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逃げるしかないだろう  作者: だるっぱ
譲治 一九八〇年三月
18/80

囚われの身

 ――月夜さん。


 その名前を口にした時、月夜さんの視線が、僕の瞳を射抜いた。まるでメドゥーサに睨まれたように、僕は固まってしまう。

 僕の中に押し込めていた恋心が、飛び出そうとした。胸の中で、ガンガンと暴れまわる。


 月夜さんが、笑顔を見せた。同席しているお客様に会釈する。そして、ゆっくりと立ち上がった。

 信じられない気持ちで、僕はその様子を見ていた。

 月夜さんが、真っすぐに歩みを進める。足を運ぶたびに、黒いドレスのスリットから、月夜さんの白い太ももが、チラチラと見えた。巻き上げた髪の毛に刺している銀色の髪飾りが、照明の光でキラキラと輝いている。


 月夜さんが、ステージの上り口までやって来た。

 僕はステップを降りる。月夜さんに向かって、僕はぎこちなく手を差し伸べた。

 月夜さんが、僕の手を握る。小さくて、とても柔らかい。キュンと胸が締め付けられた。

 その手を引き上げて、月夜さんをステージに導く。でも、僕は、自分がすべきことを完全に忘れていた。

 ステージに上がった月夜さんが、意地悪そうに笑う。僕は、固まったままだ。


「緊張しているの?」


 月夜さんに問い掛けられた。僕はやっと我に返る。


「モ、モデルを引き受けてくれて、ありがとうございます……あんまり綺麗だから……」


 月夜さんが、僕の肩を叩いた。


「やだー、もー、口が上手いんだから……」


 観客席から、笑いが起きる。

 そのお陰で、自分が為すべきことを思い出した。観客席に向かって、月夜さんを紹介する。


「さて、二人目のジュエリーボックスの花は、月夜さんです。皆さん、盛大な拍手を宜しくお願いします」


 ホールから、拍手が鳴り響く。

 月夜さんをモデル用の椅子に導き、座らせた。黒服が、月夜さんにマイクを手渡す。

 僕は、ステージの上を歩きながら、観客に向かって語りかけた。


「皆さんも、もうお分かりになったと思います。僕の似顔絵は、普通の似顔絵ではありません。モデルに、僕が語るドラマの主人公になって頂きます。ドラマの中では、何かしらのハプニングがあります。僕は、その時のモデルの表情を描かせて頂きます。さて、月夜さんには、どのようなハプニングが待ち受けているのでしょうか……」


 意地悪そうな口ぶりで、お客様の関心を誘った。小さな含み笑いと、興味ある視線が僕に集まる。

 先程の美智子さんの似顔絵の影響が、まだ生きていた。なんだか、とても楽しい。


「ジョージ君、手加減してよね……」


 月夜さんが、剽軽な口ぶりで、僕のことを軽く睨んだ。お客様が、クスクスと笑っている。

 月夜さんのタイミングの良い切り返しに、センスを感じた。だんだんと余裕が出てくる。似顔絵を描く前に、少し会話を楽しんでみようと思った。


「月夜さんにも、まず、質問に答えて頂きます……好きなタイプの男性を、僕に教えてください」


「好きなタイプ? それって、似顔絵に関係があるの?」


 月夜さんが、怪訝そうな表情を浮かべた。


「いえ、ありません。僕の興味です」


 男性のお客様の笑い声が、あちらこちらから聞こえた。


「何よそれ~」


 月夜さんが呆れた顔をする。

 僕は、ホールを指さした。


「でも、ほら。お客様も関心があるようですが」


 月夜さんが、困ったような顔をする。渋々、手元のマイクを口に近づけた。


「そうねー、タイプっていうか、王子様のような男性かな。私のことを、守ってくれる頼りがいのある男性がいいなー。ちょっと、乙女チックだけど」


 月夜さんの言葉から、王子という言葉が出てきた。僕は、頭の中にチェックを入れておく。


「僕なんか、いかがでしょうか?」


 軽いジャブのつもりで、調子に乗って質問する。


「ジョージ君? 全然王子様じゃないわよ。初めて見たとき、あなたのこと、子犬だと思ったのよ。少しは成長したみたいだけど……」


 僕は、ワザと情けない顔を観客に見せた。


「お客様の前で、盛大に振られてしまいました……」


 クスクスとした笑い声が、ホールから沸き上がる。

 僕の心は少し傷ついた。でも、お客様の反応で気を取り直す。


「先程の似顔絵で、ルパン三世の映画の話をさせていただきました。お客様の中で、今、上映中のカリオストロの城を観られた方はおられますか?」


 会場から、数人の手が挙がる。皆さんはあまり知らないようだ。振り返ると、月夜さんも手を挙げていた。


「月夜さんは、カリオストロを観られたんですね」


「ええ、お友達と一緒に観てきたの。とっても、面白かった」


 ――お友達?


