再面接
安達親分が、一歩踏み出す。床に転がったまま、僕は後退った。
更に、親分が一歩踏み出す。無様にも手足をバタつかせて、後退した。壁にぶつかる。これ以上、逃げることが出来なかった。
親分が、ゆっくりとしゃがみ込む。僕と視線を合わせた。
「おい」
「はい」
その瞬間、頬を叩かれた。
パン!
視界がぶれる。
「口の利き方には気を付けろよ。舐めたこと言うてると、こんなんじゃ済まさへんぞ」
安達親分が、僕を睨みつけた。
この人に常識は通用しない。自分のルールを押し付けることしか知らない。
でも、僕にも言い分がある。親分に睨まれながら、明美のことを想い描いていた。
ここで引いてしまったら、明美のことを諦めることになる。きっと、一生後悔するはずだ。それだけは、絶対に嫌だった。覚悟を決めなければいけない。
親分を見上げた。
「な、舐めてはいません。ぼ、ぼ、僕は、あなたのことが、こ、心の底から、怖いです。で、でも……」
それから先の言葉が言えない。
「なんや、言いたいことがあるんなら、言ってみろよ」
親分が、目を細めた。
「お、お……」
「なんや、ビビってんのか。早く言えよ」
反射的に、僕は叫んだ。
「お、親分さんでは、明美を幸せにすることは出来ません」
「何やと!」
安達親分が激高した。僕の髪の毛を掴む。
ゴン!
そのまま後ろの壁に叩きつけられた。親分が目を怒らせている。
――怖い、怖い、怖い!
でも、僕は、勢いのまま叫んだ。
「奥さんが居るのに、明美は何なんですか。玩具ですか!」
安達親分が顔を引きつらせた。手に力を込めて、立ち上がる。僕の頭をボールのように持ち上げた。
僕の頭から、髪の毛がブチブチと抜けていく。堪えきれずに、僕も一緒に立ち上がった。
でも、僕の気持ちも一緒に高ぶる。力一杯に叫んだ。
「僕は、明美を幸せにできます。一生、大切にします!!」
「まだ言うか!」
安達親分が、僕の髪の毛を掴んだまま、右手を大きく腕を振りかぶった。
――殴られる!
咄嗟に両手で顔を防ごうとした。しかし、間に合わない。
親分の拳が、僕の顔面を捕らえた。衝撃で吹き飛ばされる。
後ろの壁に、激しく叩きつけられた。そのまま床に崩れ落ちる。両手をついて、四つん這いの姿勢になった。頭がグラグラする。
「この、アホが!」
サッカーボールを蹴るようにして、安達親分が僕のお腹を力一杯に蹴り上げた。
僕の体が、宙に浮く。もんどり打って、床に落ちた。
鳩尾に入ったその蹴りの所為で、お腹がひっくり返る。痛みでのた打ち回った。
「オエッ! オエッ!」
口から胃の内容物が、吐き出された。床の上にぶちまけてしまう。酸っぱい臭いが辺りに立ち込めた。
起き上がることが出来ない。自分の吐しゃ物に塗れながら、僕は痛みに耐えていた。
「サンタ!」
親分が、叫んだ。
「台所から、包丁とまな板を持ってこい!」
サンタが嬉しそうに部屋を出て行った。木崎さんも、その後に続いていく。
親分が、僕を睨みつけた。
「おい、絵描き。覚悟は出来ているんやろうな」
転がったまま、親分を見上げた。言葉が出ない。
「人の女のを捕っておいて、何やその言いぐさは。キッチリと落とし前を付けてもらうからな」
サンタが戻ってくる。床の上にまな板を置いた。そのまな板の上に、鋭利に磨かれた出刃包丁を載せる。銀色の刃が、天井から降り注ぐ電球の光で鈍く光っていた。
親分が、椅子に座り直す。腕を組み、僕を見下ろした。
「自分で、自分の小指を落とすんや。やってみろ。偉そうなことを抜かした、お前の男を見せてくれ。それが出来たら、明美はくれてやる――」
頭の中が白くなった。
思考が定まらない。小指を詰めたら、この地獄から解放されるのか……。
安達親分が、更に続ける。
「――出来んかったら、お前を沈めるからな」
もう、小指を詰めるしかない。選択肢はない。簡単なことだ。簡単なことだけど、僕は動けずにいる。まだ、床に寝ころんでいた。
「親分に言われたとおり、さっさとせんか!」
痺れを切らしたサンタが、ズカズカとやって来た。床に転がっている僕の腕を掴む。そのまま、まな板のところまでズルズルと引き摺られた。
「ほらっ! 座れ」
サンタが、僕の腕を力任せに引き上げた。上体が起こされる。尻を蹴られた。腰が逃げる。気が付くと、僕はまな板を前にして正座をさせられていた。
サンタが、僕の目の前に、出刃包丁を振りかざす。フラフラと揺らめかして、玩具のように遊んだ。
「この包丁で、小指を落とすんや。よく切れるからな。あっという間や」
サンタが僕の右手を掴む。出刃包丁を握らされた。ズシリと重い。
――この包丁で。
右手にある包丁を眺めていると、サンタに小指を握られた。まな板の上に、強引に押し付けられる。小指に痛みが走った。
「イタッ!」
非難の目を向けようとすると、今度は、包丁を持つ僕の右手を掴まれた。サンタは、包丁の切っ先を僕の小指に添えさせる。
サンタが、唾を飛ばして叫んだ。
「ほら、やってみろ! ほら」
サンタが笑っていた。サディスティックに笑っていた。これから始まることに、興奮している。
パン!
