28. 半透明な彼らの心の中には
カルマンからの手紙は予想外だったが、その後の生活は平和だった。
この日、朝早くからララたち捜査官が訪れていたのは、自然豊かな田舎町、メルホルン。
ララは日傘を肩にかけ、自分の足元に広がる雑草と格闘中だ。せっせと草を抜く住人たちに遅れを取らぬよう、しゃがみ込んだまま手を動かす。
ララの右側を流れる大きな川は、ガルム川というらしい。川の周辺を整備するため、不要な草木を刈り取っているのだ。
捜査局の目的は手伝いをしつつ住民たちと交流することだが、ララは純粋に草抜きを楽しんでいた。草がブチっと切れずに根っこから抜けると、なんだか気持ちが良い。
(ちょっと上達してきたかも……!)
満足げに草を眺めていると、対岸に行っていたテオドールが戻ってきた。半透明な彼にかかれば、幅百メートルの川もひとっ飛びである。
「おかえりなさい。あちらはどんな感じですか?」
「木の伐採が終わったところだ」
「もうですか。早いですね」
「アルがいるからな」
「なるほど。確かにアルバート様なら……」
アルバートの武器は斧だ。力も強いし、これほど伐採に適した捜査官はいないだろう。
「あいつは力で押し通す方が向いてるからな。噂をすれば……次はこっち側の木を伐採するみたいだ」
テオドールの視線の先には、川に架けられた低い木橋。アルバートとフロイドが並んで渡っているのが見える。
フロイドは出発する前、「隊長、俺がいないところで武器振り回すのは禁止っすからね。はい、復唱」とアルバートに真顔で詰め寄っていた。破壊活動を食い止めたいらしい。
ララが「トランクを持っていきますので、壊れても直しますよ」と言えば、「甘やかしちゃダメです。ララさんが作った物は普通壊れないんすから。隊長が無茶苦茶な使い方するのが悪いんです。教育しないと」と、甘やかすな命令を下された。けれども心配だったため、一応トランクを持ってきている。
「もう少ししたら、あの橋も作り直すのですよね?」
「ああ。使い始めてもう何十年も経ってるらしいからな。川岸の整備が済んだら始めるんじゃないか? 俺は新しい橋を見れそうにないが」
「私があなたの代わりに、完成までしっかり見ておきます」
ララが笑いかけると、テオドールはいじめっ子のような顔をした。
「発言は頼もしいが、顔に土を付けてたら格好良さが半減だな」
「え、うそ」
彼の手がこちらに伸びてくる。揶揄い口調ではあるが、触れる手はとても優しい。だからララは、大人しくテオドールの指に頬を拭われていた。
――新しい橋が完成する頃には、テオドールは神の元にいるのだろうか。自分の隣には、誰かいるのだろうか。
腕と肩で器用に日傘を支え、立ち上がる。
「両手がふさがったままだと不便なので、抜いた草を捨ててきますね。えーっと、どこに……」
「お嬢さん、みんなあっちに捨ててるよ」
突然誰かの指が視界に入ってきた。その指がさす方向を見ると、草が積みあがっている場所があった。
「わ、本当ですね。ご親切に、どうもありがとうござい――」
声をかけてくれた女性にお礼を言おうとして、ララは草を落っことしそうになった。
相手も驚いたように「おやまぁ」と声を漏らした。白いブラウスにリネンのエプロンをつけた、高齢の女性だった。……半透明の。
「驚いた。一人で話してるからもしかしたらと思ったんだけど、お嬢さんには私が見えるのかい?」
「は、はい。昔から霊が見える体質でして」
「へぇ、そんな人がいるんだねぇ。長いこと生きたけど初めて知ったよ。私はサーシャっていうんだ。お嬢さんのお名前は?」
「申し遅れました。ララと申します」
「どう見てもご令嬢だけど、私はもう死んだ身だから、ララちゃんって呼ばせてもらっても良いかい?」
「もちろんです」
草を捨てた後、ララはサーシャの話を聞いた。彼女はこの町のレストランで働いていたらしい。テオドールよりも少し前に、寿命で亡くなったとのことだった。
