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逃げるしかないだろう  作者: だるっぱ
譲治 一九八〇年十一月
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似顔絵修行

 僕は絵を描くことが好きだ。頭の中に浮かんだアイデアやイメージを表現するという行為は、僕にとって生きることそのものだ。お腹が空いたらご飯を食べるように、眠くなったら横になるように、心が激しく揺さぶられるような対象に出会うと、僕はその存在を全力で表現したくなる。


 自転車で大阪を飛び出してからも、絵を描くことは一日たりとも怠らなかった。というより、毎日が新鮮で感動の連続だから、絵を描かないと僕自身が落ち着かないのだ。それに、行く先々で出会った人たちとのコミュニケーションのツールとしても、絵は大いに役に立った。

 日本中どこに行っても、自由に野宿が出来る場所なんて、基本的には無い。場所を提供してもらうために頭を下げることもある。一宿一飯の恩義ではないけれど、何かお返しをしたい。僕に出来ることといえば、やはり絵を描くことだった。


「お礼に、あなたの似顔絵を描かせてもらえませんか?」


 多くは僕の申し出に驚いた顔をする。そりゃそうだろう。そんなお礼は聞いたことがない。

 僕が鉛筆を動かしはじめると、相手は様々な反応を見せた。面白がる人や、恥ずかしがる人。僕は語りかけながら鉛筆を走らせる。郷土ならではの話題で盛り上がることもあるし、僕の素性を知りたがる人もいた。その時々に見せる変化に応じて、僕は似顔絵に工夫を凝らしてみる。


 ――あなたの笑顔を見てみたい。


 出来上がった似顔絵を見て相手が喜んでくれると、僕は満足する。その夜は、テントの中でぐっすりと眠ることが出来るのだ。


「私の為に力を貸してください」


 美弥子さんは、僕にそう言った。女子高生の戯れに付き合うくらいの余裕なら僕にもある。それに、可愛らしい女の子に頭を下げられて断る男がいるのだろうか。ましてや、そのお願いは僕の得意分野なのだ。断る理由はなかった。

 美弥子さんが、椅子を持ち上げる。黒板の前に設置した。


「ジョージさんは、その椅子に座ってください。モデルは私が誘導しますから、どんどんと似顔絵を描いてくださいね」


 促されるままに、僕はその椅子に座った。美術室が一望できる。何んだか妙な気分だ。皆の視線が僕に集中した。

 美弥子さんは、機嫌よさそうにチョークを手に取る。カンカンと音をさせながら、黒板に白い線を走らせていった。丸みを帯びた大きな文字が踊っている。即興で書いたにしては良く出来ていた。


「お笑い! 似顔絵道場」


 思わず笑ってしまった。漫画が似顔絵に変わっているだけで、テレビ番組のタイトルのパクリだ。美弥子さんの行動に目が離せない。面白い女の子だ。

 美弥子さんは美術室を出ると、廊下を歩いている一人の生徒を呼び止める。


「ミサト!」


「あら、美弥子様。何でしょうか?」


「お願いがあるんだけど……」


「ええ、どうぞ」


「美術室に皆を集めてくれないかしら。私が呼んでいるって伝えて欲しいの」


「皆に伝えれば良いんですね」


「文化祭で忙しいでしょうから、手が空いた時でいいからね」


「はい、分かりました。ところで、何をするのでしょうか?」


「絵のモデルになって欲しいの」


「モデル!」


「実はね、あなた達にサクラになって欲しいの」


「誰が来ても宜しいのですか?」


「ええ、誰が来ても大歓迎よ。きっと面白いことになるから」


「分かりました。私も友達を連れて行きます」


「ありがとう。お願いね」


 廊下での会話を聞きながら驚いた。女子生徒から「美弥子様」と呼ばれている。先輩後輩であっても、普通は「様」は付けないだろう。それに「皆を集めて」って、誰を集めるつもりなんだ。本当に不思議な女の子だ。

