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逃げるしかないだろう  作者: だるっぱ
譲治 一九八〇年六月
29/80

決意

 ホテルに帰ってきた僕たちは、真っすぐにレストランに向かった。ディナーには少し時間が早かったけれど、店内にはもう食事をしているお客が何組かいた。明美さんは、レストランの中を見回すと、窓際の席に向かった。


「ココにしようよ」


 明美さんが選んだ席からは、外の景色が見える。ただ残念なことに、今日は雨。窓の外は灰色で、ガラス窓が濡れて良く見えなかった。

 僕は、明美さんのために椅子を引いてあげる。


「どうぞ、明美さん」


「ありがとう、ジョージ君」


 明美さんが、嬉しそうに椅子に座る。僕も向かいの椅子に座った。メニューブックを手に取る。明美さんは、肉が食べたいと言っていた。


「このコースにしようか? メインはステーキだし」


 メニューブックを、明美さんに見せる。明美さんが覗き込んだ。


「うん。これがいい。食後のデザートに、桃のシャーベットが付いてるね」


「飲み物はどうする? 赤ワインでいいかな」


「うん。それでいい」


 僕は給仕を呼んだ。注文の内容を伝える。その間、明美さんは窓の外を眺めていた。給仕が下がると、明美さんは窓を見ながら呟いた。


「雨、止まないな~」


 僕も窓を見る。


「梅雨だからね」


「早く、明けないかな~。スッキリとしたい」


 明美さんの言葉を噛みしめる。


 ――それは雨の事かな、それとも僕たちの事かな。


 どちらにせよ、先が見通せていないのは同じだ。でも、梅雨なら、いずれ明ける。


 ――じぁ、僕たちの関係は?


 雨が、僕に現実を見せつける。茂の言葉が蘇った。


「これから、どうしていくつもりなのか。月夜ちゃんと付き合うんなら、どういう手を打っていくのか。考えるのは、ジョージ、お前やで」


 公に出来ない中途半端な関係を、僕たちは続けている。僕は、どこかで決めなければいけない。


 ――何を?


 また、僕の中で堂々巡りが始まった。考えても考えても、答えが見つからない。そんな僕の思考を、ワインを運んできた給仕が断ち切った。


「ワインをお持ち致しました」


 恭しくお辞儀をした給仕が、僕たちに用意したワインについて説明を始める。

 僕は、努めて給仕に笑顔を見せていた。でも、その説明が理解できない。僕の頭の中に、入ってこないのだ。

 グラスに赤いワインが注がれた。赤い液体を見つめる。


 ――考えたくない。


 グラスに手を伸ばした。明美さんも、グラスを持ち上げる。


「乾杯」


 グラスとグラスがぶつかった。チンと音がする。

 グラスを口元に近づける。赤い液体を口に含んだ。若々しい渋味が口の中に広がる。時間を重ねた円やかさはないけれど、今の僕にはピッタリだと思った。微かな酔いが体に回る。もっと酔いたいと思った。

 明美さんが、テーブルにグラスを置いた。


「ねえ、ジョージ君」


「なに?」


「美智子さんのこと聞いてる?」


 僕は考える。一緒に生活をする話だろうか。


「茂とのこと」


「そう。七月には、三人一緒に生活を始めるみたいよ」


「この間、茂の部屋に遊びに行ったんだ。その時に、僕もそのことを聞いた。式は挙げないみたいだね」


「そうみたい。お姉さん、ああ見えて堅実なところがあるから」


「美智子さん、仕事はどうするのかな?」


「まだ、当分は続けるみたい。茂くんの稼ぎだけでは、三人の生活は難しいみたいよ」


「そうなんだ。そんな状況で、茂の奴、よく結婚を決意したな」


 僕は、まるで他人事のように呟いた。明美さんが、吐息をこぼす。窓を見つめた。


「美智子さんが、羨ましい……」


 ――あっ!


