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エンディング目前の半透明な令息と、60日の寄り道を  作者: 杏野 いま
第三章 半透明で過保護な彼との、上手な仕事の進め方
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28. 半透明な彼らの心の中には

 カルマンからの手紙は予想外だったが、その後の生活は平和だった。

 

 この日、朝早くからララたち捜査官が訪れていたのは、自然豊かな田舎町、メルホルン。

 ララは日傘を肩にかけ、自分の足元に広がる雑草と格闘中だ。せっせと草を抜く住人たちに遅れを取らぬよう、しゃがみ込んだまま手を動かす。

 ララの右側を流れる大きな川は、ガルム川というらしい。川の周辺を整備するため、不要な草木を刈り取っているのだ。


 捜査局の目的は手伝いをしつつ住民たちと交流することだが、ララは純粋に草抜きを楽しんでいた。草がブチっと切れずに根っこから抜けると、なんだか気持ちが良い。


(ちょっと上達してきたかも……!)


 満足げに草を眺めていると、対岸に行っていたテオドールが戻ってきた。半透明な彼にかかれば、幅百メートルの川もひとっ飛びである。

 

「おかえりなさい。あちらはどんな感じですか?」

「木の伐採が終わったところだ」

「もうですか。早いですね」

「アルがいるからな」

「なるほど。確かにアルバート様なら……」


 アルバートの武器は斧だ。力も強いし、これほど伐採に適した捜査官はいないだろう。

 

「あいつは力で押し通す方が向いてるからな。噂をすれば……次はこっち側の木を伐採するみたいだ」


 テオドールの視線の先には、川に架けられた低い木橋。アルバートとフロイドが並んで渡っているのが見える。

 フロイドは出発する前、「隊長、俺がいないところで武器振り回すのは禁止っすからね。はい、復唱」とアルバートに真顔で詰め寄っていた。破壊活動を食い止めたいらしい。

 ララが「トランクを持っていきますので、壊れても直しますよ」と言えば、「甘やかしちゃダメです。ララさんが作った物は普通壊れないんすから。隊長が無茶苦茶な使い方するのが悪いんです。教育しないと」と、甘やかすな命令を下された。けれども心配だったため、一応トランクを持ってきている。

 

「もう少ししたら、あの橋も作り直すのですよね?」

「ああ。使い始めてもう何十年も経ってるらしいからな。川岸の整備が済んだら始めるんじゃないか? 俺は新しい橋を見れそうにないが」

「私があなたの代わりに、完成までしっかり見ておきます」


 ララが笑いかけると、テオドールはいじめっ子のような顔をした。


「発言は頼もしいが、顔に土を付けてたら格好良さが半減だな」

「え、うそ」


 彼の手がこちらに伸びてくる。揶揄い口調ではあるが、触れる手はとても優しい。だからララは、大人しくテオドールの指に頬を拭われていた。

 ――新しい橋が完成する頃には、テオドールは神の元にいるのだろうか。自分の隣には、誰かいるのだろうか。


 腕と肩で器用に日傘を支え、立ち上がる。


「両手がふさがったままだと不便なので、抜いた草を捨ててきますね。えーっと、どこに……」

「お嬢さん、みんなあっちに捨ててるよ」


 突然誰かの指が視界に入ってきた。その指がさす方向を見ると、草が積みあがっている場所があった。

 

