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逃げるしかないだろう  作者: だるっぱ
健太 一九八〇年九月
35/80

ナンパ

 ――さぁーて、どの娘にしようかな。


 ひっかけ橋の欄干にもたれ掛かりながら、俺は行き交う女の子たちに視線を注ぐ。今日のお相手を探していたのだ。

 自慢じゃないが、俺は女にモテる。ナンパなんかしなくても、俺の彼女になりたい奴は、いくらでもいる。学生の頃は、ちょっとしたワルだったし、目立っていた。まー、いわゆる、ヒエラルキーの頂点だな。

 ただ、女に告白されて素直にカップルになるのは、俺の中ではちょっと違った。モテることは嬉しいし、俺のステイタスでもある。でも、特定の女は作りたくない。俺は、告白されたいわけじゃない。落としたいのだ。

 俺にとって女を口説くことは、ゲームに近い。良い女であればあるほど、俺のテンションが上がる。女を落とす為に、策をめぐらし罠を張る。頑なだった心の扉を開かせて、股も開かせる。そうすればミッション成功だ。

 俺は、自分のことを狩人だと思っている。


 しかし、ひっかけ橋に立つのも三ヶ月ぶりだ。少し勘が鈍っている気がする。ここ最近は、仕事が忙しすぎて、ナンパをする余裕がなかった。全てはジョージ先輩が悪い。一体、どこに行ってしまったんだろう……。


 あれは六月のことだった。

 安達親分が銃撃に倒れた時、時を同じくしてジョージ先輩が姿を消してしまう。無断欠勤するような先輩ではなかったし、急に連絡が取れなくなるというのは考えられないことだった。

 支配人は、俺たち一人一人にジョージ先輩の行方について詮索した。しかし、誰も知らない。マコト先輩の話では、住んでいた部屋は既に解約されていたそうだ。しかも、夜逃げ同然の有様だったらしい。


 一時は、安達親分の暗殺計画に加わっていたという噂が、仲間内でまことしやかに語られた。しかし、犯人は捕まっているし、実行犯は田崎組の関係者だということが分かっている。マコト先輩の言葉を信じるとすれば、田崎組は過去にジョージ先輩を痛めつけた過去があるから、その線は考えられない。酒の席の、噂話で終わった。


 同じように、姿を見せなくなった先輩がもう一人いる。ナンバーワンホステスだった月夜さんだ。

 安達親分が銃撃された時、月夜さんは現場にいた。このことは周知の事実で、テレビでも繰り返し報道される。テレビは加減というものを知らなかった。本名、経歴、学校、安達親分との関係等、月夜さんをさらし者のように全国に紹介してしまった。テレビの仕打ちには腹が立つ。


 俺にとって、月夜さんは特別な女だ。ナンバーワンであり、女王様のような存在だった。流石に安達親分と奪い合う気はないけれど……。


 まだ、新人だったの頃、月夜さんが接客するボックス席で、俺は客の注文を間違えたことがある。シャンパンの注文だったのに、俺はビールジョッキを運んでしまったのだ。客が俺の間違いを指摘する。


「なんでビールやねん。ここは、ビールしかないんか!」


 酔った客が俺に絡みつく。


「すみません。直ぐに取り換えてきます」


 俺は謝ったが、客の絡みが止まらない。


「お前、責任を取れよ。このビールを飲んでしまえ。ほら、一気、一気、一気」


 客が手拍子を始めた。笑いながら道化のように手を叩く。馬鹿にしたような言い方だ。

 思わず、殴りたくなった。こんな酔っ払いに馬鹿にされていること自体が、我慢ならない。拳を握りしめて、一歩、足を踏み出した。

 その時、その足の指先に激痛が走る。


「痛ッ!」


 突然の痛みに声をあげた。足元を見る。隣に座っていた月夜さんが、ヒールの踵で、俺の足を踏んでいたのだ。

 月夜さんが、立ち上がる。問題のビールジョッキを掴み上げた。


「いくわよ~」


 客の手拍子に合わせて、そのビールジョッキを一気に飲み干してしまう。ボックス席が盛りあがった。

 あの時のことが、忘れられない。機転の利かせ方は勿論のこと、月夜さんに守られたことが、強い衝撃となって心に残る。足の痛みすらも、今は懐かしかった。


 二人が姿を見せなくなってから、一つの噂話がジュエリーボックス内で囁かれる。ジョージ先輩と月夜さんの駆け落ち説だ。

 話の出どころは、支配人の弟であるヤクザの木崎隆だった。ジョージ先輩に関しては、支配人からも詮索されたが、木崎隆からも鋭く詰問された。


 ――何なんだあの野郎は!


