旗本興行
校門を出ると、日が落ちて辺りが暗くなり始めていた。少し肌寒い。ジャケットのボタンを合わせる。
腕時計を見た。夕方の五時を回っている。住所で示された杉山家は、ゆっくり歩いても十分もあれば到着できそうだ。その間に、銭湯で汗を流すことにする。
少し寄り道をして、銭湯の暖簾をくぐる。裸になり湯船に体を沈めた。熱い湯が身体を芯まで温めてくれる。二日間の疲れが溶けていくようだった。心地よい。
心身ともにリフレッシュした僕は、心斎橋商店街に向かった。招かれるのに手ぶらという訳にはいかない。ケーキ屋を見つけて、ショートケーキの詰め合わせを購入した。
住所によれば杉山家は、ミナミ高校から更に東、昔ながらの下町の一角にあるようだった。空を隠す大きなビルディングが無くなり、閑静な住宅地が広がりはじめる。細い路地を抜けて、美弥子さんに教えてもらった住所にたどり着いた。表札を確認する。間違いない。ここが杉山家だ。少し緊張する。
――なぜ、僕を招いてくれたのだろうか?
杉山社長の気持ちに思いを馳せる。美弥子さんの我儘に僕が付き合ったことに対する、お礼という意味はあるだろう。しかも、僕と杉山社長はジュエリーからの付き合いだ。懐かしんでくれたのかもしれない。浮浪者同然の僕に対して、ありがたい気持ちに包まれる。
それと同時に、安達組の存在も気になった。杉山社長が、安達組に僕を突き出すということはないと思う。しかし、杉山社長との接点から、僕の存在が明るみに出る可能性は否定できない。これは、チャンスでもあり、リスクでもあった。
大きく深呼吸する。覚悟を決めて、呼び鈴を押した。
ピーンポーン。
甲高い呼び鈴の音が鳴り鳴り響く。家の中から、ドタバタとした足音が聞こえてきた。
「はーい」
奥さんの声だろうか、軽やかな声が家の中から聞こえてきた。玄関のドアが開けられる。杉山社長の奥さんらしき人が姿を現した。少し恰幅が良いその人は、屈託のない笑顔で僕を見つめ、開口一番、僕に問いかけてきた。
「ジョージさんですか?」
身を乗り出してくる。笑顔の圧が凄い。少し面食らってしまった。
「は、はい。ジョージです」
奥さんが身をくねらせる。凄く嬉しそうだ。
「お待ちいたしておりました。主人からも、娘からも、伺っております。ジョージさんて、絵で人を笑わせるそうですね。主人があなたのことをとても褒めておりました。私にね、お前も似顔絵を描いてもらえ、アイツの凄さがきっと分かるからって言うんですよ。そんなねー、初めてお会いする方に、そんなお願いをするなんて失礼じゃないですか。でもね、私もね、ちょっと気になるし、甘えてみようかなって気になっていたんです。それでね、お会いして、一発で分かりました。ジョージさんって優しい人だって。私の無理なお願いも来てくれそうだって思ったんです……どうかしら?」
奥さんの淀みのないマシンガンの様な話しぶりに圧倒さる。ぎこちなく頷いた。
「え、ええ。お安い御用です」
「まー、良かったー。私ね、もし断られたらどうしようかと、ずっと悩んでおりましたの。でも、そんなことはありませんでした。ジョージさんはとても素敵な方ですね。それからね、娘の美弥子ったら、昨日はジョージさんの話ばっかりするんですよ。よっぽど嬉しかったんでしょうね。あんなに嬉しそうに美弥子が話すのは、最近では珍しいことなんです。いつもは、私に意見ばっかりして、お母さんは黙っていて、言うんです。そりゃね、美弥子はしっかり者だし、言っていることも正しいのかもしれませんが、それでももっと母親を立ててくれても良いと思うんです。反抗期なんでしょうか」
「そ、そうかもしれませんね。僕にも経験があります」
「そうでしたの。そりゃそうですよね。若い頃には、必ず経験しますよね。そんな美弥子がね、主人にも意見をするんですよ。ジョージさんの凄さは笑いじゃないって。瞬時に特徴を捉えて似顔絵を完成させるあの技術は、まるでジャズのようだって。どういう意味なんでしょうね。ジャズのことは分かりませんが、主人も美弥子までもジョージさんのことを褒めるもんだから、私もどんな方なのか気になってしまって。今日一日、ずっと心待ちにしていたんですよ。それより、ジョージさん」
