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最終的にアンジェリーナの婚約は破棄されることになった。イゼルバート殿下はアンジェリーナの犯罪を立証できなかったが、引くに引けなくなったのである。侯爵家の力を使って隠蔽したとかなんとか言われたけど、そんな力がある家なら私の婚約も必要なかっただろう。ちなみにそっちも引けなくなってしまったのか、ユーフェミア嬢は殿下の愛妾の座に収まることになった。正妃はさすがに許されないらしく、別の令嬢との婚約がすぐに結ばれたようだ。貧乏くじを引いたかわいそうなその令嬢に同情する。
アンジェリーナは荒れに荒れたが、王家の方から外国の貴族との縁談を紹介されてそっちに嫁ぐことになった。相手がべらぼうな美形だったのと外国に嫁ぐのがどんなに名誉で重要な役割かというのを聞かされて、だんだん機嫌が良くなって助かった。
まあ、王家としても醜聞の片割れは遠くにやっておきたいのだろう。まだ第二学年であるアンジェリーナだっだが、早く向こうに馴染むためと退学してすぐに外国に渡ることになった。名誉毀損分も慰謝料が上乗せされたのでアンジェリーナを嫁にやるための資金は十分だった。
一方で私の婚約も破棄された。ギディオン様は私のことを嫌っていたので、アンジェリーナと殿下の婚約が破棄されたことでこれ幸いと無効とすると言ってきたのだ。ハルフォード伯爵家としてはアンジェリーナの嫁ぎ先である国との結びつきができればそれはそれでおいしいらしかったが、とにかくギディオン様が駄々をこねたらしい。
「ですが、ギディオン様。契約書のどこにもアンジェリーナとエゼルバート殿下の婚約がなくなればこの婚約も無効となると書かれてはおりません。ですのでこれは一方的な破棄と見なし慰謝料を請求いたします」
「なんだと!お前のような女と結婚などできるわけあるか!」
「名誉毀損とみなして請求金額を上乗せさせていただきますね。これまでもいろいろなことをおっしゃっておりましたよね?確か『金のために股を開くなど娼婦同然』でしたっけ」
同席していたハルフォード伯爵は顔色を悪くしたが、ギディオン様はふんと鼻を鳴らして「事実を言ったまでだ!何が悪い!」と言い放った。
その頭をハルフォード伯爵がおそるべき速度で掴み、無理やり下げさせた。ガン!とテーブルにぶつかって派手な音が鳴ったほどである。
「いっ!?父上、何を!?」
「黙れ!申し訳ない、ベリンダ嬢。この婚約は破棄とさせていただき、慰謝料は規定の二倍払わせていただく。これでどうか納めてはくださらぬか」
「わかりました。ではそのように」
ギディオン様が何か喚いていたが、最終的にハルフォード伯爵に部屋から追い出されていた。弁護士が書面を作成している間、ハルフォード伯爵に謝られる。
「本当にすまなかった、ベリンダ嬢。アレの躾がなっていなかったせいであなたを苦しめてしまった。どうか別のまともな人と幸せになっていただきたい。私と顔を合わせるのも嫌かもしれぬが、何かあったら力を貸すとお約束しよう」
私は驚いてハルフォード伯爵を見た。……もしかしたら、この婚約破棄の話し合いにうちの両親のどっちも来なかったことで何か察したのもしれない。ちなみに来なかった理由はアンジェリーナの嫁入り支度に忙しいから、である。
「お心遣いありがとうございます。ご子息とは心を通わせることができませんでしたが、義理のお父様になられるかもしれなかった方にそう言っていただけますと、心が楽になります」
「……あなたのような聡明なお嬢さんに、どうしてギディオンは……。いや、これ以上は言いますまい。どうかこの先の人生に幸多からんことを」
そうハルフォード伯爵と別れて屋敷に帰った私は、さてこの先どうしようかと悩んでいた。学園は卒業してしまったが婚約も破棄されて相手はいない。今はアンジェリーナの嫁入りに浮かれている両親もそのうち私が残っていることに気がつくだろう。
しかし今のノードリー侯爵家の立場は微妙だ。アンジェリーナは国外に嫁ぐからいいが、私は婚約を破談になった令嬢というケチが付いている上にあのパーティーで真っ向から殿下に文句を言った女でもある。殿下からの好感度はドン底だろう。殿下に取り入りたいと考える貴族たちは絶対に婚約を申し込んでなんか来ない。
さらにしばらくすると、私が金にがめつい女であるという噂も流れはじめた。人前で殿下にお金の話をしたのと、ハルフォード伯爵家から慰謝料をぶんどったせいだろう。私を悪く言いたい人間なんてたくさんいるということだ。
アンジェリーナが旅立つ段になると、両親は思い出したように私にネチネチと言い始めた。
「アンジェリーナはすぐに縁談が決まったというのにお前は情けないと思わないのか」
「ベリンダは男性に好かれるところがないのよ。人前でお金の話をするなんてはしたないわ」
「お姉さまは誰にも見向きもされないのだもの、仕方ないわ。前の縁談だって、私のおこぼれに預かっただけだものね」
まあ、アンジェリーナの結婚相手もアンジェリーナの美しさにすぐにメロメロになったというし、その外面の良さは一種の才能だろう。けれど私は不美人だし、悪い噂も付きまとっている。
