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逃げるしかないだろう  作者: だるっぱ
健太 一九八〇年九月
38/80

似た者同士

「準備をするから、ちょっと待っててね」


 そう言い残して、月夜さんが部屋を出ていった。久美子さんと二人きりになる。部屋の中が急に静かになった。閉め切っている所為か、何だか息苦しい。久美子さんも、落ち着かないのか部屋の中を見回していた。


「なあ、暑くないか?」


「そうね。ちょっと暑いかも」


 外の空気を入れたくて、窓を開けた。窓にはめ込まれた鉄格子の間から、風が流れてくる。少しは息苦しさから解放された。ただ、息苦しい理由はそれだけではなかった。

 気まずいのだ。

 どうしても気絶してしまった格好悪い自分の姿を思い出してしまう。


 ――不覚だ。本当に不覚だ。


 ナンパをする時、まずは女の子を笑わせることを意識する。心の警戒を解くためだ。

 しかし、笑わせるためには、俺自身に余裕がなければいけない。常に、俺の方が立場が上である必要があるのだ。

 ところが、俺は無様な姿を見せてしまった。これでは、笑わせているんじゃなくて、笑われている。

 久美子さんに良いところを見せたいのに、どうすれば良いだろう……。

 不安そうに立ち尽くしている久美子さんに、言葉をかけた。


「疲れただろう。座っておけよ」


 久美子さんが頷く。


「うん。そうする」


 ベッドに腰をおろす。ため息をつくと、そのまま項垂れてしまった。


 ――無理もない。


 戎橋の上で男たちに追いかけられている久美子さんと出会ってから、まだ五時間も経っていなかった。その間に、仕事を辞めてホステスになることが決まり、今は、クスリを抜くために隔離されている。

 久美子さんにしてみれば、現在の変化を受け入れるだけでも大変なことだろう。取り留めない話をしながら、時間だけが過ぎていった。


 ガラガラ。


 玄関の引き戸が開けられる音が聞こえた。きっと、月夜さんだ。ただ、足音が多い。他にも誰かいるようだ。部屋の扉が開けられる。月夜さんが入ってきた。


「ごめん。少し待たせたね」


 月夜さんは、タオルの束や浴衣を抱えている。月夜さんの隣には、お婆さんが立っていた。手にお盆を持っている。お盆には、おにぎりやお煮しめが載せられていた。

 久美子さんが、立ち上がる。二人に向かってお辞儀をした。


「お世話になります。篠田久美子と言います。宜しくお願いいたします」


 お婆さんが、笑顔を見せる。月夜さんがそのお婆さんを紹介してくれた。


「この方は、京子さん。この家のお手伝いさんで、とっても頼りになる方よ」


 京子さんが、俺たちを見つめる。


「宜しくお願いしますね。久美子さんと、そちらはケンタさんですね」


 名前を呼ばれて驚いた。俺も、慌てて頭を下げる。


「よ、宜しくお願いします……ってか、俺の事を知っているんですか?」


 京子さんが微笑む。


「ええ、先程、お嬢様からお聞きしました。久美子さんの看病をされるそうですね」


「ええ、そうです」


「看病は、体力勝負になります。お食事はしっかりと摂って下さい。食事が終わりましたら、扉の下に取り出し口がありますから、そこから食器を廊下に出してくださますか」


 扉に目をやった。頑丈な扉の下に、横に細長い穴がある。

 実は月夜さんがいない間、その穴について、久美子さんと話題にしていた。不自然なその穴が、何の為にあるのかが分からない。今、その理由が分かった。ここが、本当に牢獄だということをハッキリと理解する。

 京子さんが、気の毒そうな表情を見せた。


「ごめんなさいね。こんなところに閉じ込めることになってしまって……回復したら、本家でゆっくりと養生して頂きます。腕によりをかけて美味しいものをご用意しますね――」


 ――なんて感じの良いお婆さんなんだ。


 京子さんの説明が続く。


「――繰り返しますが、使用後のお盆や食器は、必ずその取り出し口から出しておいて下さい。禁断症状の影響で、食器を割った切り口で首を切りたくなったりしますからね」


 ――なんて物騒なことを言うお婆さんなんだ。


 菩薩のような表情とは裏腹に、修羅場も知り尽くしているような物言いに、このお婆さんの得体のしれない不気味さを感じた。

 京子さんが、目を開いて俺を見つめる。


「ケンタさん」


 少し気圧された。思わず、背筋を伸ばしてしまう。


「はい」


「あなたの役割は、何か分かっていますか?」


 ――俺の役割?