「わ、本当ですね。ご親切に、どうもありがとうござい――」


 声をかけてくれた女性にお礼を言おうとして、ララは草を落っことしそうになった。

 相手も驚いたように「おやまぁ」と声を漏らした。白いブラウスにリネンのエプロンをつけた、高齢の女性だった。……半透明の。


「驚いた。一人で話してるからもしかしたらと思ったんだけど、お嬢さんには私が見えるのかい?」

「は、はい。昔から霊が見える体質でして」

「へぇ、そんな人がいるんだねぇ。長いこと生きたけど初めて知ったよ。私はサーシャっていうんだ。お嬢さんのお名前は?」

「申し遅れました。ララと申します」

「どう見てもご令嬢だけど、私はもう死んだ身だから、ララちゃんって呼ばせてもらっても良いかい?」

「もちろんです」


 草を捨てた後、ララはサーシャの話を聞いた。彼女はこの町のレストランで働いていたらしい。テオドールよりも少し前に、寿命で亡くなったとのことだった。

 二人いる孫のそばで最後の時間を過ごすと決め、この地に残っているらしい。


「――いやぁ。生きてる女の子に聞いてもらえるのが嬉しくて、つい私の話ばかりしちゃったわ。ごめんなさいねぇ」

「いえいえ。サーシャ様は、お孫さんたちが大好きなんですね」

「そうなの。二人ともとっても可愛いのよ。……私が死んじゃってすぐは、毎日泣くあの子たちが心配だったんだけど。今はだいぶ元気になってくれたわ」

「……こんなことをお聞きするのは、失礼だと思うのですが。……忘れられたような気持ちにはなりませんか? サーシャ様は、寂しくありませんか?」


 自分がこの世から旅立ったことを、次第に人々が受け入れていく。それは死者にとって、悲しいことではないのだろうか。


「人それぞれだと思うけど、私は寂しくないねぇ。あの子たちが元気に生きててくれるなら」

「そういうもの、なのですか」

「うーん……。例えば、の話をするとね……うちの孫は、私が作ったオムレツが大好物だったんだけど」

「はい」

「これから先あの子たちが私のことを忘れたとしても、オムレツを食べた時に、『昔はこれが好きだったなぁ』って感じるかもしれないでしょう?」


 未来を想像したのか、サーシャは今までで一番柔らかい笑顔をみせた。


「それって、私とあの子たちの時間が重なってた証拠だと思うの」


 ハッとして、ララは指先に力を込める。

 

 ずっと疑問だった。テオドールはなぜ、亡くなったことを(なげ)かないのか。自分以外の人の未来を想像するのか。

 その答えを、見つけた気がする。


 テオドールとサーシャ。

 半透明な彼らの心の中には――、


「愛するあの子たちの存在が私が生きた証だなんて、なんだか素敵だと思わないかい?」


 溢れんばかりの、愛があるのだ。


「…………とても、素敵だと思います」


 声を絞り出したララは、サーシャではなく、テオドールを見上げた。

 彼には自分の声しか聞こえていないはずだが、嫌になるほど、穏やかな眼差しを返してくれる。こういう時は意地悪な顔をしないところが、ずるい。

 心臓をぎゅっと握られたような気がして、息が苦しくなった。


「愛されているのは、……愛してきたから、なのですね」


 サーシャに言ったのか、テオドールに言ったのか。ララ自身にも分からなかった。

 こんな人になりたい。ただそう思った。


「サーシャ様のおかげで、新しい考え方を学べました。ありがとうございます」

「大げさだねぇ。ババアの戯言(ざれごと)だよ」

「そんなことありません。進む道が広がったような、爽やかな気分になりました!」

「あははっ、そうかい。ララちゃんが前向きになれたなら、隣にいる人も嬉しいだろうねぇ」

「え?」

「私には見えないけど、誰か隣にいるんだろう? 家族かい?」

「あー……私の隣に、いらっしゃるのは、ですね……」


 話しても大丈夫だろうか。

 ララはサーシャを待たせ、テオドールに相談してみた。彼はすぐに頷いた。相手が霊の場合は話しても構わないらしい。

 ララは心置きなく、だが結構端折りながら、サーシャにテオドールの存在を説明した――。







「あらま。じゃあ私にグラント卿の姿が見えないのは、グラント卿が特別な霊ってだけで、老眼のせいじゃないんだねぇ」


 テオドールが他の霊と違うことを知ると、サーシャは大きく口を開けて笑った。品はあるが、豪快である。


「グラント卿は私がお会いしてきた霊の中でも、飛び抜けて変わっていらっしゃいまして」


(最後の望みが仕事だし、他の霊には見えないし、私には触れられるし)

 

「やっぱり高貴なお方っていうのは、霊になっても特別なのかねぇ。それとも亡くなるのがあまりにも早かったから、神が力をくださった、とか?」


 サーシャが顎に手を当てて唸る。


「グラント卿は健康で仕事一筋な若者って感じだったけど、亡くなったってことは持病でもあったのかい? あ、事故っていう可能性もあるねぇ」


 他殺が最有力候補だそうです、なんて言えない。ララは噴き出た汗を七月の暑さのせいにして、持ってきたタオルで額を拭う。

 目を泳がせながら「えー」とか「あー」とだけ言っていると、少し離れた場所で住民たちから歓声が上がった。木の辺りに人だかりができているようだ。


 ララはテオドールとサーシャに挟まれた状態で人だかりに近付く。すると歓声の正体がこちらに手を振った。アルバートである。

 