 美弥子さんが、美術室に戻ってくる。ちょっと問い質してみようとみようと思い、口を開いた。


「あのー、美弥子さん……」


 言葉が途切れてしまう。美弥子さんの後ろに、大きな男子生徒が立っていたからだ。身長は、百八十センチ以上はある。涼し気な目で、僕のことを見下ろしていた。


「ジョージさん、お待たせ。一人目のモデルよ」


 大柄な男子生徒が頭を下げる。


「ウィっす。お願いします」


「お、お願いします」


 思わず、僕も頭を下げた。美弥子さんのスケバン疑惑を追及したかったけれど、それどころではなくなった。今から似顔絵に集中しなければならない。

 美弥子さんに促されて、男子生徒が僕の目の前に座った。学校にある一般的な椅子なのに、彼が座ると子供の椅子のように小さく見えてしまう。学生服を着ているから生徒であることは間違いない。しかし、人を圧倒するオーラを感じた。彼を一言で表現すると野獣だった。


 髪の毛は短く切り揃えられている。鼻柱は折れた形跡があった。鍛えられた筋肉が服の上からでも分かる。膝の上に乗せている大きな握りこぶしは、何かを殴り続けた痕跡が見受けられた。中でも特徴的なのはその目だ。涼しいながらも、その目つきから、強い意思を感じた。

 僕は言葉を選んで問いかける。


「鍛えられているね。格闘技でもしているのかな?」


 男は、澄ましたように笑った。


「まあ、そうですね」


「空手……かな?」


「良く分かりましたね」


「それに、かなり強そうだ」


 男は、困ったように笑う。


「それほどでも」


 返ってくる言葉が少ない。お喋りは苦手なようだ。それでも、少ない言葉のやり取りから空手に対する自信を感じられる。かなり強いに違いない。


 ――美弥子さんの交友関係はどうなっているんだ?


 美弥子さんがスケバンなら、この男は番長だ。そんな妄想をしてしまう。ただ、この男が怖いのかと問われれば、それは違った。礼儀正しいところがあり、どこか愛嬌がある。好感が持てた。


「今から似顔絵を描くけど、ポーズをとってもらおうかな?」


「どんなポーズですか?」


「そうだね……折角なので、空手はどうだろう」


「空手ですか……」


「空手には型があったよね」


「ありますが、型は動きますからポーズにはなりませんよ」


「動いてもらっても構わないよ。いや、むしろ動いて欲しいかな」


 男は振り返り、美弥子さんを見る。お伺いを立てるような視線を送った。美弥子さんは、腕を組みながら頷く。


「アキラの好きなようにしたら良いよ」


 ――呼び捨てなのか!


 二人の関係は分からない。しかし、アキラと呼ばれた男は、どうも美弥子さんに頭が上がらないようだ。


 ――美女と野獣?


 そんな二人の関係を想像してしまった。なんだか愉快になる。面白い二人だ。

 アキラ君は、のっそりと立ち上がった。椅子を横にどける。美術室を見回した。


「危ないんで、ちょっとどいてもらえますか」


 ギャラリーが増えていた。女子生徒が多い。美弥子さんの招集に応じてやって来たのかもしれないが、それにしては熱気を感じた。視線の多くは、アキラ君に注がれている。きっと人気者なのだろう。


「アキラ君、頑張って~」


 黄色い声援に、アキラ君が右手を上げた。少し照れている。

 十分なスペースを確認すると、アキラ君は部屋の中央で仁王立ちになる。集中力を高めはじめた。呼吸する音が、こちらまで聞こえてくる。

 両方の足先を少し内側に向けて、拳を握り締めた。腰を少し落としたかと思うと、素早く足を動かして、両手の拳を構える。

 ゆっくりと左ひじを引いた……かと思うと、素早い動きで拳を突き出す。


 シュッ!


 空気が切り裂かれた。元の構えに戻る。

 アキラ君は、同じような動作を何度か繰り返した。流れるような動きは無駄がなく、隙が無い。複数の敵に囲まれて、一人戦っているようだった。美しさすら感じてしまう。

 絵を描くことを忘れて見惚れていると、アキラ君が僕に迫ってきた。右足を床に叩きつける。


 バン!


