チキンラーメン
浴衣を着せるために、ジョージ君を立ち上がらせた。足を怪我しているので支えてあげる。後ろに回り込み、新しい浴衣を羽織らせた。衿を整えて、帯を締めてあげる。
なんだか着せ替え人形のようで楽しい。この私が、甲斐甲斐しく看病することに喜びを感じるなんて思っててもみなかった。
「ありがとう」
着替えが終わったので、ジョージ君が座ろうとした。
「痛っ!」
怪我をした足に触ったみたい。ジョージ君の体がよろめいた。私は、慌ててジョージ君を抱きしめる。
「大丈夫?」
「うん、なんとか」
ジョージ君は、私に体重をかけて、ゆっくりと腰を落とした。足を投げ出して布団の上に座り込む。
私は、ジョージ君の顔を見つめた。
「汗を拭いたから、スッキリしたでしょう」
ジョージ君が、顔を赤らめる。
「……今まで一人暮らしだったから、誰かのお世話になるのが、何だか慣れなくて……その、嬉しかった。ありがとう」
ジョージ君が、頭を下げた。とても可愛い。
「いいのよ。それより、ご飯は食べたの?」
「夕方に、少し食べた。でも、ちょっとお腹が空いたかな……」
「じゃ、何か用意してくるね。ちょっと待ってて!」
大広間を出て、私はお台所に向かった。でも、お料理は全く自信がない。実家でも安達家でも、ご飯はいつも用意してもらっていた。
――どうしよう。
冷蔵庫を開けてみる。色々と食材が入っているけれど、どうすれば良いのか分からなかった。今になって、料理の一つも作ってこなかったことを後悔する。
呆然としていると、京子さんがやって来た。
「どうなさいました?」
「あのね、ジョージ君に何か食べるものを用意したいの」
「じゃ、ご用意しますから、お嬢さんはジョージさんのお相手をしていて下さい」
京子さんが、優しく言ってくれた。だけど、そんな京子さんに、私は頭を下げる。
「そのー、私が用意したいの。でね、教えて欲しいの、作り方から……」
なんだか照れてしまう。
そんな私を見て、京子さんの表情がパッと明るくなった。
「左様でしたか、それはそれは。では、温かいものが宜しいでしょう」
京子さんが、冷蔵庫の横の棚に歩み寄る。中から袋の包みを取り出した。
「あっ、チキンラーメン」
「これなら簡単だし、喜んで頂けると思いますよ」
その袋を見ただけで、何だか私もお腹が空いてきた。二人分、用意することにする。
京子さんの指示で、まず、生卵を割って先に用意する。この卵を割るのが、意外と難しかった。最初の卵は、お椀の中に殻が一緒に入ってしまった。手でその殻を取り除く。二回目は、上手く割れた。ちょっと嬉しい。
次に、片手鍋に水を入れて沸騰させる。そこに、袋の中に入っていた乾麺を二人分入れた。後は、三分間、茹でるだけ。
「思っていたよりも簡単なのね」
そんな私を見て、京子さんが嬉しそうに笑った。
茹でられたチキンラーメンの豊かな香りが、お台所に漂った。自分が調理したチキンラーメンを、何か財宝を発見したような驚きで、私は見つめる。
そんな私を、京子さんが急かした。
「お嬢さん。麺がのびますから、ジョージさんを居間にお連れしてください。一人では歩けないですからね。後は、私がやっておきます」
言われるままに、私は大広間に向かった。座り込んでいたジョージ君を支えて、立たせてあげる。ジョージ君の杖替わりになって、二人で居間にやって来た。
京子さんは、もう居なかった。私たちに気を使ってくれたみたい。
テーブルの上には、丼に盛られたチキンラーメンがふたつ並べられていた。中には、卵と一緒に、刻まれた青い葱が丁寧に乗せられている。
「あっ! チキンラーメン」
ジョージ君が喜びの声をあげた。
「温かいものが良いかなって思って、作ってみたの」
「僕の大好物だよ」
――嬉しい。もっともっと言って欲しい。
ジョージ君を椅子に座らせた。ダイニングテーブルの反対側に回って、私も椅子に座る。ジョージ君と向き合う形になった。
「麺がのびるから、早く食べてね」
京子さんと同じことを言ってみる。ジョージ君が私に微笑んでくれた。
初めてチキンラーメンを作ったけれど、そんな素振りは見せない。ジョージ君に対して、良い格好をしている。そんな自分に気が付いた。なんだか笑ってしまう。
ジョージ君は、本当にお腹が空いていたみたい。凄い勢いでチキンラーメンを食べていく。丼を両手で持つと、汁まで全部平らげてしまった。
私は、そんなジョージ君を、ずっと見つめていた。見ているだけで、何だか楽しい。
丼をテーブルに置くと、ジョージ君が不思議そうな目で、私を見つめた。
「……食べないの? 麺がのびるよ」
私は、顔を真っ赤に染める。
「あっ、そうだね」
