シスター見習いは神様の敵を許しません 1
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お茶会の翌日。
約束通り、イレイズは二人の侍女を伴ってエルシーの部屋にやってきた。
着るものがないのは本当のようで、今日も支給されたドレスのうちのクリームイエローのドレスを着ている。だが、ふんわりしたデザインのドレスは、背が高くキリリとした顔立ちのイレイズにはあまり似合っていなかった。
侍女二人の手にはたくさんの布地がある。持てるだけ持って来たのだろう。
玄関をくぐったイレイズは、驚いたように玄関ホールを見渡した。
「すごくきれいに掃除なさっているのですね」
すると、エルシーとともにイレイズを出迎えに出たドロレスが、おっとりと頬に手を当てる。ダーナには六人分のお茶の準備をお願いしていた。
「お妃様のおかげですわ。侍女であるわたくしたちを放って、一人で何でもなさるので困っているのです」
「その分ドロレスは刺繍をしてくれるじゃない。イレイズ様、見てください。このワンピースの襟の刺繍はドロレスが刺してくれたんですよ」
エルシーが自慢すると、イレイズと彼女の侍女二人が揃って笑い出す。
「仲がよろしいんですわね。それで、お作りになったワンピースは今着ていらっしゃるものでしょうか?」
「はい。ドロレスが着ているものも、あと、ダイニングにいるダーナが着ているものもそうです。デザイン違いでいくつも作っているので、あとでお見せしますね。お好きなデザインをおっしゃっていただければそちらをお作りしますから」
「……本当にいいんですか?」
「ええ、もちろん。お嫌でなければ下着類も作りますけど……」
ダイニングに案内しながら言えば、イレイズは恥ずかしそうに頬を押さえて、そっと息を吐く。
「恥ずかしいけれど、お願いできるかしら。……下着もないと困るもの」
「そうですよね」
まったく、ドレスのみならず下着類まで自分で作れとはフランシス国王も酷なことを言うものだ。
昨日のお茶会で各テーブルを回っていたフランシスのもとには、待遇の改善を求める声がいくつも上がったという。それをすべて適当にいなして、のらりくらりと全員の苦情をかわしたフランシスは、お茶会の時間が終わると義務は果たしたとばかりにそそくさと帰って行った。
(でもどうしてそんなひどいことを言うのかしらね?)
昨日までエルシーは何とも思わなかったけれど、実際困っているイレイズを見れば、フランシスの命令がいかに酷なことなのか手に取るようにわかる。
ダイニングに案内すると、お茶の準備は整っていた。
「どうぞ。あ、そのアップルケーキもよろしかったら。クライド副団長様がリンゴをたくさん差し入れしてくださったたから、たくさん焼いたんです」
「まあ、クライド副団長が差し入れ?」
「ええ。よくわからないんですけど、餌付けしちゃったようで」
「餌付け?」
エルシーが礼拝堂の掃除をしてくれたお礼にアップルケーキをふるまったところ、気に入ってリンゴを持って催促に来たのだと告げると、イレイズは目を丸くしたあとで吹き出した。
「そんなことが……ふ、ふふふ、これがそのアップルケーキですのね。いただいてよろしいかしら?」
頷くと、イレイズがアップルケーキを食べて、「まあ」と頬を押さえる。
「本当。とても美味しいわ」
それはそうだろう。このアップルケーキはカリスタ秘伝のレシピである。エルシーはカリスタのアップルケーキが世界で一番おいしいと思っているし、実際に今までカリスタのレシピを超えるアップルケーキには出会ったことがない。
「たくさんあるので、よかったら帰りにお包みしましょうか?」
リンゴを腐らせる前に早く消費しようと本当にたくさん焼いたから、持って帰ってもらえると大変助かる。
「いいのかしら? うれしいわ。ここのところ、部屋ではずっとパンとミルクしか食べていなかったのよ」
「え!?」
エルシーが驚くと、イレイズの侍女二人が恥ずかしそうに頬を染めた。
「わたくしたち二人とも料理をしたことがなくて……、最初の方は挑戦したのですけれど、到底食べられるようなものではなかったのですわ」
これには、何をしても丸焦げにするダーナとドロレスも反応した。二人ともバツが悪そうな顔をして視線を泳がせている。
(食事もそうなら、国王陛下は本当にとんでもなくひどい命令を出したの!?)
