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逃げるしかないだろう  作者: だるっぱ
譲治 一九八〇年十一月
55/80

喧嘩

 その頃、僕は北海道にいた。大阪を出発してから北へ北へと自転車を走らせた僕は、連絡船に乗り北海道に渡る。初めて訪れる北海道の大地は、本州とは全く違う景色をしていた。

 本州の最北端、青森に至るまでの道のりは奥羽山脈に沿って国道が伸びている。奥羽山脈は深い森だった。高い木々が空を隠している。その隙間を縫うようにして、僕は自転車を走らせた。

 ところが、北海道は空を遮るものがない。ただただ広かった。草原の中を、一本の道が真っすぐに伸びている。その先が見えないのだ。あまりにも広すぎて、走っても走っても景色に変化がない。前に進んでいるのかさえ疑ってしまう。北海道の大きさに、圧倒された。


 地図を開き、北海道の岬や名所を確認しては現地に向かう。夏の北海道を、縦横無尽に走り回った。僕は、自分の足跡を地図に記していく。北海道が僕の足跡で囲まれていく様子が、ゲームのようで楽しかった。

 グルっと一周して、再び札幌に帰ってくる。札幌は、大自然とは違い人間が生活する都市空間だ。広い道路の左右には建物が立ち並び、多くの人が行き交っている。久しぶりの街の空気が、なんだか懐かしかった。

 自転車を札幌駅に向ける。駅は街の中心地にある。周囲はコンクリートで整備されていて、僕のような薄汚れた旅人が立ち寄るような場所ではない。ところが、駅に近づくと僕のような旅行客が目につき始めた。


 北海道は強大な観光地ともいえるので、札幌に旅行客が集まることはさほど不思議なことではない。ただ、それら旅行客は、大きく二種類に分けることが出来た。一方は、北海道を楽しむためにやって来た観光客。もう一方は、移動手段を楽しむために北海道にやって来た旅人だ。

 観光客の多くは、お金を使いホテルに泊まる。反対に、旅人の多くは、時間を使い移動を楽しむ。且つ、宿泊にはお金をかけない。そうした旅人のことを、現地ではみつばち族と呼んでいた。


 みつばち族の多くは、移動にオートバイを使いツーリングを楽しむ。北海道という広大な大地を走り回るのに、オートバイは打って付けの移動手段だった。

 しかし、移動手段はオートバイだけではない。僕のように自転車を走らせる者もいた。そうした旅人のことを、ライダーに因んでチャリダーと呼んでいた。徒歩の場合は、トホダーになる。

 そうしたみつばち族が、まるで巣に戻る様にして札幌駅に集まっていた。目的は宿泊するためだ。みつばち族は、札幌駅の敷地内で堂々と寝袋に包まり一泊する。一人や二人ではない。夏の時期には、二十人三十人がそこかしこで寝転がっているのだ。


 自転車があるので、僕は駅構外の道路わきに自分の場所を確保した。テントは張れないが、雨の心配はない。それに、札幌駅では、一夜を共にする仲間が沢山いた。面識はないけれど、お互いに旅人ということで妙な親近感を感じる。

 隣近所の旅人と挨拶を交わした後、これまでの旅の出来事や情報を交換した。旅人のそうした情報は、実際に現地に訪れているだけに、非常に価値が高い。ついつい話が盛り上がる。

 その時、近くで誰かが叫んだ。


「おーい、みんな聞いてくれ!」


 声がする方に顔を向ける。一人の男が立っていた。奇妙な男だった。オレンジ色のスタジアムジャンパーがとても目立つ。でも、それ以上に目立つのはその男の頭だった。モヒカン刈りなのだ。

 何事かと、周辺にいた旅人たちが一様に注目する。モヒカン男は、両手を振り上げて、更に続けた。


「どうか俺を助けて欲しい。大阪にいる女が、今すぐにでも子供を産みそうなんや。チャランポランな俺やけど、いま直ぐに大阪に帰りたい。女を安心させたいし、子供の顔が見たい。大阪までの旅費を、なんとか工面したいんや」


