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……しかし、おかしい。
先ほど王子が私を捕らえるよう命じたと言うのに、一向に兵士たちが近づいてくる気配がない。
会場はただただ静寂に包まれている。
威勢よく命令したジャレッド王子の顔に困惑の色が浮かぶのがわかった。
「お前たち、何をしている。エヴェリーナを捕らえろと言っただろう。さっさと捕まえろ」
「いや、しかし……」
「エヴェリーナ様は……」
王子は再び命令するも、兵士たちは顔を見合わせて困り顔をするだけだ。兵士の一人がねぇ? とでも言いたげな顔でこちらを見てきた。そんな顔をされても困る。
「兄上、少しよろしいでしょうか」
突然、会場の奥からよく通る声が聞こえた。その人は人々が空けた道を通り、こちらに向かって歩いてくる。
「何の用だ、ミリウス」
ジャレッド王子は突然現れたミリウスを睨みつけた。一体いつの間に会場に来ていたんだろうと、ミリウスの顔を眺める。
「兄上、エヴェリーナ嬢を王族に危害を加えた罪で捕らえるのは不当です。先にあなたが彼女とその執事を侮辱したのではないですか」
「な……! 私は本当のことを言ったまでだ。大体、その女はカミリアを暗殺しようとしたのだぞ!」
「それだって彼女の言う通り証拠がないでしょう」
ミリウスは、ジャレッド王子を真っ直ぐに見つめながら言う。
私はすっかり驚いてしまった。顔を合わせれば文句ばかり言ってくるから当然嫌われているとばかり思っていたのに、一体どういう風の吹き回しだろう。
黙って話を聞いていたカミリアは、ミリウスを涙で潤んだ目で見上げると、悲しげに言った。
「ミリウス様、けれど私は今までエヴェリーナ様に何度も意地悪をされてきたんです。今回切りつけられたときも咄嗟に彼女の顔が浮かびました。やはりエヴェリーナ様はジャレッド様と婚約した私を憎んでいて、亡き者にしようとしているのだと……」
カミリアは目に涙を浮かべながら震える声でそう告げる。いかにも弱々しく儚げな姿だった。しかし、ミリウスは彼女をちらりと見遣るだけでジャレッド王子の方に視線を戻してしまう。
「俺にはそう思えません。エヴェリーナは、兄上にもカミリアにももう興味がないように見えます」
「そんなはずはない。エヴェリーナは……」
「先日、私はとあるレストランでエヴェリーナと執事に会いました」
ミリウスは王子の言葉を遮って言った。
唐突な言葉に、ジャレッド王子は怪訝な顔でミリウスを見る。
「そのとき、兄上とカミリアに言及した私に向かって、エヴェリーナはもう気にしないことにした、お二人が仲睦まじく過ごされるのはいいことだと言いました。正直、驚きました。あの時は、私も彼女は兄上たちを恨んでいるとばかり思っていたので」
「ふん、口先だけでなら何とでも言えるだろう」
「私はその日、無礼にも彼女に水を浴びせかけたんです」
ミリウスはそうはっきりと言う。
ジャレッド王子は目を丸くしていた。会場が小さくざわめき始める。
「は? 何の話だ」
「しかしそこまでされてもエヴェリーナは笑みを崩しませんでした。私に向かって笑顔を向け、もう自分を哀れむのはやめたのだと言ったのです。離れていった者よりも、変わらぬ態度で接してくれる者を大切にしたいと。兄上は、これらの言葉がすべて取り繕うために出たものだと思いますか?」
ミリウスに真っ直ぐに見つめられ、ジャレッド王子は言葉に窮していた。
ミリウスは、そんな王子からこちらに向かって視線を移す。そして謝罪の言葉を口にした。
「エヴェリーナ、その、あの時はすまなかった。……さっきはそう言いたかったんだ」
会場がいっそうざわめいた。人々の会話が途切れ途切れに聞こえてくる。
「……そうよね、エヴェリーナ様はここ最近ずっとサイラス様と一緒にいて幸せそうだったもの」
「みんな、エヴェリーナ様が本当に好きだったのはサイラス様のほうだったんだって盛り上がっていたわよね」
「そもそも婚約破棄のときのカミリア様に嫌がらせをしたという話も本当なのかどうか……」
ジャレッド王子の耳にも人々の会話は入ってきているのだろう。だんだんと頬を紅潮させ、顔を怒りに歪ませ始める。
ずっと女神のような笑顔を浮かべていたカミリアが、会場を見回して舌打ちするのが見えた。
呆然とヒートアップする会場の様子を眺めていると、先ほどのプラチナブロンドの青年の姿が目に入る。
前の人生で私に暗殺者を紹介したあの男。彼はこの状況が気に入らないようで、苛立たしげに会場を見回していた。
(犯人は絶対あいつよね……。わかっているのに何も言えないのがもどかしいわ)
今回の人生では私に接触こそしてこなかったけれど、前回の人生で私をそそのかしたのはあの男だ。前回同様にカミリア暗殺未遂が起こっている以上、彼が私を通してではなく直接暗殺者に依頼したと考えるのが自然だろう。
そう思うが、下手に前回のことを口にしてなぜそんなことを知っているのかと疑われるのは避けたい。私は悔しい思いでその公爵令息を眺める。
「エヴェリーナ」
青年を眺めながら唇を噛む私に、ミリウスが近づいてきた。
「兄上が悪かった。ここは騒がしくていづらいだろうから、もう帰っていいぞ。後は俺が何とかしておく」
「ミリウス様、あの、ありがとうございました。助けてくれて」
「気にするな。お前にお詫びがしたかっただけだ」
ミリウスはそう言うと曇りのない笑みをこちらに向けた。彼にこんなに邪気のない態度を取られるのは初めてで、つい戸惑ってしまう。
「お嬢様、行きましょう」
「え、ええ。サイラス。ミリウス様、本当にありがとうございます」
「気をつけて帰れよ」
私はミリウスにもう一度お礼を言うと、サイラスに促されるまま出口まで向かった。
「待て、エヴェリーナ! 話は終わっていない!」
後ろからジャレッド王子の叫び声が聞こえてくるが、ミリウスに制止されて追いかけては来れないようだった。
私はサイラスと二人、騒がしい会場を後にした。





