逃げるしかないだろう
「朝から、またやってるぜ……」
茂が、テレビを見ながら呟いた。チキンラーメンを食べていた僕は、顔を上げる。
「ホンマやな」
茂が腕を組んだ。
「可哀そうにな、月夜ちゃん」
テレビから目を離して、僕はチキンラーメンを食べることに専念した。
昨日から、テレビのニュースは発砲事件の話題一色だった。今朝のテレビも、安達親分が拳銃で撃たれた経緯について、その背景を事細かに説明していた。
被害者が、大阪ミナミを地盤とする暴力団の組長であること。対立する組織との抗争が激化して、命を狙われたこと。対立の原因に、覚せい剤の存在が見え隠れすること。また使用された拳銃の詳細等、僕も知らなかった事柄が、さも見てきたかのように紹介されている。
映像は、警察署から出てくる明美さんの映像が、繰り返し映し出された。京子さんの姿も見える。
テレビの中のコメンテーターの関心は、拳銃で撃たれた安達親分よりも、現場に一緒に居合わせた明美さんに傾いていた。深刻な顔をしながらも、親分との関係性をねちっこく掘り下げている。下世話な話として楽しんでいた。
明美さんのプライベートなんて関係ない。全国の晒しものになっていた。
「なんやねん、魔性の女って……」
手を伸ばすと、僕はテレビのスイッチを切った。茂が僕に呼びかける。
「なあ、ジョージ」
「なんや?」
「これから、どうするつもりや?」
茂の顔を見た。僕は口籠ってしまう
「うーん。どうしようかな~」
これからの行動が全く見えなかった。取り繕うようにしてチキンラーメンを食べる。
「今はええけど、今週末には、この部屋は引き払うんやで」
ラーメンを食べる手が止まる。
「そうやったな。美智子さんと一緒に生活するんやったな」
「お前のこと追い出したい訳やないんやで」
「分かってる」
◇ ◇ ◇ ◇
事件当日、部屋で荷造りをしていると、突然に電話が鳴り出した。時間は昼過ぎ。まさか明美からの電話ではないだろうと思って、受話器を掴んだ。なんと明美からだった。
電話口から、明美の切羽詰まった声が飛び出す。
「ジョージ、時間がないの。そこから逃げて!」
かなり慌てている。詳しい状況を聞くことは出来なかった。でも、僕たちの関係がバレた事は分かった。ということは、これから僕を捕まえるためにヤクザが押し掛けるということだ。
部屋の荷造りをしていた僕は、全ての作業を放り出した。通帳やハンコなど、駆け落ちに必要な荷物だけ手に取ると、部屋を飛び出す。行く当てのない僕は、茂の部屋に転がり込んでしまった。
次の日、茂に別れを告げて、明美との約束通り、新大阪駅に向かった。
改札口で待っていたが、九時になっても明美は現れない。
広い構内だ。僕は、明美を探して走り回った。そんな折、駅の売店のスポーツ新聞に目が止まる。
「銃撃! 安達組長倒れる!」
驚いた。安達親分が銃弾に倒れたというニュースだった。僕の知らない間に、大変なことが起こっていた。
僕は、公衆電話を探して、明美に電話をする。でも繋がらない。
万が一のことを考えて、昼過ぎまで新大阪駅で明美を待った。でも、明美が現れることはなかった。
――仕方がない。今晩も茂の部屋に泊めさせてもらおう。
結局、茂の部屋に戻ってきた。
夕方、明美に電話をしてみた。繋がらない。未練がましく、もう一度電話をしたら繋がった。
◇ ◇ ◇ ◇
「行く当てはあるんか?」
茂が僕に問いかける。
「ウーン。そうだな~」
考え込んでしまった。
駆け落ちをするつもりで準備をしてきたので、住んでいた部屋は解約している。今の僕には住所が無かった。
仕事にしてもそうだ。安達組が運営しているジュエリーボックスには、絶対に戻ることが出来ない。
住むところがない。仕事がない。今の僕は全くの根無し草だった。
「実家は?」
茂が、また聞いてきた。
「実家か……」
僕は口を噤んでしまう。目を瞑って、顔をしかめた。
「どうしたんや?」
「……母親が亡くなってから、親父の奴、再婚したんや」
「ホンマかー、そら知らんかった」
「俺……親父とその人が一緒に居るところは見たくないんや」
「ふーん。まー、色々あるわな――」
茂が、話題を変えてくる。
「――それより、話をしたんやろ。どうやったんや、月夜ちゃんは?」
僕は、ため息をついた。
「ウーン。パニックになっていた。泣いていたのに、会いにも行かれへん。電話じゃ埒が明かへんし……何も出来んかった」
「泣いてたか~」
「こんな状況で可哀そうやったけど、駆け落ちの意思も聞いてみたんや」
「どうやってん?」
「行かないって」
茂が、腕を組んだ。
「そうやなー、こんな状況ではしゃーないで。考えてみろよ。もし、今、お前と月夜ちゃんが駆け落ちしたとしたら、どうなると思う?」
「どうなるんや?」
「更なるワイドショーのネタやな。魔性の女に箔が付く。ジョージも晴れて有名人の仲間入りや」
「ハッ! しょーもな」
鼻で笑ってしまった。
「だからな、今は、あまり派手な動きは、せんほうがええと思う」
「そうやな」
僕は、大きなため息をついた。
「可哀想やけど、今の月夜ちゃんは、世間のさらし者やからな」
「そうなると、明美はジュエリーボックスでの仕事も、無理になるんかな?」
「そら、無理とちゃうか? 男に夢を売るのが商売やのに、ケチがついたんやで。ホステスの復帰は難しいやろ」
「最悪やな」
僕は、更に大きなため息をついた。
