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逃げるしかないだろう  作者: だるっぱ
譲治 一九八〇年六月
30/80

駆け落ち

 目が覚める。昨日から降り続いていた雨が止んでいた。窓に掛かるカーテンの隙間から、太陽の光が差し込んでいる。

 首を横に向けた。僕の腕を枕にして明美さんが寝ている。昨日からのことが、幻ではなかったんだと安心した。

 明美さんの寝顔を見つめる。あどけない表情で、スヤスヤと寝ていた。可愛い人だ。いつまでも見ていたい。そんな気持ちにさせられる。顔を近づけて、おでこにキスをした。

 すると、明美さんが、もぞもぞと動き出す。片手をあげて伸びをした。


「ウーン」


 明美さんが目を開けた。僕と目が合う。

 明美さんに呼びかけた。


「おはよう」


「おはよう、ジョージ君」


 微笑みかける。


「よく眠れた?」


 明美さんは、まだ寝ぼけ眼だ。


「よく眠れたと思うけど、あんまり覚えてない」


 目を瞑ると、僕に抱きついてきた。今度は僕の胸に頬を寄せて、寝ようとしている。僕は、そんな明美さんを抱きしめた。頭を優しく撫でてあげる。


 明美さんとの夢のような一夜を思い出す。男女の営みについて不慣れな僕を、明美さんはゆっくりと包んでくれた。

 初めはぎこちなかった僕も、段々と要領を得てくる。


 ――明美さんに感じてもらう為には、どうしたらいいのだろう?


 宝物を探すように、一つ一つ探ってみた。舌を動かして、明美さんの反応を確かめていく。明美さんが細い声を漏らしはじめると、僕はそこを執拗に攻めた。


 男と女の営みというのは、欲望に任せて行うものだと、僕は思っていた。でも、それは違う。明美さんと行為を重ねるごとに、僕は理解した。


 ――お互いに与え合い、喜びを共有するものなんだ。


 僕は、明美さんの隅々まで探検した。頂きを目指すように、歩みを進める。明美さんは、そんな僕を支える様にして抱きしめてくれた。


「朝ごはん、どうする?」


 気持ちよさそうに寝ている明美さんに、僕は問いかけた。明美さんは、目を瞑ったまま答える。


「動きたくない。このままが良い」


 僕を抱きしめたまま離れようとしない。そんな明美さんに、悪戯な気持ちが芽生えてきた。手を伸ばす。


「起きないと、悪さをしちゃうよ」


 明美さんが、身をよじらせた。


「アン。そんなところ触ったら、くすぐったい」


 明美さんが、楽しそうに笑った。笑いながら、明美さんも手を動かす。僕の大事なものを触りだした。


「ウッ!」


 思わず、声を漏らしてしまう。そんなことを繰り返していると、また、始まってしまった。昨晩から、こればっかり。


  ◇   ◇   ◇   ◇


 シャワーを浴びた明美さんが、バスルームから出てきた。スッキリとした表情で、僕に微笑む。先に上がっていた僕は、ホテルに常備されているインスタントのコーヒーにお湯を注いでいた。


「コーヒー飲む? インスタントだけど」


「飲む~」


 窓から差し込む太陽の光が、窓際の小さなテーブルを照らす。その光の中に、コーヒーカップを置いた。椅子に腰かけると、明美さんも向いの椅子に座る。手を伸ばして、コーヒーカップを持ち上げた。