 正直、人に物を尋ねる態度ではなかった。ヤクザか何だか知らないが、偉そうな態度に腹が立った。ムカつく野郎だが、盾突くことは出来ない。ケンカで勝てる様な相手ではなかったからだ。

 ただ、気になったのは、ジョージ先輩と月夜さんが一緒の所を見たかどうかを、俺に尋ねてきたことだ。


 ――どうしてジョージ先輩の失踪に、月夜さんが出て来るんだ?


 ただ、駆け落ち説は直ぐに立ち消える。二人と仲が良かった美智子姉さんが、その線を否定したからだ。

 美智子姉さんの話では、月夜さんはテレビの影響で表に出る事が出来ない。ずっと家に籠っているとのことだった。美智子姉さんは、今でも月夜さんに会いに行き、傷心の月夜さんを励ましていると言っていた。


 人の噂も七十五日。

 ジュエリーボックスで、あれだけ盛り上がった噂話は、今では誰も口にしなくなった。ジョージ先輩がいなくなり大変だったが、店は平常通りの営業に戻っていた。

 俺も、今では一人前の黒服だ。後輩の教育係として責任ある立場で仕事をしている。とは言いつつも……。


 ――面倒くせー!


 頭が悪い奴らを指導するのは、ストレスが溜まる。しかも、相手は男だ。

 仕事なんか忘れて、可愛い女の子とお喋りがしたい。楽しいひと時を過ごしたい。久々の休日を利用して、俺は女を漁りに来ていた。


 ――さて、今日の俺の相手は、誰だ?


 ウキウキしながら、目の前を通り過ぎていく女の子たちを観察した。女と見たら、手当たり次第に声を掛けるのは、三流だ。その前に、しっかりと観察しなければならない。勝負は、既に始まっている。目利きが重要だな。

 俺くらいの熟練者になってくると、声を掛ける前から、その女の難易度が見えてくる。

 水商売の女や、全く遊ぶ気のない女に声を掛けるのはバツ。時間がもったいない。

 遊ぶ相手を探しているだけの尻の軽い女もバツ。小物に用はない。

 俺が釣り上げるのは、大物のみ。


 ――狙った獲物は、逃がさない!


 俺は女を落とすのが好きなんだ。可愛い女の子と楽しい夜を過ごしたい。


「撮るよ――、ハイ、チーズ」


 道頓堀川のランドマークであるグリコの看板をバックに、記念写真を撮っている女の子達がいた。さりげなく観察する。イチ、ニイ、サン。


 ――三人は、ちょっと多いな~。


 二人なら、俺は相手が出来る。しかし、三人は難しい。ひとりで、三人に目を配るのは大変なのだ。それに、あの様子は大阪に旅行に来ている。上手くいったとしても、遊ぶことは出来ない。ただ……。


 ――カメラを持っている娘がモロ俺の好み。


 可愛いだけじゃない。無邪気なうえに、性格の良さを感じた。お節介な世話人って感じがする。それに、なにより元気だ。無口で暗い子は、ナンパをしようにも会話が続かない。流石の俺でも、会話が出来なければお手上げだ。