 必死の叫びだった。モヒカン男の事情は分からない。しかし、大阪に帰りたいという気持ちは伝わってきた。しかし、だからといって、見も知らないモヒカン男にお金を貸す義理もない。誰もが対応しきれないでいた。そうした空気の中、モヒカン男は手に持っていたリュックサックを持ち上げる。


「そこでだ。貸してくれとは言わない。俺の荷物を買い取って欲しい。まずは俺の荷物を見てくれ」


 モヒカン男はその場で荷物を広げ始めた。なんだか手慣れている。モヒカン男のリュックから、色々なキャンプ用品が飛び出してきた。男は一つ一つ丁寧に並べ始める。周りの視線がモヒカン男に集まった。


「ちょっと見てみないか?」


 知り合ったばかりで意気投合していた旅人が、モヒカン男に興味を示す。僕を誘った。


「そうだな。面白そうだし」


 二人して腰をあげた。他の旅人たちもモヒカン男のキャンプ用品に関心を示す。


「いらっしゃい。いらっしゃい。どうぞ見てくれよ」


 モヒカン男は、見た目に反して愛嬌のある男だった。僕たちに視線を向けると、嬉しそうに手招きする。

 キャンプ用品は一通り揃っていた。テントに寝袋、ストーブにランタン。それら商品を囲むようにして、十人ほどの旅人が集まった。モヒカン男は、それらのキャンプ用品が値打ちものだと熱心に訴える。

 その中から調理をするためのストーブが真っ先に売れた。ガソリンを使うタイプで上級者向けになる。中古とは思えないほどに状態が良かった。値段はモヒカン男との交渉で決められるが、案外安いような気がした。

 旅人たちは、実際にそれらのアイテムを使用しているので価値を知っている。他のキャンプ用品も、スムーズに買い手が見つかっていった。

 僕も購入する。寝袋の中で使うインナーシーツと、モヒカン男が着ていたオレンジ色のスタジアムジャンパーだ。


 九月も中旬を過ぎた頃から、北海道は急に寒くなる。その寒さ対策に、実は頭を悩ましていたのだ。なかなか良い買い物ができたと思う。

 お金を手にしたモヒカン男が、札幌駅から消えた。集まっていた旅人たちもそれぞれに散っていく。僕も元の場所に戻っていった。


 軽い食事を終えていた僕は、荷物の中からウィスキーを取り出す。蓋を開けて、そのまま一口飲んだ。燃える様な液体が、喉を焼きながら流れていく。強いアルコールの匂いが鼻を突き抜けていった。


 ――美味い。


 寒さを感じるようになってから、毎晩、ウィスキーを嗜むのが習慣になっていた。身体が温まる。緩やかな酔いに心を委ねていった。


 ブッブ―!


 目の前でタクシーがクラクションを鳴らしている。街の喧騒が心地良かった。


 ――遠くまで来たな。


 これまでの逃避行を振り返る。

 大阪から逃げ出した僕は、本州を走り最北端の宗谷岬に到達した。最北端を過ぎてからは、景勝地を巡りながら北海道を一周する。行く当てのない旅ではあったけれど、札幌駅に帰ってきたことで、ゴールに到着したような達成感を感じていた。


 ――これから、どこに向かうのだろう?


 今後の行き先が見えなかった。どうすべきかも分からない。根無し草の様な自身の境遇に不安感を憶えた。

 お金は、まだ十分にある。ジュエリーボックス時代に貯えたお金が、郵便局に預けたままだ。なんなら、このまま日本一周を目指したってかまわない。でも、逃げ続けることに、僕は疲れ始めていた。


 なんだか明美の声が聞きたかった。一週間ほど明美に電話をしていない。いま頃、僕からの電話を心待ちにしているだろう。

 財布を見る。小銭が無かった。

 立ち上がり自動販売機に向かう。千円札を入れて、温かいコーヒーのボタンを押した。


 ガコン。


 缶コーヒーと一緒に、お釣りが落ちてくる。その小銭を掴んで、駅の構内にある公衆電話に向かった。歩きながら、コーヒーを一口飲む。甘い。折角の酔いが醒めてしまいそうだ。

