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 辺境の降雪量が多いのは知っていたけれど、目の当たりにすると想像以上だった。一階の窓が半分覆われるくらい積もった雪に一瞬夢かと寝ぼけ眼をこすってしまったくらいだ。

 それを手慣れたように除雪していく作業は見ていて面白かった。たまたま仕事の少ない日だったので、さっさと片付けてしまって、午後は除雪作業の見学をしようとコートを着て外に出た。


「おや、奥様。こんな日にお出かけですかい?すみませんがこのありさまじゃあ馬車も走らなくてですねえ」


 使用人に話しかけられて私は慌てて首を横に振る。


「いいえ、出かけるわけじゃないの。こんなに雪が降るのが珍しくって、除雪作業を見学しようと思って。邪魔にならないようにするわ」

「除雪を見学?はあ……構いませんが、怪我はなさらないように気をつけてくださいね」


 妙なものを見る目を向けられたけど、彼らにとってはこれも日常なのだろう。しかし怪我とはなんだろうかと尋ねてみると、使用人は屋根のへりを指差した。


「ああやってつららができるんですけど、落とす時は危ないんでねえ。屋根の雪を下ろす衝撃なんかで落ちちまうこともあるんで、頭上には注意してくださいよ」

「そういうことね。忠告ありがとう」


 頷いて建物から離れていく。ざくざくと雪を踏むのは楽しいけれど、つま先から冷えていくようでもあった。こんな中で作業をするなんて慣れていてもきっと大変だろう。吐き出す息は真っ白で、手袋もマフラーもしているけれど晒さざるをえない顔は寒くて赤くなってしまっている気がする。

 屋敷の入り口から門まで、除雪が終わっているところを歩き回って、庭に行くのはやめてさっさと中に戻ることにした。着替えたら何かあたたかい飲み物をお願いしよう。そんなことを考えていたせいか、石畳の凍っているところで足が滑ってしまった。


「あっ」


 このままでは転ぶ――そう思ったけれどその衝撃はやってこなかった。代わりにひんやりとしたものに体が支えられる。


「大丈夫か」

「旦那様」


 何度か瞬いて、転びそうになったところを旦那様に抱き留められたのだとようやく理解した。

 ここまで近づくことがなかったのであまり意識したことがなかったけれど、真上から見下ろされていると旦那様の背がだいぶ高いほうであることに気がついた。それから寒さに赤くなっている顔はいつもより血色がいい。まじまじと見つめてしまったが、顔を逸らされたのであわてて体を離した。


「ありがとうございます」

「いや、ずっと王都に住んでいたなら雪は慣れないだろう。ここまで降ることは稀なのだが」

「そうなのですね」


 言われてみれば昨晩は吹雪で窓の外が真っ白だった。いつもこんなだと大変だと思ったけれど、そうでもないようだった。


「戻るところか?」

「はい。少し、除雪の作業を見たかっただけですので」

「そうか。着替えたら話があるので部屋に来てくれないか」

「わかりました」


 二人で屋敷に入って部屋に戻る。気の利く侍女が温石を持ってきてくれて助かった。訊くと、こうして除雪作業が必要な日はあらかじめいくつも用意しているらしい。

 さっと着替えて主寝室への扉をノックする。執務室ではないので私的な話だろうか?向こうからドアを開けた旦那様の顔はまだ少し赤かった。


「茶を用意させている。少し待ってくれ」

「はい」


 ソファに掛けて両手の中で温かい石が入ったキルト生地の袋を揉む。見たことのないパッチワークの模様がとてもきれいで気に入った。温かいのもいいし、寝るときにも足元に入れたら気持ちいいと思う。


「温石は珍しいか?」

「はい、王都では寒くても暖炉で事足りますので。それにこの袋が素敵です」

「それは端切れで作ったものだが、気に入ったか」

「自分でも作ってみたいです」


 刺繍やらの一通りの裁縫の技術は貴族令嬢として身に着けている。端切れならそうお金のかかるものでもないし、私にもできるかもしれない。


「そうか。ではメアリに言っておこう」

「ありがとうございます。それで、話とはなんでしょう?」


 メアリは侍女頭だ。端切れなどの融通をしてくれるのだろう。楽しみに思いながらも本題を尋ねると、旦那様はああと頷いた。


「実はな、学生時代の友人夫婦が近々屋敷に来ることになった」

「冬なのにですか?」

「そうなのだ」


 冬は雪で人の往来が少ない。この時期に訪ねてくる人がいるというのに首を傾げる私に旦那様は説明した。

 というのも、そのご友人夫婦というのがこの雪のせいで足止めを喰らっているらしいのだ。雪で馬車が走らないだけではなく、倒木により道がふさがれるトラブルがあったらしい。さらにご友人夫婦の奥方の体調がすぐれないと思ったら、妊娠が発覚したのだとか。そこで領主である旦那様が学生時代の知り合いだったことから打診して、奥方が安定期になるまで滞在することになったそうだ。