 床が震えた。アキラ君の巨体が、僕に襲い掛かる。


「キェ――――――――!」


 空気が切り裂かれるような雄叫びをあげた。アキラ君の拳が、僕に向かって真っすぐに突き出される。一瞬、倒されたような錯覚に陥った。アキラ君が目の前でポーズを決める。型を終えた。


 アキラ君を見つめながら、僕の集中力が加速していく。頭の中では、先程の空手の型が再生されていた。頭の中にあるカメラの位置を、僕は次々と変えていく。様々な角度からアキラ君を覗き込んだ。上から下から、斜めから。様々なポーズのアキラ君が、僕の頭の中で再生されて増殖されていく。

 モデルであるアキラ君は動いている。立体なうえに時間という概念を伴なっていた。対して、僕が表現する絵は静止している。二次元という平面な世界だ。そこには、大きなギャップが存在している。

 ビデオカメラではないので、動きのある対象をそのままクロッキー帳に落とし込むことは出来ない。それでも、動きのあるアキラ君を僕は表現したい。


 ――アキラ君に、今にも殴られそうな臨場感。


 想像の中で、僕はアキラ君に何度も殴られる。拳が僕の顔面を捉える度に興奮した。荒々しい野獣の様なアキラ君を表現する為に、最高の構図を探し求める。イメージを追いかけた。

 アキラ君と戦うようにして、クロッキー帳と格闘する。

 突き出したアキラ君の拳を、クロッキー帳の下半分に、はみ出すくらいに大きく描いた。殴り続けて歪に変形した拳を、荒々しく凶器のように表現する。その拳の奥に相手を睨みつけるアキラ君の瞳を描いた。野獣のようにギラギラと光らせる……。


「出来たんですか?」


 アキラ君の声で、我に返った。描き上げた似顔絵を見つめる。しばらく放心状態だったようだ。

 想像の中のアキラ君に、無限ともいえる時間の中、僕は何度も殴られ続けてきた。それなのに、現実の時間は僅かしか進んでいない。現実との乖離に戸惑った。


「……出来たよ。似顔絵と言いよりは、拳が主役になったけどね」


 クロッキー帳を、アキラ君に差し出す。すると、周りにいた女の子たちがワラワラと近づいて来て、アキラ君を取り囲んだ。皆してクロッキー帳を覗き込む。


「おいおい、お前達……」


 アキラ君が、迷惑そうに顔を歪める。そんなアキラ君を他所に、女の子たちが次々と黄色い声を上げ始めた。


「格好良いじゃない」

「なんか、今にも殴られそうね」

「アキラ君だったら、私、殴られてみたい」

「馬鹿ね。アキラ君は、あんたなんか相手にしないわよ」

「ねえ、アキラ君。この絵をちょうだい」

「えー、私が欲しい」

「ちょっとズルい。やめてよ~」


 盛り上がっている女の子たちの前で、美弥子さんが仁王立ちになった。腕を組みながら、低い声で制する。


「あんた達」


 女の子たちが、一瞬で凍り付いた。怯えたように美弥子さんを見る。

 そうした女の子達を無視して、美弥子さんはアキラ君からクロッキー帳を取り上げた。アキラ君が、その絵を目で追いかける。


「おい、美弥子。俺、まだ見てないんだけど……」


 美弥子さんが、冷たい目でアキラ君を睨みつけた。


「この文化祭が終わるまでは、この絵は美術部の所有と致します」


 振り返り、美術室を見回した。見学者に混じっていた小林君を見つける。


「小林君」


「はい」


 突然の呼びかけに、小林君が背筋を伸ばした。


「このアキラ君の似顔絵と私の似顔絵を、黒板の目立つ場所に貼ってちょうだい」


「は、はい。分かりました」


 クロッキー帳からそれらの絵を切り取ると、美弥子さんは小林君に手渡した。小林君は、二枚の似顔絵を持って黒板に向かう。貼り付けの作業を始めた。

 美弥子さんは、教室にいる見学者を見まわす。アキラ君を取り巻いていた女の子たちや見学者たちは、事の成り行きを見守っていた。

 美弥子さんが、皆に向かってゆっくりとお辞儀をする。顔を上げると、皆に呼びかけた。


「見て頂いた通りです。只今より、お笑い! 似顔絵道場を開催いたします」


 作業の手を止めて小林君一人だけが、パチパチと拍手をした。しかし、それ以外の見学者は、突然の呼びかけに反応できずにいる。美術室に寒い空気が漂った。

 しかし、美弥子さんはそんなことは全く意に介さない。反応してくれた小林君に会釈した後、更に話を続けた。


「本日、お越し下さった方はジョージ先生です。先程、皆様に見て頂いた通り、ジョージ先生は瞬時に似顔絵を描くだけでなく、類まれなセンスによって、格好良いものは更に格好良く、美しいものは更に美しく、見る者に驚きと感動を与える似顔絵のスーパースターです。日本の美術界で最も期待されている先生になります。今回は、私の父親の縁で、この美術部に来られました。皆さん、先生に拍手!」


 パチパチパチパチ!