「禁断症状で苦しむ久美子さんの……看病ですよね」


「ええ、そうです。今は元気そうに見えますが、クスリが切れ始めると、錯乱状態に陥ります。暴れたりしますが、それはクスリの所為です。短気にならず、大きな心で対応して頂きたいです」


「大きな心で――具体的に何をすれば?」


「クスリを抜く場合、いつもなら暴れるままに任せておきます。しかし、それでは怪我をしてしまいます。ケンタさんは腕も立ちそうですから、適切に彼女を取り押さえてください」


「取り押さえるんですか!」


「はい――それから、食事が出来なくなると思います。食べても、吐き出してしまうかもしれません。吐しゃ物は雑巾でキレイにして頂き、扉の下の取り出し口から外に出しておいてください。それと、食欲は無くても、久美子さんに水だけはしっかりと飲ませてあげてください。」


「分かりました」


「汚れものの話になりますが、この部屋にはトイレがあります。久美子さんが動ける間は使用してください。もし、動けなくなったら、ケンタさんに下の世話もお願いします」


「えっ!」


 久美子さんが小さな悲鳴をあげる。その声に思わず振り向いた。久美子さんと目が合う。


「僕で良いんですか?」


 久美子さんが、眉を寄せた。首を横に振る。


「いえ、私は大丈夫です」


 その時、京子さんが強い声で制した。


「久美子さん――理解してください。クスリを抜くというのは、そういうことなんです。きっと、ケンタさんの世話が必要になります」


 久美子さんが、京子さんの言葉に気圧される。


「は、はい。分かりました」


 京子さんが、また俺を見た。事務的に言葉を続ける。


「ケンタさん。久美子さんが排泄物で汚れてしまった場合は、キレイにしてあげてください。汚れ物は同じように、取り出し口から出してください。それと、久美子さんは、覚せい剤の影響で、たぶん寝ることが出来なくなります。ずっと起きていると思います。あなたが寝ている間に、もしかすると、あなたの首を締めることがあるかもしれません。ですから、寝られる時はしっかりと寝て、体力の温存に努めてください。私たちも注意しますが、宜しくお願いします」


 京子さんが、俺に向かって深々と頭を下げた。


 ――おいおい、あんたは預言者か?


 久美子さんが、俺の首を絞めるって、どういう事なんだ。この婆さん、何を言っているんだ。

 月夜さんが、俺に近づいてきた。手を伸ばして、俺の手を握る。真っすぐに、俺の目を見つめた。


「お願いね。ケンタだけが頼りだから。直ぐ近くに、私たちもいるからね」


 俺は、大きく頷いた。


「任してください!」


 手を握られて、すごく嬉しい。かなり嬉しい。でも、こんな俺でも、段々と不安になってきた。どうも俺が想像するよりも、大変なことらしい。

 説明が終わると、京子さんはベッドのシーツを張り替えた。持ってきた食事は、テーブルがないのでベッドの上に置かれる。タオルや浴衣は、ベッドの下に収納された。

 一通りの作業が終わる。月夜さんと京子さんは、扉を開けて部屋を出ていった。


 カチャリ。


 扉が閉まると、その後に小さな金属音が聞こえた。俺は近づき、扉を開けようと試みる。しかし、開かなかった。外から鍵が掛けられている。

 振り返り、俺は久美子さんを見た。


「鍵が掛けられた」


「そうみたいね」


 久美子さんが、不安そうに呟く。

 何となく、京子さんの言葉が思い出された。


「久美子さん」


「なに?」


「君は、俺の首を絞めるのか?」


 久美子さんが、顔を横に振る。


「締めないわよ――」


 そう言った後で呟いた。


「――たぶん」


 ――おいおい、マジかよ!


 たぶんって言うなよ、たぶんって……口に出して、思わずツッコみたくなった。

 しかし、そんな気持ちを飲み込む。今は、安心させないといけない。

 視線の先に、お盆の載せられたおにぎりが見えた。


「なあ、おにぎりでも食べないか?」


 久美子さんが、お盆の上を見つめる。


「うーん。いらない」


「食欲がないのか?」


「うん。良かったら、ケンタ君が食べて。私は水だけでいい」


 そう言って立ち上がると、久美子さんは洗面台に向かった。プラスチックのコップを手に取り水道の水を口にする。

 俺は腹が減っていたので、おにぎりを食べることにした。ベッドに腰かける。手を伸ばして、おにぎりを掴んだ。ガツガツと食べる。お漬物もお煮しめも美味かった。懐かしいお袋の味を思い出す。

 久美子さんが戻ってきて、俺の横に腰かけた。勢いよく座ったので、ベッドが跳ね上がる。手に持っていたおにぎりを、俺は落としそうになってしまった。


「おっとっとっ!」


 俺が慌てていると、久美子さんが笑った。


「ごめんねー」


 久美子さんが、笑いながら俺の肩を支えてくれる。小さくて柔らかい手だった。振り返り、久美子さんを見つめる。


 ――お前、可愛いな。


 思わず、声に出して口説きそうになった。

 久美子さんが、そんな俺を見て悪戯っぽく笑う。


「どうしたの? そんなに見つめられたら恥ずかしいじゃない」


「いや、ちょっと見惚れてしまった」


 ――言っちゃったよ。どうする。このまま落としにかかるか?