 もしかすると美智子さんかもしれない。一緒に観てきたんだ。


「では、月夜さんにも、クラリスになって頂きます。映画を知らない方の為に、少し説明をいたします。お姫様であるクラリスは、高い塔の上に幽閉されたおりました。そのクラリスを、ルパン三世が助けに行きます。大泥棒のルパン三世の、今回の獲物はお姫様。実は、ルパン三世が、王子様になる物語なんです」


 お客様が、僕の話に耳を傾けている。月夜さんを見て、呼びかけた。


「クラリス」


 月夜さんが、不思議そうな顔をする。暫しの沈黙のあと、慌てて口を開いた。


「えっと、私のこと?」


 僕は、月夜さんを真っすぐに見つめる。


「そうです。あなたはクラリスです」


 クスクスと、客席から笑い声が起こった。話を続ける。


「クラリスは、ひどい女たらしの伯爵に掴まっていました。可哀そうなクラリスは、高い高い塔の上に幽閉されているのです。独りぼっちです。このままだとクラリスは、好きでもない伯爵と、強制的に結婚をさせられてしまうのです」


 語りを止めた。ゆっくりと月夜さんを見つめる。暫しの沈黙の後、月夜さんに問いかけた。


「クラリス。伯爵と、結婚したいですか?」


「嫌よ」


 月夜さんが即答する。ホールに視線を移し、僕は大きな声で叫んだ。


「でも、伯爵は絶対的な力を持っている。クラリスは逃げることが出来ません。結婚式のその時まで、塔の上で幽閉されたままなのだ――」


 手を振り上げる。大きく叫んだ。


「――そこで、ルパンは!」


 熱を帯びた僕の叫びに、月夜さんが「待った」をかけた。


「ちょっと待って! ジョージ君がルパンなの?」


 僕は、冷静に答える。


「ええ、そういう設定ですが」


「頼りないルパン。ウフフッ」


 月夜さんが、小さく笑う。

 僕がルパンでは、イメージに合わないようだ。月夜さんの向いに座る。クロッキー帳を広げた。


 ――さて、どんな表情を描こうか?


 お客様に、フリである物語の説明はした。しかし、オチのイメージが浮かばない。幽閉されたクラリスでは、笑いを取ることが難しいことに気が付いた。


 ――やばい!


 少し焦った。このままでは、失敗する。

 時間稼ぎのように、更に状況説明を続けた。


「アリ一匹も入り込めないような、鉄壁の警備網を潜り抜けて、ルパンは、塔に幽閉されたクラリスに会いに行きます。しかし、いかに大泥棒のルパンといえども、塔の上に幽閉されたクラリスを、直ぐに助け出すことは出来ません」


 月夜さんを見た。この後の展開に期待している。真剣な眼差しだ。

 なんだか、僕も熱くなってきた。喋くりが止まらない。


「権力でクラリスを閉じ込める伯爵と、そのクラリスを助けようとするルパン。ルパンが助け出さなければ、クラリスはどうなってしまうのか。ああ、可哀想なクラリス。映画の中で、ルパンは、クラリスに呼びかけます」


 僕は勢いよく立ち上がった。両手を振り上げる。真剣な眼差しで、月夜さんを見つめた。


「私の獲物は、悪い魔法使いが、高~い塔の上にしまいこんだ宝物。どうか、この泥棒めに盗まれてやってください」


 下手くそなルパンの口真似で、僕は映画のセリフを述べた。右手を胸に添えて、ゆっくりとお辞儀をする。

 暫く間をとった。

 ゆっくりと体を起こす。

 月夜さんが、驚いたように僕の顔を見ていた。時間が止まったかのように、僕を見つめている。


 その時、月夜さんの左目がウルウルと潤みだした。みるみる涙が溢れだす。涙が一粒、頬を伝って流れ落ちた。

 その一粒に、美しい輝きを見た。僕の中の描きたいスイッチが入る。


 ――描きたい、描きたい、描きたい!


 手元のマジックを見る。しかし、このマジックで、描き切れるだろうか。

 もう一度、月夜さんを見つめる。

 僕は、眩暈がしそうなくらい集中力を高めた。

 マジックのキャップを開ける。


 パチン


 マジックを、クロッキー帳に落とす。緩やかにカーブさせて、月夜さんの輪郭を描いた。白い空白を強調させて、なるべく線を描き込まない。

 涙を主役にするために、消えてしまいそうな月夜さんの似顔絵を優しく描く。


 月夜さんを見つめる。

 優しく微笑んでくれていた。僕も笑顔を返す。

 月夜さんと繋がっているような感覚が、僕の中を駆け抜けた。

 興奮しながら、スケッチブックに視線を戻す。

 大切なのは、最後に描く、一粒の涙。

 意を決して、美しい涙を、一気に描き切る。

 僕は、立ち上がった。大きく右手を振り上げる。


「高い高い塔に幽閉されたクラリス。流石のルパンも、今はまだ、貴女を盗むことが出来ない。伯爵は、ルパンを追いかけて、もうすぐそこまで来ている。絶望に打ちひしがれるクラリスにとって、ルパンの言葉は、小さな希望となった」


 天井を見上げた。目を瞑りクロッキー帳を抱きしめる。

 大きく深呼吸をした。

 目を開けて、ホールをゆっくりと見回す。


「いまは、これが精いっぱい」


 一粒の涙を流す月夜さんの似顔絵を、ホールにいるお客様に見せつけた。

 時間が止まったように、沈黙がホールを支配する。笑い声は起きなかった。


 ――すべったかな?