 美弥子さんの気迫に押されて、美術室にいる見学者の一人が拍手を始めた。小さな拍手は次第に大きくなり、先ほどとは打って変わって盛大な拍手が鳴り響く。


 ――しかし、似顔絵のスーパースターって……。


 美弥子さんの持ち上げ方がこそばゆい。急に皆から歓迎されると、何だか居心地が悪かった。美弥子さんが、話を続ける。


「この文化祭で美術部は、ジョージ先生に似顔絵を描いて頂けます。こんな機会はめったにありません。似顔絵のモデルになりたい方は、こちらから順番にお並びください。出来上がった似顔絵は、文化祭期間中は美術部が管理いたします。この美術室にて展示いたしますので、ご自由にご覧ください。尚、文化祭が終了しましたら、モデルになられた方には、ご自分の似顔絵をお返し致します。希望する方は、この美術室まで引き取りに来てください。では、始めましょう。次のモデルは誰ですか?」


「はい!」

「わたし」

「わたし、わたし~」


 ギャラリーの壁が雪崩のように崩れた。我先にモデルになろうと競い合い始める。美弥子さんは適切に希望者を誘導して整列させた。最後尾は廊下から飛び出している。


 ――こんなにも!


 僕は呆気に取られてしまった。美弥子さんの手腕に感心してしまう。そんな僕に、美弥子さんがクロッキー帳を差し出した。


「では、ジョージさん。舞台はご用意しました。存分に似顔絵を描いてください」


 笑顔なのに、美弥子さんの顔が怖い。クロッキー帳を持つ手が震えていた。美弥子さんから緊張感が伝わってくる。彼女の、この文化祭に賭ける真剣さが伝わってきた。僕は、力強く頷く。


「分かりました」


 昼頃から始まった「お笑い! 似顔絵道場」は、夕方までモデルを希望する列が途切れることがなかった。美弥子さんの根回しの効果だろう。天王寺公園で似顔絵を描いていても、ここまで人が並ぶことはない。似顔絵を描く機械のように、僕は描いて描いて描きまくった。


 似顔絵のモデル希望者も多かったけれど、そうした似顔絵を見に来る見学者は更に多かった。噂を聞きつけてやってきたのか、随所で盛り上がっている。知っている友達なのだろう。展示された似顔絵を指さして笑っていた。


 演出という意味では、描かれた似顔絵の扱い方に、僕は非常に感心させられる。いつもの僕なら、描き上がった似顔絵はモデルに差し上げていた。ところが、美弥子さんは、モデルに渡さない。文化祭期間中は美術部が管理すると主張した。


 出来上がった似顔絵は、直ぐさま美術室に展示されていく。元々展示されていた絵画の空いたスペースに、同じように貼り付けていくのだ。五枚十枚くらいなら、それほどの効果は感じられない。しかし、一日目の文化祭が終了する頃には、三十枚ほどの似顔絵が完成していた。それらの似顔絵が、美術室の壁という壁に貼り付けられている。


 ――顔、顔、顔。


異様な景色だった。しかし、面白い。十枚の作品が展示されていただけの殺風景な美術室が、とても騒がしくなった。


「ジョージ先生。今日はお疲れさまでした」


 美弥子さんが、嬉しそうにやって来た。僕に抱きつく。驚いた僕は、美弥子さんの両肩を掴んだ。慌てて引きはがす。


「あ、ありがとう。でも、先生は余計だな~」


「いーえ。私にとっては先生です。とっても素晴らしかった」


 興奮しているのか、顔が上気している。僕に引きはがされているのに、更に顔を突き出してきた。


「分かった。分かった。それより、明日も似顔絵を描いたら良いんだよね?」


「もちろんです。是非、お願いします。明日は、更に凄いことになると思います」


「楽しみにしているよ」


 よっぽど嬉しかったのだろう。クールビューティーだった美弥子さんが、無邪気な女の子になっていた。一日目の文化祭が終わった。

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