計画
考える仕草をした後、順子さんが私から目を離した。カウンターに座っている隆に呼びかける。
「隆」
「へい」
「すまないけどね。席を外してくれない。女同士でもう少し話をしたいんだ」
隆が、眉間に皺を寄せる。
「修羅場が始まるんですか?」
順子さんが、おしぼりを手に持った。隆に向かって投げつける。そのおしぼりを、隆は易々と受け止めた。
そんな隆を、順子さんが睨みつける。
「修羅場、修羅場って、見せもんじゃないんだよ。さっさと出ていきな」
「へーい。じゃ、帰りのお嬢さんの足はどうなるんですか?」
私も、厨房からカウンターに姿を現す。
「私は、タクシーでも拾うから」
「へい」
「隆、今日はありがとうね」
隆に微笑みかけた。何だかんだ言いながらも、隆は私のことを大事にしてくれる。
すると、隆は少し嬉しそうに、頭を掻いた。
「じゃ、あっしは表で待っています。一時間でも二時間でも、修羅場を楽しんでください」
隆の言葉に、順子さんがまた睨みつける。隆は逃げるようにして出ていった。
店内に、静寂が訪れる。順子さんが、ソーダのグラスを、また二つ用意し始めた。カウンターに並べる。
「座ろうか」
カウンターを回り込み、順子さんは隆が座っていた席に腰を下ろす。私も、元の席に戻ることにした。
腰を下ろして、ソーダが入ったグラスを手にする。喉が渇いていた。口に含むと炭酸が弾ける。甘くて美味しい。少し、気持ちが落ち着いた。
隣りに座る順子さんに、視線を送る。
「いつぐらいから、調子が悪かったんですか?」
「ここ二三日くらい。ちょっと遅れているな、とは思っていたんだけどね」
「早めに、病院に行った方が良いと思います」
「うん。そうする」
そう言ったきり、順子さんが目を瞑る。
「暫くは、お仕事も控えた方が……」
話しかけていたら、突然、順子さんが感嘆の声を漏らした。
「……嬉しい」
目を瞑ったまま、微笑んでいた。
――よっぽど嬉しかったんだ。
喜びに浸っている順子さんを刺激しないように黙っていると、今度は、急に振り向いた。
「ねえ、ちょっと……アタシの話を聞いてくれる?」
順子さんの目が輝いている。
「ええ」
「あんな男だろう。女遊びの、一つや二つは覚悟をしていたさ……ただ、相手の女は許さないけどね」
順子さんの視線が、一瞬、鋭くなる。小刻みに頷いた。
「そう……そうですね」
「ただ、アンタは勲の従姉妹だろ。私より付き合いが長い。その上、子供まで出来たからね……正直、動揺した」
「……」
返す言葉がない。
「アタシね、アンタのことが羨ましかったんだ。勲が倒れた時はね、一生懸命に看病をした。アタシもね、勲を取り戻すために必死だったから。だからね――」
順子さんが、大きく息を吸った。自分のお腹を優しく包み込む。
「――すごく嬉しい」
話を聞きながら、順子さんが、これまでに感じてきた悔しさと、今の嬉しさに思いを馳せた。順子さんには幸せになって欲しい。素直にそう思った。そして、私はジョージと一緒になる。その事がとても自然なことに感じた。
目の前のグラスを手に取る。残っていたソーダを飲み干した。グラスをコースターに戻す。すると、順子さんが顔を上げた。
「アンタに協力してあげる」
「えっ! 本当ですか」
順子さんの申し出に、嬉しさが込み上げる。
「勲には、いい加減、目を覚ましてもらわないといけないからね。ただ、それには条件があるよ」
順子さんの顔を見る。
「はい、何でしょうか?」
「そのジョージって男を、ジュエリーボックスの舞台に立たせなさい」
驚いた。
「えっ! ジュエリーに、ですか?」
「そう。見てみたい……アンタ達がどこまで本物なのかを――」
言葉が出なかった。協力してくれることと、ジョージをジュエリーに立たせることが、どう繋がるのかが分からない。頭の中が混乱した。
順子さんが、話を続ける。
「――アンタの話によると、そのジョージはお笑いで優勝できるくらいの奴なんだろう。面白そうじゃない」
順子さんが意地悪そうに笑う。
「その条件に従ったら、どのように協力をして頂けるのでしょうか?」