なんてことだ。お茶会でフランシスへのクレームの嵐になるわけである。それに聞く耳を持たなかったフランシスは鬼畜極まりない。
「か、簡単なものでよろしければお教えしますけど……」
何もかもを丸焦げにするダーナとドロレスでも、教えたらスープは作れるようになったのだ。具沢山スープがあればそれだけでも食卓に彩りが生まれるはずである。
「服に続いて料理まで……よろしいの?」
「ええ。ただ、今日一日で覚えられるかどうかはわからないので、また足を運んでいただくことになるかもしれませんけど」
「あら、それはかまわないわ。どうせすることがなくて退屈だったのですから、セアラ様がお嫌でなければ毎日でもここに来たいところよ。……むしろここまで快適そうだと一緒に住みたくなってくるわね」
イレイズに同意するように、二人の侍女もうんうんと頷いている。
しかしここにイレイズたちが住むとなると、部屋数が足りなくなってしまう。エルシーが本気で悩みはじめると、イレイズが慌てて首を横に振った。
「もちろん冗談ですわよ。ここに押しかけてきたりはしませんわ」
エルシーはホッとして、紅茶とケーキでイレイズが一息ついたあとで、イレイズの体のサイズを測るために二階に上がる。
その間に、一階では、ダーナとドロレスにイレイズの侍女たちにスープの作り方を教えてもらうことにした。
二階のエルシーの部屋に上がってイレイズに下着姿になってもらうと、メジャーを使って胴回りや腰回りを測っていく。
エルシーにされるままになりながら、イレイズは部屋の中のトルソーにかけたままの作りかけのワンピースに目を止めた。
「まあ、袖がないタイプですのね」
「はい。これから暑くなるので、少しでも涼しくなるようにと。庭に出る時でも薄手のストールを羽織れば問題ないでしょうから。……はい、終わりましたよ」
サイズを書き留めて、エルシーはクローゼットからデザイン違いのワンピースを五着ほど取り出した。
「この中から好きなデザインはありますか? 刺繍はできればご自身か侍女の方にお願いしたいので、デザインだけ見ていただけると嬉しいです」
「もちろんですわ。刺繍くらいなら刺せますから。でも、そうね……迷ってしまうわ」
「一つに決めなくても大丈夫ですよ。生地もたくさんお持ちいただきましたし、何着か作っておきますので。イレイズ様のが何着か仕上がったら侍女の方のもお作りしますね」
「侍女のものまで頼んでもよろしいの?」
「侍女の方も、着替えがないと大変でしょうから」
服が届けられないという点では、侍女たちも同じ憂き目にあっていた。最初に支給されている数着の服以外変えがないのだ。だからエルシーも、ダーナとドロレスに数着のワンピースを作ってあげていた。ドロレスなどは自分の好みに合わせて刺繍を刺したり、リボンを縫い付けたりして可愛らしくアレンジしている。
イレイズは感動して、ぎゅっとエルシーの手を握りしめてきた。
「本当に助かりますわ。本音を言えばわたくし、こんなところに来たくはなかったの。三か月後の里帰りの時に適当な理由をつけて候補から脱落しようと思っていたのよ」
「脱落……なんてできるんですか?」
「大っぴらには許されていませんけど、毎回数名の脱落者が出ると聞きますわ。前回の……前王陛下の時は、半数以上が脱落したとお母様がおっしゃっていたわね。前王陛下には王太子時代からの妃がいらっしゃって、その方をとても愛していらっしゃったから……。王太子時代のお妃様は正妃にはなれないので側妃の扱いになることが決まっていらっしゃったけど、陛下のお心は完全にその方に向いていたから、皆さま嫌気がさしてしまったという話よ」
しかし、幸か不幸か、前王と側妃の間に子が生まれず、正妃として嫁いだ王太后の面目はかろうじて保たれたとのことだった。これがもし側妃に男の子が生まれていたら、王太后は自分の産んだ子――すなわちフランシスを、王位につけることすら叶わなかったかもしれないと、もっぱらの噂らしい。
「側妃様は、六年前にお亡くなりになって、それからは前王陛下も、崩御なさる直前までご正妃様……王太后様をとても大切になさったそうですけど、側妃様がお亡くなりになるまで、いつ前王陛下と側妃様の間に子ができるかと、王太后様は気が気でなかったのではないかしら」
「その……疑問なんですが、どうして王太子時代のお妃様はご正妃様になれないのでしょうか?」
王太后はさぞ大変だったろうが、王太子時代に嫁いでいたからと言う理由で正妃になれなかった側妃もきっと苦しかったに違いないとエルシーが訊ねれば、イレイズは服を直しながら言った。
