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 私は主寝室の隣の部屋を与えられ、仕事用の服も準備されていた。王都のものとは趣が違うが、気候が違えば当然かもしれない。ちなみに当然初夜とかはなかった。

 マクラミン様が忙しいので食事は別々で、私は次の日の朝早くから起こされて仕事を開始した。クリフ様からある程度領地について教えられていて良かったと思う。まあ、これを見越しての説明だったのかもしれないけど。


 まずは簡単な書類の分類から、それから各都市の税収や予算配分、経費の計算、じきに政策の立案や精査にも関わるようになっていった。

 そして分かったのは、マクラミン様の立場がそう盤石ではないということだった。マクラミン様はお父様が亡くなって爵位を継いだばかりだが、その前にお家騒動があったらしい。マクラミン様のお母様はマクラミン様を産んですぐ亡くなり、お父様は後妻を迎えたのだとか。その後妻とマクラミン様の仲は険悪で、後妻はお父様が亡くなった途端マクラミン様を廃して自分の子供に爵位を継がせようとしたそうだ。

 マクラミン様は当然抵抗したが、後妻の勢力はかなり強大だった。色々悶着あった末にそれまで家を支えていた家臣の多くが放逐されたらしい。その家臣たちは後妻に味方しただけではなく、悪どいこともやっていたようだ。


 そうしてマクラミン様は無事家督を継いだものの、何せ人が足りない。マクラミン様はその一件で人間不信になっていたので信用できない人物を迎え入れることを渋っていた。そこで辺境と結びつきのない家から嫁を娶り、その嫁を働かせればいいと考えついたらしい。とんでもない思いつきだ。

 ちなみに私を選んだ理由はなんとハルフォード伯爵が関係していた。文官として十分働ける娘を探していたところ私を紹介されたのだとか。まあ、あのまま離れで一生を過ごすよりはずっとマシだ。ハルフォード伯爵が言っていたような「まともな」結婚相手ではないような気がしたが、利害が一致しているだけいい気もする。そう、個人的な利害というのがいい。ギディオン様とは家の利害は一致していたものの個人的には嫌われていたことを考えるとなおさらだ。


 なにより、私は仕事を与えられるのが嫌いじゃなくて、むしろ好きだった。意見を言っても聞き入れてもらえるし、うまくこなせば称賛される。ここでは私の家柄も外見も何も気にされていなかった。仕事の出来だけで評価されるというのは非常に心地いい。


「奥様は変わってますねえ」


 私がつらい思いをしていないかと気にかけてくれるクリフ――結婚してからは一応主人の妻なので様はいらないと言われた――にそう告げると、苦笑されてしまった。


「ああ、悪い意味じゃないんですよ。奥様みたいな方がここに来てくださってとっても助かっているんです。文官になれなんて言われて怒らない貴族のご令嬢なんて存在すると思っていませんでしたし……」

「気にしていませんよ。私は見れた外見じゃないですし、マクラミン様が女として私を求めているのではないと知ってむしろ安心しました。妻としてはきっと何のお役に立てませんから」


 するとクリフはぽかんとしてこちらを見た。


「え?奥様、ええと……その、お綺麗ですが……?」

「お世辞はいいですよ。分かっていますから」

「いやいや、お世辞とかじゃないですよ!?えっ、なんでそんなふうに思っているんですか!?奥様はとっても美しいお方です!誰に聞いてもそう答えますよ!」


 テーブルに手をついて身を乗り出してきたクリフにも驚いたが、ちょうど部屋のドアを開けて入ってきたマクラミン様にも驚いた。ばっちりと視線が合ってしまう。マクラミン様はここに来た当時よりもいくらか目の下のクマもましになっていて、三十代と言われても納得できる人相になっていた。いや、実際は二十代なのだけど。その彼が目を丸くしてクリフと私を交互に見て、ため息をついた。


「クリフ、何をしている」

「うえ、ええっ!?旦那様っ!?あ、旦那様も思いますよね!?」


 一応勘違いされても仕方ない場面だったが、クリフは全く気にせずにマクラミン様に尋ねた。分かっていてもマクラミン様に不美人だとはっきり言われたら凹むなとぼんやり思った。


「何がだ」

「聞いていたんじゃないんですか!?ほら、奥様ってお綺麗じゃないですか」

「そうだな」


 が、マクラミン様は一拍も置かずに頷いたのである。さらっと言われて一瞬理解できなかった。


「ですよねえ!そうですよ。ああそこのあなた、ちょっとこっちに来なさい。奥様は美人ですよね?」


 クリフは立ち上がって部屋の外にいたメイドにまでそう声をかけ始めて、私はどうしたらいいのかわからず固まってしまった。クリフが座っていた席にマクラミン様が腰を下ろす。


