43. 夜会と呪われた令嬢(2)【カルマン視点有り】
時はさかのぼり、シアーズ侯爵家主催の夜会が始まる二時間前――。
チェスター・カルマンは気だるい体を無理やり動かし、夜会に行く準備を整えていた。
「オルティス伯爵令嬢が夜会に参加するという情報に間違いはないだろうな」
「はい。間違いありません」
ハンスが頭を下げて答えた。身の回りの世話以外は何もできない老いぼれだと思っていたが、今回だけは役に立った。手紙の返事を寄越さないララ・オルティスが、公の場に現れるという情報を掴んできたのだ。
「一刻も早く捕まえて、あの女が知っていることを吐かせなくては」
焦りが滲んだ声で、早口に言う。
いまだに悪夢は続いていた。得体の知れない何かが自分の体を蝕んでいる。カルマンはそっと首に触れた。
ララの呪いの噂は自分が流したもので、事実とは異なる。彼女に力はない。そう思っていたため、最初は悪夢と彼女の関わりについて半信半疑だった。しかしこのひと月半で、カルマンは呪いとしか表現できないものの恐怖を味わっていた。
夢に現れる子供が度々言うのだ。
『お嬢さんとの約束を破らなければ、情けをかけてやったのに』と。
あの声が頭から離れない。カルマンの首を絞めては緩め、絞めては緩め。それを繰り返す小さな手の感触が、目が覚めた後も消えないのだ。
悪夢が始まった時期といい、子供の動機といい、ララが関わっているとしか考えられない。彼女は呪う力を隠していた。そして自分に復讐をしている。
「あの女自体は弱いんだ。会えさえすれば、力づくで解呪方法を吐かせられる」
自分とララが元婚約者であることは周知の事実だ。――呪われた令嬢と十年も婚約を続けてやった、心優しいチェスター・カルマン。
円満に婚約を解消したという話を信じている者も多い。捜査官として活躍し始めた彼女と久しぶりに話をしたいと言っても不自然には思われないだろう。夜会から連れ出せば、こちらのものだ。
今夜決着をつけようと目論むカルマンに、頭を上げたハンスが問う。
「彼女へ謝罪はされないのですか」
以前にも同じ会話を交わしたと言うのに、まだ懲りていないらしい。
「くどいぞ。謝罪などしなくても、オルティス伯爵令嬢は私に逆らえない」
「そうなるように追い詰めてこられたから、ですか」
「ああ。現に私があの女に手を上げていたことは伏せられたままだ。婚約破棄された意趣返しのつもりで呪いをかけたのだろうが、私の顔を見れば何もできない。あの女、この十年間で私に何度打たれても、誰にも言わなかったんだからな」
たとえ告げ口されたとしても、揉み消すのは容易だった。けれども彼女が一度も言わなかったため、その手間すら掛からなかった。
「初めて顔を打った時はさすがにひやりとしたが、あの時でさえ親にも相談していなかった。見放されていて助けを求められなかっただけかもしれないがな。……私の命令通りにヴェールで顔を隠し、我が家主催のパーティーに参加していたよ。お前も見ていただろう? 周りから怯えられる姿が実に滑稽だった。臆病で愚かな令嬢が失神してくれたおかげで、あの女はさらに孤立した」
仮にララが過去の話を広めようとしたところで、証拠がない。捜査官が数人味方についていたとしても、証拠がなければお手上げだろう。いくらでも言い逃れられる。
「私をこんな目にあわせたんだ。捜査官なんて続けられないくらいに痛めつけてやるさ」
そうだ。今日が終われば呪いから解放される。今まで通り、虐げる側に戻れるのだ。
「私は関係者に顔を見せたら、休憩室で休んでいる。お前はオルティス伯爵令嬢を見つけ次第私に知らせろ」
「……かしこまりました」
(なんだ……?)