 勢いで月夜さんを描いたけれど、笑えるような要素はどこにもない。

 描きたい気持ちのままに、僕は素直にマジックを走らせてしまった。ちょっと迂闊だったかもしれない。


 パチパチパチ!


 その時、小さな拍手が聞こえた。それを合図にして、釣られるようにして、あちこちで拍手が起きた。


 ――えっ!


 僕はホールを見回した。お客様が喜んでいる。笑いに出来なかったのに、お客様が喜んでいる。

 確かな手ごたえを感じた。僕はマジックを握り締める。このようなオチでも良いんだ。


 月夜さんに歩み寄る。手を差し伸べて立ち上がらせた。


「月夜さん、モデルになって頂き、ありがとうございました」


 月夜さんが照れている。はにかみながら、僕を見た。


「私こそ、ありがとう。また、私を盗んでくれるかしら」


 月夜さんの言葉に、僕の胸がときめいた。


「喜んで!」


 ガッツポーズをした。月夜さんに喜んでもらえたことが、とても嬉しい。このまま体が弾けてしまいそうだ。


「喜び過ぎよ」


 月夜さんが、口に手を当てて笑った。

 クロッキー帳から、月夜さんの似顔絵を切り離す。


「月夜さん。記念にこの絵を貰ってください」


 月夜さんが、似顔絵を受け取った。


「ありがとう。大事にする」


 両手を広げて、僕はホールのお客さんを見回した。


「囚われのクラリスを演じてくれた月夜さんに、盛大な拍手をお願いします」


 大きな拍手が鳴り響いた。二人で手を繋ぎ、観客に向かってお辞儀する。更に、拍手が鳴り響いた。

 月夜さんは、僕に会釈をすると、ステージを下りていく。僕は、名残惜しそうに月夜さんの後姿を見送った。


 月夜さんがいたボックス席に視線を向ける。その時、そこのお客さんと目が合った。

 その瞬間、背筋が凍るような感覚に襲われた。お客さんが、僕を睨んでいたからだ。しかも、尋常じゃないくらいの鋭い目つきで。僕は、慌てて目を逸らしてしまった。


 ――どういうこと?


 その視線が心に突き刺さった。

 その後もモデルを指名して、似顔絵を描き続けた。初舞台としては、大成功だったと思う。気心が知れたお姉さんたちが協力してくれたお陰だ。とても嬉しい。


 一時間ほどのステージが終わった。お客様の大きな拍手に見送られながら、僕は舞台を後にする。

 舞台袖にあるパイプ椅子に座った。ドッと疲れが押し寄せてくる。

 今から黒服の仕事に戻らなきゃいけないと思うと、ちょっと憂鬱になった。


 アキラ先輩が、舞台袖に入ってくる。僕は、アキラ先輩に笑顔を向けた。


「なんとか、最後までやり切ることが出来ました」


 アキラ先輩の、労いの言葉を期待した。ところが、そんな雰囲気ではなかった。


「まずいよ、ジョージ」


 いつもクールなアキラ先輩が、難しい顔をしている。


「何がですか? 舞台は上手くいったと思うのですが……」


「舞台は、良かった。正直、ここまでやるとは思っていなかった。ただ……」


「ただ?」


 アキラ先輩が、言い難そうにする。


「月夜ちゃんは、モデルに指名してはいけなかったんだよ――」


 僕の脳裏に、茂の言葉が蘇る。アキラ先輩が、更に続けた。


「――月夜ちゃんは、安達親分の親戚なんや」


 僕の背筋に悪寒が走る。


「でも、モデルにしただけで、何も悪いことはしていませんよ」


「ああ、していない。お前は悪くない。それでも、安達親分は気分を悪くされている」


「安達親分?」


「ああ、この店のオーナーで、月夜ちゃんは、今……親分の女や」


 僕は、口を開ける。


「おんな……」


「とにかく、今から支配人の部屋まで一緒に来てくれ」


 慌てて、アキラ先輩を見た。


「ど、どうするんですか?」


「ひたすら、謝れ。理不尽でも、謝れ。絶対に口答えはするなよ」


 先程の疲れも何もかも吹き飛んでしまった。僕の心が、恐怖に包まれる。


 ――そんなアホな。

 ――行きたくない。

 ――絶対に嫌や。


 そんな僕の気持ちは無視されて、僕は支配人室に連れて行かれた。ドアの前に立つと、アキラ先輩がノックをする。


「アキラです」


「入ってくれ」


 支配人の声に力がなかった。

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