【うちのパパは皇帝陛下の愛人?】 side マコーレット
私が《やりたい!》と言った事に、パパは干渉しない。
ネグレクトされている訳ではないけれど、パパからしたら大抵の事は、《たいした事》じゃないから?
マケル宰相閣下のお嬢さんが便宜を図ってくださった名門女子校を勝手にやめてきた時も
「へえー」
お下げの片方がバッサリ無くなって帰宅したら、理由がないと思わないだろうけど。
私の目と髪の色はパパと同じアッシュブラウン。ここに居ることを認められたように思える安心の色。
周辺の男子校や共学校では『ブラウンのアフロディーテ』言われてたんだからね。私、けっこう人気あったんだよこれでも。口さえ閉じてれば。自分で言ってると笑うね。
家では、生意気な弟アロマが、自分が理系頭がキレキレだからって
『マコはバカだのアホだの』
失礼しちゃう。私特別に勉強できなくないよ。
ややできるくらいかも?
がり勉してないけど。
お料理は得意よ。その恩恵には預かるくせに。ホントにアロマはムカつく。
アロマのボケが、ご飯も食べないで何だかわかんない数字の羅列とにらめっこしてるの、パパの真似してカッコいいつもりなんでしょう?
全然だからね。はた迷惑なオタク弟。
低血糖と脱水で救急車呼ばなくなったのも、私のお陰だよ。
頭がどっか行っちゃってるその口に、ご飯を無理やり突っ込んでるの気がついてもいないんでしょう?
そりゃ、この星雲随一のユニ(大学)をトップで入ったパパと、そこで先輩だったママの掛け合わせの娘。
それなのに残念な出来な娘で申し訳ありませんですよ。
ママの方が、もっと私へのバカ扱いはひどかったけどね。
「あの子の(パパのことね)種だったら、もっと知能指数高いと思ったのに。この子私のデータにも使えない。」
今思えば、あれって児童相談所案件よね。
ママの専門は
『人間の潜在能力の見極めと、その開発。
主に幼児期からの能力基礎開発と、教育教材の開発』
何だか難しいカタカナの名前付いてたような?でも私わかんない。
そのママの開発した幼児期能力検定で私はしっかりと極々の平均値を叩き出した実績があるわけで。
ガッカリされたって、私を産んだの私じゃないもん。知らないわ。
ママの研究は至極まっとうな学問だったんだけれど、途中で子供どころか大人の頭も、都合良く開発して思考コントロールに使えるって評判になったらしくて。
偉い人やお金持ちの権力者から逃げるのに、ママは鬼ごっこになっちゃた。
それで逃げ場を失って困ったみたい。
ママって信奉者はいても、同性の友達いないの。
私こっちに来て、いろんな大人の人に会って少しづつ思ったの。
ママって人間と上手くコミュニケーションとるの、とっても不器用だったんじゃないかな。
自分の子供にたいしても。
ほら、私ってなかなか優しい娘でしょう。
私はアロみたく
『特出した能力の偏りによる、欠損部分』
なんて、めんどくさいこと言わないもん。
ママは、パパみたく物事を上手にかわしたりできなくて、真っ向ガチ対決して人生それですり減らしちゃうような人だったのかもしれない。
ママの信奉者は、ママの容姿に熱を上げた男の人ばっかりで。
確かにママが夜遅くに、机に向かっていた横顔みたとき、綺麗な人だなあって、見とれちゃったもん。
うん、口さえ開かないかったらね、ママ。
でも、そういうママの信奉者、時々目が危ない信者さんみたいなおじさんもいたけれど。
皆さん、いざという時に何の力にもなってくれなかったみたいね。
お兄ちゃんのパパもそのタイプだったのかな。
たぶんだけどね。私のカンね。
会った事もない、お兄ちゃんのパパごめんなさい。
そんなこんなで、逃げ道のなくなったママが、一時期パパのところに、私とそのお兄ちゃん。ええとママの結婚していた時にできた私の5歳上のお兄ちゃん。
2人を連れて、パパのところに転がり込んで1年くらい居候してたことあるんだよね。
私が3歳から4歳の時で、記憶はうっすらなんだけれど。
良くわかんないけれど、アロマはその時の産物かなあ。
ママはパパの8歳上ね。
だからママはパパのこと『あのこ』呼びするの。
パパそれまで私の存在事態知らなかったって。
びっくりしたでしょうね。
その時のパパの顔どんなだったんだろう?
