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逃げるしかないだろう  作者: だるっぱ
譲治 一九八〇年三月
15/80

舞台

「ジョージ君、お客さんが来たわよ」


 今日の本番に向けて控室で待機していると、千尋さんにそう告げられた。


「えっ、誰だろう?」


 呟きながら、パイプ椅子から立ち上がる。控室のドアに向かい、扉を開けた。廊下に出る。

 ジュエリーボックスの美智子さんが、娘さんの智子ちゃんを連れて微笑んでいた。その後ろに、なんと悪友の前田茂も立っている。僕は目を丸くした。両手を広げて喜ぶ。


「来てくれたんだ……美智子さん、ありがとうございます。智子ちゃんも、ありがとね」


 少ししゃがんで、智子ちゃんの頭を撫でてあげた。智子ちゃんは恥ずかしそうにはにかむ。

 上体を起こして、右手を差し出した。茂と固い握手を交わす。


「久しぶりやな」


「ああ、久しぶり。お前が舞台に立つって言うから、見に来てやったで」


 電話で、茂と話をすることはある。しかし、ジュエリーボックスが忙しくて、まったく会えていなかった。とても嬉しい。


「ありがとう。来てくれて」


 僕の言葉に、茂が悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「楽しみやなー、ジョージの舞台。面白くて笑わせてくれるのか、それとも、スベリまくって笑わせてくれるのか。クックックッ」


 僕を揶揄う茂の胸を、ポン、と叩いた。


「アホ」


 チョイ役とはいえ緊張していた僕は、茂のそんな言葉に癒される。


「ジョージが、スベル方に賭けよか?」


 茂が、まだお道化ていた。僕は、笑いながら首を横に振る。


「舞台っていっても、僕はただのチョイ役や。そんなに面白いことはせえへんで」


 僕は、改めて三人が並ぶ姿を見た。智子ちゃんは、美智子さんと手を繋ぎながら、僕と茂の掛け合いを不思議そうに見ている。美智子さんは、茂の横に立ってクスクスと笑っていた。


 ――良い家族だな。


 なんだかとても微笑ましい。僕は、茂の顔を見つめた。


「付き合っているって聞いてはいたけど、とってもお似合いだと思うよ」


 僕の言葉に、美智子さんが少し恥じらった。茂も顔を赤くする。


「もう時間やろ。悪かったな、本番前の大事な時に。始まる前に、お前の顔を見ておこうと思ってな……じゃ、頑張れよ。観客席に行くわ」


「ありがとうな。しっかりスベッてくるわ」


「ああ、盛大にスベッてこい」


 茂が、僕に拳を見せた。廊下の向こうに消えていく。

 控室に戻り、先程のパイプ椅子に座った。千尋さんが、僕に微笑む。


「良いお友達ね」


 なんだか照れてしまう。


「大学の時のツレなんです」


「そうなんだ……でもね、盛大にスベッてこいなんて、なかなか言えないよ」


 両手を上げて、大きく伸びをした。


「ええ、なんだか緊張が解けました。今日の舞台、精一杯頑張ります」


 僕の言葉に、同じ控室にいた圭吾が横やりを入れてくる。


「足引っ張らんように、精一杯頑張ってくれよ」


 舞台衣装を着こんだ圭吾を見る。漫画みたいなツッパリの格好をしていた。

 ツメ襟の学生服を着ているが普通じゃない。膝まで届く長ランを羽織っている。極めつきは、ポマードでしっかりと固めたリーゼントだ。ある意味、感じの悪いセリフを吐くのに、これほどピッタリな格好はないと思う。

 僕が千尋さんと話をしているだけで、圭吾は腹を立てたようだ。もう役者になり切っている。


「プッ!」


 思わず噴き出した。


「な、何が可笑しいんや」


 圭吾が、僕を睨みつける。


「いえ、何でもないです。精一杯頑張ります」


 そう言って、また、吹き出しそうになった。

 しかし、これは、新しい発見だ。圭吾はかなり面白い。強がって見せている姿が、ことさら滑稽だ。

 その瞬間、スイッチが入った。まじまじと圭吾を見つめてしまう。


 ――圭吾を描きたい。


 僕の中から、描きたい衝動が湧き上がってきた。

 圭吾が僕に対して感じている感情は、嫉妬だ。そんな感情を、これまで僕はぶつけられた経験がない。嫉妬に悶える圭吾を、僕は描くことが出来るだろうか。喜びでもない、悲しみでもない、嫉妬という感情。

 圭吾が、僕の視線に眉をひそめた。睨みつけてくる。


「なんやねん」


 僕は目を背けた。


「いえ、何も」


 これから本番が始まるというのに、僕の心の中は圭吾で一杯になった。


 ビ――――――――!


