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逃げるしかないだろう  作者: だるっぱ
健太 一九八〇年九月
37/80

隔離

 ホステスをしている時の月夜さんは、どこか近寄りがたいところがあった。高嶺の花、そんな言葉がピッタリで、ナンパな俺でも気後れする。ところが、実際の月夜さんは、犬の鳴きまねだけで笑ってくれた。


 ――これなら、落とせるんじゃないか。


 ナンパ師の俺の心が、そう囁いた。しかし、俺は、首を横に振る。月夜さんは、落とした後が大変だ。ヤクザの相手まではしたくない。


 ――じゃ、久美子さんは、どうだ?


 悪くない。この姉さんも、かなりの大物だ。別嬪なうえに、月夜さんよりもオッパイが大きい。この評価点は高い。

 ただ、久美子さんには、気絶させられた格好悪い姿を見られている。そこのところが、かなり気まずい。どこかで俺の株を上げないと、ちょっと難しそうだった。

 そんな事を考えていると、支配人が顔を上げる。


「おい、月夜」


 月夜さんが、支配人に振り返る。


「なに?」


 支配人は、事務机の上に両肘を付いたまま手を組んだ。なんだか難しそうな顔をしている。


「俺は、これまでに沢山の女の子を見てきた。純粋にホステスの仕事が好きな子もいたが、お金欲しさの為に止むに止まれず仕事をしていた子もいる。その中には、覚せい剤に手を出していた子もいた。ただな――」


 支配人が、そこで言葉を区切る。


「――そうした女の子は、例外なく、最後は悲惨なもんや」


 支配人が、久美子さんに視線を向けた。


「久美子君」


 久美子さんが、顔を強張らせた。


「はい」


「君は、クスリを止めることが出来るか? ここで仕事をする以上、俺にとっては娘みたいなもんや。同じやるなら気持ちよく仕事をしてもらいたい。また、そうすることで、結果的には店の発展にも繋がっていく……どうや、止められるか?」


 久美子さんが、元気よく返事した。


「はい、止めます。必ず、止めます」


 ところが、支配人の反応は弱かった。冷たい目で久美子さんを見つめる。


「どうやって?」


「えっ! どうやってって……頑張って」


 支配人が、首を横に降った。


「頑張って止めることが出来たなら、借金は出来なかっただろう?」


 支配人の態度に、久美子さんが口籠る。


「でも、その……」


 支配人が、ため息をつく。


「覚せい剤は、そんなに甘くはないはずや。真面目な子ほど、先に心が壊れてしまう。止めたくても止めることが出来ない。そういうクスリなんや、覚せい剤ってやつは……」


 支配人が、月夜さんに視線を送る。


「月夜」


「はい」


「言い出したのはお前や。最後まで責任を持たなアカン」


 月夜さんが、真剣な顔で頷く。


「分かってる」


 支配人が、僕たちを見回した。


「久美子君が、完全に薬を断つ為には周りのサポートが必要や。まず、最初に、クスリを完全に絶つ必要がある。その為に、久美子君を監禁するんや。どんなに懇願しても、どんなに暴れても、部屋から出したらアカン。クスリから遠ざけるためには、監禁が一番有効なんや。程度にもよるが、二日三日は掛かるやろう」


 俺は、監禁という物騒な手段に驚いた。思わず、支配人に尋ねてしまう。


「監禁て……何処にですか?」


 支配人が、考える仕草を見せる。宙を見つめた。


「大声で泣き喚くそうやからな……月夜」


「はい」


「お前んところに、隆たちが住んでる離れ屋があるやろ。そこでどうや?」


「そうね。あそこなら、大声で叫んでも、なんとかなるわ」


 支配人が、久美子さんに視線を向ける。


「久美子君、それで良いかな?」


 久美子さんが、真剣な表情で頭を下げた。


「宜しくお願いします。頑張ります。絶対にクスリを断ちます。皆さんに、何てお礼を言ったら良いのか……」


 そんな久美子さんを、支配人は目を細めて見つめた。


「久美子君。喜ぶのはまだ早いで、地獄はこれから始まるんやから」


「えっ!」


 久美子さんが、不安な顔を見せる。


「久美子君は、まだ、本当の禁断症状を経験したことがないんちゃうか?」


 久美子さんが、顔を歪めて頷く。


「そう……ですね」


「俺も経験はない。けどな、クスリに手を出した子は、これまでにも見てきた。禁断症状に打ち勝った子はいなかったよ。あまりにも苦しくて自分を激しく傷つける子もいたし、クスリ欲しさに人を殺そうとした子もいた。そんな禁断症状と、君はこれから戦うことになるんや」


