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冬は動かせる仕事が少ない、というのは積雪のためどうしても道路の整備事業や他の都市とのやりとりが滞ってしまうせいだ。とはいえ全く人の行き来がないわけではないし、何より情報が少なくなるのでいつも以上に町や村で何かおかしなことがないか気を配る必要がある。
そして冬の間は農業ができない。その間は働き手の男たちが集められて兵士としての訓練がなされる。手当もつくし、領都の宿舎では凍えて飢える心配もない。案外領民たちにとっては助かる施策のようだ。
「最近は山の向こうが静かだからな」
旦那様はそうため息をついた。この辺境が接している山脈の向こう側は別の国で、ここより寒さが厳しい土地だという。そのためたびたび領土拡大の小競り合いを仕掛けられており、マクラミン辺境伯はその度に追い返してきたという歴史がある。
「静かなのはよいことではないのですか?」
気になって尋ねると、旦那様は首を横に振った。
「やつらは我慢強く狡猾だ。我が家の騒動を掴んでいないわけがない。これ幸いと侵略してくると思ったのだがな、それがないのが不気味なのだ」
確かに、お家騒動で辺境伯の力が弱まれば隣国の攻勢は強まりそうなものだ。しかし実際はそうはならず、不気味な沈黙が保たれている。なるほど、警戒するのが道理だった。
「なので今のうちにしっかり領民を鍛えておかねばならん。幸い金はあるからな、春に戦になっても民を飢えさせずに済むだろう」
「ああ……溜め込んでいたものですね」
代替わりの騒動の時に後妻についた側はことごとく腹のうちに溜め込んでいたものがあったのだという。それを全部吐き出させたため、皮肉なことに今の伯爵家には余裕があった。
もっとも、旦那様についた側が全て潔白という話でもない。ここもおいおい整えていかなければならない。
「あの帳簿の整理はまだついていませんでしたよね。今のうちにどの程度なら保つか試算をしておきますね」
「頼む。実際に侵略があり防衛に成功すれば国庫からも補助が出るはずだがな」
しかし旦那様は難しい顔をしたままだ。アンジェリーナの婚約破棄騒動の話をして以来、彼の中では王家に対する不信感が膨らんでいるらしい。まあ、次代の王があの王子だと思うと保険をかけておきたい気持ちは分かる。
そのためにも準備は万全にしておかなくてはならない。過去の帳簿とにらめっこしながら過ごす日々が続くなか、ある日一通の手紙が届いた。
私宛の手紙、というのは珍しくはあるがないこともない。どうやら実家の離れに閉じ込められていた頃は私宛の手紙は握りつぶされていたようだったが、こちらに来てからはちゃんと届くようになった。なので最近は学生時代の友人とやりとりもしたりしているけれど、今回の手紙は違った。
差出人はジェイラス・ノードリー――ノードリー侯爵家に引き取られた、遠戚の少年だった。
「いったい何の手紙かしら?」
私に彼との面識はない。ジェイラスが引き取られる前から離れに閉じ込められていたし、こちらにやって来る時も見送りなんてされなかった。言葉を交わしたことがないどころか顔も知らないのである。
悩んでも仕方がないので自室で開封して読んでみると、ノードリー侯爵家の資金繰りの話だった。
「ああ、そういえば家の会計は私が見てたものね……」
際限なく使うあの人達に対して、私は隠し帳簿を作り見せかけの財産を少なくすることでどうにか自分の学費を捻出していた。それに加えて破産しないようにもやりくりしていたのだけれど、離れに閉じ込められている間はできなかったし、そろそろどうにもならなくなってきたようだ。
逆に今までよく回っていたものだと不思議に思うが、さまざまな慰謝料をどうにかやりくりしていたのだろう。けれど両親ともに浪費する才能しかなく養子にとられたジェイラスは借金に手を出す前に私に手紙をよこしてきたらしい。
伯爵家に対するお金の無心ではなく、今までどうしてきたかという質問と助力を請われるとは思わなかったが、なかなか謙虚な少年のようだ。両親が没落しても別にいいけれど、彼のことはどうにかしてあげたくなる。私はレターセットを取り出すと、色々なコツを書いて送ってやることにした。
もちろんアンジェリーナがいて、かつハルフォード伯爵家の援助があった頃とは違うことが多いだろう。けれど領地という収入源は一応あることだし、隠し帳簿に始まる両親の支出の抑え方は私にもノウハウがあった。
加えて帳簿のつけ方を伝授しようと書きしたためると、かなり分厚い手紙になってしまった。これではレターセットに入らない。仕事用の書類を入れる封筒を貰いにクリフを探すことにした。
「ああ、執務室にありますよ。旦那様がまだいらしたはずです」
「まだお仕事されていらっしゃるの?」
「何か気になることがあるとか。夜食でも持っていこうと思ったんですけど、奥様にお願いしてもいいですか?」
