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逃げるしかないだろう  作者: だるっぱ
博幸 一九八〇年十一月
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浮浪者

 自転車に乗って、天王寺公園にやって来た。園内に自転車を乗り入れる。デコボコの段差で、ガタガタとハンドルが取られた。

 自転車の出現にビックリした鳩の集団が、ポッポー、ポッポーと鳴きながら逃げ回る。首を前後に揺らしながら、ピョコピョコと歩く姿がとてもユーモラスだ。


 バタバタ。


 一匹が翼を広げて、空に飛び立った。追いかけるようにして、無数の鳩が次々と空に舞っていく。それは空にある青いキャンパスに、太い刷毛でサーッと黒く塗りつけたように見えた。

 そんな空を飛ぶ自由な鳩を目で追い掛けながら、僕は見つけた。あの時の浮浪者だ。


  ◇   ◇   ◇   ◇


 十月のある晴れた日曜日のこと、デッサンの練習の為に天王寺公園にやって来た。その日は、麗らかな小春日和で、頬を撫でる秋の風がとても爽やかだった。

 手頃なベンチを見つけた僕は、その横に自転車を停める。ベンチに腰かけてクロッキー帳を広げた。

 園内で走り回る子供や、犬を連れて散歩をするおじいさん。ジョギングをしているお姉さんや、楽しそうなカップルの姿。目の前で繰り広げられる様々な人間の模様を、僕は観察した。クロッキー帳に目を落として、鉛筆を走らせる。

 デッサンは難しい。なかなか思うように描くことが出来ない。まだ、人に見せられたものではないけれど、僕は絵を描くことが好きだ。夢中になれる。

 絵を描くって、宝箱を発見するような楽しみがあると思う。漫然と見ていたのでは分からなかった世の中が、絵に落とし込むことで分かることがある。

 怒りながら笑う人はいないし、泣きながら笑う人もいない。嬉しい時は、人間は笑顔になるものだ。無理やりに笑顔を抑え込もうとしても、僕には分かる。喜んでいる人は、顔のどこかで必ず笑っているものだ。そんな変化を見つけると、僕はとても愉快になる。

 ただ、そうした発見を、具体的に絵で表現できるかどうかは、また別の問題だ。もっと絵が上手くなりたい。


 ふと顔を上げると、公園の片隅で人が集まっているのを見つけた。何かを囲んでいる。手を止めて眺めていると、ワーッと歓声が上がった。とても賑やかだ。

 どんな集団なのか少し気になる。観察してみたが、何か特定の集団ではなさそうだった。通りすがりの人が気軽に近寄っている。僕がクロッキー帳に描いた人も、その集団に加わっていた。


 ――なんだろう?


 とても興味が湧いた。確かめずにはいられない。

 クロッキー帳を閉じて、僕は自転車に跨る。その集団の近くまでペダルを漕いでみた。近くに自転車を止めて、集団に近づく。集まっている人々は、パイプ椅子に座る一人の男を取り囲んでいた。

 その男は、見るからに浮浪者だった。伸びきった髪の毛、伸びきった髭、日に良く焼けている。顔や手足が真っ黒だった。ぱっと見では年齢が分からない。ただ、天王寺公園に住み着いている浮浪者とは、少し雰囲気が違った。

 天王寺公園の浮浪者は、どこか余所余所しい空気を醸し出している。ところが、目の前の浮浪者は人懐っこいのだ。それに、彼は浮浪者にしては不潔ではなかった。着ている服はさっぱりとしていて、長い髪の毛は後ろで一つにまとめられている。

 ただ、その男の身なりについては、僕にはどうでも良かった。それよりも、僕が関心を持ったのは、その浮浪者が手にしている物だ。クロッキー帳と鉛筆を手に持っている。この浮浪者は、この場で絵を描いていたのだ。先程の浮浪者のイメージが書き消えて、なんだか高尚な画家に見えてくる。

 パイプ椅子に座りながら、その男は小さな男の子と対峙していた。これから、その男の子の絵を描くというのだろうか?


