状況かもしれないのに、ジャスパーは別のことで困惑していた。
「怒ってないの?」
「怒る理由がありません」
「だってあたし、何年もララに嘘を――」
「ジャスパー。それは嘘ではありませんよ」
ララが捜査局に入って、一ヶ月半。その間、テオドールは一度もジャスパーが捜査官だと言わなかった。
ジャスパーについて話すことは、彼への裏切りだったのだろう。テオドールにそうさせるほど、ジャスパーは覚悟を決めて生きていた。
「あなたは戦っていたのでしょう?」
孤独だったはずだ。時には本心を隠すこともあっただろう。ジャスパーが国のために背負ったものは計り知れない。本来なら自分とジャスパーは、住む世界が違った。
それでも、表情豊かなジャスパーが好きだ。ウインクをしてくるジャスパーが好きだ。ゴーグルを首からぶら下げて台車を押すジャスパーが好きだ。
「捜査局と開発局、どちらもあるから、私と『仲良し』のあなたなのでしょう?」
嘘をつかれたとは思わない。どんな彼も否定しない。共に過ごした時間を、信じているから。
ララが顔をほころばせると、ジャスパーは撫でつけた髪を雑に乱し、ハーフアップに結び直した。
「これだからララの『仲良し』は、やめられないのよね」
ジャスパーの笑顔は、いつも以上に晴れやかだった。