呆気に取られて話を聞いていると、いきなり問いかけられた。
「は、はい。何でしょうか?」
「毎日、ちゃんと食べていますか?」
「ええ、まあ。普通には」
「それにしては、凄く痩せていません? 駄目ですよ、もっとしっかりと食べないと。ダイエットっていうんですか。娘の美弥子も、最近は、なかなか食べようとしないんです。でも、栄養ある食事は体を作るための基本です。若いからこそ、しっかりと食べないといけません。今日は腕によりをかけましたから、たくさん食べてくださいね。私ね、こう見えてお料理の先生をしていましてね。常々、美味しいお料理を皆に食べて頂きたいと思っていますの。オーホッホッホッ……」
「は、はい。す、凄く楽しみです」
良く喋る人だ。ただただ圧倒されてしまった。驚きつつも、このタイミングで手に持っていた手土産を差し出す。
「――あの、つまらないものですが」
奥さんが満面の笑みを浮かべる。体を震わせて、全身で喜びを表した。
「んまー、嬉しい。ありがとうございます。ひょっとしてこのケーキ、心斎橋のロレールですね。私、大好きなんです。食後のデザートでご用意しますね。ジョージさん、ケーキにはコーヒーですか? 紅茶ですか?」
「えっ、じゃあ、コーヒーでお願いします」
「分かりました。まぁ、楽しみ。わたし、甘いものに目がないんですよ。あら、お喋りが過ぎましたね。いつも美弥子に怒られるんです。オーホッホッホッ。さあ、ジョージさん。お上がりください」
マイペースというか天然というか、奥さんは元気の固まりのような人だ。それに、裏表のない大らかさを感じる。なんだか穏やかな気持ちさせられた。呼び鈴を押すに前に感じていた不安感が、僕の中から消えていく。
杉山家に上がると、僕は居間に通される。茶色を基調とした洋風の部屋だ。正面には、豪華な額縁に収められた風景画が飾られている。穏やかな海が抽象的なタッチで表現されていた。
横を見ると大きなキャビネットがあり、高級そうな洋酒が陳列されている。部屋の中央にローテーブルが配置されていて、それを囲むようにしてソファーが並べられていた。
そのソファーの中央で、杉山社長が寛いでいる。風呂に入ったのだろう。さっぱりとした顔で、ガウンを羽織っていた。僕に向かって手を挙げる。
「よー、ジョージ。こんな格好ですまんの。今日はゆっくりしていってくれ」
社長の前で直立すると、丁寧にお辞儀した。
「お招きいただき、ありがとうございます」
「そんなんはええから、早よそこに座れ」
向き合うような形でソファーに座ると、社長が瓶ビールを掴む。顎をクイッと上げて、僕にコップを持つように合図した。ローテーブルに置いてあるガラスのコップを、慌てて両手で掴む。社長に向かって差し出した。
トクトクトク。
金色の液体が、コップの中に注がれていく。白い泡が浮かび上がった。僕も、同じようにしてビールを注ぎ返す。社長が、グラスを上げた。
「お疲れさん。乾杯」
「乾杯」
グラスを口に付けた。炭酸が弾けながら喉を通り過ぎていく。美味い。喉が渇いていたこともあり、一息に飲んでしまった。
杉山社長が嬉しそうに僕を見つめる。瓶ビールを掴み、僕に差し出した。
「ほら、もっと飲めよ」
「あ、ありがとうございます」
頭を下げる。社長からの酌を受けた。
「文化祭はどうやった? 美弥子は上手くやっていたか?」
「はい。とても上手くやっていました。というか、ビックリしました。さすが社長の娘さんですね。演出家の才能があると思います」
「どういうことや?」
社長が嬉しそうに身を乗り出す。僕は、今日の出来事について、僕なりの所感を踏まえながら説明を始めた。
僕の似顔絵を成功させるために、美弥子さんは色々な工夫をしていた。「お笑い! 似顔絵道場」という分かりやすいネーミングに始まり、サクラを使った根回し。描かれた似顔絵を次々と貼りだすことで、ライブ感を演出して参加者の高揚感を煽った。同時進行で、希望者には簡単な似顔絵の手ほどきを行い、入部希望者を捕まえる。