「そうや、ジョージ。和子さんに、今のジュエリーの状況を聞いてみたらどうや」
「美智子さんに?」
「お前も、今、置かれている状況を知りたいやろ」
「そうやな。じゃ、お願いしようかな」
茂が、黒い電話機を引き寄せた。ダイヤルを回す。美智子さんとは、直ぐに繋がった。
「おはよう、早くにすまんな」
「ああ、俺も、さっきテレビで見てたところや」
「うん……うん」
「……」
「分かった。それとな、話が変わるねんけど、ちょっと話を聞いて欲しい奴がおるねん。代わるわ」
茂が、僕に向かって受話器を差し出した。受け取り、受話器を耳に当てる。
「もしもし、ジョージです」
「えっ――! ジョージ君。どうしてそこにいるの! ちょっとちょっと、みんな探しているよ!」
「ご迷惑を掛けてすみません。ちょっと事情がありまして……それよりどんな風に僕を探していますか?」
「どんなって、あなた。金曜日から無断で休んだでしょう。朝礼の時に、支配人が『ジョージの行方を知らんか?』って皆に聞くし。私なんか、あなたと仲が良かったから、後から支配人に呼ばれたのよ」
「すみません」
「すみませんじゃないわよ、早く謝った方が良いと思うよ」
美智子さんが、かなり怒っている。
「それなんですが、もう、ジュエリーでは仕事が出来ないです。色々とお世話になったのに……すみません」
「ちょっと、どういうことよ。何があったのか、事情を説明しなさいよ」
美智子さんに、明美との関係について説明した。安達親分に隠れて付き合っていたこと。岡山に二人で旅行に行ったこと。駆け落ちの計画をしていたこと。バレてしまい、僕が逃げ出したこと。安達親分が銃で撃たれたこと。現在は茂の部屋に匿ってもらっていること。
話があっちこっちに脱線しながらも、美智子さんに伝えることが出来た。
「うーん。月夜と親分さんの関係は知っていたし、月夜がジョージ君のことが好きっていう事も聞いてはいたけれど、駆け落ちまで考えていたなんてねー」
「すみません。心配ばっかり掛けてしまいました」
「いいのよ、今更。それより、心配なのは月夜ね。今頃、家から出ることも出来ずに、悶々と悩んでいるんだろうな……」
「昨晩、明美に電話をしたんです。泣いていました」
「……分かった。月夜のことは私が様子を見てくる。私の可愛い妹みたいな子だからね。それより、ジョージ君はどうするのよ。今の話じゃ、住むところもないんでしょう」
「そうなんです。行くところが無くて、困っています」
「話を聞く限り、もうジュエリーボックスには帰ってこれないもんね。それに、月夜に会いに行くわけにもいかないし……もう、いっその事、一人で大阪を離れたら? どっちみち、そのつもりだったんでしょう」
「一人で……ですか?」
「ほとぼりが冷めるまで、逃げるしかないんじゃない」
――逃げる。
美智子さんの言葉に、僕は顔を上げた。その時、茂のサイクリング自転車が目に入る。
「……そう、ですね」
大原美術館での、明美の言葉が思い起こされた。
「絵のことは、忘れないで欲しいな」
明美は、僕にそう言ってくれた。僕は、受話器を握りしめる。
「美智子さん、そうします」
美智子さんが、電話口で笑った。
「月夜には、必ず連絡をするのよ。大丈夫。生きていたら、色々あるわよ。私と茂だって、こう見えて色々あったんだから……」
「はい、ありがとうございます」
美智子さんとの話が終わり、茂と電話を代わった。二人は、自分たちの引っ越しのことよりも、明美をどのように励ましたら良いのか、話し合っていた。良い友達に出会えたと思う。
二人の話が終わった。茂が受話器を下ろす。僕は、茂にお願いをした。
「なあ茂、その自転車を僕に譲って欲しい」
茂が、ニヤッと笑った。
「言うと思った。捨てる手間が省けるから、こっちも助かるわ。他にも、キャンプ用品なんかも一式あるから、持って行ったらええ」
「ありがとう。何から何まで……」
「ええよ、ええよ。それより、行くんなら、早い方がええんとちゃうか?」
「ああ、直ぐに出発する。今日の内に、行けるところまで行ってみる。それから具体的に考えることにするわ」
「そうやな」
茂が、自転車旅行の用意を手伝ってくれた。
僕の荷物は、貴重品と衣類以外は持たせてくれない。それよりも、野宿をするために必要な道具を優先してパッキングしていた。
「これで、ええやろ」
「荷物が少ないような気がするけど、こんなんで、ええんか?」
「ええよ。お金は持っているんやろう。もし必要なものがあったら、現地調達。このコンロとコッヘルで簡単な料理は作れる。食料も行く先々で現地調達。やりながら覚えていったらええ」
僕は、茂が省いた荷物の中から、スケッチブックと鉛筆を拾い上げた。
「荷物になるけど、これだけは持っていく」
「絵を描くんか?」
「ああ。今回は逃げることになってしまったけど、どうせ逃げるのなら、前向きに考える。帰って来て、明美に会った時に、何かしら成長している姿を見せたいし……」
「そうか。なんや、裸の大将みたいやな」
茂が笑った。
第一部が終了です。これから後半戦に入ります。
後半戦は、もう少し時間を掛けて投稿するつもりです。作品は完成していますが、もう少し質を上げます。毎日は投稿します。宜しくお願い致します。
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