「わかりました。私はあまり顔を出さないようにいたします」

「……、は?」


 となると、私が屋敷の中をうろつくのはよろしくないだろう。ご友人夫婦と顔を合わせないように調整してもらわないとと思っていると、旦那様が素っ頓狂な声を上げた。


「なぜだ?」

「はい?私は女主人ではありませんから、ご友人がたに勘違いをされてはいけないでしょう。……もてなすのも仕事のうちでしたか?」


 妻としてではなく文官として働くように求められているので、妻の仕事は私の仕事ではない。そういう認識でいたのだけれど。

 旦那様は目を瞬かせて、それからなぜか肩を落とした。


「……私は」


 俯いてしまった旦那様を横目に紅茶を口に運ぶ。はちみつとショウガが入っているので体がポカポカしてくる。こういうブレンドは辺境に来て初めて飲んで、最初は驚いたけれど、効能はてきめんで手放せなくなってしまっている。

 のんびりお茶を味わっていると、旦那様はばっと顔を上げたと思ったらまた勢いよく下げた。


「すまない!」

「何がです?」


 何に謝られているのか分からないので首を傾げる。旦那様は頭を下げたまま喋り始めた。


「私の軽率な言動が悪かった。確かに君の言う通りだ。嫁いできた君に妻としての役割を求めぬと言ったのは私だからな」

「そうですね」

「ぐっ……。そう、だが、今は、違うんだ。都合がいい男と思うだろうが……言い訳をさせてはくれないか」


 今は違う?顔を上げた旦那様が顔色を悪くして見つめてくるので、私の許可を待っているのだと分かった。ここで言い訳も聞きたくないと突っぱねるわけにもいかず、頷いて続きを促す。


「君が来てくれてよかったと言ったのは、何も仕事の面だけではない。君は非常に優秀であるし、一緒にいて心地のいい相手だ。君が許してくれるのなら、ベリンダ嬢、君と本当の意味で夫婦になりたいと思っている」

「それは……」

「待ってくれ、分かっている。今の君が頷くわけがないということくらいは」


 答えようとして遮られた。旦那様の海色の瞳は真剣で、つい気おされてしまう。


「なので私に猶予をくれないだろうか。君がいいと言うまで私は待つ」

「猶予、ですか」


 うーん。なんだか妙な流れになってきてしまった。

 ここで私が「本当の夫婦」になることを受け入れるのが一番簡単で手っ取り早い。けれど言われてみれば、旦那様が自分で言っている通り都合がいいことを宣っているというのもその通りだ。

 したかったわけではないけれど結婚式もなく、歓迎はされていたけれど女の部分は求められていない。友人がそんな状況にいたら、その男はどうかと思うよ、とアドバイスしたくなる。うん、自尊心が仕事をしている。


 しかし、である。


「まず、私は戸籍上すでにマクラミン辺境伯夫人です。つまりあなたが私に女主人の役割を果たせというのなら、逆らう権利はありません。聞かないならさっさと離縁して放り出してしまえばいいのですから」

「そんなことは……」


 しない、と言いたいのだろうけれど、するしないではなく、できる、という話だ。旦那様も気がついたのか口ごもる。


「そうだな。だが今の仕事の状況で君を手放すことができないのも事実だ」

「つまり人員が補充されれば可能ということですね」

「……ああ」

「ではもう一つ。待つというのは具体的にいつまでですか?私が頷くまで待つと言われても困ります」

「ぐたいてきに」


 旦那様は固まって、頭を抱えた。しばらくそうしていたと思ったら眉を下げてこう言った。


「条件を固めて契約書を作りたい。それならば君の権利も保証されるだろう。もちろん君の意見は全面的に盛り込むつもりだ」

「そうですね、書面に明らかにしたほうが互いにとって無駄がなくいいでしょう。けれど辺境伯家(ここ)で作成された契約書が履行されるかどうかはどうやって信じればいいですか?」

「う、そ、そうだな。君の側の立場の人物に立ち会ってもらうべきだが」


 残念ながらアウェイのここではそんな人に心当たりはない。……いや、一人いるかも。


「ハルフォード伯爵はいかがでしょう?」


 そう、私の元婚約者の父君であり、私を辺境伯に紹介したという人物だ。最後の話し合いのときの態度を鑑みるに、少なくとも家族よりは私の立場に配慮してくれるだろう。


「では、手紙で事前に連絡をしておこう。ハルフォード伯爵に取り持ってもらったようなものだからな、この状況を隠し立てするのも不義理かもしれん」

「承知しました」


 伯爵は私に負い目を感じているだろうから断られはしないだろう。旦那様の信用は落ちるかもしれないけれど、それはまあ自業自得なので知りません。


「では契約の作成ですね。どうしましょうか?」


 ちょっと楽しくなってきた私と対照的に、旦那様はものすごく具合が悪そうな顔で唸っていた。

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