 ――当たってみるか。


 ナンパは、声を掛けてなんぼ。慣らし運転にはちょうど良いだろう。


「こんにちは、大阪に遊びに来たんですか?」


 カメラを持っている女の子に声を掛けた。女の子が振り返る。白いワンピースの裾が揺れた。


 ――おっと、やっぱり可愛い。


 丸い目で俺を見る。ちょっと警戒していた。残りの二人はもっと警戒している。誰も返事をしてくれない。場が凍り付いていた。


「そんなに警戒されたら、俺、傷つくな~。まるで、三匹の子豚に出て来る狼――」


 そこで言葉を区切った。カメラを持っている娘と目が合う。感覚的にいけると思った。一歩、足を進める。真剣な眼差しで、その娘を見つめた。


「――狼になりたい。今夜、君の家の煙突から忍び込んでもいいですか?」


 彼女が、クスッと笑った。笑顔が零れる。


「ウチの家に、煙突はないわよ~」


 俺は右手を額に押し当てた。ワザと残念そうに呟く。


「残念。煙突から忍び込みたかった。俺は、煙突が好きなんだ」


 両手を広げて叫んだ。


「なによ、それ~。アッハッハッ!」


 その娘が、コロコロと笑った。残りの二人も表情を和らげる。

 俺は、カメラの娘に手を差し出した。


「カメラ、貸してみろよ」


 彼女が、怪訝な表情を浮かべる。


「どうして?」


「大阪に観光に来たんだろう。三人が一緒に写っている写真を撮ってやるよ」


 彼女が、納得の表情を浮かべた。ただ、少し迷う。


「嬉しいですけど……」


「大丈夫、大丈夫。俺、狼だけど、取って食ったりはしないから。ほら、貸してみ」


 俺は、強引に手を差し出す。躊躇しながらも、彼女は俺にカメラを渡してくれた。


「宜しくお願いします」


「まっかせなさい。じゃ、そこに並んで。グリコの看板を背景にするから」


 彼女たちが、橋の欄干に凭れる。肩を寄せ合って笑顔を向けてくれた。ピースなんてしちゃっているよ。

 可愛いな~。俺の中のテンションがあがる。


「撮るよ~。イチ足すイチは?」


「ニー!」


 カシャ。


「いいよ、いいよ。可愛く、撮れているよ。次は、グリコのポーズをしてみようか」


 彼女たちが、キョトンとした表情で俺を見る。

 俺は、片足で立つと、勢いよく両手を上に上げた。グリコのポーズをしてみせる。


「えー、そんな恰好をするの~」


 恥ずかしそうに、女の子たちがお互いに顔を見合わせた。


「ほら、早く、早く!」


 催促をしながら、もう一度、グリコのポーズを決める。顔は真剣そのもの。


「ウフフッ……」


 カメラの娘が笑った。良い感触だ。


「じゃー、俺がグリコって言ったら、三人でグリコのポーズをすること――」


 強引に話を進めた。こういう時は、リードしてあげた方が良い。俺は、カメラを構えた。


「――準備はええか~。グリコ!」


 カメラの娘を中心として、女の子たちが可愛くグリコのポーズをした。背後には強大なグリコの看板が彼女たちを見下ろしている。シャッターを押した。


 パシャ!


 そのまま、俺は彼女たちに駆け寄る。カメラのピントを合わせた。突然のことに、彼女たちが驚く。俺はその表情を逃さない。再度、シャッターを押した。


 パシャ!


「いいねー、みんなの驚いた顔。皆、こんな顔をしていたよ」


 俺は、口を丸く開けて、剽軽な顔をする。すると、俺の顔を見て、彼女たちが笑った。


「クスクス、面白い人」


 ――それそれ、俺は君たちの笑顔が見たいんだよ。


 透かさずにシャッターを押す。


 パシャ!


 緊張から解放された彼女たちの笑顔をカメラに収めることが出来た。場が和む。

 俺は、白いワンピースを着た女の子にカメラを差し出した。


「はい、カメラ」


「ありがとうございます」


「記念写真って、どれも似たり寄ったりだろう? 面白い写真は、後から良い思い出になるよ」


「そうですね、本当にありがとうございます」


 彼女が、嬉しそうに頭を下げる。


 ――素直な子だ。メチャ可愛い。


「ねー、君たち、どこから来たの?」


「私たち、和歌山から来たんです」


「和歌山! 和歌山って言ったらみかんが美味しいところやん」


「まー、そうですね」


 俺は、真顔で彼女を見つめた。


「あれやろ、水道の蛇口から、みかんのジュースが出てくるんやろ?」


「出ませんよ。アッハッハッ」


 カメラの娘が俺の肩を叩いた。嬉しそうに笑う。 


 ――ボディータッチ!


 これは、イケルぞ。

 畳みかけるように、ウケを狙った。


「あれっ、そうやったかな? 大阪では、蛇口からミックスジュースが出るねんけど」


 彼女が、目を丸くする。


「本当ですか!」


 俺は、シレッと答える。


「いや、嘘やけど」


「ウンモ――! 意地悪~」


 彼女が、ポカポカと僕の肩を叩いた。連れの女の子たちがそれを見て笑う。


 ――ウケた! イケル! イケル! イケル!