しかもハルフォード伯爵家から支払われた慰謝料は気づけば父の借金の補填に使われていた。以前のような利用価値があればともかく、これでは婿を取るなんて夢のまた夢だ。
そう両親も気がついたのか、アンジェリーナが旅立ってまもなくすると遠縁の親戚の子を引き取って養育し始めた。私はというとついに離れに隔離されていないもの扱いである。
家族と顔を合わせなくなって以前のように毎日毎日罵倒されなくなったある意味気楽ではあるが、憂鬱でもあった。もうこのまま世間からも家族からも忘れ去られて生きていくのだろうか。やることがなさすぎて学校の教科書なんかを擦り切れるくらい読むことしか娯楽がなかった。おかげで大体暗記してしまった。
そして婚約破棄騒動から半年経った頃、私は突然父に呼び出されてこう言われた。
「お前の嫁ぎ先が決まった」
探してたのか?と胡乱な視線を向けてしまったが、案の定違ったらしい。
「マクラミン辺境伯から打診があってな。明日家を出ろ」
マクラミン辺境伯というと、最近代替わりしたばかりのロバート・マクラミン様だろうか。あそこの家には他に適齢の男性はいなかったはずだ。嫁がされるとしたらもっとロクでもないところに借金のかたにされるとばかり思っていた私は驚いたが、すぐに頷いた。
「かしこまりました」
「田舎者の辺境伯か、お前にはお似合いだ。お前のどこがいいのかはさっぱりわからんがな」
いや、辺境伯となるとかなり広大な土地を有した重要な貴族である。マクラミン辺境伯もその例に漏れず、隣国との国境線を守る重要な役割を担っている。うちのような名ばかり侯爵家よりははるかに重要なのだが、父にとっては田舎というだけで蔑む対象らしい。ちなみに国境を接している隣国はアンジェリーナが嫁いだ先とはまた違う国なので少し安心した。
私は離れに戻ると支度をして――と言っても大した荷物もないけど――翌朝を待った。旅立ちの見送りは使用人だけだった。
「ずいぶんと変わったご家族ですねえ」
そう言うのはマクラミン辺境伯の使いとして来ていたクリフ様だ。うちに打診して了承を得たら改めて迎えをやるつもりだったらしいが、父がこれ幸いと私を放り出したので一緒に辺境へ向かうことになってしまった。「侍女もいないのでご不便をおかけしてしまうかもしれませんが」と言われたが離れには侍女なんていなかったので今更だ。
「申し訳ありません。いくぶん、妹の嫁入りで疲れているようでして」
「ああ、アンジェリーナ様でしたっけ。なかなか噂になっていましたよ」
辺境でも噂になっているのかとつい顔をしかめたら、慌てて取りなされた。
「いや、聞いたのはこっちに来てからです。それにベリンダ様がこんなにすぐに嫁いでくださるというならこちらもありがたいんですよ」
「そうなのですか?ご迷惑でないなら安心しました」
「いえいえ!本当に助かるんです、本当に!ベリンダ様のような聡明なお方がいらっしゃれば旦那様の負担も軽くなるはずです!」
「はあ……」
どうやら何か裏があるようだったが、どちらにせよ私に拒否権はない。黙って馬車に揺られるしかなかった。
初めて王都から出る私は切り替えて馬車の旅を楽しんだ。辺境に入るとクリフ様が領地のことを色々と教えてくれて興味深かった。辺境は王都よりも冬が長く、気温も低い。途中でコートを買っていただいて申し訳なかった。
そうしてたどり着いた辺境伯の屋敷で、待っていたのはひどく人相の悪い男性だった。
目の下は黒ずんでいて、もう何日も寝ていないんじゃないかと思うほどのクマができていた。眉間にシワがよりまくり、黒髪には白髪が混じっている。身なりはきちんとしているものの、なんとも近づきがたい人物だ。私の十歳上だと聞いているが、もう四十近くにも見える。
「あなたがベリンダ嬢か」
「はい、マクラミン様。ベリンダ・ノードリーと申します」
「今日からベリンダ・マクラミンだ。この書類にサインをしてくれ」
手渡されたのは婚姻届である。私の常識では教会で式を挙げる時に書くものだが、辺境では違うのかもしれない。クリフ様が「旦那様!」と慌てた声を上げた。
「こんなのあんまりではないですか!式も挙げないおつもりですか!?」
「そんな時間はない。私は忙しいんだ。ベリンダ嬢、早く書きなさい」
……辺境でも式はするものらしい。とはいえ私に選択肢はないので、さっさとサインしてマクラミン様に書類を返す。
「これでよろしいでしょうか」
「ああ、問題ない。ところで私は君に妻の役割は求めない」
はあ、と間抜けな相槌が漏れた。ではなぜ私を娶ったのだろう?その疑問は次の言葉で解消された。
「君には文官として働いてもらう。明日からな」
ぱちくりと瞬いた私はマクラミン様を見上げた。冷たく見下ろされて苛立たしげにまた口が開かれた。
「婚約破棄騒動の話は聞いた。君は王家と己の婚約相手から慰謝料をぶんどったそうじゃないか。学園での成績も首席だったと聞く。やれないとは言わせないぞ。そのために君を娶ったんだ」
どうにか思考を動かす。つまり私は頭脳を買われてここにいるのか。両親にははしたないと言われたが、辺境では女が金勘定をしてもいいらしい。
「かしこまりました。明日からよろしくお願いいたします、マクラミン様」
私は深々と頭を下げた。クリフ様が「なんで頷いちゃうんですかあ」と後ろで嘆いていた。