 公衆電話に凭れかかり、受話器を手に取る。手の中にある百円玉を縦長のスリットに次々と滑り込ませた。明美の番号をダイアルする。直ぐにつながった。


「もしもし」


「もしもし、久しぶりね。なかなか電話をくれなかったけれど」


「ごめん。電話が無いような自然の中ばっかりにいたから……」


「ふーん。それに、今日は遅いのね。もう十時よ。いつもだったら夕方ごろに掛けてくるのに」


「いつもは、テントを張る前に電話をしていたから」


「どういうこと?」


「公衆電話って街中にしかないだろう。僕がテントを張る場所は人が住んでいない場所だったりするから、張ってからでは電話が出来ないんだ」


「なるほどね。今日は違うの?」


「うん。今は札幌駅にいる」


「あら、街中じゃない。ホテルにでも泊まるの?」


「ううん。札幌駅の軒先を借りて野宿する」


「えー! 浮浪者に間違われるよ」


「大丈夫だよ。実は、僕みたいに駅で寝る人は沢山いるんだ。ざっと見回しただけでも二十人は居るよ」


「えー、信じられない。そんな所でよく寝られるわね」


「まあね。慣れたから」


「ふーん。まー良いけど。それよりも、ちゃんと食べているの?」


 明美が心配そうに、僕のことを気遣ってくれる。


 カシャン。


 電話機の中から、百円玉が落ちる音がした。長距離電話のせいで、落ちるスピードが速い。あまり長電話は出来ないなと心の隅で感じた。


「何とかね。街が少ないから、食料品のストックはなるべく自転車に積んでおくようにしている」


「毎日、ご飯を作っているんだよね。考えられない。私だったら絶対に生きていけないと思うな」


「いや、案外なんとかなるもんだよ。それにね、僕のような旅人って飛び出してみると結構いるもんなんだ」


「でも、女性は少ないんじゃない?」


「そうだな~、確かに少ない。でも、いるよ」


「ジョージみたいに、自転車に乗っているの?」


「えっとね。凄い男女のカップルがいたよ」


「カップル?」


「日本最北端の宗谷岬から、南に百キロくらいの所を走っていた時のことなんだけどね」


「うん」


「その辺りって何もないんだ。見渡す限り荒地か草原しかない。左手には大きな海が広がっていてね、正に日本の最果てなんだ」


「何だか、寂しそうなところね」


「でも、素晴らしいよ。その日は晴れていてね、真っ青な空の下、道だけが真っすぐに北に向かって伸びているんだ。その先にね、歩いている二人の姿を見つけた」


「歩いている! そんなところで?」


「うん。旅人だってことは一目で分かった。二人とも日に焼けて真っ黒になっていた。僕はね、どこから来たんですかって、尋ねてみた」


「何処から来ていたの?」


「当ててみてよ」


「うーん。大阪かな? 分からない」


 カシャン。

 次々と、百円玉が落ちていく。


「実はね、沖縄なんだ。しかも、二人は歩いて日本を縦断していたんだ。考えられる? 僕は自転車だから、そこから宗谷岬まで一日で走り切ることができる。だけど、歩きなら三日は掛かるんじゃないかな」