「ナンパ師の常套句ね。ケンタ君、これまでに沢山の女の子を泣かしてきたでしょう」


「えっ!」


「雰囲気で分かるのよ。本気か、そうでないのかは」


「本気……」


「ケンタ君の言葉は、ちょっと軽いの。自惚れているっていうか、女の子を獲物としか見ていないでしょう」


「いや、そんなことないよ」


「本当に?」


「えっ、いや、本気かって言われると……」


「でしょう。私もそうだから、何となく感じるのよ」


「久美子さんが……」


「ええ。あなたの事は知らないけれど、私もそれなりに場数を踏んできた方よ。でもね、くだらない男を見過ぎて、なんだか男が嫌になっちゃった」


「男が?」


「ええ、そうよ。本気じゃないと白けてしまう」


「……」


 言葉が出なかった。


「ねえ、そんな事よりも、月夜さんのことを聞かせてよ」


 久美子さんの目が輝いている。


「月夜さんのこと?」


 おにぎりを飲み込んだ。


「そう、月夜さんのこと。私、お姉さんが大好きになっちゃった」


 ――大好きになっちゃった?


 男より女が好きになったってことか。なんじゃそりゃ。

 ペースが狂う。


「さっき、ジュエリーボックスっていう、キャバレーに行っただろう。月夜さんは、あのキャバレーでナンバーワンのホステスだったんだ」


「だった、てことは、もう、違うの?」


「ああ、安達組の親分が撃たれてからは、ホステスの仕事はしていない。俺も、月夜さんとは、今日、久しぶりに会ったんだ」


 久美子さんは、両手でベッドのマットを掴みながら、俺を見る。


「ふーん、そうなんだ。仕事をしていた時の、月夜さんは、どうだったの?」


 天井を見上げた。当時の月夜さんを思い描く。


「そりゃ、凄かったぜ。俳優の渡ヶ瀬孝彦がいるだろう?」


「ええ、私、大好き」


「あいつ、映画のロケでこの大阪に来ていたことがあったんだ。週に三日は店に通い続けて、月夜さんを口説いていたんだぜ」


 久美子さんが、手のひらを口に当てた。


「えっ、凄い! ちょっと羨ましいかも」


 久美子さんの反応に、俺は笑顔を見せる。


「でも、面白いのはここからさ。月夜さんは、奴から同伴やアフターに何度も誘われるんだ。だけど、全然、応じないんだよ」


「えー、私なら、即、オッケーだけどな」


 俺は、久美子さんの顔を見てニヤリと笑う。


「だろう。普通は、同伴して、売り上げを上げるのがホステスのセオリーなんだ。それが、月夜さんは、それを断ってしまう。だから、渡ヶ瀬の奴、ますます熱くなってしまってさ……」


