22. 初めての巡回(1)
地図を広げた日から数日後。
馬に乗ってカラフルな町を抜けると、輝く海に迎えられた。
「うわぁっ……!」
ララにとって初めての巡回は、王都から少し離れた港町、ルーウェンに決まった。
遠くの海を進む船に、荷物が大量に積まれているのが見える。これから他国に輸送されるのだろう。
優雅に空を飛ぶ白い鳥と、港に仲良く並ぶ船。
「とっても綺麗ですね。領地以外で海を見るのは初めてです」
思わず目を細めると、テオドールがララの体を操って馬から降りた。
「ふーん。……海には一緒に来なかったんだな」
彼は『誰と』とは言わなかった。けれどもララには、テオドールの言葉が元婚約者のカルマンを指していると分かった。
(もしかしてグラント卿、私とカルマン卿が親しかったと思っていらっしゃる……?)
まるでララとカルマンが海以外の場所には出かけていたと思っているような口ぶりだった。どこで勘違いしたのだろう。
(実際はカルマン卿と婚約者らしいことなんてしていないけど……そんな話しても、楽しくないし)
カルマンとのことは、もう終わった話だ。
最近はテオドールの手伝いに奮闘していたため、カルマンについて考える時間がなかった。だからなのか、今の今まで彼の存在をすっかり忘れていた。暴言や暴力に耐えていた日々が遠い過去のように思える。
知らぬ間に心に負った傷が癒えているようだった。
「前回海を見た時は両親が一緒でした。だいぶ昔の話ですが」
「当時はよく出かけてたのか?」
「はい。最新の船を見るために港に行ったり、王都の美術館に行ったり。個人的には植物園にも興味があったのですが、呪いの噂が広まったせいで行けなくて。確か、名前は……」
「ツェルソア植物園」
想像した名前を見事に言い当てられ、ララは目を丸くする。
「そうです。よく分かりましたね」
「興味があって、以前調べたことがある」
テオドールが植物に興味があったとは意外である。仕事で調べたのだとしたら、過去の事件に関わることかもしれない。
頷くだけで深く聞かないでいると、馬から降りたマックスが近寄ってきた。今日の巡回はマックスとフロイドと一緒である。
「ララさん。次の予定まで時間があるので、別の場所にも行こうと思うのですが」
「分かりました。フロイド様はどちらに?」
馬に乗って駆けていくフロイドを見ながら、マックスに尋ねた。
「馬の繋ぎ場があるか見に行ってもらいました。俺たちも初めて行く場所なので、詳しくなくて」
テオドールは非番の日に町を回っていたそうだが、捜査局として王都以外の巡回を始めたのは最近のことらしい。
「フロイドが戻ってくるまでここで待ってましょう。眺めも良いですし」
「そうですね」
「朝から走り回ってますけど疲れてないですか?」
「はい。乗馬は初めてですが、グラント卿がお上手なので私は楽しいだけです」
気づかってくれるマックスに笑って答える。
馬の上から見る景色は新鮮で、自分が知らない世界のようだった。
「安心しました。ララさん昨日まで激務だったので、へとへとになってないか心配だったんです」
マックスは頬をかき、「まあ、忙しかったのは俺たちが原因でもあるんですけど」と、付け足す。
「アロマオイルのことですか?」
「はい……。騎士団のやつらにちょーっと自慢しただけのつもりが、あんなに食いつかれるとは……ララさんはただでさえ魔道具作りで忙しかったのに、さらに仕事を増やしてしまって」
「気にしないでください。仕事が多いのはありがたいです」
マックスとフロイドはララが作ったアロマオイルを相当気に入ったようで、騎士団の知り合いに効き目を自慢したと言っていた。ララの名前に怯えない平民出身の騎士たちに話したらしい。
その話を聞いた翌日、興味を持った騎士たちから製作依頼が入ったのだ。
「騎士団の方にも効くと良いのですが」
「絶対効きます!……が、その場合、ララさんはもっと忙しくなります」
「ふふっ、覚悟しておきます。グラント卿も大丈夫ですよね?」
「ああ。俺は夜中に君の体を借りてるから問題ない」
「だそうです、マックス様」
「ララさんの体はずっと稼働してることになりますけど」
「心配ご無用です。魂が休んでいるので元気ですし」
それに朝目覚めた時、夜中にテオドールが済ませた書類が積まれているのを見ると、なんだか愉快な気分になるのだ。
「私にできることなら、なんでもお手伝いさせていただきます。……生きている人とお話しするのは、もう少し訓練が必要ですが……」
港に来るまでに立ち寄った町で、ララは驚くほど多くの住民たちから話しかけられた。女性捜査官が珍しかったのだろう。
テオドールについての話題も多かったが、まだ人と話すことに不慣れなため、相槌を打つので精一杯だった。
「マックス様とフロイド様がいてくださらなかったらどうなっていたことか……ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「え? ララさんが聞き上手だったおかげで新しい情報入手できたんで、俺たちは大満足ですけど」
(新しい情報?)