 久美子さんが、怯えた表情を見せる。

 月夜さんが心配そうに、久美子さんの肩を抱いた。支配人に問い掛ける。


「じぁ、監禁している間に、もしも、何かあったら……」


「だから、君たちのサポートが必要なんや」


  ◇   ◇   ◇   ◇


 俺は、支配人たちの話を聞きながら、一緒に悪さをしていたダチのことを思い出していた。

 今は、ジュエリーボックスで世話になっているけれど、俺ははみ出し者だ。学校には行っていたけれど、仲間と一緒に悪さばっかりしてきた。喧嘩もしたし、盗みもした。女とも散々遊んできた。そんな遊び仲間の一人に、タケがいた。


 タケは、仲間の中では少し愚図な奴だった。喧嘩は弱いし、何をやらせても失敗ばっかり。ただ、憎めない奴だった。俺を見つけると「兄さん、兄さん」と呼びながら懐いてくる。俺も悪い気はしなかった。


 悪さにも色々あるけれど、俺はシンナーは吸わなかった。だけど、タケの奴は、シンナーが好きだった。「体に悪いから、止めとけよ」って注意しても、タケはやめなかった。


 ある時、タケが学校に来なくなった。様子を見に行くと、タケは部屋の中でラリッていた。いつもの人懐っこいタケではない。目が座っていた。無機質なカメラのように俺を睨みつける。


「おいタケ、大丈夫か?」


「ケンタさん、俺の家族に手を出したら、容赦しませんからね」


「何の話や?」


「俺は、地の果てまで追いかけますよ。キッチリとカタを付けますから」


 タケは、何かの妄想に囚われていた。全く会話にならない。


「おいタケ、しっかりしろよ」


 タケの肩を揺すろうとした時、タケが俺の手を振り払った。俺を睨むと、唾を飛ばしながら叫んだ。


「いつも偉そうにしやがって。俺をなめてると……」


 バキ!


 手を出していた。俺は、タケの言葉を聞くことなく、反射的に殴りつけていたのだ。

 殴られたのに、タケは笑っていた。何が面白いのか、ゲラゲラと笑っていた。気持ち悪くなり、俺はその場から逃げ出してしまった。

 その日以来、俺はタケに会っていない。仲間の話では、廃人になったと聞いた。仲間の誰も相手にはしなかった。俺も、特に仲が良かったわけではない。ただ、見捨てしまったという後ろめたさが、今も俺の中に残っていた。