 明美さんの呟きに、僕の胸が締め付けられる。唇をギュッと噛みしめた。


 自分の迂闊な一言が許せない。でも、一番許せないのは、明美さんとの関係を曖昧にしている僕だ。

 丁度その時、給仕が料理を運んできた。

 僕と明美さんは、フォークを持って前菜を食べ始める。でも、話が盛り上がらない。メインのステーキが運ばれてきても、静かな食事が続いた。

 美味しい料理だったと思う。ただ、明美さんの言葉が、僕の中で繰り返されていて、何を食べているのかよく分からなかった。口の中のものを流し込む為に、ワインを飲んだ。

 楽しい食事になるはずだったのに……全て、僕が悪い。


「帰りたくないな……」


 明美さんが、呟いた。僕は顔を上げる。


「……」


「このまま、ジョージ君と、ずっと一緒にいたい」


 明美さんが、僕を見つめた。絞り出すようにして、言葉を返す。


「僕は、いつも一緒にいるよ」


 明美さんが、僕から視線を外した。小さな声で呟く。


「でも、大阪に帰ったら、また、電話だけじゃない」


「うーん」


 唸ってしまった。唇を噛んでしまう。

 明美さんが、泣きそうな顔で僕を見た。


「私はね、ジョージ君が月夜って呼ぶのが嫌なの。明美って、私の名前を呼んで欲しいの。いつでもデートに行きたいし、いつでもジョージ君と一緒に居たい!」


 そこまで叫び切ると、明美さんは俯いてしまった。言葉に詰まる。


「そんなこと言っても……」


「何とかしてよ」


 明美さんが、訴えた。


「何とかって、安達親分がいるし……」


 僕がそう言った時、明美さんが僕をきつく睨んだ。


「じゃ、私を盗んでよ。盗むって言ったじゃない」


 僕は、ただ、明美さんを見ることしか出来なかった。

 明美さんは、僕を睨みながらポロポロと涙を流し始めた。涙を拭かずに、僕を睨み続ける。


「明美さん、これ」


 ポケットからハンカチを取り出した。明美さんに差し出す。

 ところが、明美さんは受け取らない。立ち上がった。何も言わずにテーブルを離れる。振り返ることもなく、レストランの出口に向かって歩いていった。

 僕は慌てて、その後を追いかけようとした。でも、会計を済ませていない。明美さんのことが気になりつつも、受付で清算を済ませた。

 レストランを出る。明美さんが見当たらない。ロビーは閑散としていた。


「クソッ!」


 床を蹴りつけた。自分のことが、腹立たしい。悪いのは僕だ。何も決めきれない僕だ。


「あぁぁ――――――!」


 僕は、辺りも憚らずに叫んだ。


 ――決めた、決めた、決めた!


 僕は走り出した。自分の決意を鼓舞するように、走った。

 明美さんは、多分、部屋に戻っているはず。今こそ、明美さんに打ち明けるんだ。覚悟を決めるんだ。


 部屋の前に到着した。大きく深呼吸をする。自分の両頬を、両手で叩きつけた。ドアを睨みつける。


 コンコン!


 ノックした。

 暫くすると、部屋の中から人の気配が感じられる。近づいてきた。静かにドアが開けられる。泣き腫らした明美さんが、ドアの隙間から僕を見上げた。


「……ごめんね、ジョージ君」


 ドアを開けて中に入った。自然にドアが閉まる。狭いドアの内側で、僕は、明美さんの両肩を掴んだ。その瞳を見つめる。


「明美、一緒に逃げよう。僕に、君を盗ませてくれ」


 明美さんの目が、大きく広がった。また、ハラハラと涙を流し始める。崩れるようにして僕の胸に飛び込んだ。

 顔をうずめると、明美さんは大声で泣いた。声の限りに泣いた。

 僕は、そんな明美さんを強く強く抱きしめる。細い肩が小さく震えていた。

 僕の胸が、張り裂けそうなくらいに膨れ上がった。明美さんへの愛情が込み上げてくる。狂おしいほどに愛おしくて、僕の、瞳からも涙が溢れてきた。


 暫く、そうしていた。僕たちは泣きながら、お互いを抱きしめ合った。溶け合って混ざり合い、心も体も通じ合って、一つの結晶になったような気がした。

 僕も明美さんも泣き止んだ頃、明美さんが、顔を上げた。僕は、優しく明美さんを見つめる。明美さんは、涙目で笑っていた。僕は、その唇に僕の唇を重ねた。


 夜は長い。今までの時間を取り返すかのように、僕たちは何度も何度も身体を合わせた。雨は、いつまでもいつまでも、僕たちを包むようにして降っていた。

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