僕の話を聞きながら、杉山社長は嬉しそうに何度も頷いた。そこには、ジュエリーボックスで見せたスケベな姿はない。一人の父親としての姿しかなかった。
「ありがとうな。ジョージ」
社長が両手を膝に乗せる。僕に向かって、深々と頭を下げた。
「どうしたんですか、社長。やめてくださいよ……」
「いやー、アイツも年頃やろう。幼い頃は俺の肩に登ったりして遊んでいたのに、最近は話をすることもなくてな。今回は文化祭ってことで、学校に足を運んだんや。そしたら昨日の晩、お前のことで話が盛りあがってな。久しぶりにアイツと楽しい時間を過ごすことができた。ただただ、その事が嬉しくてな」
昨日のことを思い出しているのだろうか。社長が嬉しそうに目を細めた。
「そうでしたか」
「お前も、親になり子供が出来れば分かるよ。小さい頃なんて一瞬や。大きくなれば親に反抗はするし、顔を合わせようともしない。段々と親から離れて行く。寂しいもんや。心の中では、大人に成長している。そう思うようにはしているんやけどな……」
寂しそうに笑うと、社長はコップを掴みビールを飲んだ。
「分かるような気がします」
その時、お盆にお料理を乗せた奥さんが現れる。テーブルに料理を並べながら、奥さんが僕に笑いかけた。
「美弥子もね、お父さんが嫌いなわけではないんですよ。ただね、中学生の頃の美弥子は、ちょっと大変でしてね。お父さんが強く怒ったことがあったんです。それ以来、何となく気まずい関係が続いていましてね」
「俺は怒ったことに関しては、間違ってはいなかったと思うぞ」
「ええ、お父さんは間違ってはいませんよ。あの子の問題です。でも、良かったじゃないですか。こうしてジョージさんのお陰で、久しぶりに美弥子と楽しく話が出来たんだから」
「まあ、そうだな」
奥さんが瓶ビールを掴んだ。僕に視線を向ける。
「さあ、ジョージさん。コップがお留守ですよ」
「ありがとうございます」
奥さんからの酌を受けた。
「お腹いっぱい食べてくださいね。さあ、お父さんもどうぞ」
奥さんに酌をされながら、杉山社長が僕を見る。
「なあ、ジョージ」
杉山社長が、真面目な顔をしている。
「はい、何でしょうか」
「お前……今、どうしているんや?」
社長の一言に、急に酔いが醒めていく。僕の今の状況を説明することが、とても恥ずかしかった。今の僕は浮浪者と変わらない。
「今の僕は……」
言い淀んでしまう。そんな僕を見て、社長が微笑んだ。
「話し難かったら無理にとは言わんぞ。しかし、お前が忽然と消えた時、ちょうど安達親分が撃たれたやろう。あの時のジュエリーは、そりゃ大変やったぞ」
思わず頭を上げた。社長の顔を見る。
明美と駆け落ちの約束をしたとはいえ、ジュエリーの仕事を放り出してしまったことは事実だ。支配人からの期待を裏切ってしまう。言いようのない罪悪感が、僕に圧し掛かって来た。
「も、申し訳ありません」
深く首を垂れた。
「俺に謝られても困るがな。あの頃は俺も様子が気になったからな、ジュエリーによく遊びに行ったんや。その時、ホステスからお前の面白い噂話を聞いたぞ」
「噂話ですか?」
「なんと、ジョージ新犯人説や」
「えっ!」
「つまりな、安達親分を撃ったのはお前やって話や」
僕は大きく首を振った。
「それは、全く違います」
「分かっとる。話のネタやがな。犯人は直ぐに捕まったから、誰もお前が犯人とは思ってない。ただな、ホステス達はよく見とる。火のない所に煙は立たないと言うやろう。お前……安達親分と月夜ちゃんを取り合っていたんか?」
大きく息を吸う。社長から目を逸らしてしまった。二人の間に沈黙が流れる。
杉山社長は、コップを持ち上げるとビールに口を付けた。それ以上、僕を追求するわけでもなく、テーブルに並べられた料理を食べ始める。
僕も社長に倣うようにして、奥さんの料理を食べることにした。箸を手に取る。唐揚げを口にした。
――美味い。
カリッとした口当たりなのに、鶏肉がとても柔らかかった。口の中に、香ばしい肉汁が広がる。そういえば、落ち着いて料理を楽しむなんて久々の事だった。