  ◇   ◇   ◇   ◇


 皆の前で、小さく手を上げた。


「あのー」


「どうしたの?」


 月夜さんが、俺を見る。


「良かったら、俺、久美子さんの傍にいてやりましょうか?」


 月夜さんが、横目で俺を睨む。


「傍にって……あんた、あわよくば食ってやろうって思っていない?」


 思わず感情的に反応してしまった。


「ばっ、馬鹿にするなよ。俺は、女には困っていない――」


 月夜さんが驚いた顔で俺を見つめた。

 気まずい。言い訳をするようにして話を続ける。


「――ただ、乗りかかった船やし、このまま、何もせんというのは、何か違うような気がして……」


 月夜さんが、感心したように俺を見る。


「ふーん。あんたが久美子を守ろうとしたことは本当だしね。まあ、結局のところは、大したことなかったけどね」


「大した……」


 泣きそうになる。怒鳴ったもんだから、根に持たれていた。


 ――月夜さん、少し意地悪ですよ。


 そんな月夜さんだが、俺をフォローしてくれる。


「でも、あんたは信用出来そうね――ねえ、久美子。ケンタが付き添うって言っているけれど、どうする?」


 久美子さんが、俺に頭を下げた。


「ケンタさん、宜しくお願いします。正直、やっぱり、不安で……」


 久美子さんが、俺という存在を必要としている。何とも言えない喜びを感じた。ここは、男を見せなきゃいけない。


「任せてくれ」


 久美子さんに向かって、俺は胸を叩いてみせた。

 月夜さんが、そんな俺を横目で見る。悪戯っぽく笑った。


「一つの部屋で二人っきりになるから心配でしょうけど、ケンタのことは犬と思えばいいのよ。ねえ、ケンタ」


「ワン!」


 ノリで吠えたら、久美子さんが笑ってくれた。

 月夜さんが、支配人に視線を向ける。


「修お兄さん、これでいいかしら。ケンタも借りるね」


 支配人が、満足そうに頷いた。久美子さんを見る。


「分かった。回復した久美子君が、この店で活躍する日を、楽しみに待っているよ――」


 今度は、俺に視線を送る。


「――それからケンタ。大変だろうけど、俺からも頼む。店の方は、お前ひとりいなくても大丈夫だから、心配するな」


 ――支配人。そのセリフは、地味にキツイんですけど。


 話がまとまった。月夜さんが立ち上がる。


「じゃ、今から移動するよ」


 俺たちは、月夜さんが住む安達家に移動することになった。

 ジュエリーの裏口から表に出る。日が落ち始めていた。九月の夕暮れは、夏の暑さがまだ残っていて、アスファルトから熱気が立ち上る。

 これから暗くなるというのに、月夜さんはサングラスを取り出した。当たり前のように掛ける。安達家に向かって颯爽と歩き出した。月夜さんの後ろ姿を見ながら、まだ、世間の目を気にしていることを感じた。


 安達家に到着する。大きな塀にぐるりと囲まれた屋敷の門をくぐった。

 敷地の中には、立派な日本家屋の屋敷と、寮のような離れ屋が、庭を挟んで建っていた。月夜さんは離れ屋に向かって歩き始める。

 その建物は、木造の二階建てだった。引き戸を開けて玄関に入ると、廊下が奥に向かって真っすぐに伸びている。その廊下に沿って左右に部屋が並んでいた。一階には、食堂や台所、それに共同便所が確認できる。廊下の一番奥に、二階に上がる階段があった。子飼いのヤクザ達が生活する部屋は、どうやら二階にあるようだった。


「お嬢さん、どうしたんですか? こんな時間に?」


 食堂から、見るからにヤクザな男が出てきた。


「奥の部屋、空いているでしょう? 貸してもらうわよ」


 その男が、不思議そうな顔をする。


「どうするんですか?」


 月夜さんが、久美子さんを見る。


「この娘のクスリを抜くために、暫く使うからね」


 途端に、その男は嫌な表情を浮かべた。


「マジですか。それは、ちょっと騒がしくなりますね――」


 考える仕草を見せる。男は、俺たちとすれ違い玄関に向かった。


「――俺、スケの部屋に逃げておきますわ」


 月夜さんは、一階の奥に向かって歩みを進める。階段の前に、頑丈そうな扉があった。月夜さんが、その扉を開ける。


「ここよ。久美子さん、中に入って」


 俺も部屋の中に一緒に入る。

 そこは、六畳ほどの板張りの部屋だった。薄汚い小さなベッドが隅っこにある。小さな洗面台も設置されていた。共同便所があるのに、この部屋には、トイレも備え付けられている。どうしてだろう?


「殺風景な部屋でごめんね。この部屋で、禁断症状が治るまで過ごして欲しいの。水道とトイレはあるわ。食べるものや、着替え、タオルなんかは後から用意するからね――ケンタ。狭いけど、あんたも一緒よ。お願いね」


 この部屋の何とも言えない暗い雰囲気に、俺はつい質問をしてしまった。


「月夜さん、ここは何の部屋なんですか?」


 月夜さんが、少し困った顔をする。


「うーん。逃げないように閉じ込めておく……部屋かな」


 ――怖えー!


 それってつまり、牢獄じゃないですか。そう言えば、窓には鉄格子がはめられていた。そんな部屋を用意していること自体が、ちょっとヤバすぎる。月夜さんに、色々と質問をしたかったけれど、やめた。

 月夜さんが、久美子さんの肩を抱く。


「不安だと思うけど、頑張ってね。この部屋を出たら、一流のホステスになれるように、私がみっちりと鍛え上げるから、そのつもりでね」


「はい」


 月夜さんが、久美子さんを抱きしめる。久美子さんも、そんな月夜さんを慕うかのように抱き返した。


 ――いいなー、俺も仲間に入りたい。


 そんな事を考えていると、月夜さんが久美子さんから離れた。俺に向き直る。


「ケンタ。久美子のことを頼むよ。あんただけが頼りなんだから。男を見せなさいよ」


 悪戯っぽく笑うと、月夜さんが拳を作った。可愛い仕草で、俺の胸をポンと叩く。


「ええ、やりますとも。任してください」


 月夜さんの期待に応えたい。この俺が、久美子さんを、絶対に立ち直らせてやる。

 この時の、俺は、禁断症状がどんなに大変なものなのか、全く分かっていなかった。

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