 女の子たちの笑いに、手応えを感じた。これは脈がある。完全に俺のペースだ。調子に乗った俺は、彼女たちを誘ってみる。


「ねー、ねー、この後、どっか遊びに行こうよ」


 カメラの娘が、白いワンピースの端を掴む。困ったような表情を浮かべた。


「実は、私たち、これから電車に乗って帰るんです」


 ――あちゃー!


 忘れていた。彼女たちは旅行客だった。

 慣らし運転のつもりが、思いのほか盛り上がってしまったので、俺も本気になっていた。残念だけど、これは仕方がない。

 彼女たちの連絡先を聞き出し、俺は彼女たちと別れた。


 ――さてと、気を取り直して、次はどの娘に声を掛けようかな?


 また、欄干にもたれ掛かって、女の子たち物色をする。目の前に沢山いるが、いまいち俺の心に響かない。


「オイ! 痛いやないか!」


 怒鳴り声が聞こえた。声の方向に顔を向ける。綺麗なお姉さんを見つけた。

 ……が、ちょっと様子がおかしい。こんな人通りの多い所で、通行人にぶつかりながら走ってくる。何かから逃げているようだった。

 後ろを振り返り確認しようとした時、お姉さんがつまずいた。


「キャッ!」


 小さな叫び声をあげる。

 俺は咄嗟に腕を差し出した。腰と背中に腕を回して、お姉さんを抱きしめる。腰が細くてキュッと引き締まっていた。胸もかなり大きい。


 ――えっ、これって役得!


 俺に身を任せたお姉さんの長い髪の毛が、フワッと俺に掛かる。シャンプーの香りが俺の鼻孔をくすぐった。胸の中がゾワゾワと騒ぎ出す。

 抱きしめたい気持ちを抑えつけて、俺は紳士的に語りかけた。


「大丈夫か? 怪我はないか?」


「すみません」


 お姉さんの顔を覗き込む。切れ長な目をしている。モデルのようなお姉さんだった。


 ――これは、大物だ!


 期待に胸を膨らませた。すると、また声がした。


「おい、久美子。そない逃げるなや」


 久美子と呼ばれたお姉さんが、心配そうに振り返る。その視線の先には、ガラの悪そうな男が二人、俺たちを睨みながら近づいて来ていた。

 一人は、派手な柄シャツを着ていた。見るからにチンピラだ。一人は、暑いのに背広を着ている。怪しい奴だ。


 柄シャツの男が、久美子さんに向かって手を伸ばす。捕まえるつもりだ。俺は、彼女を抱きしめたまま、その男の手を躱した。


「なんや、兄ちゃん」


 男が、俺のことをギロリと睨みつけた。


 ――しゃーないな。男を見せたる。


 久美子さんを背中に回して、俺は男たちにメンチを切った。


「まっ昼間から、騒がしいぞ、コラ!」


 男が、俺を値踏みするようにして睨んでくる。


「なんや坊主。お前には関係のない話や」


 久美子さんが、俺の腕を強く掴んだ。怯えている。


「こんな人込みの中で、人さらいみたいなナンパは……ちょっとまずいやろ。お前、自分の顔を鏡で見たことあるんか?」


「ナンパ……」


 男が、呆れた様な表情を浮かべた。だが俺の口は止まらない。


「久美子さんは、これから俺と遊びに行くんや。帰れ、帰れ――ほら、そこに、ポリボックスがあるやろ。俺、叫んじゃおうかな。人さらい~って」


 ――悪者からお姉さんを守る、格好良い俺。


 これはポイントが高い。こいつらをさっさと追っ払って、久美子さんと二人っきりになりたい。俺の腕を掴んでいる彼女の手を、そっと撫でた。安心させるためだ。

 ただ、相手は二人。しかも、トーシローじゃない。同時に相手にするのは……ちょっと骨が折れそうだ。どうやって、切り抜けようか。

 それでも胸を張って、俺は男たちを睨みつけた。


 柄シャツの男が、難しそうな顔をする。後ろを振り向き、背広の男に視線を送った。背広の男は無言のまま、顎をクイッと動かす。


 ――やるのか!