「必ずしもご正妃様になれないわけではありませんのよ。王太子時代のお妃様も家柄などの条件を満たしていたら、お妃様候補の一人として王宮で一年すごされたのち、ご正妃様に選ばれたという前例がないわけではありませんの」
それでも、妃候補として一年間王宮ですごすことは絶対らしい。これは、王の妃の座を狙っての無用な争いを避けるためだとイレイズは言った。
「お妃様候補の制度ができるまで、陛下のお妃様争いはかなり熾烈だったそうですもの。わたくしも詳しくはありませんけども、政治がらみの問題もあったそうなの。だから、公平に陛下に選んでいただこうと、お妃様候補の制度ができたそうですわ」
ドレスの背中のボタンは一人では止められないから、エルシーが手伝っていると、イレイズはいったん言葉を止めてから、ふと窓の外を見やった。
「ここから礼拝堂がよく見えますのね」
「そうなんです!」
エルシーが嬉しそうに頷けば、イレイズは小さく笑った後で、考え込むように顎に手を当てた。
「ねえ、セアラ様。これはわたくしが勝手に思っているだけだから、聞き流していただいても構わないのですけど……ちょっと気になることがありますの」
背中のボタンを留め終わると、イレイズは窓に近寄って、下を見下ろした。
「わたくし、礼拝堂が汚されたことを知らなかったと言ったでしょう? 礼拝堂に近いところの部屋に住んでいるお妃様候補たちはお気づきになったかもしれないけれど、少なくとも、わたくしと同じように真ん中の当たりの部屋から右寄りの部屋が与えられている方々は、気が付かなかったと思うのよ」
王宮は回廊でつながれて横一列に並んでいるから、それは致し方ないだろう。礼拝堂に近寄る人も少ないし。
「それなのに、どうしてクラリアーナ様は礼拝堂が汚されたことをご存じだったのかしら? しかも泥と絵の具で汚されたと、詳しいことをご存じだったでしょう?」
「クラリアーナ様が礼拝堂にお祈りに向かわれるのを見たことがありますから、その時にご覧になられたんじゃないでしょうか?」
「クラリアーナ様が礼拝堂にお祈りに? それはおかしいわ。あの方、無信仰ですもの。それに、もしそうなら、どうして汚されていたことを女官長に報告しなかったのかしら? 普通であればすぐに報告するものでしょう?」
言われてみたら確かに、礼拝堂が汚れているのを見つけてそのまま放置するとは考えにくい。
「だからね、これはわたくしの勝手な推測ですけれど……、礼拝堂を汚したのは、クラリアーナ様ではないかしら?」
「え?」
エルシーは目を見開いた。
(礼拝堂を汚したのがクラリアーナ様?)
汚された礼拝堂を見たときの怒りが、沸々とこみあげてくる。
もしそれが本当ならば、すぐにでも、どうしてそのような罰当たりなことをしたのかを聞き出して反省させなければ。
エルシーの目がすっと据わると、イレイズがハッとして手を横に振った。
「ええっと、さっきも言いましたけれど、わたくしの勝手な推測よ? 本当にそうだとは決まっていませんわ。ただ……お茶会で陛下があなたに興味を示されたでしょう? クラリアーナ様はそれを面白く思っていないはずですから、念のため、二度目がないかだけ警戒した方がいいかもしれませんわと、そう言いたかったの」
「陛下がわたくしに興味、ですか?」
「そうよ。だって、陛下、あなたのお名前をお訊ねになったでしょう? あの方が女性に名前を訊ねることは本当に珍しいの。たぶんわたくしの名前だって知らないはずよ。だからきっと、あの場にいた全員、陛下があなたに興味を持ったと、そう受け取ったはずだわ」
なんて迷惑な。興味を持つならばエルシーがセアラと入れ替わったあとにしてほしかった。身代わりであるエルシーは極力目立ちたくないというのに。
エルシーは気分が重たく沈むのを感じながら、イレイズに訊ねた。
「それで、陛下がわたくしに興味を持ったことと礼拝堂が汚されることに、何の因果関係が……?」
「決まっているわ。礼拝堂を毎日掃除しているところから考えても、あなたが礼拝堂を大切にしていることは一目瞭然でしょう? それに、礼拝堂に何かあれば、頻繁に出入りしているあなたが一番に疑われる……そう思うのは、必然ではなくて?」
「そう……なんでしょうか?」
「そう思うわ。そうでなくても、少なくとも、あなたへの嫌がらせにはなるでしょうし」
そんなことで礼拝堂が汚されてはたまらない。
エルシーは不安そうに窓の外に見える礼拝堂に視線を落とした。