こっちに来てから、パパは私が誰と交遊を深めようと、規制も干渉もしなかった。
ママ関係でなんだか危ない団体が私にすり寄って来たときは、
「頼むから、憲兵関係からの探り入るような真似はしないでくれってば。俺がクビになったらお前も飯の種に困るだろう?」
パパにしみじみお願いされちゃって、怒鳴られたのでないからよけい刺さったよ。私素直に、
「わかりました。」
ちょっとルーズなお友達と、面白半分に軽いドラッグ試して家に帰って来たら、パパにはすぐにばれちゃった。
「そこに座って、全部見終わるまで動くな!」
延々6時間 凄い実録フィルム見せられたの。
『ドラッグによる精神崩壊経過観察フィルム』とか
『自白強要ドラッグの適用方法』
とか、人間やめたくなるようなやついっぱいよ。
あれって、持ち出したらダメなやつだったんじゃないの?
アロマもついでに見ておきなさいって、小学校入学したばっかりのアロマも見せられていたよ。
横でアロマがゲーゲー吐き出して、後から私に恨みつらみ。
でも、それって私のせいかな?
その後に、私が通いたい学校を自分で探して来たら
「えらい!えらい!」
パパに誉められちゃったよ。
国際感覚を売りにしてる、外交官関係の子女が多い学校だったから、結構な高い学費を何も言わないで払ってくれたよパパ。
結局アロマもなんだかんだで、同じ学校に入って来たんだよ。
飛び級とかあって、自由な雰囲気の学校。
友達何人もできて、だんだんこの星がホームって馴染んで来たのもその頃から。
私が学校に行かなかった間に、交友を深めた人たちからは、学校よりもたくさんの事を教えてもらったの。
主に近所のおばちゃんやらおばちゃんやらおばちゃんね。
プラスたまに、おばあさんやおじいさん。
いろんなお話聞いたり、お料理習ったり、樹木とお話する方法教えてもらったり。
嫌な人から上手に逃げる方法を習ったり、時には人生の《大河ドラマ》を聞かせていただいたり。
おじいちゃん、おばあちゃんって大概1つは自分の大河ドラマを持っているのよ。
聞かせていただくと『ほほーー』が止まらない。
あまりにリピートがかさむ時は、諦めてお気に入りビデオ再生のつもりで聞くといいわね。
でね、また学校通い出した時に、私の作文が表彰されちゃってね。
母の日の宿題だったんだけど(今時いろんなご家庭あるのに、ちょっと古くない?)
『たくさんの母』っていう作文にしたの。
書き出しは確か
[私には、たくさんの母がいます。産んでくれて事故から身を挺して守ってくれた母の他にもたくさんの母がいます。あれを教えてくれた母、これを教えてくれた母 みんな自分を教えて育ててくれた母]
みたいなのを書いたの。
その作文パパが読んでくれて、その時私をぎゅってしてくれて
「マコ パパお前を尊敬するわ。」
「俺もこういう風に考えられるだけ、子供の時から人間がでかかったらなぁ。
お前おっきいなあ。」
こそばゆかったけれど、そりゃ嬉しかったですよ。
私ね、パパは絶対アロよりも私の方への愛情が深いと思うのよ。ふふん。
パパはアロには、負い目で強く叱ったり出来ないんだと思うよ。
そこ絶対タブーだけれど。
アロの左手、手首から先がないのは、私がパパのところに来た時にはすでにそうだったから。
成長途中は、しょっちゅう義手を取り替えなければならなくて。
神経との連結が上手くいかなくて、痛がってアロがしょっちゅうグズるのをパパが夜中抱いて、ずっと背中トントンして
「ごめんな」ってパパが囁くの何でかなって?