 俺は、拳を握り締める。少し腰を落とした。お前たちがその気なら、やってやるさ。

 柄シャツの男が、渋々と俺に向き直る。ゆっくりとした動きでポケットから煙草を取り出した。中から一本引き抜く。


 ――何をしているんだ?


 柄シャツ男の行動の意図が分からない。眉間に皺を寄せて、その様子を眺めた。


「タバコ、要るか?」


 男は、俺に向かって場違いなセリフを吐いた。

 俺は、首を傾げる。

 その瞬間、男は指先の煙草を弾いた。タバコが、俺の顔を目掛けて真っすぐに飛んでくる。

 すぐさま、その煙草を手で払おうとした。

 フェイントだった。男は素早い動きで、間合いを詰める。男の拳が、俺の鳩尾にきれいに入った。


「ウッ!」


 迂闊だった。途端に息が出来なくなる。内臓がひっくり返って、激痛が駆け上がった。体をくの字に曲げる。

 柄シャツの男は、俺の襟首を掴んだ。そのまま、足を掛けて俺を地面に引き倒す。


 ドサッ!


 肩を打ち付けた。


「やめて!」


 久美子さんが叫んだ。

 俺は、吐きそうな痛みをこらえて、膝に力を入れる。手をついて、立ち上がった。柄シャツの男を掴む。でも、力が入らない。

 背広の男が、俺に近づく。俺に向かって蹴りを入れた。

 また、地面に転がされてしまった。

 久美子さんが、男達に腕を引っ張られる。このままでは連れていかれてしまう。


 ――このまま転がったままなら、ゴタゴタは終わり。

 ――抵抗しなければ、やり過ごすことが出来る。

 ――でも、それでいいのか?

 ――俺の、心に問え。

 ――アホンダラ!

 ――黙っていられるか!


「この野郎――」


 俺は、叫びながら立ち上がった。久美子さんの腕を掴んでいる背広の男に、自分の体をぶつける。その男と一緒に、俺はもつれる様にして、また地面に転がった。


 ――何回、転がっているんだ。格好悪い。


 見上げると、柄シャツの男と目が合った。俺を、蹴り上げようとしている。


 ――ちょっと、ちょっと、それはマズイって!


 その足は、真っすぐに俺の顔面を狙っていた。


 ゴキッ!




「……い……きろ」

「おい……おき……」

「おい、お前。起きろ!」


 誰かに肩を揺すられていた。誰かが俺を呼んでいる。

 目が覚めた。

 どうやら俺は、気を失っていたようだ。頭が痛い。

 顔を動かすと、人相の悪い男が俺を揺すっていた。記憶が蘇る。俺は喧嘩をしていたんだ。

 慌てて立ち上がり臨戦態勢に入ろうとした。ところが、体に力が入らない。バタバタと手足を動かしただけで、立つことが出来なかった。


「じっとしてろ。頭をやられているからな」


 人相の悪い男が、俺を抑えつける。よく見ると、あの木崎隆だ。体から力が抜ける。木崎は俺の横で立ち上がると、今度は隣に声を掛けた。


「おい、お前ら。今から、ちょっと付き合え」


 地面に転がったまま、首をひねる。先ほどの男二人が、正座をさせられていた。


 ――えっ!


 柄シャツの男は、鼻から血を流している。背広の男も、肩を落としていた。

 更に、周りを見た。

 如何にもヤクザ――そう形容したいようなガラの悪い男たちに、俺は囲まれていた。一体、どういう状況なのかが分からない。

 分からないことが、もう一つあった。サングラスを掛けた派手なお姉さんが、ヤクザ達を従えるようにして立っていた。


 ――誰だ?


 サングラスのお姉さんの隣には、寄り添うようにして久美子さんが立っている。

 格好良かったはずの俺は、無様に寝ころんだままだ。これは、かなり恥ずかしい。腕に力を入れて、無理に起き上がろうとした。


「ケンタ、大丈夫?」


 サングラスの派手なお姉さんが、俺に声を掛けてきた。


 ――誰ですか、貴女は?


 俺の記憶にない。


「まだ、無理しない方が良いよ」


 そのお姉さんがサングラスを外した。


 ――月夜さん!


 寝転がったまま、俺は目を見開いた。

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