二人いる孫のそばで最後の時間を過ごすと決め、この地に残っているらしい。
「――いやぁ。生きてる女の子に聞いてもらえるのが嬉しくて、つい私の話ばかりしちゃったわ。ごめんなさいねぇ」
「いえいえ。サーシャ様は、お孫さんたちが大好きなんですね」
「そうなの。二人ともとっても可愛いのよ。……私が死んじゃってすぐは、毎日泣くあの子たちが心配だったんだけど。今はだいぶ元気になってくれたわ」
「……こんなことをお聞きするのは、失礼だと思うのですが。……忘れられたような気持ちにはなりませんか? サーシャ様は、寂しくありませんか?」
自分がこの世から旅立ったことを、次第に人々が受け入れていく。それは死者にとって、悲しいことではないのだろうか。
「人それぞれだと思うけど、私は寂しくないねぇ。あの子たちが元気に生きててくれるなら」
「そういうもの、なのですか」
「うーん……。例えば、の話をするとね……うちの孫は、私が作ったオムレツが大好物だったんだけど」
「はい」
「これから先あの子たちが私のことを忘れたとしても、オムレツを食べた時に、『昔はこれが好きだったなぁ』って感じるかもしれないでしょう?」
未来を想像したのか、サーシャは今までで一番柔らかい笑顔をみせた。
「それって、私とあの子たちの時間が重なってた証拠だと思うの」
ハッとして、ララは指先に力を込める。
ずっと疑問だった。テオドールはなぜ、亡くなったことを嘆かないのか。自分以外の人の未来を想像するのか。
その答えを、見つけた気がする。
テオドールとサーシャ。
半透明な彼らの心の中には――、
「愛するあの子たちの存在が私が生きた証だなんて、なんだか素敵だと思わないかい?」
溢れんばかりの、愛があるのだ。
「…………とても、素敵だと思います」
声を絞り出したララは、サーシャではなく、テオドールを見上げた。
彼には自分の声しか聞こえていないはずだが、嫌になるほど、穏やかな眼差しを返してくれる。こういう時は意地悪な顔をしないところが、ずるい。
心臓をぎゅっと握られたような気がして、息が苦しくなった。
「愛されているのは、……愛してきたから、なのですね」
サーシャに言ったのか、テオドールに言ったのか。ララ自身にも分からなかった。
こんな人になりたい。ただそう思った。
「サーシャ様のおかげで、新しい考え方を学べました。ありがとうございます」
「大げさだねぇ。ババアの戯言だよ」
「そんなことありません。進む道が広がったような、爽やかな気分になりました!」
「あははっ、そうかい。ララちゃんが前向きになれたなら、隣にいる人も嬉しいだろうねぇ」
「え?」
「私には見えないけど、誰か隣にいるんだろう? 家族かい?」
「あー……私の隣に、いらっしゃるのは、ですね……」
話しても大丈夫だろうか。
ララはサーシャを待たせ、テオドールに相談してみた。彼はすぐに頷いた。相手が霊の場合は話しても構わないらしい。
ララは心置きなく、だが結構端折りながら、サーシャにテオドールの存在を説明した――。
「あらま。じゃあ私にグラント卿の姿が見えないのは、グラント卿が特別な霊ってだけで、老眼のせいじゃないんだねぇ」
テオドールが他の霊と違うことを知ると、サーシャは大きく口を開けて笑った。品はあるが、豪快である。
「グラント卿は私がお会いしてきた霊の中でも、飛び抜けて変わっていらっしゃいまして」
(最後の望みが仕事だし、他の霊には見えないし、私には触れられるし)
「やっぱり高貴なお方っていうのは、霊になっても特別なのかねぇ。それとも亡くなるのがあまりにも早かったから、神が力をくださった、とか?」
サーシャが顎に手を当てて唸る。
「グラント卿は健康で仕事一筋な若者って感じだったけど、亡くなったってことは持病でもあったのかい? あ、事故っていう可能性もあるねぇ」