「そんなもの、ありましたっけ?」
「武器の素材や魔道具が不自然に流れてるとか、無駄に高い葉巻が出回ってるとか、怪我した傭兵の目撃情報とか。ここでは言えない内容もいくつか」
「……話した覚えがないのですが」
「そりゃあ馬鹿正直に俺たちに情報を漏らしたら、報復される可能性がありますからね」
「みなさんが会話の中に隠して伝えていた、と?」
「というより、ララさんとの会話の中で彼らが無意識に落とした情報を、俺たちが勝手に拾ったって感じです」
まずい、全然気が付かなかった。
「どうしましょう。私、捜査官に向いてないかもしれません」
「新人のララさんに完璧にこなされたら俺たちが辛いんで勘弁してください。今日の巡回は楽しみましょうって言ったの俺ですし」
確かに言われたが、マックスたちがちゃっかり情報を得ている時に自分だけ表面上の会話に必死だったと考えると情けなくなる。
「次は、もうちょっと頑張ります」
「そんなに気張らなくても……あ、そうだ。じゃあこれを使ってみましょう」
マックスが閃いたように自分の袖口を指さす。そこについているのは、三日前にララが納品したばかりの記録用カフスボタンだ。ララの白衣の袖口にもついており、映像と音声を記録できる。
「使い方なら私も分かりますが」
「もちろん普通に使うだけなら、ララさんに敵うやつはいないと思います。でも、これで対象人物の声や動きを記録するって考えたらどうですか?」
「なんだか難しそうですね」
「そうなんです。『こいつの動きを記録してやる』って思えば思うほど、振る舞いがぎこちなくなります。バレたら偽の情報を掴まされるかもしれませんし、仲間を危険に巻き込みます。潜入が得意な捜査官は、なんともないような顔で情報を引き出しますが」
「私にもできるでしょうか?」
「実践あるのみです。局長に呪われそうなのでララさんを危険な所に連れて行ったりはしないですけど、ちょっとした会話を拾う練習をしておけば、今後役に立つと思います」
「なるほど」
ララは早速カフスボタンに触れ、起動した。
――ブォン。
「これから会う方たちに怪しまれないように、記録をとってみます」
今日の後半の目標が決まった。重要参考人と会うわけではないから、失敗しても許される。
「ララさんにとって記念すべき初巡回ですし、他にもたくさん記録しちゃってください。この魔道具使えるの、捜査官の特権なんで」
おもちゃで遊ぶ子供のように、マックスがカフスボタンを空に向けた。対象物は入道雲らしい。
現段階で記録用魔道具は、捜査官以外の使用を禁止されている。犯罪に使われる可能性を考えてのことで、破れば罰が与えられる。
マックスの言う通り、今この瞬間を記録に残せるのは捜査官の特権なのだ。
「では、せっかくなので私は海を」
ララはマックスの真似をしてカフスボタンを海に向ける。すると同時に、テオドールが体から出て隣に立った。
「どうかされたんですか?」
「いや、君と一緒に見ようと思っただけだ」
海を眺めるテオドールの横顔が、ララの網膜にじりじりと焼き付く。
半透明なはずなのに、何よりも鮮明に。
儚いのに、力強く。
「……グラント卿が私の体質を忘れてしまっていたら、どうなっていたのでしょうね」
気付けばララの口からは、そんな言葉がこぼれていた。
「どうしたんだ急に」
「だってあなたが依頼に来てくださらなかったら、私は開発局から出ることも、家族以外の人とこうやって海を見ることもありませんでした」
半透明なテオドールが現れなければ、捜査局に入ることも、汗をかきながら木剣を振ることも、誰かを想って日にちを数えることも、なかっただろう。
「だから、ですね……」
最後の時間を使って依頼に来てくれて、不器用で大きな優しさをくれて、忙しくて楽しい日々をくれて、――温かい繋がりをくれて。
「ありがとうございます。グラント卿」
どうして今まで、伝え忘れていたのだろう。
彼からもらったものは全て、宝箱に入れておきたいほど大切なのに。
驚いたように固まったテオドール。その顔を見ていると照れ臭くなってきて、ララはへにゃりと笑った。
「ララ、俺――」
「フロイド帰ってきましたけど、話し終わりました?」
マックスに声を遮られたため、テオドールの眉間に深いしわが入る。
「こいつ、わざとやってるのか?」
「まあまあ。マックス様にはグラント卿の声が聞こえないんですから」
「それにしてもタイミングが悪すぎる。……邪魔が入ったし、巡回に戻るか」
どうやらテオドールは、続きを話す気がないらしい。
「そうですね」
返事をすると、マックスが顔色をうかがってきた。
「話、終わってなかった感じですか?」
「……ふふっ」
「あー……、次の訓練が怖い。逃げる練習しとこ」
マックスは悟ったような顔をして空を見上げる。その隣で、ララは大きく潮風を吸い込んだ。
「ララさん、海好きなんですね」
「はい。色が……」
そこまで言って、首を傾げた。
(あれ……?)
「色がどうしたんですか?」
「い、いえ。なんでもありません」
なんでもない。自分にとって、目の前に広がる青が、特別な色だというだけで。
確かに今、そう思っただけで。
(私……いつからこんなに、この色が好きなんだろう)