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逃げるしかないだろう  作者: だるっぱ
譲治 一九八〇年十一月
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再会

 一時はどうなる事かと思ったけれど、ホッと胸を撫でおろした。椅子に座っている二人を見つめる。

 怒りに震えていた小林君が、貴子さんの対応で落ち着いた。落ち着いたどころか、貴子さんをモデルにして、いま新しい絵に取り掛かっている。

 全身全霊で仕上げた絵を穢されてしまったことは、とても可哀想なことだった。だけど、二人は手と手を取り合って前に進もうとしている。その姿に、僕は心の底から祝福したい気持ちで一杯になった。


 それに引き換え、僕が置かれている状況は、まだ先が見通せない。明美が一番辛いときに、僕は何も出来ずに逃げ出してしまった。その事実は、どんなに言い訳しても変わらない。

 もう一度、明美とやり直すために、僕は大阪に帰ってきた。しかし、現状を打開出来る方法が分からない。のらりくらりと天王寺公園で絵を描いているだけだ。暗澹たる気持ちになる。


「なんで、ジョージがこんなところにおるねん」


 後ろから声を掛けられる。突然のことに、心臓が止まるかと思うくらいに驚いた。


 ――見つかった!


 恐る恐る振り返る。そこには、ジュエリーボックスでお世話になった司プロダクションの杉山社長が立っていた。


「杉山社長――」


 社長を見つめる。しばらく言葉が出なかった。ヨロヨロと右手を上げると、美術室の真ん中で絵を描いている小林君を指さした。


「――彼と、ちょっと縁がありまして」


 やっと、それだけを言った。

 杉山社長は、絵を描くことに集中している小林君に視線を送る。


「ふーん。ジョージの弟子か?」


 ――弟子?


 その言葉に慌てた。


「いや、いや、いや。弟子とか、そんな大層なものではないです。ただ、彼から少し相談を受けまして……絵のことで」


「そうか」


 杉山社長が視線を戻す。僕の姿をジロジロと見つめた。


「まだ、絵は辞めていなかったちゅうことやな」


「ええ、まー、僕にはそれしかありませんから……」


 かなり気まずい。杉山社長から、つい視線を逸らしてしまった。

 いつもとは違い、今日はそれなりにキレイな格好をしている。髭は切りそろえて、ボサボサの髪の毛は後ろで束ねていた。服装も、新しく購入したジーパンとスタジャンを着込んでいる。でも、今の僕はやはり浮浪者だ。定職がなく住むところもない。ジュエリーボックスで黒服をしていた頃の僕ではないのだ。

 この場を取り繕うようにして、社長に質問する。


「杉山社長こそ、どうしてこの文化祭に?」


「ワシか? 娘がこの美術部の部長なんや」


「へー、そうなんですか」


 隣に立っていた女子高生に、社長が顔を向ける。


「娘の美弥子や」


 日本人形のような長い黒髪が印象的な、美しいお嬢さんだった。気の強そうな鋭い目をしている。真っすぐに僕を見つめると、美弥子さんがお辞儀をした。


「父がお世話になっております。杉山美弥子です」


 丁寧な立ち振る舞いだった。育ちの良さを感じる。


「寺沢譲治と言います。社長にはお世話になってばかりで」


 お互いの挨拶が終わると、杉山社長が美弥子さんに語り掛けた。


「この男はな、絵を描いて人を笑わせることが出来るんや」


「笑い?」


 美弥子さんが、怪訝な表情を浮かべた。その反応に、杉山社長が嬉しそうに笑う。


「そや、笑いや。面白い奴やで」


「ふーん」


 美弥子さんの反応が薄い。

 美弥子さんの態度に不満を持ったのか、社長が唇を尖らせた。僕を見る。片目を瞑ってみせた。


「なあ、ジョージ。美弥子にお前の実力を見せたってくれや」


 杉山社長の登場に驚いていた僕にとって、その申し出は嬉しかった。気まずい空気に晒されるよりも、絵を描いていた方が気がまぎれる。


「分かりました。やってみます。クロッキー帳と鉛筆を、お借りしても良いですか?」


 美弥子さんが頷いた。


「ええ、少しお待ちください」


 美術室の棚に歩いて行く。僕のために画材を用意してくれた。

 僕は教室にある椅子を引っ張り出す。小林君と貴子さんの邪魔にならないように、二つの椅子を向き合うようにして配置した。美弥子さんに、視線を向ける。


「では、美弥子さん。僕のモデルになってください」


「えっ、私が!」


 突然の申し出に、美弥子さんが驚いた顔をする。絵を描くことはあっても、モデルの経験はないのかもしれない。


「ええ、お願いします。その椅子に座って頂けますか?」


 気の強そうな美弥子さんの表情が、少し強張る。


「……えぇ、分かりました」


 美弥子さんと対峙するようにして、僕も椅子に座った。クロッキー帳を開く。美弥子さんに視線を向けた。


「美弥子さんは、美術部の部長さんなんですよね」


「はい、そうです。それが何か?」


 美弥子さんが、ツンと澄ました。強がって見せているが、まだまだ高校生。僕に対して背伸びをしている様子が伺えた。そんな子供っぽさが可愛いと思いつつも、僕は美弥子さんだけの美しさを探り始める。