順子さんが、得意げに笑う。
「ウフフッ。そのジョージの舞台を、アンタとアタシと勲の三人で鑑賞する」
「エッ!」
順子さんの意外な提案に、叫んでしまった。
「勲の奴、どんな顔をするかな~。アタシとアンタが一緒にいるんだよ。それこそ修羅場だね」
順子さんの嬉しそうな表情に、心が押さえつけられる。
「それで、ジョージが守れるのでしょうか?」
すがる様な気持ちで問いかけた。順子さんは、馬鹿にしたように私を見下ろす。
「馬鹿だねー。その場で、アンタとの問題を勲に認めさせるんだよ。アンタと勲が切れたら、ジョージの問題も自動的に解決じゃないか」
「でも、それで、勲お兄さんは納得してくれるでしょうか?」
「それは、知らないよ。だって、勲の心の問題までは立ち入れないからね。それこそ、その男のお笑いで、勲を納得させたらいいんだよ。実力がある男なんだろう。どっちみち乗り越えなきゃいけない問題なら、ここではっきりさせたら方がいいんだよ」
「でも、それでは、返って問題が大きくなるんじゃ……」
順子さんが、私を睨みつける。ドスを利かした声で叫んだ。
「逃げてばっかりじゃ仕方がないだろう!」
「逃げ……」
順子さんの、突き放すような物言いに気圧される。そのまま、口を噤んでしまった。
「アタシに出来るのは、舞台を用意することまで。それから先は、アンタ達の問題。それで、いいだろ?」
「……」
返す言葉がない。
「そのジョージとやらが出る番組は、いつ放送されるの?」
「十二月二十日です」
順子さんが立ち上がった。カウンターを回り込み、厨房に入る。カレンダーを見た。
「土曜日ね」
厨房から出て来ると、順子さんはカウンターにある黒電話に手を伸ばす。受話器を持ち上げた。ダイヤルを回し始める。電話が繋がった。
「もしもし、修かい?」
順子さんが電話を掛けた先は、ジュエリーボックスだった。
「二十日以降の日程で、ジュエリーの舞台に立たせたい奴がいるんだけど、どこか空いてないかい?」
「うん、出来るだけ早い方がいい」
「二十一日の日曜日……うん、それがいい」
「誰かって、誰だと思う?」
「ヒントは、アンタのところで黒服をしてたそうだよ」
「当たり、そのジョージ」
「二十日の土曜日に、そいつがテレビに出るそうだから、凱旋記念ライブとか名前を付けたら面白いと思うよ。盛大に歓迎してやってね」
「うん、うん。分かってる。勲だろ。その勲を、アタシが連れて行くんだよ。しかも、明美と一緒にね」
「驚いた? 面白いだろう? 当日は、ステージ前のVIP席を貸し切りで用意しておいてよ」
「うん、それでいい。それとね、このことは当日までは内緒で頼むよ。情報が洩れると、面白くなくなるから」
「大丈夫。アタシが上手くやるから、心配しないで」
「とにかく、勲には言ってはダメ。驚く顔が見たいから。じゃあね、宜しく」
順子さんが電話を切った。カウンターを回って、また元の席に座る。
「修には、話をつけたからね。これでいいだろう。後は、そのジョージに当日の出演について伝えておいてよ。生きるか死ぬかは、アンタ次第だって。アッハッハッ……」
順子さんが、悪戯っ子のように笑った。
不安な気持ちで一杯になる。順子さんに協力をお願いしたけれど、遊ばれているだけな気がした。
「上手くいくでしょうか?」
順子さんが、私を睨みつける。
「アンタ、何か勘違いしていないかい?」
「えっ!」
順子さんが、強い口調で私に諭す。
「アタシはね、アンタ達が上手くいこうがいくまいが関係ないの。上手くいけば、勲がアタシの元に戻ってくる。上手くいかなければ勲がそのジョージを懲らしめて、勲とアンタとの間に亀裂が入る……どっちでも良いんだよ」
「……」
「この話を受け入れることが、アンタの誠意なんだ。分かった? そうそう、慰謝料以外にも当日の飲食代はアンタ持ちね。頼むよ」
私は、受け入れるしかなかった。
「分かりました。宜しくお願いします」
順子さんが、自分のお腹をさする。
「こう見えて、アタシは、今、とても機嫌が良いんだ」




