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逃げるしかないだろう  作者: だるっぱ
譲治 一九八〇年十二月
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再面接

 安達親分が、一歩踏み出す。床に転がったまま、僕は後退った。

 更に、親分が一歩踏み出す。無様にも手足をバタつかせて、後退した。壁にぶつかる。これ以上、逃げることが出来なかった。

 親分が、ゆっくりとしゃがみ込む。僕と視線を合わせた。


「おい」


「はい」


 その瞬間、頬を叩かれた。


 パン!


 視界がぶれる。


「口の利き方には気を付けろよ。舐めたこと言うてると、こんなんじゃ済まさへんぞ」


 安達親分が、僕を睨みつけた。

 この人に常識は通用しない。自分のルールを押し付けることしか知らない。

 でも、僕にも言い分がある。親分に睨まれながら、明美のことを想い描いていた。

 ここで引いてしまったら、明美のことを諦めることになる。きっと、一生後悔するはずだ。それだけは、絶対に嫌だった。覚悟を決めなければいけない。

 親分を見上げた。


「な、舐めてはいません。ぼ、ぼ、僕は、あなたのことが、こ、心の底から、怖いです。で、でも……」


 それから先の言葉が言えない。


「なんや、言いたいことがあるんなら、言ってみろよ」


 親分が、目を細めた。 


「お、お……」


「なんや、ビビってんのか。早く言えよ」


 反射的に、僕は叫んだ。


「お、親分さんでは、明美を幸せにすることは出来ません」


「何やと!」


 安達親分が激高した。僕の髪の毛を掴む。


 ゴン!


 そのまま後ろの壁に叩きつけられた。親分が目を怒らせている。


 ――怖い、怖い、怖い!


 でも、僕は、勢いのまま叫んだ。


「奥さんが居るのに、明美は何なんですか。玩具ですか!」


 安達親分が顔を引きつらせた。手に力を込めて、立ち上がる。僕の頭をボールのように持ち上げた。

 僕の頭から、髪の毛がブチブチと抜けていく。堪えきれずに、僕も一緒に立ち上がった。

 でも、僕の気持ちも一緒に高ぶる。力一杯に叫んだ。


「僕は、明美を幸せにできます。一生、大切にします!!」


「まだ言うか!」


 安達親分が、僕の髪の毛を掴んだまま、右手を大きく腕を振りかぶった。


 ――殴られる!