逃げ出してからというもの、碌なものを食べてこなかった。腹がふくれれば良い。そんな割り切った食事ばかりだった。だから尚更、奥さんの家庭料理が美味しく感じる。愛情のようなものを感じた。料理の味付けや盛り付けから、僕をもてなそうとする気遣いが感じられる。社長と奥さんの、優しさを感じた。
――全てを話そう。
素直にそう思った。隠し立てをしても何も始まらない。格好をつけたがる自分が滑稽に思えた。それに、何もかも吐き出してしまいたい。そんな欲求にも駆られていた。ひとりで抱えるのは……もう辛い。
「実は……」
ジュエリーボックスから逃げだした顛末を、僕は順を追って説明する。たかだか半年前のことなのに、何だか遠い昔の事のように感じた。
ジュエリーでの初舞台で、明美の似顔絵を描いたことが全ての始まりだった。その事が安達親分の逆鱗に触れてしまう。明美は、安達親分の女だった。その後、落とし前として安達親分の命令でヤクザの仕事を手伝うが、大怪我を負ってしまった。そのまま安達家で療養することになる。
親分のお母さまである喜美代さんや、お手伝いの京子さんは、僕にとても良くしてくれた。これまでに経験した事のない満ち足りた療養生活を三週間ほど過ごすことになる。中でも大きな変化が、僕と明美との関係だった。
戎橋の上で初めて明美に出会ったころから、僕の心の中には明美がいた。しかし、どちらかというと憧れに近く、僕なんかが付き合えるとは考えてもみなかった。ところが、安達家での生活は、僕と明美の心の距離を一気に詰める。お互いを必要とする、なくてはならない関係に発展した。
その後、療養生活が終わりジュエリーに復帰してからも、明美との関係は続く。しかし、僕たちの関係を親分に知られるわけにはいかなかった。
大原美術館へ旅行した時、明美が言った。
「じゃ、私を盗んでよ」
二人で駆け落ちすることを決めた。
泣きながら僕を見つめる明美の姿が、思い浮かぶ。その時、ほろりと涙が流れた。一度涙が流れ始めると、もう止めようがなかった。次から次へと涙が溢れ出す。首を垂れて、むせび泣いた。戻らない時間に、心が掻きむしられる。何でこんなことになったんだ……。
奥さんが、そっとハンカチを手渡してくれる。気遣ってくれたのか、その後、台所に隠れてしまった。
どれくらい泣いていたのだろうか。五分、十分、随分長く泣いていた様な気がする。気持ちが幾分落ち着いたころ、僕の目の前にグラスが置かれた。
カラン。
氷がグラスに当たり小気味よい音が響く。ウィスキーのロックだった。
「飲めよ」
杉山社長が、僕に笑顔を見せる。
「頂きます」
グラスに手を伸ばし口にした。燻された甘い香りが、喉を流れ焼いていく。ゆっくりと味わった。
「どうや、いけるやろう?」
「いけますね。ちょっとキツイですけど」
「ターキーや。四十五度もあるからな」
意識がぐらりと揺れる。心地良い酔いだった。グラスを傾け、飲み切ってしまう。
カラン。
氷がまた鳴った。
「お代わりをお願いできますか」
グラスを差し出した。杉山社長が嬉しそうな表情を見せる。
「ええ感じやないか」
七面鳥が印刷されたターキーのボトルを、社長が掴む。笑いながら僕のグラスに注いでくれた。グラスをゆっくりと回す。琥珀色のウィスキーを楽しんだ。心が宙を泳いでいるようで、気持ちが良い。
しかし、そのグラスをテーブルに置いた。気持ちを切り替えるようにして、大きく深呼吸をする。杉山社長を見つめた。
「社長」
改まった僕の態度に、社長が不思議そうな表情を浮かべる。
「なんや」
背筋を伸ばす。
「社長にお願いがあります」
社長が見つめ返してきた。
「言うてみい」
「明美、いや月夜に会いたくて、僕は大阪に戻ってきました。何とか力になって頂けないでしょうか」
僕を暫く見つめた後、社長が腕を組んだ。ソファーにもたれ掛かり目を瞑る。社長がどのような返事をくれるのか、少し不安になった。
「……あんな、ジョージ」
社長が目を開ける。
「はい」