他殺が最有力候補だそうです、なんて言えない。ララは噴き出た汗を七月の暑さのせいにして、持ってきたタオルで額を拭う。
目を泳がせながら「えー」とか「あー」とだけ言っていると、少し離れた場所で住民たちから歓声が上がった。木の辺りに人だかりができているようだ。
ララはテオドールとサーシャに挟まれた状態で人だかりに近付く。すると歓声の正体がこちらに手を振った。アルバートである。
「ララちゃーん! 見ててね~」
太い木の前に立ち、背中のホルダーから斧を引き抜いたアルバート。最近改良したそれは、柄に対して刃がかなり大きい。
彼が「そーれっ!」という可愛らしい掛け声とともに斧を横向きに振れば、たった一度で木の半分まで刃が通った。自分が木だったら大泣きである。
「お、お強い」
アルバートは水を得た魚のように、次々と木を切り倒していく。ララが拍手を送っていると、そこに子供たちがわらわらと近付いてきた。
右に立つサーシャの反応から、彼女の孫もいると分かった。
「ほら見て、そばかすが魅力的な子が二人いるでしょう? あの子たちが私の孫。女の子がニーナで、男の子がコリンっていうの」
「ニーナ様と、コリン様……ですか」
「そう。十歳と八歳だから他の子と比べると少し歳上ね。最近は下の子たちの面倒を見るのが楽しいみたい」
満面の笑みで孫について語るサーシャ。対照的に、ララは徐々に青ざめていた。気付かなくて良いことに気付いてしまったからだ。
「グ、グラント卿、どうしましょう」
「何がだ」
「今気付いたのですが、私、霊以外の子供とお話したことがありません!」
「君にしか言えない台詞だな」
「感心してる場合ではないんです。どうやって接すれば良いのですか。注意点はありますか」
「どうやってって、別に難しいことはないだろ。頭撫でたり、肩車……は、君にはさせられないが」
テオドールは当たり前のように言うが、どう考えてもララには難しい。そして、気になることが一点。
「……ひょっとしてグラント卿、子供がお好きなのですか?」
「ん? いや、普通じゃないか?」
「ほら、来たぞ」と、テオドールに背中をポンと押される。一歩踏み出したララに、子供たちはキラキラとした瞳を向けてきた。
「お姉ちゃんも、捜査官ですか?」
「ひゃ、ひゃい」
緊張で顔が強張り、上手く喋れなかった。子供たちは気にしていないようだが、視界の端で笑いを噛み殺しているテオドールが憎い。
「は、はじめまして。新人捜査官の、ララと申します」
ララが頭を下げると、子供たちは興味津々という顔で口々に話し始めた。
「お姫様かと思ったぁ」「なんでお兄ちゃんたちと服が違うの? ケンカしてるの?」「お姉ちゃんの味方になってあげるねぇ」「そうさって、楽しい?」「今日はずっとここにいるの? 一緒に遊ぼうよぉ」
平均年齢は五、六歳、といったところだろうか。
質問の度にこてん、と首を傾げる子供。見るからにふわふわな頬をさらに緩める子供。白衣の袖を甘えるようにくいっと引っ張る子供。
――か、可愛い。
見逃せないほどの愛らしさである。『可愛すぎる罪』があった場合、即座に連行せねばならない。カフスボタンで記録に残したい。
そんなことを考えるほどに脳内はドロドロなのだが、やはり、接し方は分からない。仲良くなりたいのに。
「くうぅっ」と呻くララ。その姿を哀れに思ったのか、近くにテオドールがしゃがみ込んだ。
「ララ、目線を合わせろ」
そう言って、上目遣いでこちらを見る。真似をしろと言いたいらしい。
ララが小さく頷きしゃがみ込むと、子供たちはさらにララとの距離を詰めてきた。
(わぁ。こっちの方が……)
「子供と同じ目線で話すと、表情がよく見えるだろ?」
ララが抱いた感想を、そのままテオドールが口にした。彼は子供たちの顔を見て、微かに目尻を下げている。
無自覚なのかもしれないが……。
(やっぱり子供、好きなんじゃないですか)
テオドールの新たな一面を知ったララは、こっそり嬉しくなったのだった。