「……何か外見のことを気にしているのか?」


 仕事以外で話をすることはほとんどないので、少し緊張する。私は何と答えたらいいか迷って、とりあえずありのままを白状することにした。


「気にしているといいますか、特に秀でたところのない外見をしておりますので、男性にとってはつまらないかと思っております」

「……」


 マクラミン様は黙ってこちらを見つめてきた。顔を観察されているようで居心地が悪い。確かに不美人だな、と言われる覚悟を固めていると、マクラミン様はおもむろに口を開いた。


「君のその、瞳の色は、新緑のように鮮やかでみずみずしい」

「……はい?」

「この土地は冬が長い。だが、どんな寒く暗い冬の日でも、君の瞳を見れば春の芽吹きを思い出して明るい気分になれるだろう」


 私はぽかんとするしかなかった。そして言われた意味を理解すると、途端にむず痒い気分になる。どうやらマクラミン様に瞳の色を褒められたらしい。


「……ありがとうございます、マクラミン様」


 するとマクラミン様はなぜか眉をひそめて、しばらくためらった後に再び口を開いた。


「その呼び方は、いい加減に改めてはくれないだろうか」

「呼び方、ですか?」

「君もマクラミンだろう」


 私はそう言われたことに驚いて、次に自分がマクラミンと名乗ることを許されていたことにも驚いた。しかし言われてみれば書類上はそうなのだから、マクラミン様をいつまでもそうやって呼び続けるのは妙なのかもしれなった。


「では、旦那様」

「……それでいい」

「はい。旦那様の瞳の色も、透き通った海のようで素敵です」


 褒められたので返しておこうとそう伝えると、マクラミン様、ではなく旦那様はにわかに頬を染めた。しまった、急に男性の瞳の色を褒めるなんて失礼だっただろうか。うまくいかないものだと思う。やはり私はどこか気が回らないのだ。


「き、君は海を見たことがあるのか?」


 旦那様が話をそらしたので、申し訳のない気持ちになりながら私は答えた。


「いいえ、海を見たことはありません。ですが、学園に絵画の飾ってある廊下があったのです。そこで海の絵を見たことを思い出しました。珊瑚礁が広がっているのが水面の上からも見える、とてもきれいな絵画でしたので、印象に残っていたのです」

「……ああ」


 旦那様は一つ頷いた。


「そういえば絵の飾ってある場所があったな。私はまじまじと見たことはなかったが、そうか。それはきっと南の海の絵画なのだろう」

「北の海は違うのですか?」


 辺境は海には接していないが、隣の領地には港がある。旦那様は海を見たことがあるのかもしれないと思って尋ねると肯定された。


「北の海は寒くて荒々しい。絶えず波が押し寄せてくる厳しい場所だ。だが、それも私は嫌いではない。この土地に生きる民の難しさを知ることができる」

「生きる難しさ……ですか。そうですね、肥沃な土地とは言えません。たくさんの困難を抱えている場所だと思います」


 私が外を見て回ったのはここに来るときに馬車の窓から眺めた程度だ。それでもこれまで文官として働いてきて、環境の厳しさというのは数値や書面でいろいろと見てきた。

 素直に言うと旦那様はわずかに微笑んだ。旦那様が微笑むのを見たのは、きっとこれが初めてだった。笑うと少し幼く見える。瞳の色を褒められた時と同じ感覚に襲われて私は固まった。


「そうだ。だからこそ私は忘れてはならないのだ。この土地の民のための政を敷かなくてはならないのだと。……他の誰にも渡してはならなかったのだと」

「はい」


 私は旦那様が爵位を継いだ時の状況は知らない。お家騒動を引き起こした後妻や、旦那様の異母弟がどんな人だったのかも想像することしかできない。けれど、南の海を羨ましがらずにこうして現実を見つめることのできる人ならばきっとこの土地を治めるのにふさわしいと思った。


「奥様っ!統計取ってきましたからねー!」


 なんて会話を交わしていると、クリフがどたばたと戻ってきた。何の統計かと思ったら屋敷中の人に私の容姿について聞いて回ってきたらしい。


「クリフ、それは一歩間違えば嫌がらせですよ……」


 いつもよくしてくれる彼だが、ちょっと行きすぎではないかと引いてしまった。


「違うんです!奥様に自信を持っていただきたくて!なので数字で世論を可視化することによってその根拠をですね、」

「善意でやっていることだとしても相手が迷惑だと思えば迷惑だぞ、クリフ。わからんか」


 旦那様も呆れたように言っていた。旦那様に叱られてしおしおと萎んだクリフは「すみません……」と力なくうなだれる。


「そうですよね……。いや、そうですよね!ちょっと旦那様、こっち来てください」


 と思えば即座に復活して旦那様を引き連れて部屋の隅へ行ってしまった。「だからですね……」「なぜ私が」「だって夫婦ですよ!?」コソコソ会話しているのを横目にティーポットに残ったお茶をカップに注ぐ。ちょっと渋かったが、なんだか気分が浮かれていたのでちょうどいいくらいだった。

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