「部員をまとめていくのって、大変じゃないですか?」


 美弥子さんが、天井を見上げた。考える素振りを見せる。その時、美弥子さんの首筋が長く伸びた。白く輝いている。十代という若さを感じた。


「ええ、確かに。体育会系じゃないですから活動自体はとても自由です。ただ、クラブとし存続しようとしたら大変です」


「例えば、どんなところで」


 美弥子さんが、冷たい目で僕を睨む。


「どうしてそんなことを聞くんですか?」


 僕は、悪戯っぽく微笑んだ。


「美弥子さんらしさを探しているんです」


 美弥子さんが、眉を寄せる。


「それは、笑いを取ることに関係があるのでしょうか?」


「うーん。笑いに繋げれるかは分からないけれど、美弥子さんらしさをより強調して描きたいと思っています」


「それは、私と話をしながら絵のイメージを、今、考えているということですか?」


「まー、そうなるかな。これが僕のスタイルなので」


「分かりました。部長として美術部をまとめるのは、確かに大変です。現在のところ美術部が盛り上がっていないことに悩んでいます」


 僕は、美術室を見回した。十点ほどの作品が展示してある。どれも見応えがあり力作に感じた。


「そんな風には見えないけどな~。どれも良く描けていると思うよ」


 美弥子さんが首を横に振る


「半分は、卒業していった先輩たちの作品です。文化祭の為にお借りしました」


「あぁ、そうなんだ」


「現在の美術部は、部員数が減少しています。活動が出来ているのは、二年生が私を含めて二人。一年生は三人いますが、この文化祭に作品を出品できたのは小林君だけになります」


「それは厳しい状況だ」


「このままの状態で学年が上がると、美術部は小林君ひとりだけになってしまいます。部長として、その事に対しては責任を感じています。ただ……」


「ただ?」


「だからといって、体裁を整えるために形だけ部員を増やすのは嫌なんです。美術っていうのは、おままごとじゃない。心の情熱や叫びを、キャンパスにぶつけるものだと、私は考えています。やる気のない部員が増えてくれても、それでは美術部としての士気が下がります。そんな部員なら初めから居て欲しくない。そんな風に私は考えています」


 感心したように頷く。


「いや、凄い。美弥子さん、語ったね。熱いな~」


 美弥子さんが、僕のことを睨みつけた。


「揶揄わないでください。私は真剣なんです」


 美弥子さんの勢いに気圧されてしまう。


「ごめん。揶揄ったつもりではないんだけど……」


 美弥子さんが、膝の上に置いた小さな拳を握りしめる。僕から、ツンと視線を外した。窓の外を見つめ始める。

 情熱的なお嬢さんだ。絵に対する真剣な思いに、僕の心が疼いた。凛とした強い瞳は、まるで虎のようだ。内に秘めた荒々しい情熱が美しい。何だろう……懐かしい感覚だ。


 ――そうだ!


 僕の頭の中に、十二月の戎橋の風景が蘇ってくる。あの橋の上で、僕は明美に出会った。男たちに絡まれた明美は、怖気づくことなく男たちを睨みつける。その冷たい瞳に僕は魅了されてしまった。まるで、昨日のことのように思い出せる。


 自転車で逃げ出してからも、僕と明美は電話で繋がっていた。旅行の先々でも公衆電話を見つけては明美に電話を掛ける。

 安達親分が拳銃で撃たれた時は流石に混乱していた明美も、電話をかける度に落ち着きを取り戻していった。世間の目があるので安達家の敷地から出る事はなかったけれど、そんな明美の心の支えになってくれたのが美智子さんだ。智子ちゃんと一緒に、足蹴く通ってくれる。段々と元気になっていく明美の様子に、僕は自分の不甲斐なさを感じつつも安心することが出来た。

 ところが、九月になり肌寒さを感じ始めた頃、電話口の明美の様子に変化が現れた。僕からの電話を楽しみにしていたはずの明美が、憂鬱そうに口籠るのだ。何を問いかけても上の空で、曖昧な言葉しか返してこない。明美が何を考えているのか、僕には分からなかった。

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