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エンディング目前の半透明な令息と、60日の寄り道を  作者: 杏野 いま
第三章 半透明で過保護な彼との、上手な仕事の進め方
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26. 元婚約者からの手紙

 ジャスパーの背中が見えなくなったため、ララはテオドールの執務室に戻った。扉を開けようとドアノブを握ると、廊下を歩いてきたヒューゴに呼び止められた。

 彼の表情が普段よりも固く感じ、首を傾げる。


「ヒューゴ様、どうされたのですか?」

「少しお話ししたいことがありまして。今、テオは……」

「申し訳ございません。グラント卿は外に出ておられまして」


 ヒューゴには悪いが、出直してもらう必要がある。


「伝言がありましたら(うけたまわ)りますが」

「いえ。お話ししたいのはテオではなく、ララさんなんです」

「私?」


 ではなぜ、テオドールの居場所を確認したのだろう。

 疑問に思ったが、とりあえずヒューゴと共に執務室に入った。


「お話というのは?」


 ララが話を切り出すと、ヒューゴは制服の内ポケットに手を差し入れた。


「ララさんには以前ご説明しましたが、捜査局(うち)に届いた荷物や手紙は、一度私が目を通すことになっています」

「不審なものが混ざっていないか、確認するためですよね?」

「ええ、そうです」


 テオドールへの贈り物は量が多すぎたためララも確認を手伝ったが、基本的にはヒューゴの仕事だと聞いた。


「必然的に、私は捜査官宛に届く手紙の内容を知ることになります」

「それはみなさんも、理解されていると思いますが」

「……ララさんもですか?」

「はい。ですが私宛に手紙は……え? もしかして届いたのですか?」


 返事の代わりに、ヒューゴは内ポケットから一通の手紙を取り出した。

 誰からだろう、と考えるより先に、ララの背筋が凍った。何度も見てきた、()からの手紙。喉の浅いところが、ヒュッと鳴る。


「――カルマン卿からです」


 感情を殺したようなヒューゴの声が、静かな室内に響いた。

 ララは手紙を受け取ろうと腕を伸ばす。白い指先が、空中で頼りなく震えた。


 カルマンを恐れているのではない。

 ララの呼吸が浅くなったのは、手紙の封蝋が砕けていたからだ。それは間違いなく、ヒューゴが中を見たのだと告げている。


(見られて、しまった)


 紙が擦れる音と、自分の心臓の音だけが聞こえる。ララは無言で手紙を開き、目を通した。心にいくつもの鍵をかけて。

 カルマンは知らなかった。捜査局に手紙を出せば、ララ以外の人間の目に触れることを。だから彼は、いつも通りに手紙を書いたのだ。

 悪意に満ちた、いつもの手紙を。


『何の役にも立たない、呪われた女。存在するだけで家族を不幸にする。痛い思いをしたくないのなら、命令に従え。君の言葉など誰も信じない。――君は誰からも、愛されない』


 文章のあちらこちらに、ララを(さげす)む言葉が書かれていた。婚約者だった頃から、彼は何も変わっていない。


(なぜかカルマン家のお屋敷に来るように書かれているけど……)


 呼び出されるようなことをした覚えはない。けれども彼が純粋に会いたがっている、なんてことは絶対にあり得ない。あれほど縁を切りたがっていたのだから。

 だとすると、巡回中にイーサンから聞いた件だろうか。確かカルマンは体調が悪かったはずだ。


(でも私には、医学の心得はないし……)


 プライドの高い彼が、自分に助けを求めるとは考えにくい。

 結局カルマンが会いたがる理由にはたどり着けず、手紙に視線を落としたまま立ち尽くす。


「ララさん」


 ヒューゴの呼びかけに顔を上げると、彼は中性的な顔を切なげに歪ませていた。


「あなたは一体、……どれほど傷つけられてきたのですか」


 ――ああ。全部、分かってしまったのだろう。

 隠し続けてきた十年が、弱くて惨めな自分が、バレてしまった。


「もう、終わったことです」


 上手く笑えただろうか。ヒューゴの深緑色の瞳に映る自分は、情けない顔をしていないだろうか。

 テオドールの笑顔のように、人を安心させる力が欲しい。


「この件について、テオは知りませんよね」


 確信したように言うヒューゴに、ララは頷く。


「グラント卿に、余計な心配はかけたくありませんので」


 自分より他人を優先するテオドールのことだ。過去の出来事であったとしても、知れば気にするだろう。

 そんな想いを抱えて、残りの時間を過ごしてほしくない。誰かのためではなく、彼自身のために時間を使ってもらいたい。


「……それにグラント卿、カルマン卿の話をすると、なぜか不機嫌になってしまうんです」

「まあ、大嫌いでしょうからね」


 ララが声を潜めて密告すると、さも当然のことのようにヒューゴが言い放った。

「そうなのですか?」とララは困惑する。

 外面は紳士のカルマンが暴力的な面をテオドールに見せるとは考えにくいし、王立学園(アカデミー)に通っていた時期も、おそらく被っていないはず。面識があるのかどうかも怪しい。

 テオドールがどの段階で嫌いになったのかが謎である。


(カルマン卿の暴力性を本能で感じ取っていらっしゃる、とか?)


 局長補佐のヒューゴが言うのだから、嫌いだというのは正しい情報なのだろう。


「グラント卿がカルマン卿のことを、その……嫌い、だと思っていらっしゃるのなら、なおさら話せません。どうかご内密に」

「……なんとなく、ララさんならそうおっしゃると思っていました」

「だから最初にグラント卿の居場所を確認されたのですね」

「ええ。私は任務で荷物の確認をしているだけですので、情報を漏らすようなことはしません。手紙の内容について口を出したのだって、今日が初めてです」


 ヒューゴがそういう人間だから、皆安心して確認を任せているのだろう。


「気にかけてくださってありがとうございます」

「本当に報告しなくて良いのですね?」

「はい、私なら大丈夫です。慣れてますので」

「……カルマン卿の元へ、行くおつもりですか?」


 ララは数秒考え、首を横に振った。なぜカルマンが自分を呼んでいるのかは気になるが――、


「私はもうカルマン卿の婚約者ではありませんし、今はグラント卿以外のことを考える余裕はありませんので」


 これまでカルマンの命令通りに生きてきたのは、婚約破棄を恐れていたからだ。裏切られて無関係になった以上、ララが命令に従う理由はない。


「それを聞いて安心しました。手紙は私が処分しておきます。ララさんが持っていると、テオが見つける可能性がありますので」

「よろしくお願いします」

「今後も同じような手紙が届いた場合は、勝手に処分してもよろしいですか?」

「はい。もう来ないと思いますが」


 この手紙は何かの気の迷いだろう。返事を出さなければ、二度と来ないはずだ。

 手紙をヒューゴに渡したララは「そういえば」と、数分前を振り返る。


「どうしてヒューゴ様は、私がグラント卿に報告していないと分かったのですか?」


 問いかけると、ヒューゴは三度瞬きし、にこっと笑った。


「テオがこの件を知っていたら、カルマン卿が五体満足で生きているはずがありませんから」


 彼は美しい笑みのまま、手紙を破るフリをしてみせる。こんな場面で冗談を言うとは、なんともテオドールの補佐らしい。


「ふふふ、ヒューゴ様ったら、ご冗談を」

「ふふふ、冗談ではないんですけどね」

「またまたぁ」


 ふふふ。ふふふ。と、一見穏やかな二人の時間が、この後もしばらく続いていた。

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