「美味しい」


 僕も、コーヒーを飲む。口の中に香ばしい苦さが広がった。心がゆったりと癒される。

 明美さんを見つめた。これからのことについて話し合おう。


「どこに行きたい?」


「どこにって、他に観光するところがあるの?」


「違うよ……」


 苦笑した。日本語は難しい。

 僕は背筋を伸ばした。真剣な眼差しで、明美さんを見つめる。


「駆け落ち先だよ」


 明美さんが、驚いたように口を開けた。その後、悪戯っぽく僕に微笑みかける。


「嬉しい……そうね、大阪からの脱出だし、やっぱり東京?」


 僕は笑みを浮かべた。


「そうだね。明美と……さんと……」


 明美さんを、呼び捨てにしてしまった。すると、明美さんが僕に手の平を見せる。


「ストップ。明美でいい。さんは付けないで。私も、ジョージって呼ぶから。それに、ちょっと他人行儀な言葉遣いも控えて欲しい」


 僕は、大きく目を見開いた。少し深呼吸する。


「分かった……じゃ、明美」


「なに、ジョージ」


「東京に行こう」


「うん」


 僕は、大きく息を吐いた。ゆっくりと座り直す。


「行先は東京で良いとして、それまでに、やらなくちゃいけないことが色々とある」


 明美が、人差し指を立てると、顎にくっつけた。


「そうね……ジョージは、住んでいるところを引き払わなくちゃいけないし、その手続きも必要よね」


「うん。手続きはする。だけど、部屋の荷物はほとんど必要ない。第一、東京まで運べない」


「どうするの?」


「それまでに、出来るだけ処分する」


「そっかー」


「でも、僕の問題は明美に比べたら、それほど深刻じゃない。一番の問題は親分や。明美は親族だし、両親のこともあるやろう?」


「私の両親か……実はね、私の実家は呉服問屋なんだけど、勲お兄さんからお金を借りているの」


 僕は、目を丸くした。


「結構大きいの? その金額」


「うーん、ちゃんと計算したわけではないけど、私の貯金と実家の貯えを合わせたら、返せるんじゃないかな」


「どうする? 借金の返済」


「するわ。もともと、そのつもりで貯めていたの。だから、駆け落ちの前に、実家に渡してくる」


「それで良いの?」


「良いに決まっているでしょう。まー、でも、駆け落ちの資金が必要だから、百万くらいは手元に残しておくけど」


「それで、親分は納得してくれるかな?」


「きっと、しない。勲お兄さんの私への執着は、尋常じゃないと思う」


「ウーン」


 唸ってしまった。借金を返しても、安達親分の影は消えない。ヤクザに、常識は通用しないということなのか。それでは残されたご両親が心配だ。


「なあ、明美」


「なに?」


「俺たちが居なくなったら、ご両親が大変じゃないかな?」


「多分……大変にはなると思う。けど、母さんは私の味方をしてくれるはず」


 僕は、少し心が痛んだ。


「そうは言っても……」


 僕たちが駆け落ちすることによって、明美のご両親に迷惑が降りかかる。


「ジョージは気にしなくていいの。子供の幸せを考えない親はいないわ。これは、どこかで、決着を付けなければいけない問題だったのよ」


「……分かった」


 そう言うしかなかった。明美との駆け落ちは決意した。しかし、それによって発生する問題については、想像が及ばなかった。顔をしかめていると、明美が僕に問い掛けた。


「それより、出発はいつにするのよ?」


 僕は思いを巡らせる。


「出発のタイミングは……早ければ早いほうがいいと思う」


「どうして?」


 明美が、不思議そうに僕を見た。


「僕たちの計画が、どこで発覚するのか分からない。もしかすると、僕たちが旅行していることが、既にバレている可能性もある」


 明美が息を呑んだ。


「言われてみれば……じゃ、思い切って、この週末はどう?」


 ――週末?


 あと僅かしかない。具体的に日を示されて、僕の方が驚いた。でも、悪くはない。


「良いかもしれない。明日、ジュエリーに行けば、今月の給料を受け取ることが出来る。資金面で幾らかの足しになるし……」


「今日が水曜日でしょう、土曜日まであと三日間」


「木曜日、金曜日、土曜日」


「何だか緊張するね」


 大きく息を吸った。三日後には、僕たちはこれまでの生活を全て捨てることになる。東京での生活か……。


「東京に行ってから、どうする?」


 僕の問い掛けに、明美は楽しそうな表情を浮かべた。


「小さくてもいいから、まず部屋を借りる。ジョージと一緒に生活がしたい。私の夢なの」


「夢って、そんなに大層なものでもないだろう」


 明美が首を横に振った。


「美智子お姉さんの話を聞いた時から、ずっと考えていたの。私って、ほら、どちらかと言うとお嬢さんでしょう。お料理は出来ないし、掃除もしない。今朝だって、京子さんに起こされたのよ」


