35. 呪いだと?【テオドール視点】
テオドールがララと出会ったのは、三年と少し前のことである。
◇
初めて入った開発局の局長室で、テオドールは口を開いた。
「――しつこいようですが、男性の開発局員に担当していただくことはできないのですか?」
今ので五回目だ。テオドールは同じ質問を五回も繰り返している。それも真顔で。相当鬱陶しいはずだが、開発局の局長、ヘンリー・モルガンは困ったような笑みを浮かべるだけだった。
「こればっかりはねぇ。他に適任者がいないから」
「絶対無理ですか」
「無理だねぇ」
最悪だ。テオドールは表情を歪ませる。
「耐えるしか、……ないか」
開発局の力を借りるには、自分が折れるしかないだろう。つまり、女性の開発局員に捜査局の担当をしてもらうということだ。本当は嫌だが。もの凄く嫌だが。
(俺は文句を言える立場じゃないしな)
今年新設されたばかりの捜査局は、まだ力が足りない。実績が足りない。ついでに愚痴ると、経費が足りない。
局長であるテオドールが十九歳。見た目だけの若造集団だと言われ、騎士団や他の局と比べて冷遇されている。いつか後悔させてやるつもりだ。
そんな扱いの中、テオドールの相談相手になってくれたのがヘンリーだった。元から親しかったわけでもないのに、なぜか助けようとしてくれる。理由を聞いても、彼は「周りが敵だらけの子を知ってるからかなぁ」としか答えなかった。
「グラント卿が女性を避けたいのは分かってるんだけど……。苦労してるんだろう? 色々と」
「少し、まあまあ、だいぶ、……非常に」
「美青年っていうのも困りものだねぇ」
その言葉が他人を褒めるものだとしても、テオドールは喜べなかった。「老いれば等しく骨になるっていうのに」とぶつくさ言いながら眉間を揉む。
(顔も家柄も、俺の力ではない)
公爵家の長男であることに誇りはある。恵まれた体格や環境で生きてこられたことにも感謝している。
だが与えられた記号が多かったがゆえに、それ目当てに近寄ってくる人間を嫌というほど見てきた。テオドールにとって最も厄介なのが、結婚適齢期の女性である。
仕事で夜会に参加すれば、こちらの事情などお構いなしに付け回される。これはまだ良い方だ。
後日会う理由を作るために、衣服の一部を引きちぎられたこともある。女性でなければ殴っている。
痺れ薬や媚薬など、安全性が確かめられないものを盛られそうになったこともある。好意を持っているならば、せめて体に優しいものを盛ってくれ、と何度願ったか分からない。
(依頼があると言って捜査局に来た令嬢が求婚を始めた時は、さすがに牢にぶち込んでやろうかと思ったが……ヒューゴを犠牲にしたから、あいつの方が災難か)
これまでの経験を踏まえて一言で言ってしまえば、もうこりごりなのだ。極力女性と関わりたくない。だが任務遂行のためには、関わらねばならない。
「……捜査局の担当になる局員は、どのような方なのですか」
渋い表情で聞くと、ヘンリーが「心配しなくても大丈夫」と笑った。
「あの子は令嬢だけど婚約者がいるし、グラント卿に求婚するような子じゃないから」
「令嬢がこちらで働いていることが意外なのですが」
「まあ訳ありだから」
「どこの家ですか?」
「オルティス伯爵家」
「……働く必要、ないじゃないですか」
造船技術で右に出る者はいないと言われるオルティス伯爵家。伯爵と夫人が自ら設計に携わっている船は、他国からも注文が入るほど人気だ。
「令嬢が働かなくても、金銭面では余裕がある家でしょう」
「あの子はお金ではなく、自分が生きる理由を求めて働いてるんだよ。……噂、聞いたことないかい?」
「……あー……」
(呪われた令嬢、のことか)
ミトス王国の貴族でララ・オルティスの噂を知らない者はいない。死んだ人間が見えるらしく、七、八年前に一度騒ぎになった。彼女はほとんど社交の場に現れないそうだが、今でも噂は残っている。――呪われた令嬢。わがままな親不孝者。不吉な痣。目が合うと呪われる。
「どう思う?」
ヘンリーは噂について言っているようだ。
「噂の真偽は知りません。お会いしたこともありませんし。……ただ、オルティス伯爵令嬢の呪いで死んだという事件を取り扱った経験もありませんので、少なくとも犯罪者ではないと思っています」
痣に関しては、会ってみなくては分からない。令嬢に生まれつき痣があったのなら、それをとやかく言う周りの神経を疑う。
「わがままな親不孝者というのは、モルガン局長の態度から考えると嘘のようですね」
噂通りの人間ならば、彼が気にかけるはずがない。そもそも呪いとわがままが並んで噂になっている時点で嘘くさい。
「……そっか。……そう思うかぁ」
小さく息を吐いたヘンリーが、嬉しそうに微笑んだ。おそらく大切な部下なのだろう。令嬢を傷つけないためにも、程よい距離感を保つ必要がありそうだ。
テオドールは足元の箱から木剣を取ると、素振りをするように構えた。捜査局から回収してきたもので、使い古されていて状態が悪い。
「噂は気にしません。私に必要以上近付こうとせず、まともな物を作れる人なら」
捜査局の役に立つ人材なら、呪われていても霊が見えても、痣があっても構わない。
そう思っていると、局長室の扉がノックされた。ヘンリーが穏やかに返事をする。
「誰だい?」
「ララです。結界魔道具の試験が終了しましたので、結果をお伝えしに参りました」
噂をすれば本人が来たようだ。想像より柔らかい声に、一瞬戸惑う。
ちらりとこちらを見たヘンリーに、テオドールは平静を装って頷き返した。呪いでも痣でも、なんでも来い。
「ちょうど良かった。ララ、入って」
「失礼しま――ヒイッ⁉︎」
扉を開けた女性、――ララ・オルティスだと思われる人物が、こちらを見るなり悲鳴をあげた。顔を見て頬を赤らめられたことはあるが、青ざめられたのは初めてだ。
けれどもテオドールはララの失礼な態度を咎めることができなかった。自分も彼女の顔を凝視し、固まっていたからだ。
(呪いだと? 加護の間違いじゃないか)
美醜に興味がない自分でもはっきりと分かるほど、彼女は整った顔立ちをしていた。ゴーグルで隠しているのかもしれないが、見える範囲に痣はない。
小さな口が、助けを求めるようにぱくぱくと動く。
「お、お、おじ、叔父様……!」
(叔父様?)