視線を落とす。チキンラーメンを見つめた。ジョージ君の事が気になって、食べることを忘れていた。
箸を手に持って、麺を摘まんだ。口に運ぶ。
今度は、私がジョージ君に見つめられながら、チキンラーメンを食べることになってしまった。ちょっと恥ずかしい。
垂れてくる髪の毛を左手でかき上げながら、ラーメンを食べる。チキンラーメンの香りが口の中に広がった。顔を上げて、ジョージ君を見つめる。
「美味しい」
素直に呟いてしまった。自分が調理したなんて、信じられない。
そんな私に、ジョージ君が微笑んでくれた。
「美味しいね。作ってくれてありがとう」
たったそれだけの、やり取りなのに、私の心の中が、何かで満たされしまった。
更には、それが溢れ出すような感覚に襲われる。堪らえようとしたけれど、自然に涙が零れた。次から次へと零れだした。零れだしたら、止まらなくなってしまった。
驚いたジョージ君が、そんな私を見てオロオロと動揺する。椅子から立ち上がると、足を引きずりながら、私の傍までやってきた。泣いている私の頭を、優しく撫でてくれる。とても嬉しい。
ジョージ君は体を支えるために、ダイニングテーブルの角っこを掴んでいた。
私は、そのジョージ君の手を両手で包む。
――繋がりたい。
ただ、それだけだった。暫くそうしながら、私は泣いた。泣くことが気持ち良かった。恥ずかしさも忘れて、ただただ泣いた。泣くという行為が、私の中の鬱積していたものを、全て洗い流してくれる。そんな気がした。とっても気持ちが軽くなる。
「ジョージ君、ありがとう。何だかスッキリした」
ベソを搔きながら、私はジョージ君を見上げる。
「急に泣き出すから、ビックリしたよ」
ジョージ君が、私の頭を撫でてくれた。心が温かくなる。
「何だか、ジョージ君の前では、泣いてばっかり。泣いたら、余計にお腹が空いちゃった」
ちょっと恥ずかしいけれど、ジョージ君に見つめられながら、残りのチキンラーメンを食べた。少しのびていたけれど、とっても美味しい。丼を持ち上げて、汁まで飲んでしまった。
ジョージ君は、元いた椅子に戻る。椅子に座りながら、そんな私を楽しそうに見ていた。
甘えるようにして、私もジョージ君を見つめ返す。
「ねえ、ジョージ君の話を聞かせてよ」
ジョージ君のことを、私は何も知らない。もっと、あなたの事を知りたかった。
ジョージ君が、何を話そうかと唇を尖らせる。
「僕の話……そうだなー」
私は、前のめりになる。
「ねえ、どうして、あんなに絵が上手なの?」
ジョージ君が、首を傾げた。
「小さな頃から、絵を描くことは好きだったんだ。でも、僕にとっての転機は十四歳の頃かな」
「十四歳?」
「うん。誰にでもあるだろう、思春期ってやつが。その頃の僕は、親友っていえる友達がいなくて。そもそも、どのように人と接したら良いのかが、分からなかった。学校に行くことがとても辛くて。だから、よく休んでいた」
私は、十四歳の頃のジョージ君を想像してみる。
「そうなんだ~」
「両親は、うるさい人ではなかったから、そんな僕をゆっくりと見守ってくれてね。ある時、父親が僕に言ったんだ」
「何て?」
「近所にあるアトリエにでも、通ってみたらどうかって。お前、絵が好きだろうって」
「へー」
「そのアトリエの先生が、六十を越えたおじいちゃんでね、僕を褒めるのがうまいんだ。なんだか、僕にとっての居場所が出来てしまって。その先生から絵のことを色々と教わったんだ」
「ふーん、その先生は、今でもお元気なの?」
「どうかな。もう長いこと会っていない。ただ、先生は、もう大阪には居ないんだ」
「引っ越しをされたの?」
「そう。もともと岡山の人で、実家に帰ってしまったんだ。そういえば、先生は、岡山にある大原美術館の話をよくしてくれた」
「大原美術館?」
「うん。戦前からある大きな美術館なんだ。先生は、絵が好きなら一度は行って欲しいって、良く言っていた。まだ、行けてないんだけどね」
懐かしむジョージ君に向かって、私は言った。
「今度、一緒に行こうよ」
ジョージ君が、驚いて私を見る。
「岡山は遠いよ。日帰りでは難しいんじゃないかな……」
「いいじゃない。泊まったら」
ジョージ君が、困った顔をして私を見つめた。
「でも、それじゃ……」
私の気持ちは変わらない。
「私を、連れてって」
ジョージ君が、目を大きく広げた。
「……分かった。僕の傷が癒えたら、一緒に行こう」
「約束よ」
「約束する」
ジョージ君は、私から視線を外すと、大きく深呼吸をした。そんな動揺している姿が、本当に可愛い。いつ頃、連れて行ってくれるんだろう。二人での旅行が、とっても楽しみ。




