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逃げるしかないだろう  作者: だるっぱ
明美 一九八〇年十二月
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計画

 考える仕草をした後、順子さんが私から目を離した。カウンターに座っている隆に呼びかける。


「隆」


「へい」


「すまないけどね。席を外してくれない。女同士でもう少し話をしたいんだ」


 隆が、眉間に皺を寄せる。


「修羅場が始まるんですか?」


 順子さんが、おしぼりを手に持った。隆に向かって投げつける。そのおしぼりを、隆は易々と受け止めた。

 そんな隆を、順子さんが睨みつける。


「修羅場、修羅場って、見せもんじゃないんだよ。さっさと出ていきな」


「へーい。じゃ、帰りのお嬢さんの足はどうなるんですか?」


 私も、厨房からカウンターに姿を現す。


「私は、タクシーでも拾うから」


「へい」


「隆、今日はありがとうね」


 隆に微笑みかけた。何だかんだ言いながらも、隆は私のことを大事にしてくれる。

すると、隆は少し嬉しそうに、頭を掻いた。


「じゃ、あっしは表で待っています。一時間でも二時間でも、修羅場を楽しんでください」


 隆の言葉に、順子さんがまた睨みつける。隆は逃げるようにして出ていった。

 店内に、静寂が訪れる。順子さんが、ソーダのグラスを、また二つ用意し始めた。カウンターに並べる。


「座ろうか」


 カウンターを回り込み、順子さんは隆が座っていた席に腰を下ろす。私も、元の席に戻ることにした。

 腰を下ろして、ソーダが入ったグラスを手にする。喉が渇いていた。口に含むと炭酸が弾ける。甘くて美味しい。少し、気持ちが落ち着いた。

 隣りに座る順子さんに、視線を送る。


「いつぐらいから、調子が悪かったんですか?」


「ここ二三日くらい。ちょっと遅れているな、とは思っていたんだけどね」


「早めに、病院に行った方が良いと思います」


「うん。そうする」


 そう言ったきり、順子さんが目を瞑る。


「暫くは、お仕事も控えた方が……」


 話しかけていたら、突然、順子さんが感嘆の声を漏らした。


「……嬉しい」


 目を瞑ったまま、微笑んでいた。


 ――よっぽど嬉しかったんだ。


 喜びに浸っている順子さんを刺激しないように黙っていると、今度は、急に振り向いた。


「ねえ、ちょっと……アタシの話を聞いてくれる?」


 順子さんの目が輝いている。


「ええ」


「あんな男だろう。女遊びの、一つや二つは覚悟をしていたさ……ただ、相手の女は許さないけどね」


 順子さんの視線が、一瞬、鋭くなる。小刻みに頷いた。


「そう……そうですね」


「ただ、アンタは勲の従姉妹だろ。私より付き合いが長い。その上、子供まで出来たからね……正直、動揺した」


「……」


 返す言葉がない。


「アタシね、アンタのことが羨ましかったんだ。勲が倒れた時はね、一生懸命に看病をした。アタシもね、勲を取り戻すために必死だったから。だからね――」


 順子さんが、大きく息を吸った。自分のお腹を優しく包み込む。


「――すごく嬉しい」


 話を聞きながら、順子さんが、これまでに感じてきた悔しさと、今の嬉しさに思いを馳せた。順子さんには幸せになって欲しい。素直にそう思った。そして、私はジョージと一緒になる。その事がとても自然なことに感じた。