「へー、色んな人がいるのね」


「ついさっきも、面白い人に出会ったよ」


「どんな人?」


「まずね、身なりが凄いんだ。オレンジ色のジャンバーを着ていてね、かなり派手なんだ。でもね、それよりも目立つのが頭なんだ」


「えーと。スキンヘッドとか?」


「惜しい……答えは、モヒカン」


「モヒカンって何?」


「頭の中心だけ髪の毛を残して、左右はそり落としているんだ。鶏のトサカみたいな髪型」


「えー、何それ! アハハッ」


「そのモヒカン男がね、駅に集まっている旅人に向かって叫ぶんだ。コケコッコーって」


「アッハッハッハッ! 可笑しい。本当のこと、それ?」


「アハハ、本当はね。集まれーって、僕たちを招集したんだ」


「どうして?」


「お金を作るため。モヒカン男は、大阪に帰るために旅費が必要だったんだ」


「お金……もしかして、たかられたの?」


「ううん。僕も初めは警戒したんだけど、違った。モヒカン男も旅人でね、自分の荷物を売ってお金にしたかったんだ」


「ジョージは買ったの?」


「うん、買ったよ。寒くなってきたから、そのモヒカン男が着ていたオレンジ色のジャンパーと寝るときに使う毛布みたいなのを買ったんだ」


「へー、オレンジ色のジャンパーを買ったんだ。いま着ているの?」


「うん、着ているよ。暖かい」


「想像できない。ジョージがオレンジ色なんて。アッハッハッ」


 明美が笑った。

 カシャン。

 それと同時に、また百円玉が落ちる。


「そんなに面白いかな……いっそのこと、僕もモヒカン頭になってみようか」


「アッハッハッ。やめてよ~。絶対に似合わないから」


「そうかな~」


「ところで、そのモヒカン男はどうして大阪に帰りたかったの?」


「実はね、モヒカン男には彼女がいて大阪に住んでいるんだ。その彼女がね、もう直ぐ子供が生まれるみたいで……だから焦っていたんだ」


「えっ! 子供……」


「うん。そうなんだ。早く大阪に帰りたくて仕方がないって感じだったよ」


「そう……」


「どうしたの? 急に元気が無くなったみたいだけど」


「ううん。何でもない」


「何でもないって……返って気になるんだけど」


「あのね、ジョージ」


「なに?」


「もし、ジョージならどうする?」


「何が?」


「何がって、ほら、子供が生まれるって聞いたら?」


「ああ、その話。そりゃ、飛んで帰るよ。ただ、今は困るかな。逃げている最中だし」


「そうよね……」


「どうしたの? 子供が欲しいの?」


「えっ! まー、そりゃねー」


「ごめんな。明美の傍にいてやれなくて」


「……」


「どうしたの? 黙ってしまって」


「あのね、ジョージ」


「うん、何?」


「このままではいけないと思うの」


「まあな」


「帰ってこれない?」


「えっ! 大阪に?」


「うん」


「そりゃ帰りたいけど、まだ流石にヤバいだろう。まだ、安達組は僕のことを探しているだろうし……」


「分かってる。でも、ジョージに会いたい」


「うーん。僕も明美に会いたいけど、今は無理だよ」


「……じゃ、聞くけど……ジョージは私との関係……どうしたいと思っているの?」


「どうって、いきなり言われても……」


「私はね、ジョージと家庭を築きたい、今もそう思っているの」


「ぼ、僕もだよ」


「じゃ、行動に起こして! 私に会いに来てよ!」


「明美こそ、無茶言うなよ。僕は、今は無理だって言っているだけだろう」


「今が無理なら、いつなら大丈夫なの。行動に起こさなかったら何も始まらないよ」


「だから、僕は……」


 明美が、強い口調で叫んだ。


「意気地なし!」


 思わず僕も叫んでしまう。


「な、な、何だよそれ! 馬鹿にするな!」


 プツッ!

 ツーツー。


 唐突に電話が切れてしまった。

 僕は慌てて財布を取り出す。小銭を探した。しかし、小銭がない。千円札を取り出して自販機で両替をしようとした。でも、やめた。

 いま電話をしたところで、先程の喧嘩の続きを繰り返すだけだ。しかし、意気地なしって、何だよ。少し、腹が立つ。


 ――明日にしよう。


 そんな風に思った。でも、これがいけなかった。引き伸ばした一日が、二日になり三日になった。やっと電話をしたけれど、また明美とケンカをしてしまう。明美と僕の間に、深い溝を感じた。

 どんなことでも分かり合えていたはずなのに、今の僕は明美のことが分からない。感じることができなかった。

 現実の世界で生きている明美と、自転車で逃げ出しているだけの僕。言いようのない焦燥感に駆られた。

 公衆電話を見つけても、だんだんと電話をする頻度が減っていく。明美のことを考えない日はなかった。でも、電話をするのが怖い。このまま終わってしまうのだろうか……。


 ――このままではいけない。


 大阪に帰ることを決意した。

 安達組に見つかれば、きっとタダでは済まないだろう。もしかすると、殺されるかもしれない。でも、電話ではもう埒が明かない。会いに行かなければ。

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