「で、どうなったの?」


「気になるだろう、二人の関係が。あんまり面白いから、俺たち黒服も、そんな二人の顛末がどうなるのか、よく噂し合っていたんだ」


「面白い――それで、それで?」


 なんだか久美子さんと、良い雰囲気になってきた。なんだかとても楽しい。


「でもな、その後に、親分の事件が起こるんだ」


 久美子さんが、思い出した様に身を乗り出した。


「知ってる。月夜さんて、親分さんの女だったんだよね。しかも、情事の後に、親分さんは撃たれた」


 その話はワイドショーで散々取り上げられてきた内容だ。俺は、ニンマリと笑う。


「それは表向きの話さ」


「どういうこと?」


 久美子さんが食いついた。俺は声を落として、話を続ける。


「ここからは、オフレコだぜ。今からの話は安達組の奴らにも聞かれちゃいけない内容なんだ」


「えー、聞きたい。聞きたい」


 久美子さんが目を輝かせた。俺に顔を寄せてくる。その反応がとても可愛い。


 ――このまま押し倒してやろうか。


 そんなことを思いながら、俺は話を続ける。


「月夜さんは、親分の女だったんだが、他に好きな男がいたんだ」


「えっ、二股!」


 久美子さんが、目を開いた。


「まー、そういうことになるかな」


「月夜さんて、凄いやり手じゃない。で、誰なの、その相手は?」


 俺は、少し間を置いた。

 久美子さんが、俺を肘で突っつく。反応が可愛くて仕方がない。


「ジョージ先輩」


「……ジョージ先輩? ケンタ君の先輩なの?」


「ああ、そうさ。ジュエリーで黒服をしていた人なんだ。凄い人なんだぜ。俺も、一目を置いている」


「どんな人なの?」


「ジョージ先輩って人は、黒服の仕事をさせたらマネージャーの右腕だし、舞台に上がらせたら客を笑わせるし、絵を描かせたら超一流だし、組員として殴り込みに行ったら全治一か月なんだ」


「プッ! なによ、全治一か月って――」


 久美子さんが、噴き出した。良い感じだ。


「先輩は、黒服だけど安達組の組員でもあったんだ。とにかく、凄い人なんだよ。ぱっと見は、普通の優しい先輩に見えるんだけど、怒らせると、凄い迫力なんだ」


「その、ジョージ先輩は、今はどうしているの?」


「居なくなったんだよ。忽然として消えた。支配人も探し回っていたみたいだけど。まだ見つかっていない」


 久美子さんが、声をひそめて問いかける。


「もしかして、親分に殺されたの?」


「いや、安達組もジョージ先輩の行方を捜しているみたいだから、それはないと思う」


「ひょっとすると、親分の銃撃に関与していたりとか?」


 俺はニヤッと笑う。


「俺たちも、その事は噂し合った。まー、犯人は捕まっているから、その線はないと思うけどね」


「じゃあ、どうなったのよ」


「とにかく、ここからは、謎なんだよ。俺たちも詳しいことは分からない。真実は、月夜さんしか知らないんだ。だけど、この話にはまだ続きがあるんだ」


「なになに」


 久美子さんが、目を輝かしている。俺は、一呼吸置いて溜めた。久美子さんを横目で見つめる。


「あくまでも噂だぜ。親分が撃たれた日、二人は駆け落ちを計画していたって話もあるんだ」


「きゃー、素敵。ロマンチックじゃない?」


「ロマンチックって、お前」


「女は、そういう話に弱いのよ。私、会ってみたい、そのジョージ先輩って人に。あの月夜さんを振り向かせた男でしょう。なんだか憧れる~」


 久美子さんは、顔を上げて目を瞑った。会ったこともないジョージ先輩を想像しているようだった。


 ――おいおい、俺は置いてけぼりか。


「お前なー、ここにも良い男がいるだろう?」


 久美子さんが、目を開ける。俺を見ると、意地悪そうに笑った。


「ケンタ君は、どうして私に付き添ってくれたりしたの」


 ――なに! 急に何を言い出すんだ、この女は。


「えっ、どうしてって……乗りかかった船……みたいな感じ」


「本当に?」


 久美子さんが、俺の顔を覗き込む。


「なんだよ、それじゃいけないのかよ」


 久美子さんが、含み笑いをする。


「……もしかして、私に気があるんじゃないの?」


「違うわい」


 思わず、即答してしまった。俺は、女に対して「惚れた」とは言う。しかし、女から「惚れてるの?」と尋ねられるのは、なんか違った。下に見られている気がする。これは、ナンパ師の意地かもしれない。

 しかし、結果は同じだ。

 俺は久美子さんを見つめる。


「まー、そういうことにしておくか」


「どっちなのよ」


 久美子さんが、中途半端な俺の発言に呆れた顔をする。俺のことを、強く肘で押した。

 俺は、勢いのままワザとベッドから転げ落ちる。


 ドサッ!


「やられた~」


「うふふ、馬鹿ね」


 ふざけている俺を見て、久美子さんが笑った。反応としては悪くない。そんな久美子さんに、俺は、付き添うことにした理由を伝えたくなった。

 シンナーで廃人になったタケの話だ。

 別に言い訳をしたかったわけではない。俺の自慢話をしたかったわけでもない。久美子さんなら、俺の話を聞いてくれると思ったのだ。ベッドに座り直す。


「実はな、久美子さんに付き添うことにしたのは、俺の個人的な理由なんだ」


「何よ、個人的って……」


「何ていうのかな、罪滅ぼしってやつ」


 両肘を膝の上に乗っけて、俺は語り始めた。

 学生の頃に一緒に悪さをしていた友達の一人に、タケがいたこと。どんくさい奴だけど、何だか憎めない。そんなタケが、シンナーに溺れて廃人になってしまったこと。

 そんなタケを、俺はこの手で殴りつけた。その時の感触が、今でも手に残っている。俺は、手を握りしめながら、大きく溜息をついた。


「……でな、今でも思うわけよ。俺は、あいつのことを見捨ててしまったんだなって。シンナーでボロボロになったアイツに、寄り添ってやれたら……もしかすると、違う未来も、あったかもしれない」