「会ったとして、その後、どうするつもりや?」
「どうするって……だから、明美ともう一度やり直したいと思っています」
「それは分かる。そうじゃなくて、もっと具体的なことや。連れ出して、もう一度、駆け落ちをするんか?」
「いや、そこまでは考えていませんが……」
「それを考えなアカンやろう」
「はい。確かに……」
「現状はかなり厳しい。でもな、行き当たりばったりはアカンぞ。中途半端に話を振られた月夜ちゃんこそ、ええ迷惑やないか」
「それはそうですが……二人で相談して何とか」
「浮浪者のままでか?」
社長の一言に、言葉が詰まった。唇を噛みしめる。首を垂れてしまった。またしても沈黙が訪れる。
杉山社長は手を伸ばし、グラスを掴んだ。ゆっくりとウィスキーを味わう。
「なあ、ジョージ」
「はい」
「ワシに、お前を立ち直らせるアイデアが……ないわけではない」
大きく目を開いた。社長を見つめる。
社長が、僕を見下ろしていた。
僕は、床に正座する。社長を真っすぐに見据えた。頭を擦り付けて土下座する。
「そのアイデアを、是非、聞かせてください」
その時、杉山家の玄関が開けられた。
「ただいま~」
元気な声が聞こえてくる。美弥子さんが、足早に廊下を歩いてきた。居間に入ってくるなり、土下座をしている僕と遭遇する。
「どうしたの! ジョージさん」
美弥子さんが素っ頓狂な声をあげた。僕のそばに駆け寄ってくる。労わる様にして、僕の背中を摩った。
「もしかして、パパに怒られているの?」
美弥子さんの言葉に、社長が苛立たしい声を上げる。
「美弥子、ちょっと黙ってろ!」
杉山社長の強い口調に、美弥子さんが言い返した。
「パパはいつだってそう。怒鳴ることしか出来ないの!」
僕は、慌てて頭を上げた。
「違うんだよ、美弥子さん。これは僕が社長にお願いしているんだ」
美弥子さんが、僕を見つめる。
「怒られているわけではないの?」
「違うよ。僕は、社長の力を必要としているんだ」
「なら良いけど……」
台所から、奥さんが出てきた。美弥子さんに語りかける。
「美弥子。ちょっと手伝ってくれる?」
「えっ、うん。分かった」
美弥子さんは、状況を察したようで、渋々台所に引き下がった。
僕は、改めて姿勢を正す。社長を見上げた。社長も真剣な目で、僕を見つめ返している。改めて頭を下げた。
「お話を聞かせてください」
社長が頷く。
「ジョージ。お前には、これまでにも世話になった。今回も美弥子のことを助けてくれた。ワシは非常に感謝している。だから、お前の力になってやりたい。ただな、ワシにも出来ることと出来ないことがある。アイデアはあるが、それを形に出来るか出来ないかは、お前次第や」
「はい」
杉山社長が、台所の方を見つめた。
「昨日、イジメについて美弥子と話をしていたやろう」
美弥子さんのイジメの解決策を思い出す。
「イジメの解決にテニス部の部長を差し向けるって言っていた、あれですか?」
「そうや。あの話からピンと来たんや」
「どういうことでしょうか?」
「ジョージ。旗本興行って知ってるか?」
「えーと、旗本新喜劇の事でしょうか」
「そうや。新喜劇そのものは旗本興行が展開している事業の一部分でしかない。母体の旗本興行は、この大阪で芸能全般を支配しているプロダクションや」
「支配……ですか」
「そうや。安達親分が、演歌歌手の真山琴子のタニマチをやっているのは知っているか?」
「はい。一度、ステージを拝見しました。素晴らしいの一言でした」
「親分もな、芸能にはそこそこ力を入れている。しかし、あの安達親分でさえ旗本興行の傘下みたいなもんや。それくらい旗本興行の影響力は大きい」
「そうなんですか!」
「それにな、旗本興行は神戸の西岡組と繋がっている。西岡の大親分とは兄弟の間柄や。安達組が西岡組の直参といえども、旗本興行に盾突くのは難しいやろう」
「それは知りませんでした」
「なあ、ジョージ」
「はい」
「お前、旗本興行の人間になれ」
「旗本興行……ですか」
「そうや。お前の絵の力を生かして、旗本興行の芸人になるんや」