どういうことだとヘンリーに視線を向けると、彼は得意げに胸を張った。
「可愛いだろう? 私の姪」
「……そういう情報は、早めに教えておいてもらえませんかね」
先ほど自分は、ヘンリーの姪を五回も拒否したことになる。
「先に言ったら君の本心が聞けないだろう?」
「脈に異常をきたす恐れがありますので、私で遊ぶのはやめてください」
『王国の頭脳』『王城の動く地雷』『変人の巣』といった、様々な呼び名のある開発局。それを束ねる局長にしては優しすぎる男だと思っていたが、どうやら勘違いだったようだ。
「ごめんごめん。お詫びと言ってはなんだけど、私の前ではもう少し肩の力を抜くと良い。『俺』って言っても怒らないよ」
「……今後はそのようにさせていただきます」
普段の口調まで把握されているとは。これではどちらが捜査官か分からない。適度に力が抜けたテオドールがララに視線を戻すと、彼女はまだ顔を強張らせていた。
ヘンリーがララに向かって手招きをする。
「ララ、こっちにおいで。彼は犯罪捜査局の局長。君の事情も知ってるし、悪い人じゃないよ」
「で、ですが、……剣が」
ララの頼りない声を聞いて、テオドールは自分がボロボロの木剣を構えていることを思い出した。
(まさか、局長に襲いかかる不審者だと思われてるのか?)
急いで木剣を下げ、危険人物でないことをララに告げる。
「オルティス伯爵令嬢、驚かせてしまい申し訳ございません。この剣は修理を依頼しようと思い持ってきたものです。あなた方に危害を加えるつもりはありません」
「そ、そうなのですか……」
それだけ言って、ララはおずおずと進み始めた。しかしテオドールが握る木剣から目を逸らさなかった。ヘンリーの隣に立った彼女は、背伸びをしてそっと耳打ちをする。
「よ、よろしいですか叔父様。一振りだけです。一振り目さえ耐えれば、あの木剣は壊れます。隙を見て逃げましょう」
この令嬢、人の話を全然信じていない。
逃亡の相談も下手くそだし、おまけに引っかかる発言をした。
「待て、今なんて言った?」
令嬢への態度としては死罪レベルだが、気にしている余裕はなかった。
テオドールが詰め寄ると、ララは顔を隠すように俯いた。綺麗なのだから隠さなくて良いのに。
「隙を見て……逃げ、ません」
「いや、別に逃げようとしたことを怒ってるわけじゃなくて。その前だ」
「木剣は壊れます」
「それ。それだ。なぜ分かる」
手に持った木剣を突き出して聞くと、彼女は上目遣いでこちらを見る。無自覚なのがたちが悪い。
「なぜと言われましても、壊れるように見えるから、としか」
「一振りで壊れるのか?」
「はい」
「彼女が言っていることは本当ですか?」
ヘンリーに確認すると、彼は軽く首を傾げた。
「ララが言ってるんだからそうなんだろうねぇ」
「あなたに分からないことでも、彼女には分かる、と?」
「私は何でもできる局長じゃなくて、人と組織のバランスをとるのが得意な局長だから」
ララの方が秀でている分野もある、ということなのだろう。年齢差的にもそう簡単に追いつけるものではないと思うのだが。
腑に落ちず考え込む。その間、ララはヘンリーに「あの方、本当に不審者ではないのですか?」と質問していた。聞こえてる。聞こえてるから。
「俺は不審者じゃなくてテオドール・グラント。これでも捜査官だ」
不機嫌そうなテオドールと不安そうなララを交互に見たヘンリーが「じゃあこうしよう」と木剣を指さした。
「グラント卿。武器用の試験室に案内するから実際にそれを振ってごらん。やってみた方が納得できるだろう?」
「まあ、そうですね」
「君はララの目を疑ってるみたいだから他の木剣でも試そう。ララ、この箱の中ですぐに壊れそうな物はあるかい?」
「えーっと……」
ララはテオドールが捜査局から持ってきた箱を眺めると、その中から十本の木剣を抜き出した。
「――で、こちらが二十五回、こちらが三十七回振ったら壊れます」
「言い切って大丈夫なのか?」
すらすらと答えたララにテオドールが聞くと、彼女はハッとしてこちらから距離をとった。
「間違えたら捕縛されますか?」
「しない」
とんでもなく心が狭い男だと思われているようだ。初っ端の印象が不審者であるため、捜査官という認識になっただけマシとも言える。
「とりあえず、試してくるか」
ララが出した答えを頭に叩き込んだテオドールは木剣を抱え、半信半疑で試験室に向かった――。




