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逃げるしかないだろう  作者: だるっぱ
譲治 一九八〇年三月
16/80

デビュー

 桜の開花が告げられた昼下がり、大阪ミナミの戎橋周辺は、いつもと変わらない賑わいを見せていた。

 押し寄せる人の波の中、泳ぐようにしてジュエリーボックスに足を運ぶ。裏口から店に入り、二階にある黒服の控室に向かった。

 物置のような小さな部屋には、壁一面にスチール製の細長いロッカーが並べられている。僕に宛てがわれたロッカーを開いて、ユニフォームである燕尾服に着替えた。

 ロッカー扉の裏にある小さな鏡を見つめる。首に巻いた蝶ネクタイを整えた。走ってきたせいで髪の毛が乱れている。櫛を取り出して、髪の毛を後ろに撫でつけた。

 自分の表情が少し硬いような気がする。口を大きく開けた。


「あ・い・う・え・お」


 顔の緊張をほぐす。鏡に映る自分に向かって、笑ってみた。


「ニ―」


 その時、誰かが僕の肩を叩いた。


「何、変な顔をしてるんや?」


 振り向くと、マコト先輩だった。


「えーと、笑顔の練習……です」


 変なところを見られてしまった。ちょっと恥ずかしい。


「なんで、そんなんに練習がいるんや。面白い奴やなー。それより観たぞ、テレビ。凄いな、お前」


 テレビの話題を振られたのは、マコト先輩で何人目だろう。

 出演させてもらった舞台劇が、昨晩、テレビで放映されたのだ。僕は仕事だったので、生憎と観ることは出来なかった。

 仕事が終わり部屋に帰ると、夜中に茂から電話があった。今朝も、実家の父親から電話がかかってくる。父親の話では、実家にも僕のことで電話があったそうだ。テレビの影響の大きさを感じる。


「ええ、そうみたいですね」


「そうみたいって、自分のことやのに観てないんか?」


 マコト先輩が、驚いた表情を浮かべる。


「昨日の夜は仕事でしたから」


「ああ、そうやな。それは、しゃーないな。けど、凄いぞ、お前。この調子やったら、舞台に上がるのも近いんとちゃうか」


「いやいや、まだまだですよ」


 そんな返事をしながら、あの舞台の事を思い出していた。

 あの時、圭吾に向かって咄嗟に言葉を発する。


「羨ましいか?」


 僕の言葉に、圭吾が鋭く反応した。顔を歪ませ、僕を睨みつける。

 僕はその似顔絵を描くことが出来た。

 意図的に相手をイジルことで、反応を引っ張り出す。これは僕にとって、かなり刺激的な出来事だった。


 ――もう一度、試してみたい。


 そんな気持ちが、僕の中に沸き起こっていた。

 相手の表情を引き出し、さらに過剰に表現してオチに繋げる。これなら、僕の似顔絵で表現ができる。

 あと僕に必要なことは、話の流れを作ること。つまり、フリだ。観客をその気にさせるフリが用意できれば、一つの笑いが完成する。でも、その為には経験が必要だった。


 着替えが終わり控室を出る。先輩たちと一緒に、開店前の準備を始めた。ボックス席や、通路の掃除はもちろんのこと、おしぼりやアルコールのチェック、ホステスの出勤状況の確認など、押さえることは沢山ある。テキパキと仕事を進めた。朝礼の時間になる。

 ステージの周りにホステスのお姉さんたちが集まり、僕たち黒服もその横に並んだ。


 マネージャーのアキラ先輩が舞台に上がった。今日の予約状況を僕たちに伝える。木崎支配人が舞台に立った。マイクが手渡される。昨日の売り上げが発表された。売り上げに貢献したホステスの名前が順番に発表される。支配人が賛辞を送った。本来なら、ここで朝礼が終わる。

 ところが、支配人が僕に視線を向けた。


「おい、ジョージ」


「はい」


「ちょっと、小耳に挟んだんだが……お前、テレビに出たそうやな」


 突然のことで驚く。


「ええ、はい」


「どんな、番組や?」


「舞台劇です。実は、杉山社長の紹介で、チョイ役をお願いされました。それがテレビで放映されました。」


 美智子さんが、声をあげた。


「私、ジョージ君の舞台を見てきました。大爆笑でしたよ」


 すると、他のホステスも声をあげる。


「昨日、休みだったんで、私もテレビで見ました。ジョージ君の似顔絵、最高でした」


 支配人が腕を組んだ。首を傾げて考え込む。

 僕の心拍数が上がった。


 ――もしかして?