「ララちゃーん! 見ててね~」


 太い木の前に立ち、背中のホルダーから斧を引き抜いたアルバート。最近改良したそれは、柄に対して刃がかなり大きい。

 彼が「そーれっ!」という可愛らしい掛け声とともに斧を横向きに振れば、たった一度で木の半分まで刃が通った。自分が木だったら大泣きである。


「お、お強い」


 アルバートは水を得た魚のように、次々と木を切り倒していく。ララが拍手を送っていると、そこに子供たちがわらわらと近付いてきた。

 右に立つサーシャの反応から、彼女の孫もいると分かった。


「ほら見て、そばかすが魅力的な子が二人いるでしょう? あの子たちが私の孫。女の子がニーナで、男の子がコリンっていうの」

「ニーナ様と、コリン様……ですか」

「そう。十歳と八歳だから他の子と比べると少し歳上ね。最近は下の子たちの面倒を見るのが楽しいみたい」


 満面の笑みで孫について語るサーシャ。対照的に、ララは徐々に青ざめていた。気付かなくて良いことに気付いてしまったからだ。


「グ、グラント卿、どうしましょう」

「何がだ」

「今気付いたのですが、私、霊以外の子供とお話したことがありません!」

「君にしか言えない台詞だな」

「感心してる場合ではないんです。どうやって接すれば良いのですか。注意点はありますか」

「どうやってって、別に難しいことはないだろ。頭撫でたり、肩車……は、君にはさせられないが」


 テオドールは当たり前のように言うが、どう考えてもララには難しい。そして、気になることが一点。


「……ひょっとしてグラント卿、子供がお好きなのですか?」

「ん? いや、普通じゃないか?」


「ほら、来たぞ」と、テオドールに背中をポンと押される。一歩踏み出したララに、子供たちはキラキラとした瞳を向けてきた。


「お姉ちゃんも、捜査官ですか?」

「ひゃ、ひゃい」


 緊張で顔が強張(こわば)り、上手く喋れなかった。子供たちは気にしていないようだが、視界の端で笑いを噛み殺しているテオドールが憎い。


「は、はじめまして。新人捜査官の、ララと申します」


 ララが頭を下げると、子供たちは興味津々という顔で口々に話し始めた。


「お姫様かと思ったぁ」「なんでお兄ちゃんたちと服が違うの? ケンカしてるの?」「お姉ちゃんの味方になってあげるねぇ」「そうさって、楽しい?」「今日はずっとここにいるの? 一緒に遊ぼうよぉ」


 平均年齢は五、六歳、といったところだろうか。

 質問の度にこてん、と首を傾げる子供。見るからにふわふわな頬をさらに緩める子供。白衣の袖を甘えるようにくいっと引っ張る子供。


 ――か、可愛い。


 見逃せないほどの愛らしさである。『可愛すぎる罪』があった場合、即座に連行せねばならない。カフスボタンで記録に残したい。

 そんなことを考えるほどに脳内はドロドロなのだが、やはり、接し方は分からない。仲良くなりたいのに。


「くうぅっ」と呻くララ。その姿を哀れに思ったのか、近くにテオドールがしゃがみ込んだ。


「ララ、目線を合わせろ」


 そう言って、上目遣いでこちらを見る。真似をしろと言いたいらしい。

 ララが小さく頷きしゃがみ込むと、子供たちはさらにララとの距離を詰めてきた。


(わぁ。こっちの方が……)


「子供と同じ目線で話すと、表情がよく見えるだろ?」


 ララが抱いた感想を、そのままテオドールが口にした。彼は子供たちの顔を見て、(かす)かに目尻を下げている。

 無自覚なのかもしれないが……。

 

(やっぱり子供、好きなんじゃないですか)


 テオドールの新たな一面を知ったララは、こっそり嬉しくなったのだった。

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