「それくらい、直ぐに出来るようになるよ」


「ジョージは、出来るの?」


「学生の頃は、ずっと一人暮らしだったから、簡単な料理くらいなら出来るよ」


「凄ーい。私も頑張る」


 明美の素直さが、ほほえましい。


「東京に行ったら、全てが一からのスタートなんだな~」


 明美が、夢見る少女のように目を輝かせた。


「家具や食器は、ちょっとづつで良いから可愛いものを用意するの。私、お料理も覚えるわ。洗濯もしなきゃいけないのよね。大変そうだけど、みんな楽しみ。ねえ、ねえ、部屋を見つけたら、直ぐに買い物に行かなきゃいけないよね。食器がいるし、お箸もいる。ほうきや塵取りもないと、掃除が出来ないよね。それから、それから……」


 夢を語る明美を、優しい目で見つめた。夢中になって語っている。住む部屋も大切だけど、もっと現実的な話もあるだろう……と思ったりする。だけど、口は挟まない。笑いながら相槌を打った。明美を大切にしたい。

 明美の話が一段落する。僕は、明美に語り掛けた。


「知らない土地だけど、まずは仕事を探さなきゃいけないな」


 明美が、考える仕草を見せる。


「ジョージは、嫌かもしれないけれど、私……目途がつくまで、ホステスの仕事をするわ」


「えっ!」


 意外な言葉に吃驚した。


「どうしたのよ」


 明美が、僕に微笑みかける。


「いや、ホステスの仕事は、もう嫌なんだと思ったから……」


「あのね、ジョージ。ジュエリーで、月夜のまま仕事を続けていくことは、本当に嫌だったの。仕方なく始めたことだし、自分を偽っているように感じていたから……でもね、今、分かったことがあるの」


「分かったこと?」


「私、ホステスは天職だと思うの。だって、ジュエリーボックスのナンバーワンよ」


「そうだけど」


「私たちの生活の為に、ホステスの仕事をすることは、何も悪いことではないわ。それよりも、ジョージよ。ジョージはどうするのよ?」


「僕? 僕は何でも仕事をするよ。何って、今は思いつかないけれど」


 明美が、唇と尖らせた。


「ふーん。でも、それでいいの?」


「えっ、どういうこと?」


 何を言いたいのか分からない。首を傾げた


「絵のことよ。今まで舞台で、頑張って来たじゃない。続けないの?」


 明美の言葉に、大きな驚きを感じた。駆け落ちを決意した時点で、僕は全てを捨ててしまおうと考えていた。絵についても同じことだった。


「続けるっていっても、あれはジュエリーっていう舞台と支配人の采配があったからで……」


 明美が、僕を見つめる。


「私は、舞台に立っているジョージが好きよ。生き生きとしているもん。直ぐには、無理かもしれないけれど、東京に行けば、きっと新たな縁があると思うの。私が言うことではないのかもしれないけれど、絵のことは、忘れないで欲しいな」


 僕は、テーブルの上に置かれている明美の手を握った。


「ありがとう。僕のことまで考えてくれて」


「なに言っているのよ。これから一緒になるのよ」


 胸の奥から、言いようのない歓喜が溢れてきた。胸が張り裂けそうなくらいに、膨れ上がる。明美を見つめながら決意した。


「明美」


「なに?」


「結婚しよう」


 明美の目が、大きく開いた。僕の手を、強く握り返す。涙を浮かべた。肩を震わせながら、僕を見つめる。


「ジョージには、泣かされてばっかり――」


 明美が、手を僕から引き抜く。自分の膝がしらに添えた。ゆっくりと頭を下げる。


「――不束者ですが、宜しくお願いします」


 そう言って、泣いた。

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