 咄嗟に両手で顔を防ごうとした。しかし、間に合わない。

 親分の拳が、僕の顔面を捕らえた。衝撃で吹き飛ばされる。

 後ろの壁に、激しく叩きつけられた。そのまま床に崩れ落ちる。両手をついて、四つん這いの姿勢になった。頭がグラグラする。


「この、アホが!」


 サッカーボールを蹴るようにして、安達親分が僕のお腹を力一杯に蹴り上げた。

僕の体が、宙に浮く。もんどり打って、床に落ちた。

 鳩尾に入ったその蹴りの所為で、お腹がひっくり返る。痛みでのた打ち回った。


「オエッ! オエッ!」


 口から胃の内容物が、吐き出された。床の上にぶちまけてしまう。酸っぱい臭いが辺りに立ち込めた。

 起き上がることが出来ない。自分の吐しゃ物に塗れながら、僕は痛みに耐えていた。


「サンタ!」


 親分が、叫んだ。


「台所から、包丁とまな板を持ってこい!」


 サンタが嬉しそうに部屋を出て行った。木崎さんも、その後に続いていく。

 親分が、僕を睨みつけた。


「おい、絵描き。覚悟は出来ているんやろうな」


 転がったまま、親分を見上げた。言葉が出ない。


「人の女のを捕っておいて、何やその言いぐさは。キッチリと落とし前を付けてもらうからな」


 サンタが戻ってくる。床の上にまな板を置いた。そのまな板の上に、鋭利に磨かれた出刃包丁を載せる。銀色の刃が、天井から降り注ぐ電球の光で鈍く光っていた。

 親分が、椅子に座り直す。腕を組み、僕を見下ろした。


「自分で、自分の小指を落とすんや。やってみろ。偉そうなことを抜かした、お前の男を見せてくれ。それが出来たら、明美はくれてやる――」


 頭の中が白くなった。

 思考が定まらない。小指を詰めたら、この地獄から解放されるのか……。

 安達親分が、更に続ける。


「――出来んかったら、お前を沈めるからな」


 もう、小指を詰めるしかない。選択肢はない。簡単なことだ。簡単なことだけど、僕は動けずにいる。まだ、床に寝ころんでいた。


「親分に言われたとおり、さっさとせんか!」


 痺れを切らしたサンタが、ズカズカとやって来た。床に転がっている僕の腕を掴む。そのまま、まな板のところまでズルズルと引き摺られた。


「ほらっ! 座れ」


 サンタが、僕の腕を力任せに引き上げた。上体が起こされる。尻を蹴られた。腰が逃げる。気が付くと、僕はまな板を前にして正座をさせられていた。

 サンタが、僕の目の前に、出刃包丁を振りかざす。フラフラと揺らめかして、玩具のように遊んだ。


「この包丁で、小指を落とすんや。よく切れるからな。あっという間や」


 サンタが僕の右手を掴む。出刃包丁を握らされた。ズシリと重い。


 ――この包丁で。


 右手にある包丁を眺めていると、サンタに小指を握られた。まな板の上に、強引に押し付けられる。小指に痛みが走った。


「イタッ!」


 非難の目を向けようとすると、今度は、包丁を持つ僕の右手を掴まれた。サンタは、包丁の切っ先を僕の小指に添えさせる。

 サンタが、唾を飛ばして叫んだ。


「ほら、やってみろ! ほら」


 サンタが笑っていた。サディスティックに笑っていた。これから始まることに、興奮している。


 パン!


 サンタに頭を叩かれた。


「ほら、早く」


 サンタに急かされる。

 つばを飲み込んだ。視線を落とす。

 出刃包丁の下に、僕の細い小指があった。

 力を込めれば、この小指が切り離される。

 よく砥がれていた。スパッと切れるだろう。

 流れ出る血は、どのような赤色だろう。

 絵の具で、表現できるのだろうか。

 もっと、面白く表現できる余地はないのか。

 面白く……。


 顔をあげた。

 安達親分を始め、皆の視線が僕に向けられている。フラッシュバックするように、舞台に立っている様子が思い出された。

 この感覚は、憶えている。


「早くやらんか、コラ!」


 パン!


 また、頭を叩かれた。サンタが、僕を急かす。

 観客の煽りには慣れている。いつものことだ。


「なめとんのか!」


 サンタが、尚も、僕の頭を叩こうとした。

 僕は、出刃包丁をサンタに向けた。


「えっ!」


 サンタが、手を止めた。驚きの顔で、僕を見つめる。

 サンタはもちろんのこと、誰も動き出せないでいた。僕の行動に、戸惑っている。

 そう言えば、木崎さんがいない。何処に行ったんだろう。

 なんだろう。とてもスッキリしていた。お腹の物を、全て吐き出したからかもしれない。口の中がちょっと酸っぱいけれど。


 この部屋にいる、皆の動きや気配が、分かる様な気がする。

 僕は、サンタのことなんか見ていない。今、集中すべきは安達親分だ。

 舞台でも、そうだ。似顔絵はモデルが必要になる。今のモデルは、安達親分だ。


 ――ここは僕の舞台。


 安達親分は、注意深く僕を観察していた。

 僕は、手に持っていた出刃包丁を、まな板に突き刺す。


 ダン!


 ゆっくりと立ち上がった。


「何のつもりや?」


 安達親分が、僕を睨みつける。

 僕は、ゆっくりと親分を見据えた。

 左手を、前にかざす。

 小指を立てた。


「僕の小指……高いですよ」


 小指を親分に見せつけるようにして、右手で触った。

 親分が、怪訝な表情を浮かべる。

 僕は、親分から、目を離さない。

 面白い似顔絵を描くためには、本物っぽく見せる嘘が必要だ。


「旗本興行でしたっけ――」


 僕の言葉に、親分が目を細くする。


「――この僕の腕を見込んで、金を出すって言うんですよね。いくらだと思います?」


 安達親分の瞳に、変化が表れた。僕を睨んでいた目が、探るような目つきに変わる。

 親分だけではない。ジローもサンタも、僕の言葉に耳を傾けていた。

 親分が、口を開く。


「……百万か?」


 僕は、親分の顔を覗き込んだ。ゆっくりと首を横に振る。

 親分が、僕の話に食いついた。

 慌てるなよ。

 ここでバラしたら、お終いだからな。


「今日、テレビに出演しました。あの番組で、グランプリを取ったコンビ……知っていますか?」


 親分が、目を泳がせた。

 思い出したのか、首を縦に振る。

 僕は、話を続けた。

 