「ええ、もちろん」
見つけたクリフがそう言ったので、私はお茶と軽食を乗せたカートを押して執務室にへ足を運んだ。軽くノックして、返事を待ってから扉を開ける。
「ベリンダ嬢?」
メイドだと思っていたのか旦那様は目を丸くしていたが、気にせずにお茶の準備をする。
「このようなこと、あなたがせずとも」
「旦那様がこんな時間までお仕事されているのがいけないのですよ」
「……それを言われると、いや、関係ないのではないか?」
「そうかもしれませんね」
そんなやりとりをしながら机の上も片付けてしまう。旦那様は諦めたようにペンを置いて紅茶のカップに手を伸ばした。
「クリフに頼まれたのか?」
「はい。私も用事がありましたので」
「何かあったのか?」
「大したことではないのです。実家に手紙を送りたいので書類用の封筒をいただければと」
「それくらいならあるが……」
旦那様は不思議そうに首を傾げた。
「何をそんなに書いたんだ?手紙だろう?」
「義弟に頼まれごとをされまして。ええと、私も妹も嫁いでしまい、実家には男児がおりませんので、養子に取った義弟が家を継ぐ予定なのですが」
軽く説明はしたが、私も義弟のことは詳しくない。とりあえず経緯を簡単に話すと旦那様は嘆息した。
「なるほど。ベリンダ嬢の実家はなかなか、その……厳しい状況にあるのだな」
王子の元婚約者の生家としてはあんまりな状況である。両親は見栄っ張りだから案外知られていないのかもしれない。その見栄でさらに厳しくなっているのだけど。
「そうなのです。何かの折に金の無心をされたら絶対に断ってくださいね。私は彼らに婚約で援助をもたらせど、何か与えられたこともありませんから」
可能性としてはありえなくないので伝えておくと、旦那様の眉間にしわがよる。難しい顔をして私をまっすぐ見上げた。
「しかしなぜ、君を嫁がせたのだ?君が婿を取ればよかったではないか。話を聞くに家のことも君が差配していたのだろう」
当たり前の疑問である。私は離れに隔離されていたことまでは話していなかったので、どうしたものかと迷った。
とはいえ隠し立てすることでもない。私は仕方なく口を開いた。
「両親と妹は私のことをよく思っていませんでしたので。厄介払いされたのです。打診してそのまま、侍女もつかずにほぼ身一つで嫁いでくるなど旦那様も不自然だと思いませんでしたか」
「それは、」
「与えられたことがないというのはそういうことです。妹が婚約してから……いえ、婚約する前から私は妹の引き立て役でしかなく、元々の婚約もそのためのものでした。ですから妹が外国に行ってしまえば私の居場所などなかったのです」
口にすると随分と冷たくそっけない声が出てしまった。旦那様は驚いたように目を見開いて、黙ってしまった。何か言葉を探そうとしているのはわかる。
鬱憤が溜まっていた自分に気がついて、それを旦那様に向けて吐き出してしまったことに私は情けなくなった。
「すみません。あまりいい思い出ではなかったので、つい」
「君が、……君が謝ることではない。事情を知らず不躾に尋ねた私が悪かった。すまない」
旦那様に謝られてもこのもやもやは消えない。私は「いいえ」と首を横に振った。
「夜分遅くにすみません。これで失礼します」
「……ベリンダ嬢」
封筒も受け取ったことだし、さっさと立ち去ってしまおう。そう思って踵を返すと、立ち上がった旦那様に呼び止められた。
つかつかと歩いてきた旦那様は私に腕を差し出す。
「部屋に戻るなら送らせてくれ」
「お手を煩わせるつもりでは……」
「これくらいはどうということでもない。気分転換だ」
そういう旦那様に押し切られて私は彼の腕に手を回した。しかしさっきの勢いで気まずいし、私は俯いたまま旦那様と目を合わせることができなかった。
できるだけ早足で部屋に戻ろうとするけれど、「私に合わせなくていい」と旦那様に苦笑されてしまう。そういうつもりではなかったのだけれど。
「ベリンダ嬢、君がどう思っているかはわからない。だが前も言ったように、君がここにきてくれたことは私にとっては喜ばしいことだ。実家のことは気にせず過ごしてほしい」
部屋に着くと旦那様はそう言い残して執務室へ戻って行った。その背中を見送ってからポツリと呟く。
「……そうね」
私も、ここに来れてよかったと返せればよかったのに。
婚約を破棄されて離れに追いやられて、あそこで一生を過ごすのだと思っていたときよりはずっといい。
でも、もやもやは消えない。私はずっと諦めていたけれど、ここに来て少しだけ自尊心を持てたおかげか、昔のことを思うとなんだか苦しかった。
でも。ここだって私の居場所ではない。私は妻として役割を果たせないのだから、いつかは離縁するのだ。
首を横に振る。ここでは与えられている。恩を返す相手に、こんなことを思うべきじゃない。
それでも陰鬱な気分のまま、私は寝台に倒れこんだ。