23. 初めての巡回(2)
戻ってきたフロイドの案内でララたちが向かった場所は、倉庫街と呼ばれる一角だった。通路を挟んだ両脇に、同じような赤レンガの建物が延々と続いている。
シャツの袖を肩まで捲り上げたガタイの良い男性たちが、荷物を担いで通路を行き交う。
「周りの建物は、全て倉庫なのですか?」
「ああ。輸出入倉庫だ」
ララが疑問を漏らすと、テオドールが教えてくれた。
「船に積んで帰ってきた資源なんかを、ここで一定期間保管する」
「グラント卿はなんでもご存じなのですね」
「買い被りすぎだ。死んだから予定が狂ったが、そろそろこの辺りにも顔を出そうと思ってたんだ。だから軽く情報を入れてた」
「あ、そういうことでしたか」
植物園についてもだが、テオドールは色々な情報を集めているらしい。そうでなければ仕事にならないのだろう。
納得していると倉庫から一人の男性が出てきた。ジャケットを羽織っており、他の従業員と比べて身なりが整っている。
小走りで向かってくる彼に会釈をしようとして、ララはあんぐりと口を開けた。
(これはまた、随分と……)
突風にあおられたみたいに、倉庫の中から霊が飛び出してきたのだ。一人や二人ではない。こんなにたくさんの霊を一度に見たのは久しぶりだ。他国の者が多いようだが、年齢や性別に規則性はない。
「何か、事件でもあったのですか?」
イーサンと名乗った男性が呼吸を整えながら聞いてきた。太めの下がり眉と背中に乗った霊が印象的である。彼は男爵家の四男で、倉庫の管理を一部任せられているらしい。
やや不安そうなイーサンに、マックスがいつも通りの人懐っこい笑顔を向けた。
「驚かせてすみません。近くを巡回してたので寄らせてもらっただけなんです」
事件ではないと分かり安心したのか、イーサンの表情がやわらいだ。マックスは相手の緊張を解すのが上手い。
「この辺りは海が綺麗で眺めが最高ですね。町にも活気がありますし」
「そうでしょう? 夜は人通りが少なくなって静かになるので、その違いもまた良いんですよ。他にも――」
朗らかに続く会話にララは耳を傾ける。けれども集中はできなかった。視界に入る霊が気になって仕方がない。
フロイドが会話に加わった隙に、後ろを向いて小声でテオドールに話しかけた。
「グラント卿、怖くないですか?」
「何がだ?」
「霊ですよ、霊」
見慣れている自分ですら動揺する人数だ。城内でたまに霊とすれ違うくらいのテオドールには、刺激が強いかもしれない。そう思って聞いたのだが、彼からは予想外の答えが返ってきた。
「霊? どこにいるんだ?」
テオドールが顔を前に突き出し、宙に向かって目を凝らす。
どこにも何も、霊ならそこらじゅう飛び回っているではないか。ついでに言うと、先ほどからテオドールの体を何度もすり抜けている。それなのに彼は避けもしない。……つまり。つまりだ。
「もしかしてあなた、霊なのに霊が見えないのですか⁉︎」
「……ここに霊がいるなら、そうなんだろうな」
そんなことある? と、ララは絶句する。
確かにテオドールは、今まで霊とすれ違っても反応を示してこなかった。興味がないのだろうと思い、ララも深く突っ込まなかったのだ。
まさか存在に気付いていなかったとは。
飛び回る霊たちもまた、テオドールを認識していないように見える。お互いに見えていないのだ。
(それなのにグラント卿は、私相手だと接触することも可能、……と)
「あなたは霊としての能力値の振り分けを、間違えたようですね……」
「悲しそうな顔で言うんじゃない」
テオドールが不貞腐れている。その様子が珍しくて、少し可愛いかも、なんて思ってしまう。言ったらさらに拗ねられるだろうから、黙っておこう。
「そもそも、君には霊体の俺がどんな風に見えてるんだ?」
そう問われ、改めてテオドールを観察してみた。下を見れば磨き上げられた革靴。上を見れば耳元で光るイヤーカフ。
「基本的に半透明ですが、着ていらっしゃる制服の刺繍とか、左頬にある小さなホクロも見えてます」
「細かいところまで見えるんだな」
「ええ。なので生きている人間も霊も、私にとっては同じようなものです」
だからこそ、こうも大量に空を飛ばれると困るのだ。
霊たちと会話を始めてしまうと仕事にならないため、できるだけ目を合わせないようにする。
そうこうしているうちにも、イーサンとマックスたちの話は進んでいたようで――。
「中も案内しましょうか? 私が管理している倉庫の一部だけになりますが」
「ぜひ!」
「やりぃ」
いつの間にか、倉庫に入れることになっていた。
「今日は商談のために他国のお客様も来られていますので、珍しい物が揃っているかもしれません」
他国の珍しい物……なんと心惹かれる響きなのだろう。素材や魔道具もあるのだろうか。ぜひ見たい。ララは目を爛々とさせ、イーサンに尋ねた。
「国によって豊富な資源や得意な加工に違いがあると聞きますが、どのような物の取り引きをされているのですか?」
「代表の好みによって差が出ますね。うちの場合、最近では船の契約もありましたし」
「……船?」
「珍しいでしょう? 他国のものだとオルティス造船の技術には遠く及ばないのですが、交渉次第で安く手に入るみたいで」
ララは巡回中、『新人捜査官のララ』としか名乗っていない。貴族と出会った時に不快な思いをさせないためだ。それゆえにイーサンは、ララがオルティス家の人間だと気付いていない。
『船』と聞いた途端、全身に嫌な予感が走った。オルティス家の船を必要としなくなった人物を、一人だけ知っていたから。
「あの、イーサン卿。こちらの代表の方というのは……」
「カルマン伯爵家のチェスター様ですよ」
「んぐっ」
嫌な予感が当たってしまった。頭を殴られたような衝撃を受ける。
(カルマン卿が、イーサン卿の上司ということ?)
カルマンが貿易関係の仕事をしていることは知っていたが、こんな場所で名前が出てくるとは思ってもみなかった。
しかし彼が近くにいると仮定すると、今の状況が腑に落ちる。霊が異常に多いのはカルマンの体質によるものだろう。
難しい顔で考え込むララを前に、イーサンが首を捻った。
「チェスター様がどうかされましたか?」
「い、いえ。他国と船を取引できるなんて、カルマン卿は凄い方なのだなと。まあ、私は何も知らないのですが。本当に、知らないのですが」
「それはもう、かなりのやり手ですよ。今も商談中のはずです。ここ数日は寝不足気味なようなので少々心配ですが」
「お身体の具合が悪いのですか?」
「そこまでひどくはないと本人が言っていました。きっと仕事の疲れが出ているのでしょう」
「そう、ですか」
ふいに婚約破棄された日に聞いた、幽霊少年の言葉が頭をよぎる。
――あいつは許さない。