自分が弱っているせいだろうか。ハンスがやけに、威圧的に見えたのは。
気のせいだろうか。首筋に刃物を当てられているような緊張が走ったのは。
言葉を発せなくなったカルマンに向かって、ハンスは静かに頭を下げた。
◇
ララがシアーズ侯爵に続いて部屋に入ると、シアーズ侯爵夫人と思われる人物がソファに腰掛けていた。
キャラメルブロンドの髪は華やかだが、顔色の悪さが目立つ。体調が優れないのに、無理をしているのだろう。彼女はヴェールを被ったララの姿を見ると立ち上がり、礼をした。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます。ジェイク・シアーズの妻、ケイトです」
「はじめまして、シアーズ侯爵夫人。王立犯罪捜査局、捜査官のララ・オルティスです」
「お会いできて嬉しいわ。どうしてもあなたとお話をしたくて。……依頼の内容は、もうご存じかしら」
おそらく夫人は、自分の周りで起こる不可思議な現象について情報を得たいと考えているはずだ。しかしシアーズ侯爵からは、『霊なんていない』と言うように依頼されている。
どちらを優先するべきなのか悩みつつ、ララは小さく頷いた。すると夫人は、寂しそうに視線を落とす。
「私はね、きっと呪われてしまったの。仕方がないの。やっと授かったあの子を、産んであげられなかったから」
「夫人は、赤子の霊が夫人を恨んでいるとお考えなのですね?」
「ええ。私の周りでだけ、物が落ちたり、大きな音が鳴ったりするから。……霊が見えると噂のオルティス伯爵令嬢に、教えていただきたいと思ったの。霊に物を動かすことが可能なのか、と、……私の周りで起きている現象は霊が原因なのか、を」
話し終わった夫人の肩を、侯爵が労わるように抱いた。
「オルティス伯爵令嬢、……君なら何か、分かるだろうか」
侯爵は「打ち合わせ通りに答えろ」と言いたげだ。答えを迫られ、目をつぶる。
夫人と侯爵は二人とも間違えている。ララは部屋に入った時点でそのことに気付いた。
二人の不安を取り除くには、侯爵に言われた通りに動くのが最善。だがそうすると、もう一人を救えない。
それは、嫌だ。
「……夫人は、『ポルターガイスト』というものをご存じですか?」
「い、いえ」
「他国の文献に記されているのですが、霊が引き起こす特異現象のことです。特定の人物の周りでのみ、物が浮かんだり、灯りが点滅したりと、通常では説明がつかないことが起こります」
「私の周りで起こっていることと似てる……」
「はい。作り話や精神的な問題だと考える方もいらっしゃいますが、私は全てを否定する必要はないと思っています。経験を元にお話しさせていただきますと……霊には能力に個体差があり、会話ができない方もいれば、物や人に触れられる方もいます。なので夫人の質問に対する私の答えは、『霊が持つ能力によっては、物を動かすことも可能』となります」
「――っ、ではやはり、私の周りで起こる現象は」
「はい。霊の力によるものです」
夫人を真っ直ぐに見つめ、ララは断言した。
黙って聞いていたシアーズ侯爵の眉間に、深いしわが入る。
「君、一体何を……!」
予定と異なるララの答え。彼が怒るのは当然だ。しかしララは引かなかった。どうしても譲れなかったのだ。
「シアーズ侯爵、申し訳ございません。この度の依頼、私には完遂することができません。霊が見える私には、人の想いを無視できないのです」
社交界や騎士団に強い影響力を持つシアーズ侯爵を敵に回せば、自分に不利な噂が立つかもしれない。また多くの人に嫌われるかもしれない。
悪い予想はいくらでもできるのだが、困ったことに、全く動じない自分がいる。
「どうしましょう、テオ」
ララが何もない場所に向かって話しかけたものだから、侯爵と夫人は時が止まったかのように固まった。突然話しかけられたテオドールもギョッとしている。
今までのララなら、周りから気味悪がられるような行動はしなかった。侯爵の依頼通りに動いただろう。
自分の気持ちを押し殺してでも、嫌われることを避けたはずだ。しかし、今は――、
「あなたに愛されていると思ったら、他の方に何と思われようが、どうでも良くなってしまいました」
恐れるものがなくなってしまったのだ。テオドールに救われたから。もう、自分に正直に生きられる。
へへっ、と照れながら本音を話すと、テオドールは呆気にとられたように瞬く。けれどもすぐに声を出して笑い始めた。
「あははっ、そうか! なら、好きなようにやってやれ」
「はい!」
テオドールに背中を押され、緊張した様子の夫人を見る。
「夫人。私は侯爵から、あなたの前で霊の存在を否定するよう依頼されていました」
「え……」
「ですが、その依頼に対して私は、『お引き受けいたします』と返事ができませんでした。あなたが感じたものを、否定したくなかったからです」
ララは侯爵の依頼を聞き、黙ってついてきただけだ。やるとは言わなかった。テオドールに毒されている自覚はある。
「夫人がお考えの通り、ここには霊がいます。ただ、……赤子ではありません」
自分の目に映る真実を述べると、夫人が恐る恐る口を開いた。
「……どういう、意味なの?」
「会うことができなった小さな命は、夫人と侯爵の愛を受け、安らかに神の元に帰っています。しかし」
夫人には、別の霊が憑いている。
ララは夫人の隣に立つ、小さな霊の特徴を伝えた。少女は最初から、そこに立っていた。
「五歳くらいの女の子です。夫人とよく似たキャラメルブロンドの髪に、侯爵と同じアイスグレーの瞳。グレンチェックのスカートに、リボンがあしらわれた黒の革靴を履いていらっしゃ――」
「待て、そんなわけないだろう!」
侯爵が声を荒げる。テオドールも困惑した様子だ。
「ララ、その子ならまだ」
「はい。その通りです。お名前は公表されていないので存じ上げませんが、彼女は生きています。私もお会いするのは初めてです。――生霊には」
ララと少女以外の三人が息をのんだ。ララはドレスの中心に埋まるように腰を下ろし、少女と目の高さを合わせる。
メルホルンの町で子供との接し方をテオドールに教えてもらった。だから大丈夫だ。テオドールが子供たちに向けていた優しい眼差しを思い出し、自然と目尻が下がる。
この少女くらいの年齢ならば、呪いの噂についてはまだ聞かされていないだろう。
「表情をしっかり見てお話しするために、少しの間だけヴェールを外したいのですが、お許しいただけますか? 私の顔を見るのが苦痛でしたら、お二人は顔を背けていただいて構いませんので」
侯爵と夫人を見上げて聞くと、彼らは戸惑いながらも首を縦に振った。
「ありがとうございます」
ララは軽く頭を下げ、改めて少女と向き合う。そしてゆったりとした手つきで、ヴェールを外した。
「はじめまして、可愛らしいお嬢さん。お城から参りました、ララ・オルティスと申します。どうか私に、あなたのお名前を教えていただけませんか?」