サンタに頭を叩かれた。
「ほら、早く」
サンタに急かされる。
つばを飲み込んだ。視線を落とす。
出刃包丁の下に、僕の細い小指があった。
力を込めれば、この小指が切り離される。
よく砥がれていた。スパッと切れるだろう。
流れ出る血は、どのような赤色だろう。
絵の具で、表現できるのだろうか。
もっと、面白く表現できる余地はないのか。
面白く……。
顔をあげた。
安達親分を始め、皆の視線が僕に向けられている。フラッシュバックするように、舞台に立っている様子が思い出された。
この感覚は、憶えている。
「早くやらんか、コラ!」
パン!
また、頭を叩かれた。サンタが、僕を急かす。
観客の煽りには慣れている。いつものことだ。
「なめとんのか!」
サンタが、尚も、僕の頭を叩こうとした。
僕は、出刃包丁をサンタに向けた。
「えっ!」
サンタが、手を止めた。驚きの顔で、僕を見つめる。
サンタはもちろんのこと、誰も動き出せないでいた。僕の行動に、戸惑っている。
そう言えば、木崎さんがいない。何処に行ったんだろう。
なんだろう。とてもスッキリしていた。お腹の物を、全て吐き出したからかもしれない。口の中がちょっと酸っぱいけれど。
この部屋にいる、皆の動きや気配が、分かる様な気がする。
僕は、サンタのことなんか見ていない。今、集中すべきは安達親分だ。
舞台でも、そうだ。似顔絵はモデルが必要になる。今のモデルは、安達親分だ。
――ここは僕の舞台。
安達親分は、注意深く僕を観察していた。
僕は、手に持っていた出刃包丁を、まな板に突き刺す。
ダン!
ゆっくりと立ち上がった。
「何のつもりや?」
安達親分が、僕を睨みつける。
僕は、ゆっくりと親分を見据えた。
左手を、前にかざす。
小指を立てた。
「僕の小指……高いですよ」
小指を親分に見せつけるようにして、右手で触った。
親分が、怪訝な表情を浮かべる。
僕は、親分から、目を離さない。
面白い似顔絵を描くためには、本物っぽく見せる嘘が必要だ。
「旗本興行でしたっけ――」
僕の言葉に、親分が目を細くする。
「――この僕の腕を見込んで、金を出すって言うんですよね。いくらだと思います?」
安達親分の瞳に、変化が表れた。僕を睨んでいた目が、探るような目つきに変わる。
親分だけではない。ジローもサンタも、僕の言葉に耳を傾けていた。
親分が、口を開く。
「……百万か?」
僕は、親分の顔を覗き込んだ。ゆっくりと首を横に振る。
親分が、僕の話に食いついた。
慌てるなよ。
ここでバラしたら、お終いだからな。
「今日、テレビに出演しました。あの番組で、グランプリを取ったコンビ……知っていますか?」
親分が、目を泳がせた。
思い出したのか、首を縦に振る。
僕は、話を続けた。
「マシンガンのような喋くりでしたね。相方は、頷いているだけですけど……ひと月で数千万も稼ぐそうですよ」
僕の言葉に、親分が大きく息を吸った。
更に話を続ける。
「そういえば、親分は、演歌歌手の真山琴子のタニマチでしたよね。そんな話、けっこう詳しいんじゃないですか?」
話をしながら、気持ちが大きく広がっていく。
旗本興行を盾にして安達親分と張り合うことが、何だかどうでも良くなっていた。
そうしたことは、本当に些細なこと。
それよりも、この親分ともっと上手く付き合えないだろうか……。
そんな未来を、僕は考え始めていた。
一歩前に進む。
「小指なんて小さな事を言わずに、僕を全部差し上げます。使ってください。僕のタニマチになって下さい」
深々と頭を下げる。
心の中がスッキリしていた。
言いたいことを、言えた様な気がした。
ゆっくりと顔を上げる。
親分は、僕の顔を穴が空くほどに見つめた。
僕も、親分から目を離さない。
その時、玄関から人がやってくる気配がした。バタバタと廊下を走ってくる。
部屋の中に真っ先に入ってきたのは、明美だった。
「ジョージ!」
そう叫びながら、明美が僕の所に駆け寄ってきた。