どうやら、アロの左手がなくなったのは、アロが赤ちゃんの時に誘拐されちゃった時の事みたい。
誰から聞いたのかは内緒ね。
これは、パパにも聞けないもんね。
だってパパがへこたれちゃいそうだもん。
そこは触ったらダメなところ。
これも私のカンね。
あの頃、パパがベッドに横になって寝ていたのは見たこと無いわ。
入院中以外は。
いつも夜遅く帰って、朝早く出ていってパパいつ休んでたんだろう?
その後何年かしたときよね。
パパが倒れちゃったのって。
子供心にも、唯一の保護者のパパが何かあったらもう私たち終わりかなあって何となく思った。
親戚もいないから。
そしたら、どうした訳か、パパと私とアロみんなで天国みたいなところに連れて行ってもらってびっくりしたの。
あそこ、いったい何処だったんだろう。
夢をみていたような。
静かできれいな小さなおうちで、パパが白い顔色でベットに寝ていて、空気がきれいで。
お庭をアロと走って遊んだ後に、美味しいオヤツが用意されてて。
パパがニコニコしてベッドから私たちを見ていて。
パパのお布団にアロと2人で潜り込んでお昼寝をすると、なんだか何にも心配がない気がして、とっても安心したのを覚えている。
いつものようにパパのお布団に潜り込んで、3人でお昼寝して私だけフッと目が覚めて微睡んでいた時。
たぶん夢ではないと思うんだけど。
怖いくらい綺麗な銀色の髪の毛の人が横に立っていたの。
人間ではないような男の人で。
その人が言った言葉を不思議と覚えているの。
「飼い猫も連れて来たのか?」
目を覚ましてないパパの前髪をその人がふわっっとかきあげて、パパのお耳するっとさわって。
いつの間にかいなくなっていたの。
あれはいったい誰だったのかしら?
神様みたいだった。
そしてあそこは何処だったのかしら?
病院のように他の人は居なかったけれど。
時々パパの診察にお医者さんのような人が来るときは、私たちはパパの寝ているお部屋から別のお部屋に連れて行かれて遊んでいたけれど。
あそこは、いつも温かくていい匂いがするところだった。
ママが亡くなってパパのところに来たときから、時々苦しくて声をあげて、いつも心が叫んで止まらなかった。
でも、あの頃から、薄紙を剥がすように息が楽に出きるようになってきた気がするの。
その後しばらくしてパパが元気になった頃、お引っ越ししたお家には、スーパースペシャル執事さんがセットでついていたの。
アロとパパは慣れるまで、執事さんの表情から感情が良くわからないって少し困ってた。
私は初めから、執事さんの喜怒哀楽がはっきりわかりやすいぐらいにわかったんだけれど。
しかも、何とスーパー執事さんは、もとはパパの上官だった方なんだって。もうびっくりよ。
だからパパは執事さんとお話する時は
『スールさんお願いします。』
みたいに、とっても丁寧にお話してるのね。
うちのスーパー執事さんは『オーラン·スール』さんっておっしゃるの。
スールさんが我が家に来てくれてからの私たちは、警戒警報発動の事件で逃げ回るの事もなくなったし。
一度うちに泥棒が入ったときも、なぜかスーパー執事さん他、メイドさん達までであっという間に解決しちゃったの。
お陰で、どんどん人生が好きになれそうな気持ちになって来れたのよ。
私は、マコーレット·ターラン。現在19才。
家族は大好きなパパと、くそ生意気な弟のアロマの3人。
お家で助けてくださっている執事のスールさんやスールさんがスカウトしてくださったメイドさんもみんな家族同然です。
お読みいただいてありがとうございます。
目に入れて下さった方が、どう思って下さったのだろう?
今日の暇潰しや気分転換になってたりしたら嬉しいなあと思っております。