「こんにちは。ボクは、小学生かな?」


「うん、一年生!」


 男の子が元気よく答えた。

 浮浪者は、笑顔で問いかけながら、手を動かした。クロッキー帳に、その子の輪郭が描かれていく。


「元気が良いね」


 屈託のない笑顔で、男の子はその浮浪者に辛辣な言葉を投げかける。


「おっちゃん。汚いけど、乞食なん?」


 その浮浪者の手が止まった。男の子に、優しく微笑みかける。


「うん。そうだよ。でもね、ただの乞食じゃないんだ」


「じゃあ、何?」


「魔法使いだよ」


 男の子が、目を丸くした。

 浮浪者は、クロッキー帳に目を落として、また手を動かし始める。


「魔法使いなんていないよ」


 男の子が強く反論した。浮浪者が悪戯っぽく笑う。


「昔々、あるところにお爺さんが住んでいました。名前をゼペットと言います。お爺さんは、おもちゃ職人でした。ある時、木で男の子の人形を作ります。とても可愛らしいお人形が出来ました。魔法使いが命を吹き込むと、なんとなんと、その人形が動き出したのです」


 男の子が、目を輝かした。


「知ってる、それ」


「名前を知っているかな?」


 男の子は、元気よく答える。


「ピノキオ」


「正解!」


「でも、命を吹き込んだのは魔法使いじゃないよ。妖精だよ」


「えっ! そうなの。じゃ、僕は嘘をついちゃったね」


 男の子は、得意そうに話を続ける。


「嘘をつくとね、鼻が長く伸びるんだよ」


 浮浪者が、大袈裟に驚いた。


「ええ、それは大変だ。どうしよう、どうしよう」


 慌てた素振りを見せながらも、浮浪者の手は止まらない。クロッキー帳に、男の子が描かれていく。その様子を見ながら、僕はただただ驚いていた。

 浮浪者は、男の子に話しかけながら絵を描いている。絵を描くだけでも大変なのに、話し掛けながら絵を描くなんて、僕には考えられない。

 それで、絵が下手なら納得は出来る。でも、浮浪者の絵は本物だった。絵の躍動感が半端じゃない。走らせる鉛筆の線に迷いがなく、描かれた男の子は、今にも動き出しそうな生命力に溢れていた。


「出来たよ」


 浮浪者が、顔をあげた。


「見せて、見せて」


 男の子が、嬉しそうに近寄った。

 浮浪者は、描かれたクロッキー帳を、周りにも見えるように高く掲げた。取り囲んでいた人々が顔を寄せる。


「アッハッハッ!」


 その絵を見たギャラリーが、次々に声をあげて笑った。モデルになった男の子も、嬉しそうに笑う。


「僕が、ピノキオになってる」


 クロッキー帳には、確かに男の子が描かれていた。しかし、ピノキオのように鼻が長く伸びている。両手を震わせながら、泣きそうな顔をしていた。


「どうかな、気に入ってもらえたかな?」


 浮浪者は、ピノキオにアレンジした男の子の似顔絵を、クロッキー帳から切り取る。男の子に手渡した。男の子は、嬉しそうにその絵を見つめる。


「凄い! でも、嘘をついたのは、おっちゃんだよ」


「あっ、本当だね。ごめん、ごめん」


 二人のやり取りに、ギャラリーがまた笑った。でも、僕は笑うことが出来なかった。

 漫画のように鼻の長い男の子を描くだけなら、少しばかりの絵心があれば描けるだろう。しかし、浮浪者が描いたのは似顔絵だ。

 モデルの男の子は、鼻も長くなければ、泣いてもいない。ましてや、ポーズだって違う。それなのに、浮浪者は瞬時にその男の子の特徴を捉えて、一から新しい男の子を生み出してしまった。おまけに、鼻の長い男の子をネタにして、皆から笑いを取っている。


 ――何なんだ、この人は!


 僕には、その浮浪者が、本当の魔法使いに見えてしまった。

 その後も、浮浪者は、催促をされると、休むことなく絵を描き続けた。足元には、裏返された帽子が置かれていて、ギャラリーがお金を落としていく。彼は、浮浪者ではなく、大道芸人だったのだ。

 それにしても、凄い技術だ。ただただ感心してしまう。僕は、彼の技術に見惚れてしまった。小一時間ほどでギャラリーの流れが途切れる。一段落した。

 その浮浪者に、話しかけたかった。でも、その一歩が踏み出せない。躊躇していると、浮浪者は、帽子の中のお金を拾い上げる。懐にしまった。クロッキー帳とパイプ椅子を両手に抱えると、天王寺公園の奥に向かって歩き出した。