 支配人が、マネージャーのアキラ先輩に尋ねる。


「今日のイベントは、チークタイムやったな」


「はい、そうです」


 僕の心拍数が更に上がった。支配人が、僕を見る。


「ジョージ、舞台に上がるか?」


 僕は、目を広げる。


「えっ! い、いつでしょうか?」


「今日や、当たり前やろ」


「今日……今日ですか。まだ、準備が出来ていないんですが」


 木崎支配人が、冷たく僕を見下ろす。


「ここに来て、どれくらいになる」


「えっ、えっと、三か月ほどです」


「時間は十分にあった。その間に、テレビにも出た。十分やないか。それとも、やりたくないんか?」


 首を横に振る。でも、即答が出来ない。


「でも、急すぎて……」


 木崎支配人が、僕を睨みつけた。


「なら、今から考えろ。八時半までに、考えろ。まだ、四時間もあるやないか。その間に考えろ。時間があったからって、ええもんは出来ん。お笑いは、瞬発力や。失敗しても構わん。いや、むしろ失敗しろ。出来るな、ジョージ」


 僕の心拍数が、一気に振り切った。口の中が、カラカラに乾いている。僕は、支配人を見上げたまま、固まってしまった。


 ――僕に出来るのか?

 ――今、答えるのか?

 ――いくら何でも、急すぎないか?


 支配人は、面接の時から、いつも無茶ぶりが酷い。でも、これはチャンスだ。それは分かっている。後は、僕が決意するだけだ。

 だけど、同時に、恐怖心も湧き上がってくる。僕の心の中で、理性と感情がぶつかり合って、目が回りそうだ。


 ――失敗してもいい。


 支配人の言葉を思い出す。失敗してもいいんだ。その言葉が、決め手になる。僕は、拳を握り締めた。


「分かりました。やらせてください」


 支配人が、満足そうに笑った。


「よく言った。それでええねん」


 木崎支配人が、舞台の上からホステス達を見回した。


「そういう事や。デビューは、大体が失敗するもんや。ジョージのネタがちょっとでも面白かったら、ご祝儀に笑ったってくれ。アキラ、後は宜しく」


 朝礼が終わった。皆がそれぞれの配置に向かう。アキラ先輩が駆け寄ってきた。


「お前、本当にやるんか?」


 僕は、大きく息を吐き出した。


「ふー、かなり吃驚しました。でも、やってみます。イメージは出来ています」


 アキラ先輩が、驚いた表情を浮かべる。


「そうか、任せるぞ……何か準備は必要か?」


「そうですね。椅子を二脚、ステージに用意して欲しいです。ピンマイクもお願いします。それと、似顔絵のモデルに、最初は美智子さんを指名するつもりです。モデルが舞台に上がったら、マイクを手渡して欲しいです。あと……音楽はお任せします」


「分かった。この後、黒服の仕事はどうする?」


「やります。なんだか、落ち着かなくて……三十分前になったら、舞台の準備に入ります」


「そうか、分かった。じゃ、頑張ってな」


 先輩が立ち去る。今日がデビューの日になってしまった。覚悟を決めよう。芸のイメージは出来ている。タイトルも決めていた。


 ――その時、あなたは?


 舞台の上で、一つのドラマを観客に紹介する。モデルには、そのドラマの主人公になってもらう。話が盛り上がったところで、その時の表情を似顔絵で表現するのだ。

 似顔絵がオチになるから、表情は出来るだけ誇張したものが良いだろう。舞台での、圭吾の似顔絵の感触が思い出された。

 ただ心配なのは、やったことがない。イメージしかなかった。


 ――ぶっつけ本番で上手くいくのか?


 分からない。でも、やるしかない。失敗しても構わない。今の僕には経験が必要だ。

 ホールを見回した。美智子さんを見つける。傍に駆け寄った。


「美智子さん」


 美智子さんが振り向く。僕に向かって、両手を合わせた。申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「ごめんね、ジョージ君。私の所為で大変なことになっちゃったね」


 僕は、首を横に振る。


「いえ、その時が来たんです。それより、美智子さんにお願いがあります」


「なにかしら?」


「僕が声を掛けたら、舞台に上がってくれませんか」


 美智子さんが驚いた。


「えっ、どういうこと?」


「僕の最初のモデルになって下さい。お願いします」


 美智子さんが慌てた。


「えっ、えっ! 私なんかでいいの。何も出来ないよ」


「大丈夫です。僕が、リードします。自然に受け答えをしてくれれば大丈夫です」


「ジョージ君の頼みだし、良いわよ。でも、本当に何も出来ないよ」


「ありがとうございます」


 深々と頭を下げた。


 僕の芸は、オチに似顔絵を使うので、どうしてもモデルが必要になる。そのモデルと会話してフリを組み立てていくのだが、全てアドリブで対応しなければならない。正直な所、今はまだ自信がない。

 気心が知れている美智子さんなら、僕もやり易い。受けてくれて、気持ちが楽になった。

 先ずは、出だしを無事に乗り切ること。悩むのは、それからだ。

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