「ふーん。何だか分かるような気がする」


 久美子さんの言葉が、気持ち良かった。思わず微笑んでしまう。


「聞いてくれて、ありがとう。なんかスッキリした。久美子さんの話を聞いた時に、同じ失敗をしたくないなって……俺、そう思ったんだ」


 久美子さんが、微笑む。


「ふーん、そうなんだ……ケンタ君、ありがとう。私、嬉しいよ」


 久美子さんの言葉に、俺の胸の内から何かがせり上がってきた。何だか目頭が熱い。


――ヤバい。


 俺は、久美子さんから目を逸らす。大きく息を吸った。涙を見せるわけにはいかなかった。


 パフッ。


 俺の横で、久美子さんが寝ころんだ。


 ――どうしたんだ?


 思わず振り向いてしまう。

 久美子さんが、大きく伸びをした。形の良い胸が押しつぶされて、上の方にせり上がる。つい、目で追いかけてしまった


「胸の大きさを自慢したいのか?」


「馬鹿」


 寝ころんだまま、久美子さんが天井を見上げた。大きく息を吐く。

 俺は、プックリとふくれたその唇を見ていた。この口から発せられた言葉に、先程、俺は心を動かされた。これまでに感じた事のなかった感覚だ。


 ――俺は、女に心を開いたことがあっただろうか?


 いや、無い。

 女のことを、俺はナンパの獲物としてしか見ていなかったような気がする。大体、心を通わせるのは煩わしい。体の関係と割り切った方が楽だった。

 それなのに、久美子さんはどうだ。彼女に、俺のことを知って欲しい気持ちにさせられた。俺よりも、年上だからだろうか。


「実はね、私にもあるんだ。見捨ててしまった過去が……」


 久美子さんが、天井を見上げながら、そう呟いた。


 ――癒してやりたい。


 俺は手を伸ばして、頭を撫でてあげた。

 気持ちよさそうに、久美子さんが目を瞑る。


「聞かせてくれよ。久美子さんの過去を……」


 手を止めて、俺も横になろうとした。しかし、久美子さんが唇を尖らす。


「駄目。もっと撫でて」


「分かったよ」


 俺は、久美子さんの頭を優しく撫で続けた。猫のように気持ちよさそうな表情を浮かべている。暫くすると、久美子さんが語り出した。


「まだ、高校生だった時のことなんだけど……私って、ほら、可愛いじゃない?」


「おいおい、自分で言うか……まー、可愛いけど」


 久美子さんが微笑む。


「色んな男が言い寄ってくるし、私も調子に乗っていたんだよね。付き合い始めると、男って、直ぐにやりたがるじゃない。初めは抵抗していたんだけどね……許したの。そしたら出来ちゃった」


「……子供か」


「うん、そう」


「で?」


「避妊の必要性は分かっていたんだけど、甘かったのね。ただ、親にはなかなか言い出せなかった。それでね、男に相談したの。そしたら、友達からお金を借りて用意してくれたんだ」


「……堕したのか?」


「うん」


「そうか……」


 俺は、深い溜息をついた。


「ウチの両親て鈍感でさー。私が子供を堕したこと、未だに知らないの」


「えっ! そうなのか」


「知って欲しくはないんだけど、でも、私が苦しんでいるのを分かってくれない。そういうのも、なんか辛くてさー」


「まぁーな」


「私が我儘なのは、良く分かっているよ。でもね、何だか、やっぱり辛いの」


「うーん」


 掛ける言葉が見つからなかった。無言で、久美子さんを見つめる。


「でもね。一番可哀想なのは、堕された子供だよね。誰にも祝福されずに、捨てられた。しかも、母親であるこの私に……」


 俺もベッドの横に寝ころんだ。手を伸ばして、久美子さんの手を握る。そうすることが、とても自然な気がしたからだ。

 久美子さんは、嫌がらなかった。俺の手を握り返してくる。


「ありがとうね、ケンタ君」


「いいよ、これくらい……なあ、久美子って呼び捨てにしていいか?」


「いいよ。ケンタ」


 顔を横に向けると、久美子の髪の毛からシャンプーの匂いがした。その匂いをかき集めるようにして、俺は大きく息を吸った。

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