 照明が落ちて、舞台の開始を告げるブザーが鳴った。

 圭吾と千尋さんは、舞台袖で集中力を高め始める。

 団長の飯田さんが幕の外に飛び出した。観客に向かって挨拶を始める。劇団のこれまでの経緯や、本日の演目について説明する。


「……では、ご覧ください」


 挨拶が終わった。団長が舞台袖に引っ込む。団員の一人が、天井から垂れているロープを引っ張り始めた。緞帳が左右に分かれていく。舞台が観客席に向かって露になった。音楽が流れ始める。

 千尋さんは、飛び出す前に圭吾を見た。かなり緊張している。圭吾が、右手の親指を立てた。


「大丈夫」


 圭吾の言葉に、千尋さんが微笑む。舞台に向かって飛び出していった。舞台中央で観客席を見つめると、千尋さんは両手を動かして台詞を叫び始める。

 追いかけるようにして、今度は圭吾が舞台に飛び出していった。中央の千尋さんに歩み寄る。二人の掛け合いが始まった。


 さすが本番だ。練習と違い、二人の真剣さが伝わってくる。

 圭吾の一言に、観客が笑った。千尋さんの振る舞いに、観客が喜んだ。手応えは十分。舞台の熱気が、高まっていくのを感じた。


 小窓から観客席を覗くと、テレビカメラが設置されているのが確認できた。舞台の様子を撮影している。


 ――やっぱり、テレビで放映するつもりなんだ。


 僕は、ギュッと手を握り締める。なんだか緊張してきた。


 コントが繰り返されて、物語が進んでいく。もうすぐ、僕の出番だ。

 僕は、自分が扱う小道具を確認した。キャンパスとイーゼル、そして黒いマジック。頭に手をやった。ベレー帽は被っている。準備は万全だ。後は、無事に役を演じ切るだけだ。

 深呼吸をする。


 ――大丈夫、大丈夫、大丈夫。


 固唾を吞んだ。出番の時を待つ。ここまでは、大成功と言っても良い出来栄えだった。

 一幕が終わり、千尋さんが帰ってくる。圭吾は反対の舞台袖に退場していった。

 千尋さんが、僕を見る。息が荒く上気していた。


「行くわよ。ジョージ君」


 僕は、大きく頷く。


「はい」


 千尋さんが、再び舞台に飛び出していく。

 先程の掛け合いで、千尋さんは圭吾と喧嘩をしていた。観客席に向かって、その怒りをぶつける。怒声がこだました。

 僕も、道具を抱えて舞台に飛び出す。照明が眩しい。千尋さんが振り返り、僕を見た。


「絵描きさん、綺麗に描いてよ。とっても、とっても綺麗にね。お願いよ」


 圭吾に対する当てつけのように、優しい笑顔を僕に見せる。

その時、少し躓いた。

 僕は、持っていたキャンパスを舞台に落としてしまう。


 カタン、カタン!


 顔面が蒼白になる。初っ端からとちってしまった。


「ワッハッハッハッ!」


 ところが、僕の失敗に観客が笑った。思わず観客席に視線を向ける。数え切れない瞳が、僕を見て笑っていた。

 千尋さんと圭吾によって、観客の温度が十分に温まっている。

 気を取り直して、舞台にイーゼルを立てた。キャンパスを拾い上げて、セットする。ポケットからマジックを取りだした。


「絵描きさん、どんなポーズが良いかしら?」


 集中力を高める。舞台を見つめた。

 演技を続ける千尋さんの額から、汗が噴き出している。手を後ろに組んで、空を見上げていた。照明に照らされた千尋さんが、舞台の中央で、神々しく輝いている。とても綺麗だ。

 僕は、マジックのキャップを開ける。輪郭に合わせて、黒い線をスーと走らせていった。


「どう、描けたかしら」


 マジックにキャップを被せて、強く押し込んだ。

 パチン!

 キャップが締まる小さな感触が手に伝わった。

 千尋さんに視線を向ける。大きく頷いて、僕は描けたことを伝えた。

 キャンパスの中で、千尋さんが空を見上げて笑っている。千尋さんが、空に吸い込まれてしまいそうだ。

 黒一色の似顔絵だけれど、柔らかい千尋さんを表現することが出来たと思う。

 千尋さんがパタパタと近づいて来た。出来上がった似顔絵を見つめる。


「…………」


 千尋さんが動かない。間が空間を支配する。僕は、固唾を吞んだ。

 突然、千尋さんが、両手を振り上げる。


「すばらしいわ!」


 千尋さんが僕を見つめる。


「とっても綺麗よ。ありがとう」


 千尋さんの言葉に、照れた。ベレー帽を掴んで、クシャクシャにしてしまう。

 その時、リーゼント姿の圭吾が現れた。両手を振り上げ、大股で歩いて来る。観客が、圭吾の登場に拍手を送った。口笛も聞こえてくる。


「こらこら、そこで何しているんや。千尋、そいつは誰や?」


 肩を怒らせている。動作が大きい。まるで歌舞伎役者のようだ。

 圭吾が僕を睨みつける。僕も、圭吾を見つめた。

 かなり怒っている。僕が憎いと、その目が物語っている。僕の描きたいスイッチが、連続で押された。


 ――描きたい。描きたい。描きたい。


 僕のことを憎んで欲しい。もっと顔を歪めて欲しい。もっともっと僕を睨みつけてくれ。

 思わず言葉が出てしまった。


「羨ましいか?」


 圭吾の顔が、グニャリと崩れた。眉間に皺が寄り、口がへの字に曲がった。


「……いま、何て言った?」


 低い唸り声で、圭吾が叫んだ。圭吾の怒りが頂点に達する。ゾワゾワッと全身に鳥肌が立った。お腹の真ん中がキュッと締め付けられる。

 思わず笑みが零れてしまった。


 ――最高だ!