「マシンガンのような喋くりでしたね。相方は、頷いているだけですけど……ひと月で数千万も稼ぐそうですよ」


 僕の言葉に、親分が大きく息を吸った。

 更に話を続ける。


「そういえば、親分は、演歌歌手の真山琴子のタニマチでしたよね。そんな話、けっこう詳しいんじゃないですか?」


 話をしながら、気持ちが大きく広がっていく。

 旗本興行を盾にして安達親分と張り合うことが、何だかどうでも良くなっていた。

 そうしたことは、本当に些細なこと。

 それよりも、この親分ともっと上手く付き合えないだろうか……。

 そんな未来を、僕は考え始めていた。

 一歩前に進む。


「小指なんて小さな事を言わずに、僕を全部差し上げます。使ってください。僕のタニマチになって下さい」


 深々と頭を下げる。

 心の中がスッキリしていた。

 言いたいことを、言えた様な気がした。

 ゆっくりと顔を上げる。

 親分は、僕の顔を穴が空くほどに見つめた。

 僕も、親分から目を離さない。

 その時、玄関から人がやってくる気配がした。バタバタと廊下を走ってくる。

 部屋の中に真っ先に入ってきたのは、明美だった。


「ジョージ!」


 そう叫びながら、明美が僕の所に駆け寄ってきた。

 躓きそうになる明美を、僕は抱きしめる。

 大きなお腹を押さえながら、明美が安達親分を睨みつけた。


「お兄ちゃん、何をやっているの!」


 明美が安達親分に食って掛かる。怒気をはらんでいた。

 僕は、そんな明美の肩を掴む。


「落ち着いて、明美。これは、面接だから」


 明美の動揺が治まらない。尚も、叫んだ。


「面接? そんなわけないでしょう。包丁があるのに……何が面接よ!」


 叫んでいる明美を、僕は横にやった。安達親分を見つめる。


「どうですか? 僕を使ってくれませんか?」


 安達親分が、僕と明美を交合に見比べた。悔しそうに唇を噛んでいる。

 親分が、明美に視線を送った。


「明美」


 明美が、親分を睨む。


「何よ」


「絵描きの所に、行くんか?」


「行く」


「お腹の中の子供はどうするんや?」


「この子は、ジョージと育てる」


 親分が舌打ちした。


「チッ!」


 そんな親分に、明美が語りかける。


「いまここで、一年前の約束を果たして。私は、ジョージと結婚する」


 その言葉と共に、明美が僕の腕を強く掴む。

 すると、今度は、部屋の中に京子さんが入ってきた。


「もう、いいんじゃない。許してあげてよ」


 皆の視線が、入り口に立つ京子さんに集中した。その後ろには、木崎さんも立っている。

 京子さんが、安達親分に語りかけた。


「ジョージ君は、親分の為に稼ぐって言ってくれているのよ。それでいいじゃない」


 親分が、大きく息を吐いた。やれやれといった表情で、僕を見る。


「どこまでも腹の立つ奴や、お前は」


 安達親分が、部屋の中の人間を、一人一人見回した。

 京子さん、木崎さん、明美と視線を送り、最後に僕を見る。

 吐き捨てる様に叫んだ。


「俺の身内を、何人たらし込んだんや――タカシ! こっちに来い」


「ヘイ」


 木崎さんが、京子さん達をかき分けて、のそりと歩み寄る。安達親分の前に立った。


「お前が、こいつらを連れてきたんか」


「ヘイ」


「お前に任せたら、いつもヘマばっかりやないか」


「すんまへん」


「俺の前に、その不細工な顔を突き出せ」


「ヘイ」


 木崎さんは、安達親分の前に自分の顔を差し出した。

 親分が、大きく振りかぶる。力の限りに木崎さんの顔を殴った。

 木崎さんの顔が横にブレる。

 しかし、何事もなかったかのように顔を上げた。


「スンマヘン」


 木崎さんは、悪びれることもなく謝った。


「相変わらず、硬い頭やの~」


 親分が、殴りつけた手を痛そうに擦る。

 擦りながら、僕を見る。


「明日、ジュエリーボックスで面白いことがあるそうや――」


 親分が、一呼吸置く。

 そして、僕を睨んだ。


「――もしかして、お前か?」


 親分の顔を真っ直ぐに見つめる。


「はい。明日、ジュエリーボックスの舞台に立たせて頂きます」


 安達親分が、右手で額を押さえる。そのまま天を仰いだ。


「何から何まで、お前って奴は……」


 部屋の中が、沈黙に包まれる。

 誰も、言葉を発することが出来なかった。

 僕は、安達親分の次の言葉を待った。

 明美の手を、ギュッと握り締める。

 祈るような気持だった。

 安達親分が、額から手をどける。真っ直ぐに僕を見据えた。


「判断は、お前の舞台を見てからや。それで、ええやろ」


 明美の表情が、パッと明るくなった。

 僕は、安達親分に向かって深々とお辞儀する。


「宜しくお願いします」


 安達親分が、大きなため息をつく。

 部屋の皆を見回した。


「今日は、お終いや。明日、ジュエリーボックスで、こいつの舞台を見届ける」


 安達親分が踵を返した。出口に体を向けると、皆を押し退けて部屋を出ていく。木崎さん達が、そんな親分を追いかけた。


 部屋の中は、僕と明美と、京子さんだけになる。

 明美が、僕に抱きついてきた。

 僕は、そんな明美を抱きしめる。


「ただいま。遅くなって、ごめん」


 明美が、僕を見上げた。


「ほんとに、待ちくたびれたんだから」


 僕の胸に顔を埋める。さめざめと泣き始めた。

 僕は、そんな明美のことを優しく抱きしめる。

 懐かしい明美の香りが、僕を包んだ。

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