「あの~」


 声が届かない。彼の後ろ姿を、呆然としながら見送ってしまった。


  ◇   ◇   ◇   ◇


「あの、少し宜しいでしょうか……」


 今回は勇気をふり絞って、その男に声を掛けた。日に良く焼けた黒い顔を、僕に向ける。長い髪の毛と、伸び放題の髭の印象から、僕はてっきりお爺さんかと思っていた。しかし、僕に向ける男の瞳は、子供のように好奇心に輝いている。かなり若そうだ。


「何か用かな?」


 ギクシャクしながら、お辞儀する。


「はじめまして。小林博幸といいます。この間、絵を描いているところを見学させて頂きました。あんまり凄かったので、もう一度お会いしたいと思っていました」


 髭に覆われた口元で、男が微笑んだ。


「それは、それは……君は高校生かな? 絵が好きみたいだね」


 男が、僕のクロッキー帳を見つめる。


「ええ、高校で美術部に入っています。でも、なかなか絵が上達しなくて……」


「へー、美術部。懐かしいなぁ……立ち話もなんだから、あそこのベンチで、ゆっくりと話でもしようか。ねぇ、小林君」


 男が歩き出した。僕も自転車を押しながらその背中を追いかける。ベンチの横にある自販機に目をやると、男が僕に尋ねた。


「何にする?」


 男が、懐からお金を出そうとする。僕は、慌てて財布を取り出した。


「あのー、僕が出します」


 男は、僕の動きを制する。僕に笑いかけた。


「ありがとう。でもね、こういうのは年長者がお金を払うもんだ。それにね、こんなナリをしているけれど、お金には困っていないんだ」


「あ、ありがとうございます。では、ホットコーヒーをお願いします」


 男から温かいコーヒーを手渡された。ベンチに並んで座る。

 再び出会えたが、何から話せば良いのか分からない。口を噤んだまま、プルトップを開ける。コーヒーを飲んだ。熱い液体が喉元を過ぎていく。


「良かったら、君のクロッキー帳を見せてくれないかな?」


 男が、僕に問いかけてきた。手に持っているクロッキー帳を、ギュッと握り締める。僕の絵を見せるのが恥ずかしかった。


「僕の絵ですか……」


困った表情を浮かべていると、男が優しく笑う。


「もしかして、恥ずかしがっているのかな?」


 僕は、顔を赤らめる。


「ええ、僕の絵なんて、まだ、大したことがないですから……」


 男が、ゆっくりと頭を振った。


「誰でも、初めから完成なんかされていないよ。僕だって、まだまだ途上なんだ。それにね、絵は上手い下手よりも、描こうとするその心が大切だと思う。僕は、君の絵から、君が見ている世界を見てみたい」


 男が、僕に手を差し出す。おずおずとクロッキー帳を差し出した。

 男は、クロッキー帳を受け取ると、一枚一枚丁寧に鑑賞を始める。時間を掛けて、僕の世界を覗き見た。裸になった僕を見られているようで、何だか落ち着かない。

 男が顔をあげた。僕はドキドキしながら問いかける。


「どうでしたか?」


「若さが溢れ出ている。新しいものを捉えようとする君の意気込みを感じたよ。ほら、迷っているようなこの一本の線も、見方に寄ったら凄く味があると思うな」


「迷っていて、良いんですか?」


「逆に聞くけど、迷っていたら駄目なのかな? 僕は違うと思うな。この迷っているように見える一本の線が、次の新しい可能性を広げていく。僕はそんな風に思うよ。絵は、自由で良いんだ。君だけの世界を、作ったら良いと思うけどな」


「僕だけの世界ですか?」


「そう、君だけの世界。技術っていうのは、後から付いてくるものだし心配しなくても良いよ。それよりも、君にしか見えない世界の方が、僕はずっと大切だと思うな」


 何だか嬉しくなってくる。


「あのー、お名前を聞かせてもらっても宜しいでしょうか?」


 男が、少し考えるような素振りを見せた。


「うーん、あまり大きな声では言えないんだけど……ジョージっていうんだ」


「ジョージさん」


 ――大きな声では言えない?


 変わったことを言う人だな……と思った。

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