 目の前のグラスを手に取る。残っていたソーダを飲み干した。グラスをコースターに戻す。すると、順子さんが顔を上げた。


「アンタに協力してあげる」


「えっ! 本当ですか」


 順子さんの申し出に、嬉しさが込み上げる。


「勲には、いい加減、目を覚ましてもらわないといけないからね。ただ、それには条件があるよ」


 順子さんの顔を見る。


「はい、何でしょうか?」


「そのジョージって男を、ジュエリーボックスの舞台に立たせなさい」


 驚いた。


「えっ! ジュエリーに、ですか?」


「そう。見てみたい……アンタ達がどこまで本物なのかを――」


 言葉が出なかった。協力してくれることと、ジョージをジュエリーに立たせることが、どう繋がるのかが分からない。頭の中が混乱した。

 順子さんが、話を続ける。


「――アンタの話によると、そのジョージはお笑いで優勝できるくらいの奴なんだろう。面白そうじゃない」


 順子さんが意地悪そうに笑う。


「その条件に従ったら、どのように協力をして頂けるのでしょうか?」


 順子さんが、得意げに笑う。


「ウフフッ。そのジョージの舞台を、アンタとアタシと勲の三人で鑑賞する」


「エッ!」


 順子さんの意外な提案に、叫んでしまった。


「勲の奴、どんな顔をするかな~。アタシとアンタが一緒にいるんだよ。それこそ修羅場だね」


 順子さんの嬉しそうな表情に、心が押さえつけられる。


「それで、ジョージが守れるのでしょうか?」


 すがる様な気持ちで問いかけた。順子さんは、馬鹿にしたように私を見下ろす。


「馬鹿だねー。その場で、アンタとの問題を勲に認めさせるんだよ。アンタと勲が切れたら、ジョージの問題も自動的に解決じゃないか」


「でも、それで、勲お兄さんは納得してくれるでしょうか?」


「それは、知らないよ。だって、勲の心の問題までは立ち入れないからね。それこそ、その男のお笑いで、勲を納得させたらいいんだよ。実力がある男なんだろう。どっちみち乗り越えなきゃいけない問題なら、ここではっきりさせたら方がいいんだよ」


「でも、それでは、返って問題が大きくなるんじゃ……」


 順子さんが、私を睨みつける。ドスを利かした声で叫んだ。


「逃げてばっかりじゃ仕方がないだろう!」


「逃げ……」


 順子さんの、突き放すような物言いに気圧される。そのまま、口を噤んでしまった。


「アタシに出来るのは、舞台を用意することまで。それから先は、アンタ達の問題。それで、いいだろ?」


「……」


 返す言葉がない。


「そのジョージとやらが出る番組は、いつ放送されるの?」


「十二月二十日です」


 順子さんが立ち上がった。カウンターを回り込み、厨房に入る。カレンダーを見た。


「土曜日ね」


 厨房から出て来ると、順子さんはカウンターにある黒電話に手を伸ばす。受話器を持ち上げた。ダイヤルを回し始める。電話が繋がった。


「もしもし、修かい?」


 順子さんが電話を掛けた先は、ジュエリーボックスだった。


「二十日以降の日程で、ジュエリーの舞台に立たせたい奴がいるんだけど、どこか空いてないかい?」


「うん、出来るだけ早い方がいい」


「二十一日の日曜日……うん、それがいい」


「誰かって、誰だと思う?」


「ヒントは、アンタのところで黒服をしてたそうだよ」


「当たり、そのジョージ」


「二十日の土曜日に、そいつがテレビに出るそうだから、凱旋記念ライブとか名前を付けたら面白いと思うよ。盛大に歓迎してやってね」


「うん、うん。分かってる。勲だろ。その勲を、アタシが連れて行くんだよ。しかも、明美と一緒にね」


「驚いた? 面白いだろう? 当日は、ステージ前のVIP席を貸し切りで用意しておいてよ」


「うん、それでいい。それとね、このことは当日までは内緒で頼むよ。情報が洩れると、面白くなくなるから」


「大丈夫。アタシが上手くやるから、心配しないで」


「とにかく、勲には言ってはダメ。驚く顔が見たいから。じゃあね、宜しく」


 順子さんが電話を切った。カウンターを回って、また元の席に座る。


「修には、話をつけたからね。これでいいだろう。後は、そのジョージに当日の出演について伝えておいてよ。生きるか死ぬかは、アンタ次第だって。アッハッハッ……」


 順子さんが、悪戯っ子のように笑った。

 不安な気持ちで一杯になる。順子さんに協力をお願いしたけれど、遊ばれているだけな気がした。


「上手くいくでしょうか?」


 順子さんが、私を睨みつける。


「アンタ、何か勘違いしていないかい?」


「えっ!」


 順子さんが、強い口調で私に諭す。


「アタシはね、アンタ達が上手くいこうがいくまいが関係ないの。上手くいけば、勲がアタシの元に戻ってくる。上手くいかなければ勲がそのジョージを懲らしめて、勲とアンタとの間に亀裂が入る……どっちでも良いんだよ」


「……」


「この話を受け入れることが、アンタの誠意なんだ。分かった? そうそう、慰謝料以外にも当日の飲食代はアンタ持ちね。頼むよ」


 私は、受け入れるしかなかった。


「分かりました。宜しくお願いします」


 順子さんが、自分のお腹をさする。


「こう見えて、アタシは、今、とても機嫌が良いんだ」

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