 再びマジックを握った。キャップを開けるのがもどかしい。かぶり付くようにして、キャンパスに黒い線を走らせる。

 空を見上げる千尋さんに覆いかぶさるようにして、嫉妬に狂った圭吾の顔を書きなぐった。黒く淀んだ瞳、汚く歪んだ唇。

 マジックを持つ手が止まらない。何かに憑かれたように線を走らせる。

 そんな僕に、圭吾が近づいて来た。そこに、圭吾を遮るようにして、千尋さんが立ちはだかる。


「圭吾、止まりなさい。あなたに用はないでしょう。私は、絵を描いてもらっていたの。モデルよ、モ・デ・ル」


 圭吾が、千尋さんを睨みつけた。


「そこを、どけ!」


「いやよ」


 圭吾は、目を開いて怒声を発する。


「こんな奴に、描いてもらわんでもええやろ!」


 千尋さんも、負けじと圭吾を睨みつけた。


「ほっといてよ」


「ほっとかれへん」


 圭吾が、千尋さんを押しのけて、キャンパスに手を伸ばした。

 取り上げられる寸前で、僕はかわす。そのキャンパスを持ち上げて、僕は舞台の端に逃げ出してしまった。


「ワッハッハッハッ!」


 意外な反応だった。僕の行動に、観客席が沸いた。笑い転げている。

 圭吾も驚いて、観客席に顔を向けた。

 その隙に、僕は圭吾の歪んだ顔を描き殴った。もう少し、もう少しで納得のいく絵が描ける。あと少し、あと少しだけ待って欲しい。


「こらー、絵描き。なに逃げとんねん」


 圭吾はプロだ。台本に無い僕の動きに惑ったものの、柔軟に対応してきた。

 僕に向かってズカズカと歩み寄ってくる。僕から、キャンパスを取り上げた。

 圭吾がその絵を見る。


 キャンパスには、千尋さんに覆いかぶさるようにして、圭吾が描かれていた。空を見上げる千尋さんに対して、圭吾は、顔を歪めて泣きそうな顔で怒っている。


 圭吾は、一瞬、言葉が詰まった。暫しの沈黙が訪れる。観客席も固唾を吞んで見つめていた。

 圭吾が、観客席を睨む。キャンパスを勢いよく見せつけた。大きな声で叫ぶ。


「なんで俺まで描いてるねん!」


「グワッハッハッハッ!」


 大きなうねりのように観客が笑った。押し寄せる笑い声に、僕は溺れそうになる。

 圭吾が、僕を睨みつけた。


「こら、絵描き。どうせ、俺を描くんやったら、もっと男前に描けや!」


 圭吾のアドリブだ。

 観客が手を叩いて笑っている。

 さらに圭吾が僕を睨みつけた。大声で喚く。


「とにかく、帰れ帰れ。このお邪魔虫野郎。ここから消えてしまえ。お前なんかに用はないんじゃ!」


 圭吾の気迫が、僕を圧倒した。

 僕は背を向けた。よろめくようにしてトボトボと歩き出す。絵を描き切った僕は、抜け殻のようになっていた。

 そんな僕の背中に向かって、圭吾が叫ぶ。


「おいおい、忘れ物や。わ・す・れ・も・の」


「ワッハッハッ!」


 圭吾のアドリブに、観客が敏感に反応している。会場の熱量は最高潮に達していた。

 僕は振り返る。圭吾が僕に走り寄ってきた。僕にキャンパスを差し出す。

 キャンパスを受け取った。圭吾の顔を見る。

 あんなにも憎々し気に僕を見ていたはずなのに、圭吾から毒気が消えていた。付き物が落ちたように、清々しい表情で僕を見つめている。

 圭吾が僕に顔を寄せた。小さな声で囁く。


「悪くなかった」


 驚いた。僕は圭吾を見つめる。

 圭吾は、再び嫉妬の表情を作った。僕に背を向けて、千尋さんの元に帰っていく。

 出番を終えた僕は、舞台から退場した。

 何だろう、この気持ち。とても気分が昂っていた。


 ――もう一度、舞台に立ちたい。


 舞台袖から、照明に照らされた圭吾と千尋さんを見つめる。こんな気持ちにさせられるなんて、思ってもみなかった。

 その日の舞台は、大成功で幕を閉じることが出来た。

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