躓きそうになる明美を、僕は抱きしめる。
大きなお腹を押さえながら、明美が安達親分を睨みつけた。
「お兄ちゃん、何をやっているの!」
明美が安達親分に食って掛かる。怒気をはらんでいた。
僕は、そんな明美の肩を掴む。
「落ち着いて、明美。これは、面接だから」
明美の動揺が治まらない。尚も、叫んだ。
「面接? そんなわけないでしょう。包丁があるのに……何が面接よ!」
叫んでいる明美を、僕は横にやった。安達親分を見つめる。
「どうですか? 僕を使ってくれませんか?」
安達親分が、僕と明美を交合に見比べた。悔しそうに唇を噛んでいる。
親分が、明美に視線を送った。
「明美」
明美が、親分を睨む。
「何よ」
「絵描きの所に、行くんか?」
「行く」
「お腹の中の子供はどうするんや?」
「この子は、ジョージと育てる」
親分が舌打ちした。
「チッ!」
そんな親分に、明美が語りかける。
「いまここで、一年前の約束を果たして。私は、ジョージと結婚する」
その言葉と共に、明美が僕の腕を強く掴む。
すると、今度は、部屋の中に京子さんが入ってきた。
「もう、いいんじゃない。許してあげてよ」
皆の視線が、入り口に立つ京子さんに集中した。その後ろには、木崎さんも立っている。
京子さんが、安達親分に語りかけた。
「ジョージ君は、親分の為に稼ぐって言ってくれているのよ。それでいいじゃない」
親分が、大きく息を吐いた。やれやれといった表情で、僕を見る。
「どこまでも腹の立つ奴や、お前は」
安達親分が、部屋の中の人間を、一人一人見回した。
京子さん、木崎さん、明美と視線を送り、最後に僕を見る。
吐き捨てる様に叫んだ。
「俺の身内を、何人たらし込んだんや――タカシ! こっちに来い」
「ヘイ」
木崎さんが、京子さん達をかき分けて、のそりと歩み寄る。安達親分の前に立った。
「お前が、こいつらを連れてきたんか」
「ヘイ」
「お前に任せたら、いつもヘマばっかりやないか」
「すんまへん」
「俺の前に、その不細工な顔を突き出せ」
「ヘイ」
木崎さんは、安達親分の前に自分の顔を差し出した。
親分が、大きく振りかぶる。力の限りに木崎さんの顔を殴った。
木崎さんの顔が横にブレる。
しかし、何事もなかったかのように顔を上げた。
「スンマヘン」
木崎さんは、悪びれることもなく謝った。
「相変わらず、硬い頭やの~」
親分が、殴りつけた手を痛そうに擦る。
擦りながら、僕を見る。
「明日、ジュエリーボックスで面白いことがあるそうや――」
親分が、一呼吸置く。
そして、僕を睨んだ。
「――もしかして、お前か?」
親分の顔を真っ直ぐに見つめる。
「はい。明日、ジュエリーボックスの舞台に立たせて頂きます」
安達親分が、右手で額を押さえる。そのまま天を仰いだ。
「何から何まで、お前って奴は……」
部屋の中が、沈黙に包まれる。
誰も、言葉を発することが出来なかった。
僕は、安達親分の次の言葉を待った。
明美の手を、ギュッと握り締める。
祈るような気持だった。
安達親分が、額から手をどける。真っ直ぐに僕を見据えた。
「判断は、お前の舞台を見てからや。それで、ええやろ」
明美の表情が、パッと明るくなった。
僕は、安達親分に向かって深々とお辞儀する。
「宜しくお願いします」
安達親分が、大きなため息をつく。
部屋の皆を見回した。
「今日は、お終いや。明日、ジュエリーボックスで、こいつの舞台を見届ける」
安達親分が踵を返した。出口に体を向けると、皆を押し退けて部屋を出ていく。木崎さん達が、そんな親分を追いかけた。
部屋の中は、僕と明美と、京子さんだけになる。
明美が、僕に抱きついてきた。
僕は、そんな明美を抱きしめる。
「ただいま。遅くなって、ごめん」
明美が、僕を見上げた。
「ほんとに、待ちくたびれたんだから」
僕の胸に顔を埋める。さめざめと泣き始めた。
僕は、そんな明美のことを優しく抱きしめる。
懐かしい明美の香りが、僕を包んだ。




